32 朝と夢の境界に溶けて
(……うぅん。やくそ、く……あっ、初詣を見に行く約束……!)
ぼんやりとした意識を、小さな約束が後押ししてくる。
重い瞼をゆっくりと持ち上げれば、暗闇を照らすように暖色の光が隙間から差し込んでくる。
連はある戸惑いから眠る際、朦朧とした意識を彷徨っているのだ。だからこそ、暗闇の光を手繰り寄せるように、腕を上に伸ばしていた。
届かないと、掴んでくれないと理解していながらも、約束を思い出した鼓動が再起動させていく。
「いま、なんじ?」
思い出せば床に布団を敷いて寝ていたが、違和感はなかった。むしろ、嫌悪感を抱えた懐かしさがあるだけだ。
連はぼんやりとした視界の中、近くに置いておいたスマホを手にした。
時刻は日の昇らない時間を指している。
とはいえ、起きるにしては少し早すぎただろう。
ふとベッドの方を見た連は、もう一つある事を思いだした。
思い出したと言うよりも、床に布団を敷いて寝ていた理由が復元されたからに近いだろう。
「そっか……僕の部屋で、希朝さんと希夜ちゃんと一緒に寝てたんだっけ」
普段起きる時は、大きな寂しさを感じている。それを感じなかった今日という日に、感謝の気持ちを覚えた。
一人だと知ることが出来なかった、幸せの種を見つけたのだから。
連は眠っている希朝と希夜を起こさないようにして、静かに立ち上がった。
ベッドの方によって、そっと覗き込んでみる。
希朝と希夜は未だに起きる様子はなく、幸せそうに眠っている。
(……なんでだろう……すごく、罪悪感があるけど、希朝さんをかわいいって思える)
眠っている女の子の顔を覗き込むのは良くない、と頭で分かっていても、行動した時にはすでに遅いのだ。
希夜は希朝の腕に抱きついて眠っているので、表情は影に隠れて明確には分からない。
しかし床に近い方で寝ていた希朝は仰向けなのもあって、穏やかに小さく息を吸って心地よさそうに眠りについていると理解できる。
呼吸をするたびに膨らむ胸元に目をやってしまったのは、男の連にとっては塩辛いものだ。
手を出すつもりは誓って無いが、本能的に見てしまったのは辛いものだろう。
幸せそうに眠っている希朝を見て、何気なく可愛いと思えたのは、希朝を普段からあまり見ていない証拠だ。
(……すこし、だけ……)
寂しがり屋、と聞いた夜の言葉を良いように捉えるのは良くないだろう。
それでも連は思わず指を伸ばし、そっと希朝の頬をつっついていた。
もっちりとしたお餅のような頬は指先を包み込むようで、確かな柔らかさを感じさせてくる。
(……やっぱり、女の子って柔らかいん、だ……!?)
希朝の頬を柔らかいと思っていた時だった。
希朝はくすぐったいのか、少し体を揺らしたかと思えば、小さな口を開いてぱくりと連の指をしゃぶってきたのだ。
流石にまずいと感じても、変に甘噛みをされているのもあり、潤った唇と小さな歯の感触に戸惑って思考が停止してしまう。
軽く放心状態になりかけた時、連の指をくわえた口の隙間から喉を鳴らす声が聞こえてくる。
「うぅ、うぅぅん……」
喉を鳴らしながら、潤んだピンクの瞳を露わにしていくようにゆっくりと、瞼が柔く上がっていく。
指をくわえられたまま、希朝と目が合った――。
連が気まずさを覚えていれば、希朝は意識が半覚醒のままのせいか、頬をへにゃりと緩ませている。
その緩んだ隙に指は抜けたが、申し訳なさは滞ったままだ。
そんな無邪気な笑みを携えた希朝は、きっと連の気持ちを知る由もないだろう。
寝起きが悪いのかは不明だが、希朝の見えない部分に隠れた優しさのある柔な表情は確かにここにあると言い切れる。
少しして、希朝は意識がはっきりとしてきたのか、焦点のあった瞳は確かに連の姿を反射した。
「の、希朝さん、お、おは――」
「れ、連さん!?」
「う、うん。お、おはよう」
「おはようございます……連さんのベッド……そうでしたね、い、一緒の部屋で眠ったのでしたね……」
希朝も忘れていたのか、少し気まずそうに白い頬を赤らめている。
「えっと、ごめん。寝顔覗かれるの、嫌だったよね……」
「その、わ、私、へんな顔してませんでしたか……?」
「し、してないよ? むしろ、頬を押したら、指をしゃぶられたと言うか」
「連さんの指を、私がしゃぶった……」
希朝は理解できなかったようで、自分の口に指を当てている。
違和感はあったのか、連をもう一度見てから、更に頬を赤くさせていった。
希朝は上半身を起こし、身なりを確認している。
希朝が、こっちに手を出しましたか、と言いたげに見てきたのもあり、連は首を横に振っておく。
