37 家族としてありたい願い
薄水色を雲がほんのりと隠す空の下、連は雑に着替えてから、希朝と散歩道を歩いていた。
希朝のお出かけ衣装は白い服にジーンズで、スタイリッシュな服装も当たり前のように着飾っている。
小鳥のさえずりが聞こえてきても、今の連にとっては、希夜に申し訳ないことをしたな、という反省の色が募るばかりだ。
先程の喧騒が嘘だったように足を進めていたが、心は嘘をつけないでいる。
冬の明けていない空の光が差し込んでくるのに……連は初めて、本当の意味で家族としての迷いがあった。
「今日の学校は大変でしたね」
「そ、そうだね」
唐突な問いかけに、連はただ頷くしかなかった。
希朝に少しでも話題を返したいと思っても、壊れてしまうのが怖いと、初めての戸惑いを覚えている。
確かに希夜とは仲違い……そんな関係になっているのだから。実際、優矢の言葉を真に受けて行動に移していれば、こうはなっていなかっただろう。
連の顔色が曇っていく中、希朝は微笑んだように喉を鳴らした。
「……希夜ちゃんとの喧嘩、気にしてる?」
「気にしてない、って言ったら嘘になるかな」
家族として迎え入れてもらった立場だが、希夜との関係を崩したい、と思ったことは一度もない。
希夜は何かある度に、何かと連を誘ってくれた、優しい妹なのだから。
「隠したい事、聞かれそうになったからでしょう? 喧嘩の原因」
「……どうして知っているの?」
「希夜ちゃんだって秘密があるし、連さんだって秘密があるのは知っているよ」
そう言って笑みを浮かべる希朝は、全てお見通しだったようだ。
実際、家族の関係が崩れるのを嫌っている希朝が、誰よりも真剣に考えているのだろう。
希夜に隠れがちだが、希朝は俯瞰して全体を見ている。連に手を差し伸べてくれるのは、希夜に手を差し伸べているのは、間違いなく希朝の行動が主だ。
そっと歩く距離を詰めてくる希朝を、連はただ受け入れるしかなかった。
ポツリと空いてしまったような心の穴を家族で思うことがあるとは、想いもしなかったからだろう。
希夜の前では平然を装っておきながら、実際は後々反省してうじうじしてしまう、情けないものだ。
「希夜ちゃんはね、隠し事や聞き出そうとする時……忽然と見なくなったけどあの蹴り技を使っていたのですよ。当初は圧掛けの意味があったのでしょうけど、そこはお姉ちゃんですから」
「希朝さんはすごいね」
「ええ。ルールを教えて、覚えたからよかったですよ」
「……?」
希朝の発言は所々、まるで希夜が他人、と言わんばかりの言葉遣いだ。無論、家族や姉妹であっても、血の繋がった他人、と言う人も居るので一概に否定はできないだろう。
前に希朝は、ひとりっ子、と事実無根かもしれないが言っていたのだから。
その時、希朝は足を止めていた。
希朝の方を向けば、避けた雲の隙間から光が差し込み、柔らかな笑みに花を咲かせている。
ピンクの瞳は命を宿して、連の姿を確かに反射している。
降り注ぐ光の柱よりも眩しい彼女の姿に、思わず息を呑み込んでいた。
「――希夜ちゃんはただ、連さんと仲良くなりたいだけですよ。私と同じように、希夜ちゃんは相手を想う気持ちが強い子ですから」
「……僕と、仲良くなりたい……」
「そうですよ」
そう言って手を包み込んでくる希朝は、この言葉は本当ですよ、と言わんばかりの熱い眼差しを向けてくる。
連自身、希朝の言っていることが嘘だとは思っていない。
希夜の殺意ある、こめかみをめがけた蹴りを見たら疑いたくはなるが……疑問でしかないが、ふとある事が脳裏をよぎったからだ。
希夜が連の部屋で一人で待っていた時に、寂しがっていた、安心していた、だからこそ嘘だとは自分に言わせたくないのだ。
気づけば、連は包まれた手にぎゅっと力を込めていた。
それでも受け止めてくれる希朝の手から柔らかい温かさが、連の体温に分け与えるようにじんわりと伝わってくる。
希夜と仲良くしたいのは、連も同じだ。
希夜がずっと部屋で笑ってくれていたように、勝手に来てはお菓子を食べて駄弁っていたように、自然と家族である形を伝えてくれたから。
そっと決心を固めていた時、希朝は手を離し、繋ぐように握りなおしていた。
歩を進ませれば、流れる水の音が耳を撫でる。
「少しお話は逸れますが……どうして私がお出かけに誘ったか、わかりますか?」
唐突な問い掛けに、連は軽く首を傾げるしかなかった。
そっと微笑み「殿方なのにうじうじしていますね」と言ってくる希朝に、ついつい頬の熱さを連は感じてしまう。
希朝には多くの言葉を交わせるようになったが、それ以上に希朝は連の扱い方を、接し方をよく知っているのだろう。
