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星宮家の恋軌跡  作者: 菜乃音
第二章

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63 約束。近くて遠いようで

 砂時計を眺めながら連は部屋で待っていた。

 日課である日記や勉強は戻って早々に終わらせた……というよりも、今日はどこか手の進みが早く、気づけば終わっていたのだ。


 考えごとをしていたからこそ、時間の感覚がなかったのかもしれない。


 背伸びをした時、ドアを優しくノックする音が響いた。

 ドア越しにも関わらず、直感で前に立つ存在を認識してしまう。


「どうぞ、希朝さん」

「……連さん、わかったのですね」

「まあ、希朝さんだから」


 ドアが開けば、そこには約束をした希夜の姿はなく、寝間着姿に身を包んだ希朝の姿があった。

 希朝の寝間着はネグリジェであり、ゆったりとした足取りで入ってくる姿を見て連は息を呑み込んだ。


 ピンクを基調とし、所々に白いフリルをあしらった可愛らしいネグリジェ。

 湯上りなのもあってか、長い黒い髪は潤いを持って艶めき、見えるほんのりと赤みを帯びた血色の良い白い肌が生唾を呑み込ませてくる。

 濡れた宝石のように輝くピンクの瞳も相まって、目を虜にしてくるようだ。


 女の子らしいふくらみこそ確かにあるが、それ以上に希朝を見てしまう。


 妖艶という言葉よりも、ただ大切にしたい。そんな言葉が勝ってしまうほどに、希朝は愛らしさがあるのだ。


 希朝は言葉を失っている連を横目に、ベッドの上に座っている連の隣に腰を掛けた。

 隣に座っただけでも、優しい花の香りが鼻を撫でてくる。


「お邪魔でしたか……?」


 申し訳なさそうに聞いてくる希朝に、連は首を振った。

 希朝を邪魔と思う理由は絶対にない。希朝が居てくれるから、今の連という形があり、前を向けるようになったのだから。


 希朝は安心したのか、そっと口元を緩ませていた。

 些細な動作一つなのに、久しぶりに見入ってしまっているネグリジェ姿の希朝に対して、鼓動は止まることを知らない。


 ふと気づけば、間に置いていた手の甲に、希朝の手が重なっている。


 たまに重なったり、手を繋いだりしたことがある、柔らかくほっそりとした手の平。


「あ、あの……連さんは、洗濯当番の時、嫌じゃないのですか? その、私たちの下着に異性として触れているわけじゃないですか……」


 希朝は誤魔化すためなのか、お風呂前の会話を持ち出してきた。

 連自身、洗濯当番は最初の頃から意識していないのもあるが、希朝が気にしていたのは意外だ。


 確かに希朝と希夜に、平然と洗濯当番の受け入れをして驚かれていたが、その時は境遇の問題として聞き流していたのだから。


 連としては、なぜ今になって希朝が聞いてきているのか、というのが疑問でしかなかった。


「別に気にしてないよ」


 希朝が挙動不審を含んだ上目遣いで見てくるものだから、連は思わず息を呑み込んでしまう。


「そ、そういうわけじゃなくてですね……」


 希朝は少しもじもじした様子を見せたが、軽く息を吸っていた。


 ぎこちなさが消えない空間に、希朝をまじまじと見てしまう自分がいる。

 希朝を意識しすぎているわけでもないのに、全てを受け入れたい、そんなエゴが顔を見せようとしているのだろうか。


 とはいえ、下着の話を何度もされれば、連も意識せざるを得ないので厳しいものもある。

 連の本能として希朝に手を出すことはないが、男であるのは事実なのだから。


「連さんは、ああいう下着で幻滅しないのですか? それに、殿方として襲おうとする気持ちが湧かないのですか?」


 今日の希朝は質問が多いようだ。

 質問が多いというよりも、今までがお互いの地に足を踏み入れようとしなかったからだろう。

 希朝が連を知ろうとしているのであれば、答えない理由はない。


 希朝の下着は、リボンが付いた透明感のある白いレースの下着が主だったり、フリルをあしらった大人びた感じの下着であったりする。

 着用しているのをこの目で見たわけではないが、洗濯当番をしているから理解しているだけにすぎない。

 希朝が別で洗っていれば憶測になるが、聞き方的には着用しているものと断言してもいいだろう。


 希朝の身に着けているものを不意に思い出してしまい、連はそっと首を横に振った。


 希朝に首を傾げられてしまったが、仕方ないだろう。

 男として考えるのなら、好きになっている子の全てが気になってしまうのだから。


「幻滅以前に、僕は相手を否定する気はないかな。希朝さんの今の質問なら……体が無理をしてないのなら、それを身につけていればいいと思うし」

