10-3 守り
「それで、裏切り者に縄をかけない理由は?」
「今はその時ではありません。目下急務なのはアイリスを解放すること。真の裏切り者である黒の国の国王、パナシアを捕らえることです」
「リュイの言う通りだ。アステル、落ち着け。カイに怒りをぶつけても何にもならん」
「そんな事はわかっている」
騎馬が嘶き、不満気に蹄を鳴らす。手綱を握ったままのアステルは深い息を吐き、右手を剣の柄にかけたままカイを睨んだ。
元帥は膝から下を血まみれにしたリュイと、茫然自失したままのカイを眺めて髭を扱く。
アイリスが敵の手に落ちた――そう報告を受けたその瞬間、アステルから今までにない怒りの気配が溢れ出した。元々爪を隠す鷹だと思ってはいたが、ここまでの感情を露わにしたのは初めてのことだ。
天幕の周囲にいる馬たちは恐怖に駆られて逃げ出そうとし、隊員たちは必死でそれを押さえている。
引っ込みのつかなくなった殺気とも言える気配。ここまでの気配を抱えた奴は久しぶりだな……と元帥ニヤケそうになる口を抑えた。
そして、隠しきれない激情を抱えたままのアステルの肩を叩き、もう一度「落ち着け」と呟いた。
「ここはカイに説明してもらうのが一番だろ。俺達の姫君に対してひとかたならぬ想いを抱いてもなお、その命を危険に晒した大層な理由があるはずだ」
「あぁ、私も何か理由があるのだと思うが」
「アリやテオのおっしゃる通りです。隊長が感情に飲まれてどうするのですか。私は、彼女に未来を託すと言付かりました。アステル……あなたにです」
強くまぶたを閉じたアステルはもう一度息を吸い、空を見上げて瞳を開く。暮れなずむ空は優しい茜色に染まり、もうすぐ月の夜を連れてくる。
アイリスが月明かりに照らされていた姿を思い浮かべ、彼は奥歯をかみ締めた。
今までどんな苦難に陥っても、彼は一人で全てを受け止めてきた。
だが今回は違う。
愛おしい人が過酷な運命に晒され、それを仕組んだ者たちへの憎しみ。計略を見逃した自分への怒りが、どうしても収まらなかった。
彼の様子を眺めた元帥は含むような笑みを浮かべ、彼の人間としての感情を引き出したアイリスを思う。アステルは、大切な人の危機にはこんなにも心を揺らすのか……と。鉄仮面が取り去られた年相応の部下は、以前よりもずっと人間らしく、信じるに足ると感じられた。
「アステル、走ってこい。アイリスの愛馬で。お前に預けられた姫さんの足で」
「…………」
「お前の神聖力ならここでの話が聞こえるだろ?遠く離れてても。粗方聞いておいてやるから、頭を冷やして泣いてこい」
「泣くわけが無いだろ。オレは、自分が許せないんだ」
「だったら姫さんに貰ったお守りにでもキッスしてこいよ。お前は彼女に再会を誓うべきじゃねぇか?」
「…………」
「――お守り……お守りだって!?」
カイは突然立ち上がり、アステルに猛然と向かっていく。制しようとしたリュイを避け、テオーリアとアリストが衣服を掴んでも止まらない。そして、隊長服の胸元を力任せに開き、そこにある人魚のお守りを見つけた。
「アイリスのお守りだ……だから……アイリスは生贄になったんだ。僕は、そのお守りがあるからと油断していた」
「アイリスのお守りが、なにかあるのか?」
「あるよ!!!どうしてアステルがこれを持ってるのさ!!!
