3-1 黒に選ばれし者たち
人の波、人の熱、そして歓声を宿し――黒の国、フォースオブアギアの結成式が始まる。
凛とした表情の選ばれし隊員たちは列を成し、オブシディアンコート/黒曜の庭に立っていた。
城下町の人々は広場の周りを埋め尽くし、100年ぶりの記念すべき日を待ち構えている。
この国の騎士団は全員漆黒の軍服を身に纏い、黒の国にふさわしく隠密を生業とする。
1から10の団に分かれたそれぞれが特徴を持つが、全てに共通しているのは隊員が〝派手な戦闘〟ではなく〝静かに暗殺する〟タイプの武力を持つ、と言うことだ。
戦時に相対した国は、戦線が開かれた瞬間に軍隊が壊滅させられることもしばしば。それは開戦前に勝負がつくよう黒の国が暗躍し、門前で第一騎士団が眺める前で敵軍が瓦解していく。それがいつものパターンだった。
黒を基調とした隊員たちの制服は、鎧を身につけたものよりも軽装が多い。その中でも、さまざまな分野に分かれた特質の制服を纏う者が少数いる。
アギアは特に変わった制服だ。
大きなフードがついた外套のマントを風に靡かせ、中には門番たちとは違い体にフィットした『コンプレッションウェア』を着用する。まるで、スパイのような、盗賊のようなその姿は屈強な面々の中では完全に異質だった。
黒曜の広場のショーステージには、すでにその服を身につけた三名が並んでいた。用意された玉座を守るように囲んでいるが、主人は不在のままだ。
「アイリス、この服ぴっちりして気持ち悪いよ……フードも大きすぎ。ほかに誰も着てないし、普通軍隊って鎧じゃないの?」
「静かになさい。今回は一般兵卒も新規参入するのです。アギアに入る人だけがこの服を身につけているのよ。数が少ないから見えないだけだわ」
「え、式典ってアギアだけじゃないの?こんな真っ黒な全身タイツ、恥ずかしいよ」
「カイ……その言い方はやめてちょうだい。これはアギアだけに許された隠密服なの。黒の国・黒の森に住まう伝説の龍の皮で作られていて、刃を通さないし、衣擦れが起きずにしごとができるわ」
「ええぇ……龍?すごいファンタジーだねぇ」
「私たち自身がファンタジーの生き物でしょう?」
「そうだけどさ」
うんざりしたような表情になったカイは、ハイネックを指先で伸ばして窮屈そうにしている。人魚はこんな服を着たことはないから慣れないのだろう。アイリス自身も確かな重苦しさを感じていた。
コンプレッションウェアの素材である、伝説の龍の名は知られていない。九つの首を持つヒュドラだとも、蛇だとも言われている。およそ1000年以上前に討ち倒された龍の革を使った隠密服は、伸縮性を持ち、着用した人間の体の形をあらわにしていた。
周囲にいる厳しい男たちは皆、外套がはためくたびに現れる、アリシアの体を見ては頬を赤く染めて目を逸らす。
カイの機嫌はどんどん悪くなり、ついに外套にくるまれたアイリスは天を仰いだ。早く式典が終わってほしい、と。
入隊式の会場は、華やかな祝祭のようだ。聖女がこの国に生まれ、育ち、国を救う稀有な力を著したことの表明でもあるからだ。
整列した隊員たちの列は、端から端まで視界を埋め尽くしている。
ざっと数えて数百人。年も体格もさまざまだが、誰もが『国を守る兵になるのだ』という誇りを抱き、この場に立っていた。
ようやく壇上に現れた一際背の高い男性――それはフードを被り、マスクをしてはいるものの『誰か』はわかる。少なくとも、アイリスとカイには。
海底の秘密基地で見慣れた、漆黒の瞳。それは夕暮れの日差しに僅かな紫を宿して煌めいていた。
「――これより入隊式を始める。まず、はじめに各々の配属部署から発表しよう」
玲瓏な声が広場に広がり、あたりは静寂に包まれた。彼の声は柔らかく優しい響きを孕みつつ、ここに集まったすべての耳に届いている。民衆たちさえもその異質さに気づき、口を閉ざした。
黒い鎧を身につけた屈強な男たちが10人並び、それぞれ手に持った巻物を読み上げていく。
全体で集められた人員は数百人に及ぶため、アイリスが所属する守護隊の発表までには時間がかかるだろう。
