69 星明りの先で夢は、想いは続く
日常が終わりを告げる。
その夜、連は日課である日記を書き終わり、背伸びをした。
(……今日は希夜ちゃんも来てないし、希朝さんも来てないんだよね)
部屋を瑛人と柊凪に返すべきだと思ったのだが、二人は和室で眠るらしく、自分の時間を過ごせばいいと優しく返してくれた。
希朝の両親と触れあって、初めて知った家族の温かさは、生きてきた中で幸せと言えるものだ。
今日の日記には、瑛人や柊凪の人柄、希朝や希夜の普段見ない表情の風景がそのままに記されている。
意識をしていないのに、星宮家に来てから書き記した日記のページに希朝の名前が載っていなかった日はない。ふと思い返せば頬が熱を帯びて、恥ずかしくなりそうだ。
連は帯びた熱と共に椅子から立ち上がり、静かにドアを閉じた。
(うぅ……夏なのに、夜風が思った以上に冷たい)
落ちつかない気持ちを冷ますために外へ出ると、長袖の寝間着とはいえど冷たい風が肌を撫でてくる。
夜風が心地よいと、初めて思えた。
暗い部屋で窓を開けて外を見たことは何度もあったが、こうして自分の足で夜外へ出る経験は何気になかったのだから。
連は息を吸おうとした時、ある光景が――彼女の姿が目に入った。
「……希朝、さん?」
こぼすように出た声は夜風に消えている。
火を灯さない灯篭の横……玄関に続く石畳の上に立ち、希朝は空を見上げていた。
今の希朝は、ワンピース風のネグリジェの上から薄目のカーディガンを羽織っている。
ふとした瞬間、前開きのカーディガンだったのもあって、ネグリジェの上からも分かる丸み帯びた双丘に息を呑み込んでしまう。
意識をしないようにしているとはいえ、今日の話が頭から離れていないせいだろう。
希朝をそんな目で見ていないのだが、体や目は正直というものだ。
困惑があっても、連の見える景色は希朝に吸い込まれていた。
夜の星明りが地上を照らしているのに、そこに星があったから。
(……希朝さん、すごくきれい)
語彙力を無くすほどに、希朝は魅力的だ。
背中を隠すほど長い滑らかに伸びた黒いストレートヘアーは、白い星明りを反射して地上に天の川を生み出している。
横髪を避けて映る、夜空を見上げるピンクの瞳はただ一途で、切なさを感じさせるのに、輝く中で一番に愛おしい宝石。
夜空よりも神秘的で、言葉に表すのが勿体ないほどに希朝を美しく見せてくる。
そんな希朝と一緒に過ごせるのは幸せだろう。
希朝に見惚れていたのもあり、邪魔をしないうちに帰ろうとした時だった。
「連、さん?」
希朝は丁度視線を下げたらしく、玄関付近から見ていた連に視線を向けている。
少し恥ずかしそうにしている希朝を見て、連は慌てて手を横に振った。
希朝が目を軽く逸らしているのもあり、ゆっくりと距離を詰めておく。
「ご、ごめん。見る気はなかったんだ。お邪魔したよね」
そう言って立ち去ろうとすれば、後ろから手を握られた。
視線を向けると、希朝が恥ずかしそうにしながらも、両手で手を引いてきている。
「……連さん、もう少しだけ、一緒に居てほしいです」
希朝の願いに、連は頷いた。ただ、頷いた。
星々が見守る温かい空の下、連は希朝と手を繋いで夜空を見上げていた。
夜が更けてきたのもあって、冷えていく空気で星はより鮮明に見えるようになっており、青黒い空を覆いつくさんばかりに広がっている。
手を伸ばせば、掴めそうな程たくさんの星。
でも隣には既に、手を伸ばす距離に星が、希望がいると連は知っている。
星座の名前を口にするべきなのかと、静けさに連が悩んでいた時だった。
「幼い頃から私、星を数えるのが好きで……両親が寝ている隙を狙って、こうして外に出ていた悪い子なんですよ」
希朝が自分から自身の話をするのは、正直意外だった。
「まあ、幼い頃は外に憧れるよね」
未だに両親の事をふと思い出してしまうので、口から出した言霊は意味合いが違うだろう。
意味合いが違うと、恐らく希朝も分かっている。
それでも触れてこないのは、自分を信用しているからだと、連もまた理解している。
自然と繋ぐ手に力が入ってしまったが、希朝は黙って受け入れてくれた。
