11 これからもお願いしたい味
家に帰宅後、連は希朝からお弁当箱を預かり洗っていた。
「連さん、今日はお弁当を作っていただきありがとうございました」
「の、希朝さんに喜んでもらえたなら、良かったよ」
「すごく美味しかったです」
希朝が柔く咲き誇る笑みを浮かべるので、お弁当箱を洗う水の冷たさを心地よく思ってしまう。
お弁当を作ったのは本当にお節介であり、下手をすれば余計な気遣いでもあっただろう。
連が照れていると「ただいまやんねぇ」とマイペースながらのゆったりとした声が玄関から聞こえてきた。
そして、リビングを覗くように白髪ショートの少女、希夜が姿を見せる。
「きぃちゃん、おかえりなさい」
「希夜ちゃん、おかえり」
「連にぃ、お弁当美味しかったやんね!」
帰宅して早々、希夜は連を見つけるなり、学校の鞄からお弁当箱を取り出しながら、笑顔を咲かせて言ってきた。
姉妹というのはここまで似るものなのか、と連は思うと同時に、目尻が熱くなりそうだった。
自分がしたことで、小さな事にすら感謝をされるのは無いと思っていた。だからこそ、気持ちは感情の整理が追い付かず、脳は善意を受け入れるキャパが超えているのだ。
連は誤魔化すように「よかった」と言いつつ希夜からお弁当箱を受け取り、水の張ったボウルに浸けた。
お弁当箱を浸けている間に、希朝と希夜を真剣に見ると、二人も受け入れるように連の顔を瞳に反射している。
「その、希朝さんと希夜ちゃんにはどうしても言わなきゃいけないことが……」
二人が喜んでくれているのに、水を差すのはよくないと理解している。それでも連は、自分にとっての心残りを、二人の距離感を間違えてしまっていたのではないか、という心配を捨てておきたかったのだ。
「――ごめんなさい! 二人のお弁当の内容をほとんど一緒にして、変に視線を集めてしまって……」
鼓動が速まっているのを感じて、些か正気ではなかった。
深々と連が頭を下げていると、希朝と希夜はお互いに顔を見合わせている。
そして小さな沈黙が流れてから、二人は姿勢を正して連を見てきていた。
「……連さん、頭を上げてください」
「希朝ねぇの言う通りやんねぇ」
恐る恐る頭を上げると、視界には何の迷いもなく、ただ気にした様子を見せずに笑顔を宿している希朝と希夜の姿があった。
どこか揺らぐような気持ちに、名前の知らない感情に理解が追い付かないでいる。
「うちは連にぃがお弁当を作ってくれて嬉しかったし、美味しかったやんね……それに、うちの大好きなおにぎりを入れてくれたから幸せだったやんねぇ」
希夜が幸せだと伝えてくれてことにホッとしていると、希朝が驚いた表情をしている。
「きぃちゃんはおにぎりが入っていたの? 私は大好きなナポリタンが入っていましたよ?」
「……連にぃ、それは本当やんねぇ?」
じっと見てくる希朝と希夜に、連はそっと苦笑した。
二人が言っていることに間違いはなく、希朝にはナポリタンを、希夜にはおにぎりを主食として入れさせてもらったのだ。
全てを同じにしてもよかったのだが、確かに見ているものを伝えたい気持ちも込めてしまったからだろう。
謝ったことを気にしないで、ただお弁当の内容について触れてくれる二人が嬉しく、連は笑みを浮かべて口を開く。
「えっとね、昨日夜ご飯を作らせてもらって、食べてもらった際にね……希朝さんはパスタを美味しそうに食べてくれたし、希夜ちゃんは希朝さんの手料理の時に白米を美味しそうに食べてたからおにぎりも好きかなと思ったんだ」
実際のところ、お弁当を作ったのは小さな恩返しのつもりだった。だが、美味しいと言ってくれた二人に少しでも多く食べてもらいたいというエゴが強かったのだ。
ふと気づけば「よく見ているのですね」と希朝は声をこぼし、二人は白い頬を赤くしていた。それでも、その頬の赤さとは釣り合わないほどに、嬉しいという気持ちがヒシヒシと伝わってくる。