夕陽が完全に沈む頃、ようやくアギア隊員の名が記された巻物が紐解かれた。
宵闇に染まった紫の目がひたり、と隊員たちを見分けて見つめ、壇上に上がらされる。
「えっ、なにあれ。僕たち晒し者になるの?」
「そうみたいね」
「うーわ、嫌なんですけど。あ、マスクくれるんだ」
「そうみたいね」
「…………アイリス?」
「そうみたいね」
同じ言葉しか繰り返さなくなったアイリスを眺め、カイは視線の先を辿って苦い気分になる。
そう、アギアの長である彼は……。
「リュイ・フィガロロスティン」
「テオーリア・ロゴス」
「アリスト・パイロン」
「カイ・ヴォイシア」
名前が読み上げられるたびに緊張が高まり、アリシアは震える自分の指を重ねて胸の前で組んだ。
紫の目線が彼女に注がれ、マスクの中で唇が開く。
「アイリス・セレスティアル」
「――はいっ!!!!!!」
アギアにふさわしくないだろう叫びは黒曜の広場に響き渡り、隊長の瞼が大きく開かれる。彼はいつまでも直立不動で動かないアイリスを手招き、やれやれと言うふうに首を振った。
祝典は続き、隊員たちから決起の声が上がる。怒涛の音声を響かせる広場の黒曜は、月と松明の灯りに煌めいていた。
━━━━━━
「この後は宿舎へ移れ。配られた紙面に自分の部屋が記載されている――アギア隊。最後に呼ばれた四名はここに残るように。以上!」
兵士宿舎の前で、荷物を抱えた隊員たちは一斉に建物の中へと入っていく。アギアに選ばれた人間は総勢四十名ほどだったが、隊長を含め五名が残された。
宿舎の入り口脇にある門番の居所に連れられ、ドアが閉められる。
アイリスは背を伸ばしてその時を待つ。これから始まる尋問をどう受け答えしようか……それだけを考え続けていたがうまく答えられる自信はなかった。
前世から憧れた、愛した人が目の前にいる。その事実だけで倒れてしまいそうなほどに身体中が喜びに震えていた。
マスクを外した隊長は眉下までの前髪をかきあげ、椅子にかける。
直立したままの四人の隊員の前で足を組み、爪先を下に向けた。
(アァーッ!!!!!!!美しいですわっ!!!!!!!足を組むときは足裏を無碍にさらさない!そして椅子の背に体を預けず、すぐに立ち上がれる姿勢を保っていらっしゃる……)
心の中で彼に賛辞を送り続ける彼女は、その美麗な姿に完全に見惚れている。傍に立つカイも、真横に並んだアリも呆れたようにその顔を見つめていた。
「さてはじめようか。私はアギア隊隊長の『アステル・エオニオン』だ」
「エオニオン……?」
アステルの言葉にハッとして眉を顰めたのは、リュイ。彼はシルバーブロンドに薄い空色の碧眼を抱えた青年だ。
残された者たちはみな容姿が整っていて、美しすぎる。それは――このメンバー全員が『攻略対象』だと言うことに他ならない。
「私は質問を許していない」
「申し訳ありません」
「初日だし大目に見てやる。リュイが言った通り『エオニオン』の名がつく者はこの世に現在4人いる。
黒の国の王、王妃、聖女、そして私だ」
「あなたは王太子なのですか?」
驚愕の表情で問いかけたのは、アステルと同じ黒髪、黒目の青年。メガネをかけた冷たそうな容貌だが、発した言葉は人間らしい感情がこもっていた。
「私に王位継承権はない。正王妃の腹にいる、まだ産まれてもいない子が王太子だ」
「どう言うことですか」
「私が血縁ではないから。聖女が嫡外子、スラム街で出会って育てた兄が私だ」
「…………」
そう、アステルは両親を知らない。見た目は黒髪黒目で聖女と変わらないが、この国にはその色を持つ人間が沢山いる。だからこそ黒の国と呼ばれている。
そして、聖女は王のお手つきが生んだ少女であり……聖女を産む頃には王城から追い出されていた。
「数年前に流行した病のせいで、黒の国の王以外は全員死んだ。そして、その時聖女として見つかったのが私の妹。便宜上の兄アステルは、王族の苗字を手に入れ栄華を手にした不届きものだと言われている」
「――違います!」
