64 手を取り合うもの
約束の日。
この日の空は青いのに、どこか寂しさを、悲しさを心に伝えてくる。
誰かが泣いているわけでもない、誰かが求めているわけでもない、誰かが手を差し伸べているわけでもない。
ただ、落ちつかなかった。
「……希朝さん、いつでもいいからね」
他人行儀はやめて、希朝を知るための言葉をかける。
準備した言葉かもしれないが、連の本心をそのままに現した言霊だ。
同じベッドに座り、隣で心配を見せない希朝の瞳は濁ったピンクの宝石に見えてしまう。
カーテンで切り離した空間に、静かに一筋の光が差し込み暗闇の花を照らす。
「大した話では無いのですよ」
「でも、僕は希朝さんを知りたいから、聞かせてほしい。……もっと言うなら、受け止めさせてほしい」
「連さんは優しい人です。聞いてください」
希朝のお願いにそっと頷いた。
連が頷いたのを確認してか、希朝は思い出すように天井を見上げている。
「これは、私の過去の話です。捨てきれていない、情けない私の持つ過去」
希朝は語るように口を開いた。
濁っているように見えたピンクの瞳が、今は潤いに包まれている。
「私は家族にも恵まれて、周囲にも恵まれていました」
希朝は、連とは真逆の境遇だったのだろう。
連が望んだ家族、繋がりを持ちたかった周囲。その全てに関して言えば、理解できるものだとは思っていない。
他人だから、理解できるはずないと知っている。
すれ違ってもいい。だけど、希朝の話をしっかりと聞き、受け止めて、共感する。
「恵まれていたのは、努力に対しても、ですね」
「努力に?」
「ええ。私は勉強……いえ、未知への探求心が幼い頃から高かったのもあって、隠れて自分の欲を満たすほどに、知らないのを無くせるほどでした」
希朝の限度は不明だが、今の希朝を形成しているのは紛れもなく過去があったからだ。
以前見た、希朝の勉強している背を見れば想像に容易くない。
希望とも言える言葉を口にした希朝は、軽く息を吐いた。
「ですが、持てる知識は良いことだけじゃありませんよ。周囲の人とは違う、このピンクの瞳や……誰にでも優しくしてしまったから、幼い頃から陰口や悪口は日常茶飯事でした」
希朝が自分自身の境遇を口にすることがなかったからこそ、連は驚きを隠せなかった。
年齢が幼ければ、希朝のピンクの瞳はとても珍しい。また、周囲の大人から気味悪がる言葉を聞いた幼子たちが居たら……同じ人としては見てもらえないだろう。
境遇こそ違うが、連は似た体験を家柄という面では受けていた。だから、拳を握りしめるしかできないのだ。
いくら嘆いても変えることが出来ないと知ってしまっているから。
「それで距離を置かれてから……優等生、いわば『星の子』と呼ばれるまでに、ただ目立つだけの存在になっていましたよ」
「……辛く、なかったの?」
「辛いと思うよりも、消化できない気持ちがあの時は大きかったのですよ。私の側面や外見だけを見て、告白や付き纏う人、断れば私の頑張りは瞳と同じく遺伝と罵って……」
希朝は言葉が詰まったように、うつむいていた。
きっと、口にするだけでも記憶が溢れて辛いはずなのに、希朝は感情には見せない。
連が何か言ったところで、希朝は止まることを知らないだろう。
連自身、少なくとも希朝の努力を多く見始めていたのもあり、困惑しかないのも事実だ。
事実無根のでっち上げだとしても、星の子として浮いてしまった希朝の味方をしてくれる人は少なくなっていたのだろうか。
今の目の前に映る希朝は、星の子なのだろうか、希朝なのだろうか。不意に脳裏に浮かんだのは、そんな疑問だ。
散らばった記憶を集めて言えば、紛れもなく希朝自身だと分かっているのに。
「そんな日々に私は疲弊してしまったんですよ。もう、周囲から私を見てもらいたいことは諦めて、消えたいって」
私を。きっとそれは希朝をではなく、その希朝本人を。
希朝の話に自分を重ねることしかできない。だが、見てもらうために努力をしていたのに、それが報われないのがつらいのは理解できる。
ましてや幼い頃、小学生や中学生初旬くらいの時と仮定すれば、感情の整理は近くの大人が支えない限り壊れてしまう。
手の甲に重なった手の平が、痛かった。
「でも……それを両親……お父さんに打ち明けた時に『そのゴミを捨てておけ』って今の私を作った言葉をもらったのですよ」
「……そのゴミを」
久しく聞かなかったが、希朝の言っていた『そのゴミ、捨てておいてください』という対象を指す言葉が父親譲りなのは意外だった。
父親がその言葉をかけなければ、今の希朝は壊れていたのかもしれない。
最悪、希夜と過ごし、連に会ったとしても、手を差し伸べずに心を塞いでいた可能性も。
(いつから、我慢していたの……)
連は思わず息を呑み込んだ。
見ていたピンクの瞳から、宝石が零れ落ち始めていたから。
震える声で、希朝は最後の力を振り絞るように口にする。
「おかしいですよね。結局は捨てきれない、結には心配されてばかりで、希夜ちゃんやお母さん、お父さんにも支えられてきたのに……私は何者にもなれずに、星の子と呼ばれることを受け入れてそのままにして……」
「……希朝さん」
「私、もう、疲れました……。私が、私でいることに」
――希朝は、希朝だ。
