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星宮家の恋軌跡  作者: 菜乃音
第一章

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50 過去からのきせき

 雨音だけが家の中に響き渡っている。

 手を引かれた連は希朝に導かれるまま、リビングの座布団に座っていた。

 二人だけにするためなのか、希夜は同じ部屋には居ないようだ。


 力が抜けてしまった体を自分で支える事が出来ず、今の連はただただ、希朝の肩に寄り掛かっていた。

 連を拒まず、ただ受け止めるように見守ってくれているのは、希朝だからなのだろう。


 開いたカーテンから見える窓の外には、しきりに雨が降り注いでいる。

 照明以外の光が差さないリビングで、希朝の手が連の手に触れた。


「もしよければ……いえ、もし話して楽になるのなら、聞かせてもらってもいいでしょうか」


 希朝は、言わなければ話さない、そう理解して深入りしようとしてきているのだろう。

 そんな希朝に、思わず息を呑んでいた。

 呑み込めるはずの空気は全て吐き出したはずなのに、止めてしまったはずなのに。


 脳の中をぐるぐると、不可解な言葉が幾千幾万と再生と記録を繰り返して、連は自分の形が見えなくなっていた。


 力ない手にぐっと力を込めると、希朝の手が優しく包んできている、それだけは理解出来る。


「……自分事でもいいなら……聞いてほしい……」


 頭を起こし、うつむいていた顔をあげると、ピンクの瞳は連の姿を反射していた。

 ただ暗い顔をした、その人物を。


 希朝はただ頷くだけで、責めようとしてこない。

 弱音を吐けば責められる、弱音を持つのは過去を捨てきれていない、そう思っていたはずなのに。


 リビングの中を反響するように、降り注いでいた雨音は勢いを強めていた。


「まず……何から話せばいいんだろうね……」

「……連さんの想うように、今はただ吐き出せばいいと思いますよ」


 順序は関係ないようだ。

 希朝は結果だけを求めているのではなく、その結果に至る過程までの話を聞いてくれる、と連は不確かにも理解できた。


 そっと息を吸った。


「そうだね。……僕が育った家は、代々から伝わる伝統と古い教えを持った家柄なんだ。……僕の両親……主に母親だけど、家の跡継ぎにするためだけに僕を生んだみたい」


 そう、亜桜にとって必要なものは連ではない。

 家柄を存続させるための、魂を持った都合のいい人形だ。

 全てを自分の物のように言い聞かせ、周囲との関わりを断ち切らせ、暗い部屋で無数の(くさり)に繋がれている、亜桜にとって都合の良い人形。


 亜桜の考えを知っていたからか、父親の仁が強く当たってくることは無かったが……どちらかと言えば放置主義で、父親らしいことは指導以外でされたことはなかった。


 連の手が強張ったのを感じたのか、希朝はただそっと、重ねた手を落ちつかせるように撫でてくる。


「えっとね、そんな家柄だったから……希朝さんも知っている通り、僕がうじうじして決められない性格だったから、許せなかったんだろうね。どちらかと言えば、母親が痺れを切らして、僕の為だって言って暗い部屋に閉じ込めたり、関係を断ち切ったりしてきたよ」

