62 忘れられない確かな光を見て
連は夜ご飯を終えた後、お風呂から上がって二階へと向かっていた。
後は夜の時間だけであるが、希朝や希夜からいつも先にお風呂をいただいてしまっているのは申し訳ないものだろう。
思ったところで、遠慮をしないでほしい、と二人から言われるのが目に見えているのだが。
二階へと上がりきり、希朝を呼ぶために彼女の部屋の方を見た時だった。
(希夜ちゃん?)
そこには白髪ショートの少女……希夜がドアの隙間から、希朝の部屋の中を覗くように見ていた。
希夜は真ん中の部屋なので、連と希朝の音を聞くのは容易いだろう。
とはいえ目の前では覗きが行われているのもあり、連は首をかしげるしかなかった。
覗きにしても、希朝と仲がいい姉妹である希夜なのだから、わざわざ小悪魔のような真似をする必要はないだろう。
声をかけるために近寄ろうとすれば、その手はこちらを見ずに動きだした。
「連にぃ、静かにやんねぇ」
希夜は連の接近に気付いていたようで、ちょいちょい、と手招きをしている。
希朝の部屋の前で座っているだけではなく、完全に覗きをしているようだ。
趣味の悪い覗き、を希夜が理由もなくするとは考え難いだろう。
次は希朝がお風呂なのだが……気づけば連は、希夜につられるままに覗いていた。
希夜に、なんて都合のいい妄想を述べているが、実際は好奇心が働いたからだろう。
昼に気付いてしまった、希朝から、星の子から目を背けていた自分が居たから。
(……希朝さんの部屋、すごくきれい。こんな感じだったんだ)
見える範囲でこそあるが、クローゼットやタンスが柔らかな雰囲気を醸し出すように置かれている。
希朝、という存在を知っているからなのもあるが、置かれた家具は希朝を迎え入れているように輝いているのだ。
そして敷かれている綺麗な白い絨毯。
穢れのない心のように見えて、どこか迷いのある雪景色を歩いている……様々な連想ゲームをさせてくるようで、見ている連としてはどこか落ちつかない気持ちも湧き出てくるものだ。
思わず呑み込んだ息があるのは、希朝の部屋を初めて見たからなのかもしれない。
「勉強、しているんだ」
「そうやんねぇ」
希夜ちゃん、と首をかしげて言いたくなったが、その息は喉に詰まった。
希夜は真剣に希朝を見守っており、横から口を出せるようなものではなかったのだ。
希夜の一面はよく見ていたが、ここまで真剣なのは珍しいのだから。
希朝が机と向き合い、様々な資料を読んでは、ノートに写し、自分なりに解いているのだから……背を見る希夜が真剣になるのも頷けるだろう。
カツカツと刻まれていく文字には、誰も見ていない痕跡が籠っているようにすらも見える。
(僕は、やっぱり……希朝さんをちゃんと見てなかった)
希朝は連という存在を見てくれていた。だが、連はどうだっただろうか。
様々な理由をつけて目を逸らすことはやめたのに、待ってほしいと言葉を足して、今を伸ばし続けてしまっている。
婿入りになっているとはいえ、不甲斐ない自分だけが残っているのだ。
希朝の頑張る姿をちゃんと見ていなかった、上部面に価値はあるのだろうか。
希朝が今の連を知れば、優しい言葉を、肯定する言葉を紡いでくれるだろう。
いくら言葉をもらっても、希朝をちゃんと見ていたかった、その想いだけは後悔してもしきれないと理解している。
「……希朝ねぇを見てあげてほしいやんねぇ」
希夜は天に頼むように、ただ呟いていた。
誰に向けてといった様子ではないが、連の耳にはしっかりと届いている。
希夜は希朝を見てきたからこそ、連よりも知っているからこそ、見てほしいものがあるのだろう。
目を逸らし続けていては理解できない、本当の気持ちがあるように。
「あ……希朝さんを呼ばないと」
瞬く間もなく、ドアの隙間は閉ざされていた。
小さな手のひらで音を立てずにドアを閉めた希夜は、髪すら揺らさない自然な動作でこちらを見てきている。
「希朝ねぇはあと少しすれば部屋から出てくるやんねぇ。だから、その時に呼んであげてほしいやんねぇ」
「希夜ちゃん」
「頑張る女の子の楽園を邪魔しちゃいけないやんね」
語弊が生まれそうだが、希夜の言葉をしっかりと受け止めた。
机と向き合い、未来を見ている希朝の邪魔をするのは余計なお世話だろう。
たとえ、ドアという名の壁があったとしても……隔たれてしまっている空間の中でも、希朝の温かさを知っているから。
「……紡木さんが言っていた言葉、少しは理解できた気がする」
「それはよかったやんねぇ」
結はお昼の時に、星の子を見ているのか、希朝を見ているのか、という質問を投げかけてきた。
今ならその質問に、迷いなく答えることはできるようになるだろう。
百でこそないが、希朝に少しでも近づきたい、希朝の隣で迷いなく立ちたい――小さくも、確かに揺らめく焔が連の中で点灯し始めているのだから。
知らないままではなく、ちゃんと見ようと決心を固めていた時だった。
「……希夜ちゃんに、連さん」
希朝は丁度勉強が終わったのか、部屋から出てきた。
そして連と希夜を見るなり、その頬を膨らませて羨ましそうに見てきている。
希朝は何かと連が希夜と話していると白い頬を膨らませるので、仲間外れにされるのは嫌なのかもしれない。
希朝と話したい気持ちはあるが、どうしても希夜と話す時間が多くなっているのも事実なので何とも言えないのだが。
連は苦笑しつつも、ピンクの瞳を見た。
自分の姿が反射している、その瞳を。
「希朝さん、お風呂空いたよ」
「……お、おふ……ろ……」
希朝は何を想像したのか、じわじわと白い頬に赤い果実を実らせていた。
希朝が時折斜め上の壊れ方をするのは慣れているが、急なのが正常なので心配になってしまう。
そんな心配をよそに、明るい声が隣から響いた。
「うち、今日は希朝ねぇとお風呂に入るやんねぇ」
「許可していませんよ」
「……だめぇ?」
「だ、駄目じゃないですよ。一緒に入りましょう」
希夜が嬉しがるのはいいが、連は念の為に言葉を口にした。
「希朝さん、さっきから頬が赤いけど、大丈夫?」
希朝は慌てたように自身の頬に触れ、冷ますようにそっと息を吐いていた。
慌ただしさがあるのに、揺れる黒いストレートヘアーが天使の輪を描き、気づけば見惚れてしまう。
希朝にしかない、そんな魔力に魅了されているようだ。
ふと気づけば、希朝は腕を伸ばし、手の裾を引っ張ってきた。
「その、連さんは、洗濯当番の時、嫌じゃないのですか?」
「なんで今?」
「……っぅ!! 今の忘れてください! 希夜ちゃん、お風呂入りにいきますよ」
逃げるように一階へと向かった希朝の背を、連はただ追うしかなかった。
希朝に続いて希夜が一度自身の部屋に戻る際、背伸びをしながら立ち止まってきた。
「連にぃ、この後はすぐに寝ないで、部屋で待っていてほしいやんねぇ」
と希夜は耳の傍に口元を近づけ、小声で伝えてきた。
「わかった。待ってる」
連は深く考えず、流されるままに承諾していた。
そして部屋から出てきた希夜が手を振って一階に向かうので、連は手を自然と振り返したのだ。