「連さんは考え方が優しいですね」

「……優しくないよ。ただ、束縛されるのが嫌なだけだから……相手にしないだけ」


 あっ、と希朝が触れてはいけなかったように声をこぼしたのもあり、連は慌てて手を振った。


 希朝は連の過去を知っているからこそ、束縛を嫌がる気持ちに共感してくれたのだろう。

 連自身、今はそこまで気にしなくなったが、形を作っているものを話すとなれば触れざるを得ないのが悩みと言える。


 変に希朝が気遣わないように、極力避けたいと思ってしまう。


 ふと気づけば、希朝が前かがみで顔を覗き込んできたので、息が止まりそうになっていた。


 透け感のないネグリジェとはいえ、強調されたものから目を逸らすのは厳しいものがあるのだから。

 連は気を逸らすように、思い出したことを口にした。


「そ、そういえば、希夜ちゃんが来ないね?」

「……またきぃちゃんの話」


 希朝は頬を膨らませ、不服そうにこちらを見てきている。

 どうしても希夜に触れてほしくないのか、それとも希朝自身を見てほしいと願っているのか。


 希朝はどこか、自分に対しては向き合ってほしい、そんな思いを向けてきている気がするのだ。


 その時、重なっていた手とは別の手が、連の頬に触れていた。

 まだほんのりと温かい、湯上りに近しい体温を持った手の感触。


「――私には、魅力、ないですか」

「そんなはずないよ!」


 首を本気で横に振って、口からは強めに否定の言葉を出していた。

 希朝に魅力を感じなかったことは、出会ってから一度もない。ただ、口にしなかっただけで、可愛さを感じたり、隣に居たいと思ったり、知らない感情をたくさんもらった経験があるのだから。


 今だって、希朝の着ているネグリジェにではなく、希朝が着ているからこそ価値を感じるように――言葉にできない想いが、とめどなく溢れようとしている。


 体型云々で片付けるものではない、希朝のおかげで咲き始めた気持ちがあると理解できるように。


「僕は……希朝さんに魅力があるから、傷つけたくないから」


 我慢している、なんて都合の良い言葉を口にするつもりはない。

 我慢をするのも必要かもしれないが、本当に時が来たら……希朝をしっかりと見て、触れたい、聞きたい、もらいたい、誤解を生むような想いだって掴めると信じられるのだから。


 誰かではない、希朝にだからこそ信用を置けるのだ。


 不意に、希朝の表情に陰りが見えた。


「そのおせっかいが、私を傷つけているのですよ」

「……ごめんなさい。それは、わからなかった」


 謝って済む話ではないのかもしれない。それでも謝るのは、希朝と次に進みたいという強い気持ちがあるからだ。


 関係を終わらせたいのであれば、謝る必要も、相手を理解する必要もないのだから。

 高い瓦礫を挟んで、地に亀裂が出来たまま遠くなればいいように。


「ふぇっ?」


 曇らせた連の頬を、細い指は悪戯につまんでいた。


「いじわるが過ぎましたね。……言わないと、わからないですものね」

「あの、壁を感じるのですが?」

「無いはずの壁を感じるのは、あなたが壁を認識してしまうからでは?」


 希朝の言葉は正しいと言える。

 希朝が壁を作っていないと言えば、連自身が自然と避けるように壁を作ってしまっていることになるのだから。


 壁を感じたのは他でもなく、自分が希朝に対して思うことがあったからだ。


 とはいえ『あなた』と希朝がわざとらしく言ったことについては、壁を認識させようとしているとしか言いようがないだろう。


 ふと気づけば、ピンクの瞳は奥深くに目の前の人影を濃く反射している。

 希朝の本当の考えがわからないと嘆く、そんな曇り気味の連の姿を。


「連さん」

「はい」

「次の休日、連さんの時間をもらってもいいですか」

「僕の時間なら、希朝さんにあげるよ」


 あげない選択肢は無いに等しい。

 連はただ、希朝を知りたいと思っていたから。


 思っていただけではなく、形にできるのならば何よりも嬉しいことに繋がるからだろう。


「約束しよう」

「ええ、約束ですよ……連さん、大胆」

「こうすれば、忘れないから」


 本当に忘れないように、約束を形づけるように、連は希朝に腕を回して抱き寄せた。

 花の香りが鼻を撫でて、布越しに希朝の柔らかさを、温かさを忘れさせないとばかりに伝えてくる。


 これは迷いのない、連だけができる希朝を知る方法。


「どんな話でも、受け止めるからね」

「もう、受け止めているのに」


 優しく微笑む希朝は、陰り一つ見せなかった。

 ただ、弱弱しかった彼女の腕に触れなかっただけで。

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