「家族なのに……ですか……」


 希朝は流石に驚いたようで、目を丸くしていた。

 驚かれるのも無理はないだろう。


「……家族って言っても――家柄と存続だけを大事にする、家族の形を偽ったただの他人だから」


 強く吐き出すような声は、すごく冷えていただろう。

 誰にも聞かせるつもりは無かった、連がずっと求めていた光でありながら、叶う事のない現実を口にしてしまったのだから。


 連はただ、家族としてありたかった。

 家柄とか、関係とかどうでもよくて、ただご飯を食べたり、親子のような会話をしたり……本当に、それを求めていただけだ。

 その求めに対して、実際の現実は偽りのような家族に、あるのは家柄と存続が優先された英才教育という名の鞭だけだった。


 家柄だけで終わってくれれば、どれほど嬉しかったのだろうか。

 家柄が大事でもいい、ただ家族のように同じ空間に居る、そんな願いにすら手を伸ばしても……ある日を境に叶わなくなってしまったのだ。


「僕が、この家に来たのは……捨てられたからなんだ」


 連自身、どうしてそれを単刀直入に言葉にしたかは不明だ。

 捨てられることは何度もあり、慣れていたはずなのに、言葉にしていた。


「えっとね……幼い頃から、僕は何度も両親に置き去りにされていたんだ」

「何度も、ですか?」

「うん。低学年の頃から、僕を捨てるチャンスを窺っていたんだと思う。それで、ちょうどよく引き取り場所――星宮家に引き渡す口実を作ったんだろうね」


 希朝を心配させないように深くは話さなかったが、捨てられるというのは並大抵の話では無い。


 亜桜は仁の目が届かないところで連の手を無理やり引いては、地元とは違う他県や、山奥の近くに連を置き去りにしていたのだ。


 普通に考えれば世間から非難されるものだが、連が決死の思いで何度も家に戻ってしまったから、誰も気づけなかったのだろう。

 子どもが勝手に遊びに出かけて数日帰ってこないのは当然、といったように吹き込んだ可能性や、事件の隠ぺいをした可能性もある。


 家柄に合わないものを捨てるためなら、手段を問わないのが連の母親――家柄を厳守する人の形をした鬼、亜桜だから。

 とはいえ、知らない人や家族外との関係をビジネス以外では一切拒んでいたので、連以外の子を持つことは無かったのだろう。


 どうして自分がそんな家庭に生まれてしまったのか、それに恐怖するように手は振るえていた。


「――頭が、痛い……」


 つらつらと述べた感情は、思い出したくない過去や記憶を全て引き出し、脳に負荷を与えてしまっていたのだろう。


 合わない焦点に、歪む視界。

 自分を自分で無くしていくようだ。


 溢れそうになる感情を無理やり抑えようとした、その時だった。


「……希朝、さ、ん……」


 溢れそうになる感情よりも先に、ほっそりとしつつも温かな腕がゆっくりと体に回された。

 見開く視界には、希朝がそっと抱きしめているのが映っていた。


 確かに呼んだその名は、震えていた。

 求めていたのに、求められなかった、手を差し伸べてくれた大切な人の名を。


「……落ち着いて。私の前に居る連さんは、過去をしっかりと受け止めて、前を向いているから」


 希朝が抱きしめてくれた理由は不明だった。それでもわかるのは、混乱し始めた連の気持ちを落ちつかせるためだと理解出来る。


 壊れてしまわないように、希朝は連を守ってくれたのだろう。

 熱くなっていた呼吸を落ちつかせるように、そっと息を吸った。

 この息を、今ある最後の呼吸にする為に。


「家柄だけの家族しかいなかった。だから……ひとりぼっちになりたくないからで、都合よく操られていた僕はダサいよね。――報われないと知っておきながら」


 努力をしたところで、亜桜が見てくれることはなかった。

 一人になりたくないから、背伸びをして仁にアピールをしてみたが、仁には見て見ぬ振りをされた。


 幼かった頃の連は自然と、道を見失ってしまったのだ。

 それでも分かっていたのは、ただ言いなりになれば、一人にはならない……ただ、それだけの事実。


(……どうして、手に力が入るの……)


