10 お弁当よりも温かい星宮姉妹
「……♪」
次の日の朝、連は太陽が目を覚ますよりも早い時間に起きて、キッチンに立っていた。
キッチン以外に明かりはついていない。
薄暗いままのリビングには、名前の知らないインストだけの歌声が小さくこだまする。
従うだけが全てで、従って生きる人生だけが連の時間だと思っていた……そんな日常から抜け出したい。その想いが今では歌として、言葉に出ようとしていたのかもしれない。
ふと抜けてしまった、紡げない声を忘れるように、連はそっと息を吐いた。
「後は味が落ちないように冷ましてと。これで完成かな」
朝早くから作っていたのは三人分のお弁当だ。
昨日のうちに、希朝と希夜にお昼をどうしているのか聞いておいたのもあり、ちょっとしたお節介ながら作らせてもらっている。
二人には作ると言っていないので、仮に二人がお昼を個人で準備していたのなら、連が責任を持って処理をする気だ。
お弁当箱の蓋を閉じた時、ドアの開く音と共に、階段から下りてくる小さな足音が空間に響いた。
「あ、連さん、おはようございます。早起きなのですね」
「希朝さん、おはよう……え、あ、まあ」
「はあ、まだ捨てきれていないのですか」
さりげなくジト目で見てくる希朝に、連は苦笑して誤魔化すしかなかった。
誤魔化す男は嫌われますよ、と言いた気な眼差しに変わったのもあり、すいません、と誠意を示すように連は頭を下げた。
その時、希朝はテーブルに置いてあったお弁当箱が目に入ったのか、自然と瞳を輝かせている。
「お弁当……連さん、朝早く起きて、私たちの分を用意してくれたのですか?」
「えっと、嫌だった?」
希朝は静かに首を振っていた。
そして瞬きをする間もなく、優しい甘い香りが鼻を撫でていた。
女の子特有とも言える、柔らかな香り。
「……えっ」
「嬉しいです」
香りと共に、その温かさはあった。
連が硬直している中、静かに希朝は抱きしめてきたのだ。
胸板に当たる確かなふくらみある柔らかな感触に、動揺するしかなかった。
布越しとはいえ確かに感じてしまうそれは、連には無い柔らかさなのもあり、希朝の自然すぎる動作も相まって思考を鈍らせてくる。
呼吸を忘れてしまうような中、希朝に柔く腕を回されていたのだ。
抱きしめられるとまではいかないが、その縮まる距離感は希朝のふっくらした柔い部分が当たるには十分である。
連は沸騰し始めた頬の熱を誤魔化すように、そっと首を振った。
「そっか……嬉しいって言ってもらえて、よかったよ……」
「連さんが自発的に動いてくれるのは、嬉しいですから」
希朝の優しさを知り、連もお返しと言わんばかりに腕を希朝の体に回そうとした、その時だった。
「ただいまやんねぇ……ありゃ、もしかして良いところお邪魔しちゃったやんね? 希朝ねぇも大胆やんねぇ」
声のした方を向けば、そこにはランニングウェアを着た希夜が覗くように立っていた。
十月の半ばだが、希夜のランニングウェアは明らかに白い肌の面積が多く、極めつけにズボンから見える黒いスパッツが希夜の足の付け根を露わにしている。
「き、希夜ちゃん!? これはご、誤解で」
希夜が見ちゃいけないものを見てしまった、という視線を向けてくる。
視線を向けられたところで、未だに希朝は腕を回してきており、離れようとしていないので誤魔化しようがない。
誤解と言ったところで、何が誤解なのかという話になるのも事実だ。
「……き、きぃちゃん……そ、その、こ、これは……」
「誤解、やんねぇ……そう言う割に、希朝ねぇは嬉しそうに連にぃを抱きしめてるやんねぇ。……パジャマ姿で」
最初に連が希朝に会って驚いた、誤魔化したのは他でもない。
希夜が言う通り、現在の希朝は寝間着姿で連に腕を回してきているのだ。
希朝の寝間着は所謂ネグリジェというもので、十月にも関わらず薄目で肌に優しい滑らかな白い寝間着。生地の薄さゆえに、もっちりとした肌の弾力を伝えてくるには十分である。
希朝は希夜に指摘されて気づいたのか、白い頬をじんわりと赤くしていた。
回していた腕は離してくれたものの、その小さな手は連の服の袖を掴み、胸の当たる距離感は変わらないままだ。
