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3-3 過去を知る涙

「――……」

 

 アイリスは間近の壁を背にし、気配を消してその様子を眺めていた。悲鳴が漏れそうになるが、両手で押さえて何とか堪える。

そう、彼女の最推しであるアステルと、聖女パナシアが逢瀬のひとときを眺めにきたのだ。

 

 彼女はアステルが好きだが、壁になりたいタイプのオタクである。自分を彼の相手にする趣味ではないため、自然と聖女推しにもなった。



 『生きててよかった』と声に出さず喜びに震える彼女。さらに離れた草葉の陰には、彼女を見守る男たちの姿もあった。

 夜半を過ぎて部屋を抜け出したアイリスを追いかけ、彼らはそれぞれ単独で動いていた。


 人が棲家を踏み荒らしているのに、草に隠れた虫たちは鳴くのをやめていない。気配を消すことに全員が長けているようだ。



 


「――なぁ、アイリスはアステルが好きなんだよな?」

「そうだけど。アリ、声を落としてくれるかい、アイリスは耳がいい」

「チッ。……聖女は、アステル隊長殿と仲がいいんだな」

 

「そうらしいね。ぱっと見恋人かと思えるほどの親密さだ。兄妹って感じじゃないね」

「……ふむ」


 アリストは自分の顔を覆ったマスクをずらし、じっとアイリスを眺める。

どう見ても喜んでいるようにしか見えず『どういう心境なのだ』と問いただしたいと思わずにはいられない。




「兄上、今日の式典にどうして私を出席させてくださらなかったの?」

「……」

 

「この国を支えてくださる方たちを祝福するのが本来の姿です。今までの式典は、すべてそうだったと記録にあります」

「観衆が多かったから」

「あんなに距離があったのに?」


「城の上から見ていたらそう思えただけだろう。数が多すぎるんだよ」



  

 妹のティーカップにあたたかいお茶を注ぎ、アステルは椅子の背に肩を預けてため息を落とす。彼は月明かりの中でちらりと城壁の壁に視線をやる。


「アギアの方もいらしたではありませんか」


「お前が危険に晒されるのを見過ごすわけにはいかない。軍に入隊したからと言って味方というわけじゃないんだ」

「そんな事……」

 

「ないとは言えないだろ?前回秘密裏に集めた奴らは全員スパイだった。

 それに、隊員が全員お前を守るわけでもない。正式に採用されるかどうかは入隊後の試験次第だ」

 

「それでは、兄上は過酷な勤務のままです。あなたには……安らぐ時がないのですか?」

「それでいいんだ。お前をなくすよりずっと」


 聖女パナシアは険しい兄の顔を眺め、白い手袋越しにそっと頬へ触れた。細い指に撫でられて、アステルは幸せそうに微笑む。



 

「一般の隊員たちはすぐに国境や外郭に派遣されるのに、アギアだけがさらに試験を課されるのはなぜですか?」

「さっきも言っただろ?念には念を。この世で唯一の聖女を害そうという刺客を炙り出すためだ」

 

「でも、初の女性隊員がいらっしゃるのでしょう?わたくし、お会いしてみたいです」

「…………本当はそうしたかったんだがな、アイツが一番の難点なんだ」



 アステルの小さなぼやきに反応したのは草葉に潜む男性諸君だった。今の現状を鑑みてもアステルの勘は正しいとしか言えない。

 そして恐らく、彼女の存在に彼は気づいている。時折、アイリスが潜む壁へと鋭い視線を投げて眉根を寄せているのがその証拠だった。


(何が目的なんだ?オレに憧れていると言い、妙な視線を遣すものの触れれば逃げる。そして、場内の奥まったこの庭に潜めているというのは本当に手練だという証拠だ。それなのに、なにも仕掛けてこない)




 先ほどからわかりやすく隙を見せて誘っているというのに、動きがないことにアステルは焦れていた。暗殺が目的ならばすでに手を出していてもおかしくない。

 時折よくわからない悲鳴を漏らしそうになっては、ジタバタもがいているが『アレは一体何なんだ』と思わざるを得なかった。


 アギア始まって以来の女性合格者『 アイリス・セレスティアル』を審査した者からの評価は高かった。

 筆記試験、面接、実技試験共に何だかんだと文句をつけたがる老兵達が、揃いも揃って満面の笑みで合格判を押していたのだ。

 

 純粋無垢、天真爛漫で澄み切った深い青の瞳が見せる表情に敵意は見られない。だが……スパイと言うものは往々にして自分を偽るのがうまいと相場が決まっている。

 

 アギア初の女性合格者は確かに聖女にとって、使い勝手の良いコマだ。

パナシアが女である以上、そばに男を置いておくには不便がある。特に寝室に入った後には間違いが起きては困る……だが、兄としての立場を貰っているだけの彼には不可侵の領域だった。

 

 それを解決してくれるのならば願ってもない、と思っていたのだが。




「アレはまだ最初の試練中だ。出身も怪しい、パナシアと同年代なのに熟練し過ぎている。それから、性格がよくわからないんだ」

「私と同い年!?そうなんですか!?じゃあ、じゃあ……私のお付きになってくださったら、お友達になれるかもしれません!」


 アステルは『しまった』と呟く。パナシアは市井にいた頃からずっと人懐こく、同性なら兄からの監視も緩むからとたくさん女友達がいた。

貧しい暮らしの中でも彼女は誇り高く、いつでも慈愛に満ちていたから。


 

