42 ホワイトデーのお返しは?
バレンタインデーが過ぎれば、蔓延した空気は無くなり、いつもの日常が戻ってきた。
連としては、そのはずだった。
現在はお昼休憩の時間になり、連は学校の屋上に来ている。
本来は立ち入り禁止の屋上だが、ブルーシートを敷いて、黒い長髪の少女と白い短髪の少女――希朝と希夜と一緒にお昼を食べていた。
「……なんでこうなっているの?」
「この学校だと、バレンタインデーの後は戦場やんねぇ」
まったりとした様子で希夜がさも当然のように言うので、間違いでは無いのだろう。
お昼休みにこの屋上に二人に誘われてくる際、教室や廊下のあちらこちらで犯行まがいの現場を見ているのだから。
犯行、と言っても大逸れたものではなく、ホワイトデーに備えた殺意や嫉妬、お返しをしようとするストーカーなのだとか。
親友である優矢に関しては、お昼休憩になるや、一目散に逃げるように教室を後にしていたくらいだ。
なぜ優矢が逃げるかは不明なのだが、少し前に本命チョコの件で何かあったのだとか。
ふと気づけば、希朝が水筒からお茶を紙コップに入れて、こちらに手渡してきていた。
感謝をして受け取ると、希朝は柔く降り注ぐ光に負けないほどの笑みを溢れさせている。
さりげなく気持ちを刺激してくる希朝に、連はついつい目を逸らしてしまった。
「そう言えば、希朝さんや希夜ちゃんは、どうして屋上に来れたの?」
「あー、私が暇だったので、屋上の鍵を頂戴させていただいただけですよ」
「希朝ねぇ、本当は星の子で追い回されるから、職員の人達が気を使ってくれてるだけやんねぇ」
「星の子……ああ」
納得は本来なら出来ないが、希朝と希夜の様子を見るに、バレンタインデーにチョコをあげたのかどうか論争にでも巻き込まれているのだろう。
連からすれば縁ができた程度だとしても、彼女たちにとっては大きなイベントごとのようだ。
先生方にも気を使われるということは、星の子としての存在を相当危惧されているのではないだろうか。
中高一貫校の割に、この学校は伸び伸びと生活できる程に自由度が高いのだから。
連自身、希朝や希夜との出会い、優矢との再会も含めて、この学校に来てよかったと思えるようになっている。
苦笑しつつも、開いていたお弁当箱を前にして、三人で手を合わせて感謝を告げた。
「連さん、よければこれをどうぞ」
「えっ、あっ……」
お弁当を食べ進めていると、希朝は個人で入れていたらしい卵焼きを箸で掴み、もう片方の手を受け皿にしながら向けてきていた。
希朝が積極すぎるのもあり、連は正直困惑している。
家ならまだしも、学校内でされるのは予想だにしなかったのもあり、体が反応しきれていない。
それでも希朝の好意は無下に出来ないので、連はそっと口を開ける。
あーんの瞬間、希夜がニヤニヤしているのが目に映ったが、見ていないことにして身も心も委ねるようにした。
口を閉じれば箸がするりと抜けて、控えめにほんのりとした甘さ、それでいて卵の優しい風味が口の中に広がっていく。
「美味しいですか?」
「うん。美味しい」
「ふふ、作っておいてよかったです」
「希朝さんの手作りなら、僕は好きだよ」
「え、あっ……す、好きって……い、いきなりは反則です」
「えっと……どういうこと?」
たまに希朝は妄想しがちなのだが、その一面もあるからこそ、自然体であっても美しくあるのだろうか。
頬をほんのりと赤らめている希朝を横目に、希夜はちゃっかりと連のお弁当と自身のお弁当に入っていたおかずを入れ替えていた。
希夜が偏食家なのは今に始まったことでは無いが、栄養を考えて入れた連からすれば少々複雑ではある。
とはいえ、こうしてお昼を囲って食べられる機会は早々ないので、微笑ましいものだろう。
そんな甘いような空間を見て、連はふとある事を思い出した。
「そう言えば、バレンタインデーのお返しは何がいい?」
「……えっ?」
「きゅ、急やんねぇ……?」
唐突に切り出したのも問題ではあるが、二人に目を丸くされるとは思いもしないだろう。
連自身、貰い続けるのも嫌なのと、しっかりとお返しをしたいエゴだ。
ふと気づけば、希朝はお弁当箱の上に箸を置き、少し控えた様子を見せている。
「私は……お礼、求めてないですから……」
申し訳なさそうにうつむく希朝を見て、どこか胸が締め付けられるようだった。
ナイフのように切れ味が高い冷えた声色だったのもあって、戸惑いを隠しきれないのだ。