「うぅ……きぃちゃん、今見た光景は忘れて……」
希朝は自分で言っておいて恥ずかしいらしく、連の腕を掴み、小さく呻きながら顔を埋めてくる。
距離感は変わったものの、柔らかい弾力が腕を挟むようになっただけで、根本は変わっていないのも事実だ。
何気に希夜が皮肉とも取れる視線を希朝に向けていたが、連は見ないことにした。
その時、希夜は希朝をそっとしておくように、テーブルの方に視線を向けた。
「連にぃ、もしかしてうちらのお弁当を早起きして作ってくれたの?」
「うん。二人には昨日のうちに聞いておいたから、嫌じゃなければ食べてほしいかな、って」
「連にぃの手作りお弁当……楽しみやんねぇ」
希夜はお弁当の中身を希朝と同じく見ていないのもあり、小さな期待と想像が膨らんでいるのだろう。
まだ食べてもいない、ましてや準備をしただけなのに喜んでくれる姉妹に、連は自然と笑みがこぼれていた。
ふと気づけば、希朝は落ちついたのか、ずっと抱きしめ気味だった手を離している。
それでも先ほどの距離に、自分の容姿を見てか、頬だけにとどまらず顔が赤くなっていた。
無論、ぴったりとくっついていた肌の距離感から、希朝の高くなる体温を連はひしひしと感じていたのだが。
「えっと、希朝さん、大丈夫?」
「う、嬉しくなりすぎていました……ごめんなさい……その、気まずかった、ですよね……あ、当たってもいました、し……」
「嬉しいと思ってもらえるのは、恩に尽きるよ。……気まずくなかった、って言えば嘘になるよね……」
「……うち、まだ居るんやんねぇ。希朝ねぇは良いやんねぇ、興奮させるほど大きいやんねー」
「こ、興奮!? き、きぃちゃん! 連さんとは別にまだそういう関係じゃないですから、勘違いしないでくださいね……」
「あ、朝ご飯ももうじきできるから、二人は先に着替えてくるといいよ」
うきうきと、蔑んだような雰囲気が合わさりながらも、姉妹は身支度を済ませに行く際にも、明らかに男である連が聞いていいような会話ではない何かをしていたのだった。
学校終わりの放課後、連が帰りの準備を済ませていると、優矢が近づいてきた。
「なあ連、聞いたか?」
「何を?」
「星の子のお弁当が似たり寄ったりだった、って噂だよ」
希朝と希夜は本来別々で食べているはずだが、やはりというか、少なからず視線が集まっていたようだ。
無論、優矢とお昼を食べていた連に対しても何故か視線が集まっていたが。
優矢からその噂を聞き、連は朝の出来事を軽く思い出したのもあり、頬が熱くなりそうだった。
連の様子を察してなのか、優矢は悪戯に口角を上げている。
「そういや、星の子のお弁当なんだけどよ……主食を除いて、連のお弁当に似ていたらしいんだよなー」
なにか知っているよな、と言いたげな優矢の視線に、連は軽くそっぽを向いた。
そっぽを向いたと言うよりも、途中だった帰りの身支度に視線を移しただけではある。
本気でそっぽを向けば、優矢の事なので何を言い出すのか分かったものではない。
実際、連は希朝だけと似ていたならまだしも、中高一貫校で学校の給食が出ない希夜と似たり寄ったりなのも踏まえて、言い訳をしづらいのだ。
連が困っていると、優矢がポンと肩に手を置いてきた。
「なーなー、星の子から聞いたんだったら、俺にも作ってくれよ」
「なんでそうなるの?」
「なんでってそりゃぁ、星の子は連を見に来てるし、毎日近くを通ってるから、なにかあるって俺の勘が言ってるんだ」
優矢の鈍さに感謝をすればいいのか、他責思考の図々しさに呆れればいいのか。
何気ない会話だったはずなのに、連はそっと笑みをこぼした。
優矢からやけに変な視線が飛んできたのもあり、連は思わず首を傾げた。
「……笑顔な……。過去のお前じゃ、そんなポイポイとこぼせるほど、居心地は良さそうに見えなかったけど……やっぱり、環境でも変わったのか?」
「――優矢」
「……すまん」
優矢には悪いが、過去を平気で触れられるほど連は成長できていない。
この後、身支度を終えてから、星の子の噂を耳にしながらも、連は帰路を辿るのだった。




