10-4 裁定
――白亜の王城を臨む山の中腹、アステルを含む四公国の手勢がそれぞれの国の旗を掲げていた。
数は少ないが、ここに居るのは皆国を担う者ばかり。黒の国の王は自らの玉座から降りなかったが、他の国の王たちはこの戦にひとつ返事で参加することを決めた。
アイリスの同僚たち……王弟を介して星隔帯の内側に囲われた国々は今、革命を起こそうとしている。
白の国の軍はもはや機能していない。他国からの奉納金で賄われていた金はつき、その重職の殆どが空席となっていた。
五公国の中で護りの象徴とされた神聖国メセオは、今や呪いの根源として正体を表した。世界を救った初代聖女を利用し、原初の龍を騙し、聖女という歴代の生贄達を犠牲にして自らの地位を確立していた国は、もうすぐ滅ぼされる。
黒の国の旗の下、アギア制服だけを着てアステルが黒馬にまたがる。騎馬はアイリスが陸から上がって初めて足となった馬だ。
「アステル、本当にやるのか?俺は危ねぇと思うんだがな」
「やる。オレにはお守りがふたつもあるんだ」
「まぁなぁ、確かに戦中は矢が当たらねぇどころか避けてたし、刺されたかと思ったら剣が折れてたよな」
「刺されてはない。掠っただけだ」
「かすっただけで折れてんなら紛うことなき人外の護りじゃねーか。なんで気づかなかったんだ?」
「…………」
黒の国の元帥はアギアの長で、部下だったアステルを見つめた。最初から変な男だと思ってはいたが、まさかとんでもない血筋だったとは。
初代聖女と原初の龍の血を引くなら、リュイの立場は本来アステルのものだった。
世界の救世主であり、護国の犠牲となった人魚が先祖だと言われても本人はどうでもいいと思っているようだが。
さらに、カイから教えられた『絵空事の中の命』として自分の出自を語られても「それで終わりか?作戦を思いついたから早く軍議を」と宣った彼は、以前よりもずっと生き生きしている。
それは、愛する人の言葉が全てであり信じる物だから。他のことや真実など、どうでもいいのだろう。リュイが事実を知った上で動揺し、アイリスに問いかけて貰った答えは彼らにも励ましをくれた。
だからといって、本来はそう簡単に割り切れるものではない。『聖女革命譚』の存在は人魚の秘密を知る者たちだけに限られ、口外秘される事になっている。『知っていても何の役にも立たないから、記録にも残す必要は無いな』とアステルが一蹴した時は見ものだった、と元帥は嗤う。
その顔を横目で見たアステルは顰め面になった。
「何がおかしいんだ」
「いやはや、革命の主役に相応しいやつが俺の元部下とはな。面白おかしいぜ、これだけは作られたものじゃねえってのがまたいい。事実は小説よりも奇なり、だな」
「全然おかしくないだろ」
「まだあるぜ?統治を望まれた奴は、度胸がいいくせに王になりたくねぇとか言ってた」
「それは別問題だ。オレは王になりたくて白の国を落とす訳じゃない」
「さあてなぁ、その理屈が通じる奴が居りゃいいけどよ。無理だと思うぜ?簒奪した後、責任とらねぇってのは理屈が通らん」
「あんたがやってもいいと思うが。オレはアギアの長で、アイリスを助けたいだけだ」
「器じゃねぇよ、俺は筋肉でのし上がってんだから荒事しか知らん。出自も力量も、奥殿の名目も、全部が揃ってんのはそれこそアステルだけだろ。政治なんか出来る気がしねぇや」
「オレだってそんなモノやった試しはない」
「姫さんが助けてくれるし、お前頭いいだろ?腹黒いし、間違いなく出来るぜ」
大きなため息をついたアステルは、黒の国の旗を手渡されてそれを握る。胸元に下がるアイリスのネックレスに静かに口付け、目指す標的を見据えた。
「オレが上司になってもいいのか?」
「あぁ、構わねぇよ。アイリスがセットならな」
「じゃあ彼女を頂点に据えればいい」
「納得しねぇよ。アイリスは固辞する。夫婦喧嘩になって、お前は勝てるのか?」
「……無理だ、嫌われたくない」
眉を下げたアステルはまるで捨てられた子犬のような目をしていた。元帥のみならず、後ろに控えた王弟たちも、その家族も思わず笑いを抑える羽目になった。
「オレが王になるなら、出陣前にこんな空気にした責任を問うぞ」
「いいぜ?アイリスも似たようなことをよくやってたじゃねぇか。まぁ、無駄な緊張は体の動きが悪くなるだけだし、理にかなってる」
「アイリスを出されると何も言えない」
「くっくっ、面白ぇな。……姫さんは、不思議な人だ。王族の教育を受けてたってあんなふうに振る舞えるもんかね?