どこか不服そうに頬を膨らませる希朝は、なにかを望んでいたのだろうか。
「えっと、本当にごめんなさい。僕が覗き込んだのが原因だし……」
「連さんは狐さんですね。……でも、眠っている女の子に軽々しく触れるものじゃないです」
「それは分かりました」
「ですので、私以外にしたら許しませんよ」
「……え?」
希朝は小悪魔のような笑みを宿していた。
暖色の明かりが部屋を照らしているだけで、カーテンの隙間からは未だに消えていない星明かりが差し込んでいる。
白いネグリジェ姿の希朝は舞い降りた天使のような柔らかな雰囲気を持ち、それでいて水面すらも揺らさない穏やかさを持ち合わせているようだ。
胸元に添えられた手は、何を意味しているのかは不明である。
それでも連の耳は確かに『私以外にしたら許しません』という言葉を鮮明に聞きとっていた。
微笑むような声色だったからこそ、不意打ちにも程がある。
飲み込んだ息は熱を帯び、希朝を視界に収めているだけでも張り裂けそうになる心臓を連はついつい抑えていた。
希朝の言葉が、束縛なのか、それとも婿としての楔なのかは不明だ。
――不明ではあるものの、答えは決まっている。
「うん。僕は希朝さん以外に手を出さないよ。心に誓って」
「ふふ、連さんの言葉なら安心できますね」
小さく微笑んだ希朝は、わざとらしく前屈みに連を見てきた。
おかげで華奢なラインが浮き出るように、綺麗な肌からの鎖骨が目に焼き付いてしまう。
下手すればふくらみが見えかねないので、冷や汗をかきそうだった。
「きぃちゃんには内緒にしてくれるなら……少しくらい、触れてもいいのですよ」
「……どこに?」
「どこだと思います?」
希朝は天使の皮を被った小悪魔なのだと、改めて理解させられた。
希朝がわざとらしく前屈みになったのも、連の視線がどこを見たのか理解したからだろう。
無論、希朝を穢すような真似をしたくない連にとっては、答えが決まった試練も同然だ。
「……遠慮しとく」
「連さんは謙虚ですよね……それが良いところで、もやもやでもありますが……」
「もやもや?」
「……わざとボケていますか? 連さん、私の下着を見ても他の殿方と違うから……私に魅力がないとばかり……」
今思えば、希朝は心配だったのだろう。
距離を詰める話はあったが、結局のところは付かず離れず……近いのに遠いままだ。
だからこそ、恋愛感情が鈍い連の感性を踏まえて、希朝は魅力が無いと受け取ってしまったのかもしれない。
希朝の言っている通り、洗濯物の際に希朝のブラや下着を連は度々見ているが、見知らぬ顔で干しているのだから。
「……希朝さんに魅力はあるよ。……ただ、僕が僕を捨てきれていないだけ。……新年早々変かも知れないけど、もう少し待っててほしいんだ。僕が僕であって、覚悟を決められるようになるまで」
「私は、連さんなら何年、十何年と待ちますよ。遅すぎたら……その待つ意味を、私の色にいずれは染め上げますからね」
ふと気づけば近づく顔の距離。
ピンクの瞳は暖色の光を反射し、煌めいている。
そっと瞼の裏に閉じられた瞳は、期待しているのだろうか。
連は息を呑み込み、顔を近付けようとした時だった。
「もう……あしゃぁ……? 希朝ねぇ……連にぃ……」
「きぃちゃんが起きちゃったようですね。連さん、楽しみは未来にとっておきましょうか」
「う、うん」
「きぃちゃん、起きて支度したら、初詣を見に行こう?」
「初詣……! あっ、希朝ねぇ、連にぃ、おはよう」
「きぃちゃん、おはようございます」
「希夜ちゃん、おはよう」
「わぁ……おにいちゃんの香り……」
希夜は起きたかと思えばまどろみの中にいるのか、小さく鼻を鳴らしていた。
夢見心地の希夜がすこしふざけ気味となったようで、希朝はむすっとしたように頬を膨らませている。
こう見ると、希朝は連を本当に迎え入れているのだろう。
ふと気づけば、希朝は希夜に負けまいと言わんばかりに、連を見てから鼻を近付けてきた。
近づけてきただけならまだしも、抱きしめるように腕を回されたのもあり、近づく体は確かなふくらみの感触を感じさせてくる。
希朝が故意にやっているのかは不明だが、心臓に悪いことこの上ない。
「そうですね。一緒の香りですね」
「……そうだね」
「朝からラブラブやんねぇ」
きっと、この鼓動の音は色付いているのだろう。
初めて希朝との近さを実感してから、初詣を見に行くために各々支度することにした。
その際に希朝が、着替えを見ますか、と言って精神を試しにきたのはまた別のお話。