受け入れてくれたのに、受け入れられてばかりだと、卑下してしまいそうになる。
気づかないようにしていた日々をやめたから、より痛感してしまうのだろう。
希朝はそっと鼻で笑って、話をつづけた。
「でも……外に憧れていたのに、いざ自由になれば何もできず、ぶらぶらと目的のない毎日」
「希朝さん」
「そんな自由は、ある日を境に夢へと変わったのですよ」
希朝は話をしながら、一息ついていた。
連としては、夢へと変わった理由が気になったが、こちらを見て希朝が微笑むので教えてくれそうにない。
もどかしさで聞き出したくなるのに、希朝だからこそ聞けないジレンマがある。
久しぶりのどっちつかずになるこの気持ちは、夜風に悪戯されているのだろうか。
「私、心配だったのですよ。お母さんとお父さんが……連さんを迎えるのを歓迎していたのに、それを期待と受け取って、裏切ってしまったらどうしようって……」
どうして重ねてしまうのだろうか。
どうして想いとは溢れてくるのだろうか。
夜空を見上げながら告白した希朝の横顔に悲しみはなく、どこかスッキリとした様子だ。
煌めくピンクの瞳が何を見ているのか、連には分からない。それでも、希朝の心配を聞いて、ふと思ってしまったのだ。
希朝の自由が、目的のない毎日が夢へと変わったのは……連と出会ってしまったからではないのかと。
公園くらい、幼くても一人で行くかもしれない。
行くかもしれないが、そこでの出会いが偶然と呼ぶ名の必然であったのなら、差し伸べられた手には夢が籠っていた。
自分が幸せ者だ、なんて都合の良い捉え方を連はするつもりはなかった。
だとしても、自分が希朝の夢になっていてほしい、そんな想いを馳せてしまうのだ。
希朝が最初に、両親の期待に応えたくて焦っていたのは……希夜から事情は聞いたので、連でも理解はできている。
自分を見てもらいたい、という想いを重ねられるから。
想いを重ねたとしても、本当の気持ちが夢を持った意味だったなら、あの時に気付けていない自分は最低なものだろう。
背伸びしかできなかった、そんな自分は。
「期待されていたんだよね。良いことだね」
口に出した言葉が他人事だ。
希朝は流石に聞き流してくれないようで、こちらを見てはムスッと頬を膨らませている。
「また、連さん、卑下しています」
「……卑下じゃないよ」
希朝から見れば、連は両親に捨てられたからこそ、卑下に聞こえるだろう。
確かに否定した感情を少なからず含んでいたし、連自身、自然と口にしてしまったのも事実だ。
それでも言いたいと、溢れだした気持ちが背を押してくるのだ。
希朝だからこそ、伝えておきたい想いがあるから。
「こうして捨てられて……星宮家に、希朝さんと出会えて嬉しいと思えるようになったから。それに、僕の夢だったんだ」
夢。この言葉にはたくさんの意味を込められるだろう。
連の描く夢は、希朝と家族になれる未来。
星宮家に来て、もらい続けた幸せで前を向くことが出来た。あの日常では叶うことが無いと思っていた、望みを得られたのだ。
ぎゅっと手に力を入れた、その時だった。
くちゅん、と可愛らしく鼻の鳴る音がした。
「あっ、随分と夜も更けてきたし、夏とはいえ夜風は冷えるから……家に戻ろうか」
もっと話していたい気持ちはあったが、希朝が風邪を引くのは避けたいものだ。
連が希朝を連れて戻ろうと、玄関の方に体を向けた時だった。
後ろから、ぎゅっと服を引っ張られたのだ。
力の伝う方を見ると、希朝は少し恥ずかしそうにしながら連の服の袖を掴んでいた。それは、小さい手なのに確かな力強さを感じさせてくる程だ 。
そっと月明かりが差し込んだ時、星の明かりを帯びて暗闇に輝くピンクの瞳がそこにはあった。
上目づかいで、ゆらりと揺れる光の粒が息を呑み込ませてくる。
「今日は……一緒に寝ても、いいですか……」
消え入るようなか細い声色に、寂しさを覚えた自分が居る。
連は知っていた、その声の震えを。
「もう少し、話す機会をもらってもいい?」
「連さんは本当に、優しい人です」
「優しくないよ。……手、冷たいから触れるね」
手を繋ぎ、連は部屋に戻ることにした。
一人ではなく、希朝と二人で。