異世界ってのはさぞ優秀な奴が多いんだろうな」
「そんな事は無いだろ。アイリスは前世で辛い思いをしていた。ここと大して変わらないって事だ」
「さもありなん。――白の国の兵は少ないが確実に居るし、黒の国の王が作った木偶もいる。白の国の王が使う時間を止める神聖力が無効化できるかは不明のままだ、本当に独りで先駆けをやるんだな?」
「問題ない、先にオレが鼓膜を破ってやるから。神聖力は珍しいものほど集中力がいる。オレも、カイも、それを使いこなせるまで苦労した。……鼓膜が破れるのは結構痛いぞ」
「ま、そうだな。俺は単純な力でよかったぜ。……あいつらに、なんて言うんだ?」
「態々ここで言う必要は無い。オレの合図を聞き漏らすなよ」
「へいへい。気ぃつけてな」
アステルは旗を掲げ、馬の腹を蹴る。かけてゆく馬は、青の国の王が起こした風に乗って空を走る。
なれない浮遊感に内心驚きはしたものの、アステルはいつの間にかバランスをとって力強く走る騎馬と一体になる。
アイリスが飼い慣らした黒馬は、たいそう賢いらしい。思わず笑みを浮かべ、神聖力を使って叫んだ。
「――――オレの最愛を返せ」
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――風がやわらかく頬を撫でる昼下がり。柔らかな木漏れ日の下、石畳の上に腰を下ろしていた美しく儚い男は……まるで風景の一部のように佇んでいた。
彼が光を受けるたび、漆黒の瞳は深い青紫に染まる。木漏れ日の明かりが溢れるたびにそれは輝き、儚げに揺れる。
整った鼻筋に影を落とす前髪は風にそよぎ、形の良い唇は引き結ばれて何も語らない。
彼の長い指が向かい合った彼女の頬に差し伸べられる。ためらいがちに動いた指は、やがて存在を確かめるように柔らかな曲線を優しく包み込み、甘い吐息がこぼれた。
「――――、」
名を呼ばれた彼女は瞬きをして、彼の言葉を待つ。包み込まれた頬は朱に染まり、彼の仕草にときめく乙女の表情を浮かばせていた。
「俺は、お前が好きだ。これから先の人生は、2人で生きていきたい」
「………………」
「返事をくれないか。……今更都合が良すぎるか?」
「……すわ」
「……ん?」
彼女の言葉を聞き取れなかった男は首を傾げ、不安そうな表情に変わる。目の前のその女性と両思いだと知っていても不安なのだ。
心から、愛してしまったから。
華奢で小さな彼女は、潤いを帯びた唇を開き、眉間に皺を寄せる。
そして勢いよく立ち上がり、叫んだ。
「――解釈違いですわッッッ!!!!!」
「なんで叩くのよ!アステルがかわいそうでしょ!」
(確かにそうよね)
「パナシアが一番かわいそう、どうしてみんな手のひらを返したように、愛した人を冷たい目で見るの?一度愛された人にこんな風にされたら、すごくすごく辛いのに……」
(確かに、そうよね)
「愛した人なら改心できるように添い遂げなさいよ!うすっぺらい!」
(………………)
アイリスは映画館の椅子に座り、真横の少女を見つめる。彼女は、見た目がパナシアにそっくりだった。
黒髪、黒目、日本人らしい切れ長の目を見開いて『聖女革命譚』の映画を見ながらケチをつけている。
ストレス発散のためかと思いきや、アイリスが見た一幕以外の上映に必ずやってきている。ファンには間違い無いのだろう。
アイリスは、パナシアの中にいた同郷の人が思っていた本音がこれかもしれない、とそう思っていた。
