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妖精のお姫様

 ――その情景は、今でも鮮やかに僕の記憶に刻み込まれている。


 僕の家の近くには、自然の小さな山を整備してできた広い公園がある。

 桜の季節になると、その公園に花見に行くのが、昔から我が家の恒例行事だった。


 僕が六歳だったあの時も、両親と親戚はビール片手にバーベキューをしながら盛り上がっていた。桜が綺麗で肉はおいしかったが、子どもは自分だけでとても退屈だったことを覚えている。それで、僕は両親たちがバーベキューをしている広場の周りの林を探検しようと思い立った。

 母に声をかけると、

「ここから見えるところまでね」

と釘を刺されたものの、簡単に許可が出た。この公園はわりと道が密に張り巡らされていて、ほとんどの場所で林の向こうの道が見えるほど見通しが良かったからだろう。

 僕は何となく、広場の入り口の脇から反時計回りにスタートした。広場の周りは桜でぐるっと囲まれており、その外側をどんぐりの林が囲っていて、その更に外側にはまた小道がある。左手の満開の桜、右手のどんぐりの林の間を僕はてくてく歩いた。どんぐりはたくさん落ちていたけど、ほとんどが指先位の小さなものだった。でも、たまにふさふさの帽子をかぶった大きいのがあって、宝探し気分で集めながら歩いた。たんぽぽや白い花も見つけて、なかなかいい暇つぶしになっていた。

 広場の周りを半周ほどした辺りには桜の根元を覆うように植え込みがあった。保育園で教わった、花の蜜が吸える「つつじ」という木だと気が付いたが、花が咲いてなかったから蜜が吸えなくてがっかりした。でも代わりに、植え込みの中の方はあまり葉っぱや枝がなくてトンネルのようになっているらしいことを発見した。中がどうなっていて、どこまで続いているか、わくわくしながら植え込みの中の空間を行く。たまに小窓のように開いた隙間からは、広場で花見をする人たちが見えた。うちの家族は相変わらず  楽しそうに盛り上がっていた。

 腰をかがめたり、四つん這いになったりしながらぐんぐん進んでいくと道が二手に分かれていた。一つはこのまま進む方。もう一つは右に進んで出口の光が見える方。

 僕は、広場の周りをどこまで進んだか一度見てみようと思って、右を選んだ。

 植え込みから抜け出すと、そこはさっきのような隙間だらけのどんぐり林ではなかった。周囲には大小たくさんの木が生い茂り、鬱蒼としていた。そして、少し先の広くなった地面に大きくて綺麗な花がたくさん咲いているのが見えた。青やピンク、紫に白。木漏れ日の差す花々に向かって近づいていくと、そこは地面ではなくちょっとした池だった。花の周りには丸い葉っぱがたくさん浮かんで水面を埋め尽くしている。僕は池のほとりにしゃがんで、その不思議な花をじっと見ていた。

「そこにいるのは誰だえ?」

 顔を上げると、いつの間にか池の真ん中にお姉さんが座っていた。白銀の長い髪がかすかに揺れて、透けるようなエメラルドの目が静かに僕を見ていた。その姿があまりにも綺麗で僕は言葉もさっきの問いも失った。

 沈黙を、応える気がないと思われたのだろうか、心なしか視線が冷たくなる。

 しかし、その姿もまた気高くて美しく。

「ようせいの……おひめさま……?」

 思わず僕の口から、その言葉がこぼれた。

 すると、エメラルドの目が一瞬驚いたように丸くなり、くすくすと笑い始めた。

「妾を妖精の姫だと? 面白いことを言いよるわ」

 そう言うと、眩しそうに手を掲げながら光の差す方を見上げた。その横顔がどんな表情をしていたか、こちらからはわからなかったが、肩や背中に流れる白銀の髪も、それを彩る花飾りも、緩やかな風にふわふわと揺れる水の上に広がったスカートの裾も、全てが幻想的に美しく、僕はただただ見とれていた。

 しばらくの後、こちらを振り返ったお姫様は笑いを抑えて、口元に微笑を湛えて言葉を紡いだ。

「よいであろ。今日のところは見逃してやろう。あちらに帰るがよい」

 意味が分からず、ただぼんやりと立ち尽くしている僕を見て、呆れたように言葉を続ける。

「ほれ、母が探しているやもしれぬぞ。早く戻るがよい」

 僕は、その言葉と帰り道を指し示す指先に促されて、仕方なく踵を返した。綺麗なお姫様も鮮やかな花も名残惜しくて、何度も振り返りながら植え込みのトンネルに戻った。

 さっきの分かれ道まで来ると、今度はもう一方の道に進んで、すぐに出口にたどり着いた。

 植え込みからひょっこり顔を出すと、大人たちは相変わらず楽しそうにビールを傾けて肉をほおばりながらしゃべっていた。戻ってくる僕に気づいた母は、

「あら、早かったわね。楽しかった? お肉もっと食べる?」

 と、僕のお皿とお箸を渡してくれた。僕はお皿とお箸を握りしめたまま、興奮気味にさっきのことを話した。

「おかあさん、あのね、きれいなおはながいっぱいさいてたの!」

「そうねぇ。春だものねぇ」

「あのね、ようせいのおひめさまもいたの!」

「……? へぇ、そうなの? お母さんもお会いしてみたいわねぇ」

 結局、その場の誰に話してもまともに取り合って聞いてもらえなかった。


 でも、大きくなるにつれて分かったことがある。この公園にはどこにも池なんかないし、あの広場のつつじの植え込みの周りにはどんぐりの林しかない。次に公園に行ったときにもう一度植え込みの中を探検してみたけど、どこで右に曲がってもどんぐりの林に出るだけだった。

ならばあれは、どこだったのだろう。どうすれば、もう一度会えるのだろう。


 ――瞼の裏の忘れられない人。


樹木萌えシリーズその3。

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