 自分の食い扶持でさえ満足に稼げない時、迷わず飢えた子供にパンを与えた。ろくに食事をしていない状態でも、聖女の力を使って怪我人を癒した。


 聖女は存在自体で人を癒すとされる。見るだけで心が安らぎ、そして彼女が使える『癒しの力』はどんな怪我でも病気でも治す。

だが、本人の体力も消耗してしまうのだ。


 早くに母を亡くしてもすぐに立ち上がり、自分を顧みず人を癒やし続けたパナシア。そんな彼女を愛していない人などあの町にはいなかった。パナシアの周りでだけは平和が保たれていたのだ。

 タチの悪い男達も彼女を守るのには協力し合い、老若男女が彼女に笑顔をくれていた。


 兄と、彼女を愛する人たちによって成される幸せで貧乏な暮らし。それは、かけがえのないものだった。このまま年老いても二人で暮らしていけると信じていた。

――王城からの理不尽な迎えが、来るまでは。




「兄上はお仕事ばっかりですし、侍女たちは仲良くなれません。教育係の先生達も誰も笑ってくれません。……聖女なんて、」

 

「パナシア」


「わかっています。こうして城にいなければならないと言うことは。

 私の力を狙って、町のみんなが酷い目に遭うのなら戻れませんから」

「……あぁ。国王との契約もあるから、あの町を立て直してやれる。みんな幸せに暮らせるだろう」

 

「はい。……でも、あのあたたかな小さな町がとても恋しいのです。私たちが出会い、兄上に守られて毎日楽しかったあの頃が」

「今も変わらないだろう?オレは聖女として立つお前のそばにいる。パナシアはオレが守るから」


「そうね、何も、」




 パナシアが不意に自分の足元に視線を落とし、何かを拾い上げる。

小さな白い粒……それは月光を弾いて不思議な虹色を輝かせた。


「これは真珠?綺麗な色ですね!どうしてこんなところに……あら?あらあら、次々に転がって来ます!」


 

 コロコロと城壁の影から無数に転がって来る真珠の粒。アステルは何となくポケットに入れたままでいたアイリスの涙真珠を見つめ、全く同じものだと確信した。

 彼女が隠れた闇でほのかに青い光を発しているのは、泣く時髪が染まるためだ。人魚の王族は瞳が濡れると色を発するらしいが、本来彼女のように白い髪の者はいないらしい。


 深海の色に染まる彼女の涙は真珠となる。淡い虹色を宿した優しいその色は、本人にもパナシアにも似合うだろう。

 

――今の話で泣いているなら、聖女パナシアとアステルの出自を完全把握されていると言うことだ。身内に引き入れるしかあるまい、と彼は決めた。




 

「密偵としては不合格だな。同情して泣いて、真珠をばら撒いていたのでは仕事にならない」

「えっ、兄上?どう言うことです?」

 

「そこに件のアギアがいるんだが、人魚姫なんだ。泣くと涙が真珠になる。きっと、転がる涙に慌てふためいている頃だろう」

「えっ!?に、にん……!?」

 

「ふっ、そんなに驚いて。じゃあ聖女様のためにここに連れてこようか」



「――アステル様ッ!!」

「!?」




 アステルが椅子から立ち上がった瞬間、緊迫した一声が発された。銀色の刃が彼の目前を通過する。

草の陰から立ち上がった影が複数。問題児と、刺客たちだ。



 誰よりも早く城壁の陰から飛び出したアイリスは、素早く手の内にある小さなナイフ――飛刀(ひとう)を投擲し、駆け寄る黒い影を仕留める。

 アステルが聖女を抱えたと同時に立ち上がったアリストが刺客達の足を払い、そこにテオーリアの弓矢が降り注ぐ。


 音もなく振られたリュイの刃がそれらの首を落とし、二陣目に立ち上がろうとした刺客はカイによって足を切られて地に臥した。



「お怪我はございませんか」

「――ない」

「パナシア様は?」

「あ、あ、ありません」


「よかった……」



 満面の笑みで振り返ったアイリスは、頬にある一筋の赤い傷跡を親指で拭う。

刺客から放たれた銀の粒からは毒の匂いがしている。

 アステルがそれを問おうとした瞬間、その傷は掻き消えた。




「お咎めは後で。まずは聖女様を安全な城内へお連れください。私達は周囲の確認をして参ります」

「頼む。衛兵にも通達しよう」

 

「はいっ!ありがとうございます!」 





 騒ぎを聞きつけた衛兵達が庭に集まり、彼らに囲まれながらアステルとパナシアは城内へ戻って行く。

 顔面を青く染めたカイはアイリスの頬をなでて、眉を顰めていた。


「お前、毒が効かんのか」

「アリ!貴方もいらしたの?あら、テオーリア様も、リュイ様も?」

 

「アイリスは飛礫(つぶて)が掠っていただろう、傷は?」

 

「ないようですね……」


「おっほん!!敵の攻撃は掠ってなどいませんわ。私は最初からちゃんと避けております。

 それより、刺客たちは誰か生きてますの?」

「「「…………」」」

 

「残念だけど全員死んでるよ」


「もう!ダメでしょう!全員殺してしまったら、尋問ができませんわよ!」




 アイリスの叱責に項垂れる男達、その中で……初めての殺人に手を染めたアイリスの手は震えている。

 

 それを沈黙のままそっと握りしめたカイは、同じものを見ていたアステルの視線に気づいた。

カイが彼を睨みつけると、アステルは視線を逸らして城内へと入っていった。

 

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