連が頬を掻いていると、希朝はそっと、更に距離を詰めてきた。
「未来の旦那様とデートをしたかったからですよ」
「……えっ」
「ふふ、驚いている連さんも可愛いですね」
希朝は一つの茶化しだったのか「デートもそうですが、少しお話をしたかったのですよ」と歩くための距離を空けていた。
見ていた横顔は、冷たくも明るい日差しに照らされているのに、とても美しく見えた。
それでも、静かに映るピンクの瞳はどこか儚げで、どこか遠くにある未来を見ているようだ。
「私は、連さんと希夜ちゃんが喧嘩したまま、家族なのに……崩れてしまうのが嫌なのですよ」
「……家族」
「ええ。連さんが過去を話したくないなら、話さなくていいのですよ。家柄とか関係ないですし。でも、私達は血が繋がっていなくても……家族です。それだけは忘れないでください」
と言いながら寄り添ってくる希朝は、想いを、本音をこぼしてきたのだろう。
連自身、希朝や希夜と関わって、一歩ずつでも変わってきたと思っていた。だがそれは、変わったのではなく、差し伸べられていた手に気づいたのだ。
今までなら、他人の手は見て見ぬ振りをして、自分だけでどうにかしようと藻掻いていた、連自身の視野が広がっていたのだと。
希朝の話を聞いて震える心が、連にそう問いかけてきているように。
たとえ、希朝がその場その場で、繋ぎ繋ぎに想いを口にしてくれたのだとしても……その想いは決して後ろ向きじゃない、いつも前を向いていたのだと知っている。
一歩を踏み出すことは容易じゃないが、この家族はいつも一歩を踏み出している。
連自身が無理やり変わる必要は無い。だが、家族としての在り方を見つけ始めている自分の心を、蔑ろにしていい理由はどこにもないのだ。
連は自身の胸元を握り、そっと目を閉じてから、呼吸をした。
ゆっくりと開く視界は、いつもと同じだ。
いつもと同じであっても、変わっている気持ちはある。
希朝の長い髪の毛先を柔く揺らす、静かに肌を撫でる冷たい風を、鮮明に理解できる程に。
「――そのゴミを、捨てきれなくてごめん」
口から吐き出したエゴは、本音だ。
希朝なら理解してくれると、彼女から貰った言葉を口にしていた。
「……家族としての在り方を理解できなかったから、怖かったんだ」
言い訳なのは連自身、百も承知だ。
それでもただ何も言わずに、聞き入れてくれる希朝に伝えようと鼓動は動いている。
怖かった。その言葉に、どれほどの過去が、幼き連の閉じ込めていた悲鳴が籠っているかなど、希朝には伝わらないだろう。
希朝に迷惑をかけてしまうかもしれない、と思っていても、連は小さなことから打ち明けようとしているのだ。
迷惑をかけるのが駄目だと言うのなら、人は生きてはいけないと、連はこの歳になる前から知ってしまった。
どこか遠い記憶の扉が揺れるように、希朝は連の悩みを聞いて、うんうんと理解して考えてくれている。
どうしてそれがわかるのかは、連自身も不明だ。
それでも、希朝なら、と信頼できる自分が居るからだろう。
「それじゃあまずは、きぃちゃんが好きなものを作って、一緒に食卓を囲むところから始めましょうか」
「……食卓を、囲む?」
「ええ。家族なら当然の営みだと思える人も居そうですが……本当は、離れ離れの時間の中、唯一同じ時間、同じ空間に集まって、あったことや悩みを話せる、そういう場所でもあるのですよ」
原始的な希朝の説明に、連は納得していた。
実際、縄文時代などがどうだったか明確には不明だが、狩りをしてもその場で食べずに、家族や仲間の居る場所まで持って帰って、囲って食べていただろう。
時間という概念が無くとも、料理という時間を考えれば、食卓は人によって大きな夢を持つ鬼謀ではある。
「……あれ、でも、希夜ちゃんが家に居るからバレるんじゃ?」
一つだけ懸念点があるとすれば、絶賛仲違い中の希夜が家に居ることだ。
そんな連の不安を拭うように、希朝は微笑みながら口許でそっと指を振っていた。
「大丈夫ですよ。希夜ちゃんはこの時間だいたい眠っていますし、基本は共同型なので」
「……月型? まあ、希夜ちゃんとは仲直りしたいし、頑張ってみるよ」
「それじゃあ、帰ったら美味しいご馳走を準備しましょうか」
そう言って手を引いてくる希朝は、きっと手を繋いで照れている連の表情を気にも留めていないのだろう。
(……そう言えば、希朝さん、ずっと僕のことについては触れていなかったような……?)
連はそれは聞き逃しだと思いつつも、希朝と共に帰路を辿るのだった。
冷たい風に背を押され、空から降り注ぐ白い光の花道を二人で歩くように。