 気づけば、抱きしめてくれている希朝の服を掴んでいた。

 ちょっと力を入れて、シワにならないようにしているつもりなのに、その手は服を強く握ってしまっている。


「ただ、僕は僕を見てもらいたいエゴで生きてきたんだから、捨てられるのも当然の報いだよね」

「……連さん」

「――そんなに棄てたかったんなら、一思いに殺してくれればよかったのに……」


 生きることに、連は正直価値を見出せなくなっていた。

 生きていても、両親からは冷たい視線を向けられて、親友を頼ろうとしても頼れないように隔離され、ただおもちゃのように暗い部屋の隅に居るしかなかったのだから。


 うじうじして決められない性格の連に――初めから天夜家という場所に居場所などなかった。


 死にたい想いを吐き出した時、確かにぎゅっと、さっきよりも強く抱きしめられた。


 なびく黒い髪に紛れて、宙に銀の粒が飛んだように見えた。


「連さんのご両親に対して、私が出来るのはこの家に近づけさせない、出禁宣言だけです」


 どうしてなのか、希朝の声はどこか震えていた。

 辛いのは連だけで良いはずなのに、どうして希朝がここまで寄り添ってくれるのか、頭では理解できないでいる。


 実際、連をお婿として迎えるのはおかしいと、希朝は少なからず思ったはずだ。面識もない赤の他人の連を、潔く迎え入れる理由は無いに等しいのだから。


「……でも、この家に、家族になってからの自身を否定しないでください」


 その言葉に、連は力の入れかたが分からなくなっていた。

 自分でも何が何なのか理解できないほどに。


 吐き出した気持ちは連の過去を保てなくさせていくようで、自分を変えていくようだ。


「連さんが部屋で一人で頑張って努力をしている事、過去を捨てようと新しい自分と向き合ってきている事、私は全て見ていました」


 希朝の言葉に偽りはないだろう。

 連も知っている。希朝が事あるごとに連の様子を見に来ては、黙って立ち去っていたことを。


 希朝の温もりが、抱きしめてくる腕から、嫌という程に伝わってくる。


「仮に連さんの努力を馬鹿にする人や、否定する人、嫌う人がいても……私や希夜ちゃんは連さんの事を嫌わないですし、これからもずっと家族だと思っています」


 心に訴えかけてくる希朝の言葉に、連は自然と希朝を抱きしめかえしていた。

 こんな自分の過去を話したにも関わらず、希朝は否定しないで聞き入れて、それでいて今を教えてくれているのだ。

 過去や、生きていることが無ければ、希朝と会うことも、家族になることも夢に見られなかっただろう。


 震える手を、希朝に添えていた。


「……どうしてかな、吐き出しきったはずなのに、胸が痛いよ……まだ、希朝さん達と、一緒に居たいよ……」


 初めてだった、こうして他人に震える声で助けを求めるのは。

 手を差し伸べてもらいたいと、心から願うのは。


 希朝を見る視界が、歪むように震えて、濡れていくようだ。

 泣いてはいないのに、視界は水の膜を張っている。


 抱きしめてくるその手は、背を優しく撫でてきた。


「いくら道に迷っても、私が手を繋いであげます。ですから、自分を蔑ろにしないで、私の傍に居てください。連さんの求めている願いは、私が誰よりも知っていますから」

「……過去は、捨てきれないよ……」

「捨てきれない過去があって当然ですよ。その過去の中には、連さんにとっての幸せもあったはずですから」


 弱音をこぼしたのに、希朝は受け止めてくれた。

 希朝でなければ、連は自分を打ち明けることが出来なかっただろう。


 今もまだ、心に残る雲は晴れないままだ。

 それでも今は、見守ってくれる希朝が居る事が何よりも幸せなのかもしれない。


「……今だけは、抱きしめててもいいかな」

「ええ。今後、私が迷った時に返していただけるのなら。それに、泣いてもいいですよ……私の胸の中で」

「……もう、十分に泣いているよ」


 連は希朝が抱きしめてくれながらも、胸の中に顔を埋めさせてきては、頭を撫でてくれるのが心地よかった。


 連は希朝をぎゅっと抱きしめて、希朝の体温を感じている。

 償えない過去の想いを吐き出しても、受け止めてくれる希朝と居られる今が心地いいのだ。


 連が落ちつくまで、希朝は笑みを宿して、静かに連を抱きしめたまま離そうとしなかった。

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