自身の出自を皮肉げに話した、アステルの言葉を真っ向から否定したのは、アイリスだった。今回の入隊者では唯一の女性であり、人魚という珍しい分類の新入隊員は顔を怒りの赤に染めている。
「何が違う?」
「あなたはご自身の研鑽の上でアギアの長をお勤めです。聖女様のご威光を傘に着ているわけではありません」
「事実が仮にそうだとして、何故それを知ってる?お前はこの国の人間でも、王城内部に勤めていたわけでもないのに」
「…………」
沈黙し、顔を伏せたアイリスを睨んだアステルは瞼を閉じてため息を落とす。彼は、彼女を最大限に警戒している。
大切な妹を、聖女を脅かす人間ではないかと疑っているのだ。
「お前たちをここに残したのは、司令を与えるためだ。四人は入隊試練のトップ4。成績が優秀だから、聖女を直接の守護する事になる。だが……」
アステルが四人を見つめ、立ち上がる。鋭い視線をたたえたまま、順番に隊員の前に立つ。
「リュイ・フィガロロスティン。お前は身元が偽造だと丸わかりだ。書類の不手際が多すぎる」
「テオーリア・ロゴス。お前は入隊動機が適合してない。弓の腕がなければ不採用だった」
「アリスト・パイロン。名を偽るくらいしてくれ。私はアギアの長だ、情報収集には長けている」
三人三様の戸惑いを抱え、彼らはアステルから目を逸らす。
アイリスの前に立った彼は、一層厳しい視線でアイリスを見つめた。
「アイリス・セレスティアル……君は、」
「…………は、はい」
「全てが優秀すぎる、この年の熟練度ではないだろう。明らかに不審だ」
アステルの一言に、俯いていたアイリスが勢いよく顔を上げた。カイは額を抑えてしかめ面になった。
「暗器の扱いに慣れすぎ、世界の事情に通じすぎ、特に……」
「は、はわわ……」
黒の革手袋をはめた大きな手が彼女の顎を持ち上げた。アイリスの顔はどんどん赤くなり、奇妙な声が響き渡る。
「なぜ、黒の国についての情報を知っている?青の国は黒の国との接触が殆どないはずだ」
「ひぃ」
「暗器の腕前は文句なしだ。だが、どうしてこの国の政事情まで知っている? 外部の者が知るには不自然なほど詳しい。……カマかけに引っかかったのはわざとか?」
「あぁー無理、無理ですわぁ!!」
「…………」
「顔がいい……声もいい……ひぃ」
アイリスの奇怪な反応に、純粋な疑問の表情を浮かべたアステル。彼は従者であるカイに目線で問うた。
「アイリスはこういう性格なのです。事情を知っていたのは、あなたに憧れを抱いていたからです。暗器も小さな頃からアギアを目指し、扱っていました」
「アイリスは20歳だろう。同年の聖女が見つかったのは7歳だ。そこから暗器を使っていたのか?私に憧れて、というのは不自然だ」
「彼女の設定では前世からずっとあなたを……あ、」
「前世?」
「何でもありません」
「ますます怪しいな。同じ国から出てきたお前は従者だろう?ならば、」
「あ、あああぁ、アステル様……お許しください、御手が汚れてしまいます」
「………………」
涙をはらはらと振り撒き、アイリスは真っ赤な顔のままで告げる。頬を滑り落ちた涙は、いつの間にか真珠となって彼の掌にこぼれた。
「許容量を超えています、アステル様のお美しい顔が近すぎます。尊死しそうですわ、ぐすっ」
「……変なやつだな」
完全に引き気味のアステルは手を下げ、片眉を上げて彼女から距離をとった。手の内の真珠を眺め、ごほんと咳払いで気を持ち直す。
「とにかく、お前たち全員は成績だけで言えば直接守護を賜る私の直属部下にしたい。しかし、出自が怪しすぎる。
なにしろ……全員この国の人間ではないからな」
もう一度椅子に腰掛けるアステルを見て、アイリスはまたもや『尊い』と鳴き声をあげた。全員からの微妙な温度の視線を受け取り、カイは瞑目する。
「どうも調子が狂うな……、ハァ。話を戻すが、お互いの秘密を探るのが司令だ。アギアの仕事のひとつである、諜報をやってみせろ。期限は三日だ」
「かしこまりました!!」
「……返事はいい。宿舎に戻れ」
アイリスの叫びと、アステルの冷たい一言でこの場は解散となった。