「……おにぎりやナポリタンに合うように、おかずの味付けを調整したつもりだったけど、大丈夫そうだった?」
「ええ、私は美味しく食べさせていただきましたよ。連さん、作っていただいてありがとうございます」
「連にぃ、うちはおにぎりをもう少し大きくしてほしいやんねぇ」
希朝が微笑んでいる際、希夜が笑顔で手を上げながらご要望を言ってくるので、もう一度作ってほしいと間接的に頼んできているようなものだろう。
連自身、こんな自分が作るお弁当や料理で喜んでもらえるのなら、嫌な気持ちにはならなかった。
喜んでもらえるのが嬉しいと思えるのはきっと、希朝と希夜にだけだろう。
心から振舞いたい、そんなことを連は思ってしまうのだから。
ふと気づけば、希夜のわがままに呆れたのか、希朝はそっとため息をついて、目を細めて希夜を見ていた。
「連さん、この子は偏食家だから聞かなくていいですよ」
「えー、希朝ねぇ意地悪やんねー」
「きぃちゃんは夜ご飯の後も、勝手にお菓子ばかり食べているでしょう。少しは自重しなさい」
「うぅ、連にぃ……」
希夜が悲しげな表情でこちらを見てくるが、希朝の『どうしたらいいか分かりますよね』と言いたそうな圧のある視線も相まって、ある意味で板挟み状態だ。
「まあ、希朝さんは希夜ちゃんの栄養管理もそうだけど……面倒みのいいお姉ちゃんを持てて良かったね」
「連にぃが希朝ねぇの味方になっちゃったやんねぇ……」
わざとらしく肩を落とす希夜に、気づけば希朝と顔を合わせて連は笑いをこぼしていた。
小さな笑い声が静まると、希朝はピンクの瞳に連の姿を反射させ、ゆったりとした笑みを宿している。
「連さん」
「は、はい」
「な、なんで緊張気味なのですか。……違いますよ。その、もう一度言いますが……お弁当、美味しかったので……また作ってくれると嬉しいです」
希朝から直接、もう一度作ってほしい、と言われて心は揺れてしまったのか、連は目じりが気づけば熱くなっていた。
気づかれないようにそっと指で目尻を拭ってから、希朝に偽りのない笑みを向ける。
「うん。これからも作っていいなら、毎日でも作らせてもらいたい」
「ということは、毎日朝ご飯とお昼は連にぃの手料理を食べられて、夜ご飯は希朝ねぇの手料理を食べられるってことやんねぇ。うち、幸せやんねぇ」
「もう、きぃちゃんったら」
希夜は小さな夢見がちの少女なのかもしれないが、その夢は現実として叶えてあげられる代物だ。
ふと気づくと、希夜が水に浸けていたお弁当箱に触れようとしていた。
「連にぃ、後の洗い物と乾かすのはやっておくやんね」
「ふふ。連さん、きぃちゃんは少し心配なので私が見ておきます」
「えっ、あ、うん、わかった。……ごめん、少し外の空気を吸ってくるよ」
外に行くつもりはないのに、言い訳をするように連は自然とリビングを抜けていた。
リビングのドアを閉めて、廊下の壁に背を預けた時だ。
「きぃちゃん、連さんの手料理は人を、食べている人を喜ばせたい、って気持ちが伝わってくる美味しい味ですよね」
「あれやんね、もう一度お願いしたい味……うちらの幸せの一つになるやんねぇ」
「そうですね。でも、あまり無理をさせるのもよくないので、無理強いは駄目ですよ」
「の、希朝ねぇだって本当はもっと食べたい癖にぃ」
小さな幸せを咲かせる会話から、いがみ合いも聞こえてくるのに、連は壁に背を預けたまま力が抜け落ちるようにその場に座り込んだ。
(……なんでなんだろう。すごく胸が痛いのに、嬉しいのはなんで……)
自分の胸を握るように手で抑え、気づけば啜り泣いている。
悲しくない、ただ、心が震えているのだ。
今までの過去で、連が欲していた言葉を、星宮姉妹から貰えたのが一番嬉しかったから。
「っ……この家に来れて、僕はよかったよ……」
自分の今の幸せを、気づけば口からこぼしていた。
希朝と希夜という存在、二人との関わりが連をまた一歩、更に一歩と前に歩みだす勇気をくれるのだから。