希朝がどうしてお礼を断るのかは不明であり、これ以上踏み込んでもいいのか、連は不安で胸がいっぱいになってしまう。
おそらく希朝は断っているのではなく、遠慮しているのだろう。
希朝の様子が先ほどから、自身の制服の袖を細い指でもじもじと触っているのもあり、行動に落ちつきが見えないのだ。
通りかかった雲に太陽が隠れ、視界を陰が覆い始めたその時だった、
「うちはー、お返しは食べ物だと嬉しいやんねぇ」
沈みかけていた空気を換えたのは、マイペースに物を言う希夜だ。
希夜が自然と笑みを浮かべて見てくるのもあり、食べ物であれば何でもいいのだろう。とはいえ、希夜の様子はよく部屋で見ているので、好きな食べ物は把握している。
静かに頷くと、希夜は幼子のように瞳を輝かせるので、期待に胸を膨らませているようだ。
希夜のお眼鏡に叶う食べ物をお返しに出来るのなら、貰ったチョコの美味しさ以上のお返しをしたいものだろう。
その時、希夜はちゃっかりと距離を詰めるようにして静かに動いていた。
そして希朝の方をチラリと見る希夜は、相も変わらずのマイペースのようだ。
連がふと首を傾げると、希夜の口角が怪しくも上がっていた。
「連にぃ、うちからの頼みになるやんねぇ……できれば、希朝ねぇにはデートをしてあげてほしいやんねぇ」
「き、きぃちゃん!?」
流石に希夜がそんなことを言うと思っていなかったのか、希朝は慌てた様子で目を見開いていた。
ピンクの瞳は静かに揺れており、動揺しているのだと目に見てわかるほどだ。
「……どうしてデートを?」
「えへへ。連にぃが星宮家に婿入りで来たのもあるけど、希朝ねぇが連にぃと近づきたがっているやんね。かと思えば、バレンタインデーにチョコをあげたり、こうして妹のうちの前でもいちゃついたりしてる訳やんねぇ。だから、親睦を深めた方が恋は実るやんねぇ」
あたかも予定通り、と言わんばかりに話す希夜は、段々と頬を赤くしている希朝に容赦ないのだろう。
とはいえ、希朝が変に断らなければ希夜も良いようには言わなかったと思われる。
連としては、希夜のある発言に首を傾げるしかないのだが。
「親睦を深める?」
「そうやんねぇ。希朝ねぇ、本当は一番連にぃの事を心配してて、たまには二人きりで落ちつく時間も必要やんねぇ」
「き、希夜ちゃん! それは言わなくてもいい事ですよ! ……小さなお節介を焼きたがる妹に呆れますが、希夜ちゃんだから許しますよ」
「うち、なにも言ってないやんねぇ」
姉妹劇場が目の前で開催されているが、連は少し考えていた。
今まで一緒に生活してきた希朝を見返すと、希朝は確かに連の事を心配したように陰ながら見守っていたのだろう。
家だけでなく、学校でもそのようなことをしていれば、気を休める時間は少ない筈だ。
連は考えをまとめてから、手に持っていたお弁当箱をそっとブルーシートの上に置いた。
希朝の方を見ると、太陽を隠していた雲が避けて、隙間から差し込み始めた光の柱が、希朝を優しく照らしている。
柔く吹く風は肌を撫でて、言葉を、覚悟を後押ししているようだ。
そっと息を呑み込んで、ゆっくりと呼吸を整える。
「希朝さん、ホワイトデーのお返しは……デートでもいいかな? これは希夜ちゃんのお願いじゃなくて……その、僕がしたいと思ったから」
お願いだから、と言ってしまえば自分の言葉ではなくなる。
なら一層、自分の気持ちとして伝えられるように、したいと思ったからを言葉に選んだ。
相手の事を思わないような発言だと受け取られても、生活の意味をくれた希朝の光に少しでもなりたいと思う――連のエゴだから。
希朝は目を丸くしていたが、ふとした笑みをこぼし、ピンクの宝石を柔く輝かせている。
太陽が出ていると言うのに、一番星が輝いているようだ。
「いいのでしょうか?」
「うん。行きたい場所は希朝さんの好きなところにしよう。僕にとって、それが一番楽しいから」
「ふふ、仕方のない人ですね。そうですね、連さんとなら、今からが楽しみです」
先ほどよりも笑みを浮かべる希朝は、太陽の下に咲く輝かしい花の笑みを宿しているようだ。
その時、軽く浮ついている希朝を横目に、希夜が連の耳の近くに口元を近付けてきた。
「連お兄さん、希朝ねぇをよろしくやんねぇ」
「……!?」
不慣れな耳の傍での囁きだったのもあり、連は顔を赤くしながらも静かに頷いた。
チャイムが鳴るまで、星の子としての二人ではなく、姉妹としての二人と連はお昼ご飯を満喫するのだった。




