49 望まぬ再会と溢れる過去
この日は、雲が太陽を隠していた。
買い出しの帰り道、ゆっくりでいいと言われたのにも関わらず、帰る足は自ずと速くなっていた。
希朝の指定した時間に買い出しに出たとはいえ、心に残る不安は拭えないまま。
希朝や希夜のことを全て知らないからではなく、まるで遠ざけるような言い方を、連は過去に経験しているから焦っているのかもしれない。
咲いてしまっている恐怖。それで希朝に聞いてみても『知らない方が良いですよ』の一点張りだった。
買い物袋をいつも通りに持って帰っているだけなのに、手に鉛を持っているような重さだ。
「やっぱり、この家の血を引くのは野蛮ね」
「先ほども言った通り、あなた方の求めている人はいません。お帰り願えますでしょうか?」
星宮家に着いた時、玄関の方から声が聞こえてきた。
言い争っている、というよりも一方的な論争のようだ。
何気なく玄関前に向かった時、連は息を呑み込んでいた。
(……どうして、ここに……?)
驚きのあまり、声が出なかった。
手は震え始めている。まるで自分がこの場に居たくない、と直感が悟っているように。
石畳の引かれた玄関前で希朝と希夜が対峙している二人組は、連が一番見覚えのある人物だったのだ。
綺麗に揃えられたショートの黒髪に、連よりも濃く澄んだ黒い瞳。
富むんでおきながらも整った体付きで、渋い青色の和服に身を包んだ女性。
律した振る舞いをしている人物――天夜亜桜。正真正銘、連の母親だ。
そして亜桜の後ろにいるもう一人の人物は、整えられた七三黒髪でスーツに身を包んでいる、穏やかそうな印象を持った男性。
特徴的な、目を開いているのか閉じているのか不明な程の横ライン目。
しっかりとした立ち振る舞いをする人物は――天夜仁。迷うことなき、連の父親だ。
(本当に、どうして……)
連は正直、なぜ星宮家に自分の両親が来ているのか不明だった。
会いたくない、と心が叫んでいるほどだ。
見かけたと言う情報を優矢から聞いていたが、必要のない自分に向こうから接触してくる、とは思いもよらないだろう。
家を出てからずっと滞っていた不安な気持ちは……忌み嫌っている両親が来る、その前兆だったと、今なら理解出来る。
先ほどの話から察するに、連に用があってきたのか、それとも蔑みにきた、のどちらかだが恐らく後者だ。
自分を蔑むのならまだしも、星宮姉妹を軽く蔑まれたのは心が痛む。
今すぐ逃げたいのに、体は強張ったように動かなかった。
(……あっ、ヤバい……)
連は思わず、持っていた買い物袋を落としてしまったのだ。
買い物袋は地面に着くなり、がさりと大きな音を立てた。
袋は石を蹴ったようで、石畳に小さな石が跳ねる。
音に反応したのか……希朝と希夜、亜桜の視線が一斉に向いた。
その視線に、連は怯えた小鹿のようにただ立ちすくむしかない。否、亜桜の持つ哀れむような冷えた視線に、体は過去を刻まれている。
「……連さん」
「……連にぃ」
「相変わらず不愛想で、天夜家のゴミね」
そう言って亜桜は近づいてくる。
おどおどしたように心配する希朝と希夜に、投げかける言葉はなく、ただうつむくしかなかった。
仁は亜桜を止めないで、ただこちらに背を向けたままだ。
天夜の両親……家族関係は繋がりがあるようで、ただ個々を主張するだけの集まりにすぎない。
伸ばす手もない中、近づいた亜桜が蔑んだ視線を向けてきた。
「私に似た黒い髪に……その瞳。見るだけで醜いものね」
生まれてきた事を否定されるのは慣れている。
慣れているはずなのに、手は求めるように開いたり閉じたりを、ひたすらに繰り返していた。
亜桜の連ねる冷酷な言葉に慣れて、自分の生きる価値を忘れていたはずだ。
それなのに今は、希朝や希夜との降り積もった経験が、言葉を否定して、連が幼い頃に求めていた気持ちを刺激してくる。
