46 進み始めた時間と、変わらないままの空間
あくる日、重い瞼はまだ早い時間だというのに辛さを感じさせてこない。
連は日が昇るよりも早く起きて、身支度をしていた。
「……あっ」
支度をしている時、あるものが目に映って思わず声を漏らした。
ずっと棚の上に置かれている……埃をかぶった、止まったままの砂時計。
部屋の中で唯一埃をかぶっているとはいえ、幼い頃からずっと持っていた、連にとって大切な大切な宝物だ。
連は制服に身を包み、砂時計の置いてある棚の方へと歩を進める。
砂時計の砂は青色で、上下に円形の木材と、支えるように四本の木柱がついているタイプだ。
砂時計は何よりも、幼い連を見てきていた。
一人寂しい時、砂時計をひっくり返して何かが変わる、そんな想いを馳せてきた大切な宝物。
いつからか、その砂時計をひっくり返すこともせず、ただ置きっぱなしにして見て見ぬ振りを始めてしまった。
砂時計は自分を見てもらえるが、連という自分を見てくれる人は誰も居なかった。だからこそ、砂時計と距離を置いてしまったのだろう。
連は込み上げてくる感情に、そっと胸元で拳をつくっていた。
「……僕は、僕なりに進んでみるよ」
そこには誰も居ない。
あるのは、砂時計。
砂時計の埃を軽く払ってから、上下をひっくり返した。
止まっていた砂時計の砂は一定の間隔で下に落ち始めている。
落ちる砂は、立ち止まることを知らず、確実に時を進ませているようだ。
砂時計のガラスに反射して映る連の表情は笑っている。
ありがとう、と砂時計に感謝をしてから部屋を出て、今日のお弁当を連は用意するのだった。
学校に行くと、相も変わらず噂がはびこっている。
少し前まではバレンタインデー一色だったのが、今ではホワイトデーにあった噂が主導権を握っているようだ。
「なあ、聞いたか?」
そして案の定、連は教室で優矢に絡まれていた。
優矢は近くの椅子に座り、にまにま顔で見てきている。
話をしたい、と言うよりも真相の重ね合わせをしたいが正しいだろう。
連自身、優矢の相手は別に嫌なわけでは無い。だが、知らぬたくらみに手を貸したくないだけである。
「ホワイトデーにさ、星の子と呼ばれる希朝さんがデートをしてた噂だよ」
机に手を置いて聞いてくる優矢の表情から察するに、企みあるにやけ顔だ。
「……わざと?」
「いやいや、ただ単に春休みに勉強を教えてもらうための口実さ」
「なら、最初からそう言ってくれるとありがたいんだけど……」
実際、勉強を教えてほしい、と優矢がせがんでくるのは前からなので、連は別に嫌では無い。
ただ単に、遠回しでねちっこいのはお断りしているだけだ。
優矢の望みを理解したので、連は後で希朝と希夜に確認を取ることにした。
別に星宮家で無くともいいのだが、優矢は恐らく自身の家は嫌がるので、都合がいいこちらに来てもらう方が良いだろう。
連が苦笑していると、優矢は周りを見渡していた。
そして束の間もなく、連の前髪を軽く手の平であげてきたのだ。
「……連、お前、変わったな」
おでこを見たのかと思えば、優矢は完全に瞳を見てきている。
変わった、と瞳を見て言われたのもあり、複雑な気持ちが湧きでそうだ。
瞳の色が変わるわけでも無ければ、希朝や希夜のように珍しい色をしているわけでも無いのだから。
「変わってない」
「いや、お前は変化が自然すぎて気づいてないだけで、十分に変わってるぜ」
「優矢が言うとどこか説得力が無いんだけど」
「ひでぇことを言うなよ!」
「……声がでかい」
「あはは、まあ、春休みの勉強会は考えといてくれよ」
「うん。気が向いたら」
優矢に笑われている際、廊下の方に希朝が様子を見に来ていたようで、噂の件で聞かれているのが耳に入った。
晩御飯を終え、お風呂も落ちついた後、連の部屋をノックする音が響いた。
「連さん、入ってもいいですか?」
「希朝さん、どうぞ」
「希朝ねぇが来るなんて、おやおややんねぇ」
当たり前ですが、といった様子で部屋には先客で希夜が居たのだが、連は気にせずやってきた希朝を通した。
希朝は寝間着姿で来たようで、三月とはいえ薄っすらとした白いネグリジェに身を包んでいる。おかげで、連は思わず目を逸らしたくなってしまう。
連は日記を書いている途中なので、目をそらす言い訳は簡単なのだが。
夏用とも言えるパジャマを着た希夜の隣に座るように、希朝はベッドに腰をかけていた。
男のベッドでも関係なさそうなのは、この姉妹だから、なのだろうか。
「そう言えば、希朝さん」
「連さんのお邪魔をする気はないので、進めていて構いませんよ?」
「そ、そうじゃなくて……デートの件、希朝さんはどうしてるの?」
連の中で突っかかっていたのは、希朝がどのように説明しているかだ。
髪型が似ていた噂ならまだしも、瞳がピンクだったと広まっていれば、自然と希朝に注目はいくだろう。
希夜もピンク色の瞳を持っているが、体系的には希朝だと判明しているようなものだ。
ましてや見たことのない男と歩いていた、となれば誤魔化すのも大変だろう。
希朝は思い出したように口許に指を当て、苦笑していた。
「そうですね。誤魔化すつもりも、曖昧にして濁す気もありませんよ。私はただ、デートをしていただけですから。ですが、連さんの名誉や尊厳を傷つけないように誘導するつもりですよ」
「所謂、噂に対して更に信憑性の高い噂を上塗りして、軌道修正するってやつやんねぇ」
「……そっか。希朝さん、ありがとう」
「感謝するのは私の方ですよ」
勉強の邪魔や、日記を書くのを妨害されないと知っているので、連は話を辞めて手を進めることにした。
その際、二人の影がちらちらと動いていたが、特に気にすることでもないだろう。
数十分ほどして、連は最後の日課である日記のまとめを書ききり、背伸びをした。
背伸びをした時、やけにベッドの方が静かだったのもあり、そちらの方を振り向いてみる。
(の、希朝さん、あまりにも無防備すぎるよ……)
その視界に映ったのは、希朝がスマホを手に持ったまま、心地よさそうに瞼を閉じて眠っている姿だ。
枕の上に頭を置いているとはいえ、あまりにも無防備すぎる希朝の姿に、連はついつい息を呑み込んでしまう。
ネグリジェなのも相まって、希朝の膨らみあるものや、体型の良さが目に見て分かってしまうのだから。
ふと気づけば、ベッドの縁に座っていた希夜が、シーッと言いたげな様子で顔の近くで指を立てている。
連はそっと頷いて椅子から立ち上がり、二人の方に近寄った。
ふと希朝が持っていたスマホを見ると『好きな、人、は』とうとうとしながら打っていたと見て取れるメモアプリが開いたままだ。
おそらく希朝と希夜は、声を出さないようにメモでやりとりしていたのだろう。
微笑ましい姉妹に連はついつい口元を緩ませつつも、疲れたように眠っている希朝にそっと布団をかけた。
「希朝さん、おやすみ」
「連にぃ、優しいやんねぇ」
「まあ、これくらいはしてあげたいから。……希夜ちゃんも、僕の部屋に泊まっていく?」
「……そうするやんねぇ」
連は希夜と顔を見合わせてから、心地よさそうに眠っている希朝を見て微笑むのだった。
安心して眠れる場所……そんな幸せな場所になれているのなら、嬉しいものだろう。