誰かが否定しようと、誰かが蔑もうとも、連は知っている。
希朝は希朝だって、言い切れるほどに希朝を知ってきた。
力を入れていた拳は開き、自然と希朝に腕を伸ばしていた。
ほっそりとしていて弱弱しいのに、しっかりと芯のあるその体を引き寄せ、体温を分け与える。
冷えてしまった心に届かせる、恩を返すためにも。
抱き寄せながら希朝の頭を胸元に埋める形にしたせいか、希朝は驚いたように震えた声を口から漏らしている。
そんな希朝を離さないように、連はゆっくりと希朝の背に手を当てて、もう片方の手を艶のある黒い髪にそっと授けた。
「ど、どうして……」
「希朝さん、お疲れ様。これは何でもない、恩を返してるだけだから」
希朝はきっと、寂しさを受け止めたいから、共感したいから、なんて都合の良い言葉を言えば『星の子』としての自分を捨ててくれないだろう。
捨てられないのなら、支えてあげればいい、手を差し伸ばせばいい。
形はどうあっても、口にする言葉が反対だったとしても、連が決められるのは希朝に対してだけだから。
「……希朝さんの頑張りは、希夜ちゃんが見てきていたし、今は僕も見てるよ。仮に希朝さんを否定する奴がいるなら、僕は希朝さんの為……僕自身の為に鬼になるよ」
希朝はピンクの瞳を揺らめかせながら、連を見上げるように上を向いていた。
希朝の目にどのように止まっているかは不明だが、考えが変わることはない。
希朝にできることが自分にあるのなら、それを精一杯やって、彼女を、希朝を守りたいと強く願うから。
忌み嫌っていた自分の力を使って希朝を守るために動いた、あの時からこの気持ちが止まることは知らない。
希朝が居ない日常は来てはいけないと……少し力が籠った腕でしっかりと伝える。
「希朝さんは、希朝さんのままでいいんだよ。その隣を僕が守るから……預けてほしいんだ」
「連さんは優しすぎですよ。過去の生い立ちは連さんの方が辛いはずなのに、どうして他人に優しくできるのですか……星の子として偽ってきた、私に」
「――家族だから」
間髪入れずに言葉を返した。
星宮家に来てからずっと、ずっともらってきた恋軌跡を口にして。
「希朝さんは他人だった僕に手を差し伸べてくれた。だから、家族になった今は、僕が希朝さんを守りたいんだ。根拠はないけど……希朝さんとなら大人になりたいって、強く思えるから」
今の状況に合うかは不明だ。
それでも口にしているのは、希朝にだけ向ける気持ちがそうさせるから。
理由は無くていい、合ってもいい。だけど、希朝に向ける知らない感情が心拍数を上げさせて、強く望ませてくれるのだ。
「……捨てきれていない、弱い私を見せてもいいですか」
消えるような声。
それでも連の服をぎゅっと握りしめるその手は、確かな強さがある。
希朝は我慢してきたのだろう。ずっとずっと、辛くても弱さを隠し続けて、一人で寂しかったのだろう。
今の希朝は間違いなく、希朝だ。
だから連は迷いなく、腕に力を入れることが出来る。
「僕は何も見てない。ただ、希朝さんを抱きしめたいだけだから」
希朝の手は強まり、胸元に顔を押し当ててくる。
女の子は時に強いし、時に男よりも勇気がある。それでも、人は人だから、弱さを見せる相手くらいは選びたかったのだろう。
声こそ漏れていなかったが、胸元には静かな冷たさと、確かな温かさだけがあった。
そんな彼女を見ないようにして、連はただ頭を撫でるのだった。
しばらくして、連は希朝とベッドの上に背を合わせて座っていた。
希朝の顔は見ないようにしていたが、少し瞼が赤かったので、今まで泣くのすら我慢してきていたのだろう。
連としてはもっと泣いていてほしい気持ちもあったが、泣く感情が自分を壊さないようにとセーブをかけたのだろう。
背中越しとはいえ、希朝の心拍数、些細な揺れが伝わってくるのでむず痒いものだ。
「連さん、先ほどのようなことは軽々しくしないでくださいね」
声を膨らませ気味に言う希朝に、連は首を傾げそうになった。
「僕は希朝さんにしかしないよ」
「それはそれで、嬉しいです」
「そっか。ならよかったよ」
「随分と他人事すぎますよ」
「嫌だった?」
「嫌……じゃないですけど……もうっ」
どこか嬉しそうに声が弾んでいる希朝は、迷いが少しは晴れたのだろうか。
カーテンの隙間から差し込んでいる光は粒を魅せるように輝いている。
「……私、過去から唯一決まっていることはあるのですよ」
「それは聞いてもいいの?」
「はい」
背中越しに伝わる振動は、希朝が自然に笑っているのだと教えてくるようだ。
先ほどまで泣いていたのは嘘だった、というほどに晴れ晴れとしている。
「私の隣の人は過去に、既に決まっているのですよ」
本来は疑問が生まれそうなのに、連はすんなりと誰なのか分かってしまう。
妄想であるのなら怖いが、困惑があるにしても唐突だ。
一瞬固まった連を理解してなのか、希朝はクスクスと微々たる振動を伝えてくる。
「待っていますよ」
「……希朝さん、過去のことを僕に話してくれてありがとう」
「感謝するのは私の方ですよ。連さん、ありがとうございます」
差し込む光と体温を感じながら、お互いに背中を預けるようにしてそっと目を閉じていたのだった。
後ろに置いた手の指の隙間に、確かな温もりを感じながら。