カイが知っていた彼女の情報は、目の前の少女が代弁しているような気がしていたのだ。
聖女革命譚の終わりまでを知っていた事、前世ではそのゲームのお陰で『引きこもり』から脱したファンだった事。
そして、パナシアをチヤホヤして堕落させた男子たちをよく思っていなかった事、パナシアが好きだったこと、全てが不思議と一致している。
(聖女が異世界からの転生者だけで構成されていると言うのはどこで知ったのか、わからない。彼女はもしかして、公式の製作に関与していたのだろうか?転生とか転移は神様が一枚噛むのがセオリーだもの。
私には、そう言うのがなかったけれど)
ふと湧き上がった疑問は、目の前の少女が流した涙にかき消えた。スクリーンの中のアイリスはアステルを振り、笑顔で泡になって消えていく。膝をつき、彼女はスクリーンの前にへたりこむ。
「アステルは、できたはずなのに。あなたが兄である事は男子たちがいなくなっても変わらない。
あなただけが、パナシアを救えたはずなのに……」
「どうしてパナシアを忘れたの!?アイリスなんか愛してしまったの!?兄さんのくせに!パナシアを愛してたくせに!!!!!!!」
絶叫は会場に響き渡り、悲しげなピアノの旋律に馴染む。彼女の涙はとめどなく流れ落ち、深い悲しみを嗚咽が表している。
(パナシア様の中にいる子は、彼女を解放したくて異世界に来たのかもしれない。私がアステル様を救いたくて、アイリスになったように。パナシア様の性格が突然変わったのは、転生ではなく転移だったのでは?そして、もしかしてこの子は……)
目の前の少女はこちらに振り向き、怒りに目を釣り上げてアイリスに近寄ってくる。驚きのあまり、尻餅をついてしまった。
「アイリスは必要ないって証明したかった。男子たちも必要ないって言いたかった。
パナシアは、一人で立てる子のはずだった。諸悪の根源はアステルだと思う」
「なっ……」
「あなたもそう思わない?」
「…………」
アイリスに問いかけた彼女は、現代風の服からあっという間に衣を変えて……最初に会った日の『聖女姿』になる。今、この時点で初めてパナシアの中にいる命との対話が許されたのだと理解したアイリスは立ち上がり、背筋を伸ばした。
「たとえ責任の一端があったとして、パナシア様が自身の命題を疎かにしていたのは事実です。それはあなたの責任ですわ」
「そう育てたのはアステルでしょう」
「いいえ、パナシア様は、本来のああの方はそうではありませんでした。人々を愛し、弱きを助ける方でした」
「それは、強制されたからよ」
「どなたにですか?」
「貧乏だった環境もそうだし、誰かを助ければアステルは喜んだでしょ。だからパナシアは人を癒したんだから」
「アステル様はパナシア様の喜ぶお顔を見てそうされたのです。あなたにそうしろと一度でも仰いましたか?」
「…………」
「パナシア様を忘れたのは、パナシア様をお守りしたから。
彼はあの段で一度死に、生まれ変わったのと同じです。妹君は他の男を愛し、守られていた。何も責められる所以はありません。パナシア様を愛するからこそ思い出せなかったのではありませんか」
「再会した時に妹を思い出せなかったなら、あの人の愛はその程度の、」
「彼の方の愛を、バカにするのですか。命をかけて守られた……パナシアとなったあなた自身が」
腹の底から湧き上がる熱は、怒りだ。アイリスは異世界に生まれ変わってからここまでの激情を感じたのは初めてだった。いや、前世でもここまでの怒りを覚えた事はなかったかもしれない。