刺激してくるのに、声を出す口は塞がったままだ。
呼吸すらままならないほどで、呼吸の仕方を忘れている。
連が黙っていると、あざ笑い混じりの声を亜桜は口にしていた。
「そう従ってくれていれば可愛かったのにね。それと、余計な事はしないでちょうだい」
亜桜が連を褒めることは一度もなかった。
連が生まれてきた事を、ただ否定するだけ。大事なのは天夜家そのもので、連は過程の中で生まれてしまった異物でしかなかったのだから。
余計な事……その言葉の意味は連が一番よく理解している。
「あなたは捨てられたの。天夜、その苗字――付けられた名前が残されているだけで、魂の入った操り人形にすぎないの」
視線の先に立っていた希朝が、小さく拳を握り締めているのが見えた。
その時、地面に黒い斑点が出来始めた。
音も鳴らさず、黒い雲が空を覆い隠し、小粒の雨が降ってきたようだ。
「雨に濡れては落ちてしまうわね。仁さん、帰るわよ」
亜桜は傘を持っていたようで、わざと連の肩をかすめるようにその場で広げた。
亜桜が歩き出してから、仁も後を追うように振り返っていた。
そして亜桜が連の横を通り過ぎ、仁が連の横に並びかけた時――腕がぶつかる。
ぶつかる力は弱かった筈なのに、連は立っているのがやっとだったのもあって、よろめきかけた。
倒れることは無かったが、腕を持たれていた。がっしりとしながらも、しなやかな柔術の要領で力を入れていないと理解出来る。
「……連、すまないね。君にはいつも酷なことを亜桜がしてしまってね」
仁は連の腕を離し、連にしか聞こえない程度の声を置いて、去って行った。
仁に対して募る気持ちはなかったはずなのに、連は拳を握り締めていた。
庭の外で車のエンジンの鳴る音がすれば、遠くへと音は消えていく。
両親は、忠告する為だけにきたのだろう。
天夜家の技を外で使うな、お前は何もできない人形だ、と伝えるために。
二人が去った後、希朝と希夜が小走りで近づいてきた。
降る雨は小粒の量を増やし、地面を黒く染め始めている。
「その、連さん……知っていた上で遠ざけたこと、ごめんなさい。正直に話しておけば、こうはならなかったのに……」
「……別に……大丈夫だよ……」
思い出した呼吸は、声を震えさせていた。
二人を見る視界は滲み、輪郭を正確に捉えさせずに震えている。
脳にはいくつもの過去が反響するように鳴り響き、声の再生と録音を繰り返しているようだ。
顔を覗きこんでくる希夜は、何も言わないが明らかに連を心配しているのだろう。
「……散歩してくる」
また逃げ出した。
嫌なことから目を逸らすように、自分を自分で無くそうと、逃げようとしている。
過去から目を背けて、自分を忘れたい、消えたいと願ってしまう。
それに今二人と居れば、きっと気持ちを向けさせてしまうかもしれない……だからこそ、距離を取った方がいいと連は判断したのだ。
散歩と言っておきながら、行く当てはどこにもない。
連は後ろを振り向き、雨が降り始めている中を歩こうとした、その時だった。
「――連さんの帰る場所は、ここです。家族が居る場所です」
「……だって、僕の家族は。……僕は大丈夫だから……」
「――私が大丈夫じゃありません。連さん、一緒に居てください。家族とか関係なくていいので」
後ろを振り向けば、希朝に腕を掴まれていた。
真剣な声で連を引き留める希朝に、返す言葉が見当たらなくなっている。
家族は作り物でしかないと、連が一番よく知っていたはずなのに、希朝の言葉は深く胸の奥に突き刺さってくるのだ。
その時、もう片方の腕も小さな両手で掴まれた。
「……連にぃ」
「連さん」
(……もう、分からないよ)
体から力が抜けるようで、上手く動けなかった。
揺らがなかった心が、二人に名前を呼ばれて揺らいでしまったせいだろう。
希朝と希夜に手を引かれるまま、連は家の中に入るのだった。