アイリスは、お守りを持っていたら怪我なんかしなかった!!!生贄にならなかったのに!!!」
「……彼女が出立時に貸してくれたんだ。小さな頃から身につけていたと言っていた」
「そうだよ、それはアイリスにしか本来意味を持たないものだった」
「意味を持たない?アイリスはオレを守ると言っていたが。しかも、同じものをオレはもうひとつ持っている。石の色が違うが」
「え……」
アステルがポケットから取りだしたもうひとつのネックレス。それは金属部分が特有の年月を経て熟成した色に包まれ、赤い石を抱いていた。
「そ、それって!!」
「見せてくださいませんか、隊長!」
「ああ、構わない。これはオレが捨てられていた時に身につけていたらしい。不思議なことに、アイリスがくれたお守りと同じデザインだった」
カイは震える手でその赤い石のお守りを受け取り、リュイと見つめ合う。2人はゆっくりと頷いた。
「間違いありません。これはユーディアライト、初代聖女様の涙の結晶です」
「青の国の王族の血を引くなら、全部の秘密を打ち明けられる。悪いけど、馬には乗れないよ……アステル」
「一体何の話をしているんだ?これが何か、」
怪訝に眉をひそめたアステルの肩に、誰かの手が置かれる。その瞬間に背筋が粟立ち、彼は硬直した。
彼の背後に現れた人影を見て、目を剥いたカイは膝をつき、首を垂れる。
「――お前がアステルか」
「…………っ、」
「儂の気配に慣れるまでしばらく時をおけ。久しぶりに海から出たのでな……力が抑えられない」
低く、嵐の夜の風に似た荒々しい声が遥か頭上から聞こえる。宵闇に染まりつつあった空は漆黒に染まり、星空を隠した。渦巻く雲は雷鳴を轟かせ、雨を降らせる。
雨の礫が大地に跳ねると、そこに人影が次々と現れる。それらは人の形をしてはいるものの、地上の人間にはない色をそれぞれが髪と瞳に宿していた。
数十人が姿を現し、アステルと背後にいる大男に向かってカイと同じように膝をつく。
そして、アステルの方に手を置いたままの老人が小さく呟いた。
「我は青の国の王でありアイリスの父だ――初めまして、婿殿」
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――人魚のお守りは、海神の力を宿している。それは、王族のみに与えられるもの。海の国を作りたもうた海神は姿を現さずとも生きていて、その血族を守るために『本人のみが使えるお守り』を下賜する。ネックレスを握って生まれた人魚は等しく海神の庇護を得て、その長い長い一生を守られる。
「というわけで、それはアイリスの生命線だよ。これがあれば何人たりとも彼女を傷つける事はなかったんだ」
「――そんな大切なものを、なぜオレに」
「アステルがアイリスの認めた番だから。それから、もう一つのお守りは初代聖女のものだよ」
「カイの言う通り、この目で彼女の涙の結晶を見てきたので間違いありません。アステル隊長は初めて海から上がった人魚……初代聖女様の末裔であり、原初の龍の子孫です」
元帥が明け渡した天幕の中、アステルを中心にアイリスの父である青の国の王、そしてカイとリュイ、アギアの同僚達が肩を並べている。
カイは人魚の秘密を話すのならば人払いを望んだが、青の国の王はそれを引きとどめた。
「状況を整理させてくれ。……ください」
「婿殿、気を遣わずとも良い」
「は、しかし」
「我が良いと言っている。忠告はしておこう。ここに居る者たちは、皆この話を他言すれば命はない。王族が他の人魚に話せば死せねばならぬのと同じように」
「それは、どういう意味でしょうか」
「白の国の、お前の首についていたものと同じ呪いだ。具体的には影の者を付ける。……いや、呪い自体はすでに意味を為さぬものだが」
「え……?あっ!」
青の国の王はリュイの首に嵌められた輪に触れる。すると、それが粉々に砕け散った。
「白の国が用いた呪いは解かれた。これもアイリスのもたらした福音だ」
「そうですか……」
「ここに居る人間は皆、我の末娘が見出した者たちだ。そして婿殿、お前はこの五公国を一つにする最初の王となる。それを支える者たちには情報を与えねばならん。王国を拵えるのだから」
「陛下、拵えるって……」
「カイ、アステルは初代聖女原初の龍の血を引く末裔、そして我が娘が番と認め、守りの効力を成している人間なのだ。今は分たれている国の理を壊す……アイリスはその星の宿命に生まれた」
「革命を、という意味ならそうだね。でも、王になるとか国を一個に纏めるとかは聞いてないけど」
