13 ご褒美(労い)には甘さを添えて
中間テスト終わりの夜、連は変にそわそわしていた。
希朝には気づかれていないが、希夜が柔らかな眼差しを向けてくるので心臓に悪いと言うものだ。
夜ご飯を食べ終えてから、さり気なく希夜は早めにリビングを後にしてくれたので、後は良しなにしてほしいという意味だろう。
連は三人分の食器を洗っている際に、希朝の方をチラリと見た。
案の定、希朝は何も気にした様子を見せず、食後の休憩をしている。
水を止めるために蛇口をひねると、水滴は落ち、水の張った桶に波紋を広がらせた。
「あの、希朝さん」
「どうしました? ……いつもより、雰囲気が固いようですが」
希朝はしっかりと相手を見ているので、些細な変化には気づいていたらしい。
一度息を吸って呼吸を整えると、おかしそうに希朝が微笑むので変にむず痒さがある。
「その……冷蔵庫にデザートがあるから、よかったら食べてほしいな、って……」
表情を崩さずに希朝がジト目で見てくるのもあり、警戒されているのだと見て取れる。
連自身、他意はなく、希夜と話した結果のご褒美を希朝にあげたいと思っただけにすぎない。
「連さん、どういう風の吹き回しですか?」
「僕が他人へ考慮するとおかしいのかな……?」
希朝の発言には、むしろ連の方が疑問だった。
実際、優矢からも不思議に思われたのだが、連が他人を思えば思うほど妙に疑われているのだ。
とはいえ、それは生きてきた家柄を優矢が知っていて、希朝もある程度は知っているからこそ、連をそういう印象で見てしまうのだろう。
首をかしげていると、希朝は椅子から立ち上がり、冷蔵庫の中を覗いていた。
「……プリン。……本当に、どうしてですか?」
「……ご褒美って言うと希朝さんは否定感情が強くなるよね。だからそれは、僕から希朝さんへ贈る労い、って思ってもらえるといいかな」
「……労い」
希夜から聞いていたが、希朝は人からの、家族からのご褒美はまやかしとして受け入れがたいものだと思っているらしい。だからこそ、中間テストの終わりに渡すことで、疲れや家事などの労いの意味を含めてほしいとの事。
実際、希朝にはお世話になっているので、最終的には連が行動に移したに過ぎない。
希夜から頼まれたからやったのではなく、自分自身の悔いのない選択、限りある過去の記憶を捨てないためだ。
連自身、人の労い方を知らないし、労われる側だとも思っていない。
だけど、誰かを自分の行動一つで笑顔にしたい……否、誰かではなく星宮姉妹を、連の中では最も近しい存在の希朝と希夜を笑顔にしたい、そう強く願えたから行動に移せたのだ。
自分に無いものでも、相手に与える事、贈る事ができると。
「うん。でも、僕の考えって言うよりかは、希夜ちゃんから聞いたことを行動に移しただけだし……ただの気持ちを知らない人だよ……」
食器を洗い終わり、連が手を止めた時だった。
ふわりと優しく甘い香りが鼻を撫でる。
固い唇に、細い指先がしっとりと触れている。
驚いて目を見開けば、小さな世界は輝いて、うるりとしたピンクの瞳が小さな灯のように輝いている。
速まる心臓の鼓動が、希朝との距離が縮まって、希朝の指先が自身の唇に触れているのだと伝えてきていた。
「――言わなくてもいいことですよ。私は、連さんのその真摯な気持ちが嬉しいですから」
悪い笑みを浮かべる希朝は、心臓に悪い小悪魔だ。
希朝に惚れているわけでも無く、ただ一緒に過ごしている家族であるのに。何故だか連は、自然と変わっていっている自分が、もどかしく思えた。
希朝がプリンを冷蔵庫から取り出した後、連は希朝と隣同士でダイニングテーブルの椅子に腰をかけていた。
今までなら向かい合って座っていたのもあり、別々の椅子とは言え、隣同士の距離感はすれ違うような心がそこにある。
揺れる鼓動を静めていると、横ではプリンと向き合った希朝が動揺した様子を見せていた。
「……プリン」
希朝の目の前にあるプリンは何の変哲もない、厳選した卵と牛乳を使ったまろやかな黄色味溢れる、キャラメル付きのカスタードプリン。
プリンを見てから、希朝は静かにこちらを見てくる。
「うん。希朝さん、お疲れ様」
連は正直、この時に何って声をかけてあげればいいか悩んだ。それでも、変にご褒美と受けられて気まずくならないように、労いの言葉をかけた。
ふと小さな世界に、リビングの明かりが静かに差し込み、希朝の艶のあるなめらかな長い髪に天使の輪を生みだしている。
ピンクの瞳も相まって、気を抜けば吸い込まれてしまいそうだ。
「ありがとうございます。いただきます」
スプーンを手に取った希朝はプリンの表面を揺らさない力加減で、プリンを掬った。
スプーンの上で揺れ踊るプリンは、ゆっくりと、ゆっくりと希朝の口へと運ばれていく。
希朝は味わうように、静かに口を閉じた。
するりと抜けたスプーンが離れると、ゆったりと口を動かして咀嚼している。
その仕草はまるで小動物のように愛らしく、まじまじと見てしまうほどに。
希朝は緩んだように頬をとろけさせ、にんまりと目を細めていた。