スマートフォンの中にいたアステルを失った時は、寂寥感と絶望が胸の内を占めていた。
だが、確かに自分の意思で生きているアステルを見てきた彼女の中には、今――偶像ではなく生きている人としてのアステルが存在している。
初めて会った時の怪訝な目つき、そして警戒はパナシアを守るため。仕事に対しては一切手を抜かなかった真面目さは彼の持って生まれたものだ。パナシアへの確かな愛は今、アイリスが違う形で受け継いでいる。
自分を眩しそうに見つめる時の優しい眼差し、上目遣いで許しを乞う時のあざとい愛らしさ。辛い現実から逃げる事なく全てを受け止め、誰かのために……大切な妹のために立ち上がって困難に立ち向かう時の美しさ。
そして、枕の上で幸せそうに微笑んだ時の柔らかな愛がこもった眼差しにある深紫は……どこまでも澄み渡り、何の穢れもない純粋無垢なものだった。
それは、パナシアもその中にいた彼女も知っていたはずだ。
「アステル様パナシアと同じ環境に育ち、彼女を守るために沢山苦労をされてます。でも、貴方のように腐った態度は一度も取っていません」
「…………」
「それは、パナシアが大切だったから。心の底では誰かを助けることを厭わない人だと信じていたから。
そんな妹君を愛していたからです」
「私のせいだって言いたいの?」
「はい、そうです。浅い所見でパナシア様の本当の心を知らず、アステル様や他の男子たちを知らず、俄プレイヤーが私見でパナシア様を侮ったからです」
「解釈違いって事?」
「ええ、全くその通りですわ。あなたは『聖女革命譚』の中の方たちを見くびっています。作られたキャラクターだからと中身を深く知ることも、考えることもせず上っ面の憐れみで……推しだった『パナシア』を見誤っていたのですよ」
パナシアの姿をした少女はいつしか病衣を纏い、頭に保護キャップを被った姿となる。聖女になる転生者は、皆前世で苦労をした人間に限られる……人よりも大きな苦痛を持った人は、より強い癒しの力を与えられると言う。
このルールはカイがパナシアから聞いたものだ。パナシアの中にいる者は何かに願い、この姿から察するに生まれ変わったのではなく……死の直前の意識のまま転移した可能性がある。
だとしたら、純粋な気持ちでパナシアを想っていたのかもしれないけれど。
だからと言って、パナシア一人のために誰かを犠牲にしていい理由はない。白の国が初代聖女を生贄に治世を敷いていたように、原初の龍が白の国に騙されて契約を結ばされたのと同じように……たとえ作られた世界だとしても、その中に息づく者たちを踏み台にしていい理由などありはしないのだ。
「アステル様も、パナシア様も、テオ、アリ、リュイ、そしてカイも誰一人として犠牲にしていいなんて思えない。
あの世界ではみんなが生きて、みんなが意思を持って、苦しんで、笑って、泣いて……確かに生きている」
「所詮は作られた世界でしょ」
「だから何だって言うの?異世界が存在するなら、そこに生きている命があるならそれはもう創作じゃないわ」
俯いた少女はボロボロのぬいぐるみを抱き、唇を開く。
「――あなただって、アイリスを犠牲にしようとしていたじゃない」
そう呟いた少女はふらりと立ち上がり、スクリーンの中に消えていく。
そしてそこには、哀しみに打ちひしがれるアステルが映し出されていた。