連は希朝の笑みを見て、思わずホッとした。
実際、希夜がおすすめしてくれた場所でプリンを買ってきたのだが、希朝の口に合わなかったらどうしようと心配はあったのだ。
(……希夜ちゃんには感謝しないと。……希朝さんの笑み、可愛いような……なにを考えてるんだろ、僕は……)
連は久しく知らなかった。
他人を可愛いと思える、そんな人である感情を。
そんな感情を思い出させてくれたのは他でもない、希朝だ。
思わず微笑んだ時、希朝が連を見てきていた。
そして思い出したように、希朝はプリンをスプーンで掬い、連の方に向けている。
「え?」
「美味しいですよ、どうぞ」
「……えっと?」
希朝の顔を見ても、希朝は顔色一つ変えるどころか、ただ食べてほしいと言わんばかりにスプーンを向けてきている。
曇りのない瞳は、今の連にとっては眩しいものだ。
「一人で食べるよりも、みんなで食べる方が美味しいですから」
希朝が何処までこちらの事情を、過去を知っているのかは不明だ。
それでも希朝は気遣う様子ではなく、美味しさを分け与えたいという思いで、連にプリンの載ったスプーンを向けてきているのだろう。
向けられた自然な笑みは、二人だけのこの空間では甘い誘惑の蜜を持った毒でしかない。
「……えっと、本当にいいの?」
「嫌だったら分けませんし、連さんがジロジロと見ていたので、てっきり食べたいのかと思ったのですよ」
どうやら希朝は、連が心配のあまり見ていたのを勘違いしているらしい。
とはいえ希朝からのご好意を無下にするわけにもいかないので、連はそっと口を開けた。
「はい、どうぞ」
目を閉じていれば、するりと口の中にプリンが置かれていく。
口の中いっぱいに広がるプリンの風味に、濃厚な卵のコク。
そして徐々に徐々にと広がっていく甘さは、恐らくプリンだけの甘さではないと窺える。
「……甘い。でも、美味しい」
「ふふ、本当に美味しいですよね」
希朝はホッとしたように、美味しそうに食べた連を見てから柔らかな笑みを浮かべていた。
見える世界は照明も相まって、希朝の笑顔を朝日のように輝かせている。
その眩しさを誤魔化したいあまり、連はふと希朝の持っていたスプーンに目をやっていた。
「……希朝さん、僕も分け合ってみたいんだけど、いいかな?」
「ふふ、積極的ですね。いいですよ」
希朝が迷わずにスプーンを差し出してくれたので、連は感謝して受け取った。
プリンを一口掬えば、希朝は待っていましたと言わんばかりに、その小さな口を開いている。
普段は凛としているからなのか、今ではどこか純粋無垢な子どものようだ。
「あーん」
希朝が小さく声を発しながらも目を閉じて、小さな口を開けているので、連は自然と笑みがこぼれてしまう。
そっとスプーンを希朝の口に運べば、ゆるりと口が閉じられる。
白い頬に薄っすらと赤いお化粧がされると、希朝はおいしそうに瞳をとろけさせていた。
うるおうピンクの瞳は、紛れもない宝石だと言える程に光を灯している。
「美味しいですね」
「……うん」
向けられる笑顔が眩しすぎて目を逸らせば「何かおかしいですか」と希朝が言ってくるので、連は静かに首を横に振った。
希朝が自分で食べ進め始めると、リビングのドアは静かに開いた。
そこには、にまにまとした笑みを宿した希夜が暗闇から覗くように立っている。
「あーんに間接キス……希朝ねぇも連にぃも大胆やんねぇ」
希夜が悪戯に口許に手を当てて言ってくるので、気づかされた連は頬が無性に熱くなっていた。
そして隣では、声にならない声を静かに溢れさせ、白い頬を赤く染めながら手で抑えている希朝の姿が見える。
「きぃちゃん、いつから見てたの!」
「希朝ねぇが連にぃにプリンを進められるところからやんねぇ」
「さ、最初から見ていたの!?」
「希朝ねぇはお婿さんに疎いやんねぇ」
「希夜ちゃん、こっち見ないで……」
「きぃちゃん、今見たのは忘れて……」
おそらく、希夜に言われなければ、お互いに気づくことも、察することもなく終わっていただろう。
希夜に気づかされたおかげで、変に希朝と意識してしまったのもあり、目が合えば気まずそうに目を逸らされるし、沸騰するように顔が熱くなってしまう。
「希朝ねぇはちょっとあれな知識はあるのに、こういうのには疎いんやんねぇ」
「き、きぃちゃん!?」
もう、と希朝は言い、誤魔化すようにプリンを食べている。
連が苦笑していると、希夜は連に歩みよってきていた。
そしてわざとらしく肩をツンツンとし、こっそりと耳元に口を近付けてくる。
「本当は希朝ねぇのご褒美のつもりだったけど、連にぃのご褒美にもなったやんねぇ」
「……知らなくてよかったよ。知りたくなかった」
「……きぃちゃん」
ふて腐れたような声色だが、それでも小さく笑う希朝は、希夜に甘いのだろう。
その後は一時的に気まずくはなったものの、希朝はそこまで気にしていないようで、もう一度あーんを連にしてきたのだった。
今度は希夜の居る前で、大胆にも、幸せそうに笑みを携えて。