「ようやく海神の預言の意味が通じるようになったのだ、この段になって。王族が生まれる時は必ずその命題が与えられる。しかし、内容が難解でな。
して、海から上がる時にもう一度天啓があった。仲間内には話しても良いと」
「海神様もテキトーだね」
「ふっ、そうだな」
「預言やら海神やらは置いておきます。……このお守りはアイリスにしか効果を出さないのではありませんか?オレはアイリスに借りただけです」
「否だ、婿殿。これは下賜された王族が認めた番、そして後継者には効力を生む。お前が真に血を受け継いでいなければ初代聖女のお守りは効果を成さず、アイリスを愛していなければ同じこと」
「オレが持っていたらアイリスは守られないのですか」
「婿殿が持っていても、あの子は守られない。あくまで、それを手にした者自身の命だけに効力を成す。気をつけろ、下手に手出しをされると海神の雷撃で相手は黒焦げになる」
「……はい。それは納得出来ましたが」
「眉を顰めるでない。まぁ、王だの何だのは儂の戯言と今は流して良い。今は、な」
意味深に笑む青の国の王は快活に笑い、そばに控えた従僕たちも笑みを浮かべる。人族よりも長く国を治め、生きてきた彼はアイリスによく似た仕草をしていた。見た目はいかつくともその動きを見ているだけで、仲間たちはほっとと息をこぼすほどに。
「さて、簡単に話そう。カイ」
「え、陛下が話す流れじゃないの?」
「儂の娘をむざむざ生贄にしたな?しかも、お前の策は失敗している」
「…………」
「影の一族が語って良いものではありませんよ、陛下」
「そうは言っても、長くなるだろう?面倒だ」
「カイ、諦めた方が良さそうだ」
影の一族の長はヒラヒラと手を振り、カイにさっさと話せ、と伝えている。口を閉じて初代聖女のネックレスを指先で弄ぶ青の王は、口を引き結んだ。
「………………はぁ、そうだね。罪人が口を開くべきだろう。これは、僕の大失態の話なんだから」
俯いたカイは膝の上で拳を握り、いつもより数段低い声で語り始めた。
――青の国は海神の血を引く王族を戴き、その血肉を口に入れたものは不老不死になると言われる。ただし、番と認められた相手と血族は難なくその恵を享受できるが、それ以外の人が体内に取り込めば大概が死に至る。
白の国では正当な後継者である初代聖女、原初の龍の子孫を追い出し、その特性を利用して初代聖女の遺骸を生贄として星隔帯を築きあげた。
――原初の龍と初代聖女の出会いは、遥か昔に約束されていた。
始まりは童話に記されている。ゾーイが見つけた本は人魚の王族に伝わるもの。海で難破した男を海神の娘である人魚が助け、恋をする。だがしかし、すでに妻帯者だった男と結ばれる事はなく、その子孫を守った後思いを果たせなかった人魚は泡になった。
だが、泡になった人魚はその後その男の末裔によって魂を取り戻した。泡から風の精霊になった彼女は、世の戦に憂いて悲しんでいた。その涙を拭って愛したのが血肉を食した子孫の人間だ。
幼少期に人魚から血肉を与えられて、自分が病で死ななかったのは彼女のおかげだと彼はわかっていた。そして、自分の救世主であり長い時を生きる運命を与えられた、悲しい人魚を想い続けていた。
人ならざるものに愛された男の子孫は長き時を経て原初の龍となった。その理由は定かではない。
原初の龍となった者は風の精霊だった人魚を愛し抜いた。戦を彼女のために収め、平和な世で結ばれるはずだったが、身に負った疵は、呪いは……人の作った怨念は彼を殺した。そして、後を追うように亡くなった初代聖女を先祖に渡したくなかったのだ。
だから、血の泉を……赤の泉を作って初代聖女の魂を閉じ込めた。それが、星隔帯のできた理由だ。彼女を閉じ込めて再び巡り会うために光の檻をつくりあげたのだ。
「さて、ここから先は僕と……リュイ、ゾーイ、主犯側の奴らしか知らない話になる。そして、君たち全員がショックを受ける内容だってことも伝えておくよ。
陛下、あなたにもです」
「ほう?いいからさっさと言え。これから仕事が山積みなのだから。人の足は痛くて敵わん」
「そうだね、僕も最近やっと慣れて痛みがなくなったよ」
「痛み……?人魚が足を得ると、痛むのか?」
「うん。人間たちは誰も気づかなかったでしょ?歩くたびに最初は激痛だったから、アイリスも僕も泣きながら黒の国に来たんだ。懐かしいな……遥か昔のことみたい」
カイの言葉にアステルは沈黙し、仲間たちも呆然としている。アイリスとカイが抱えた秘密は紐解かれ、今まで成してきた事がその苦痛の上で成されたと全員が知った。
苦しみなど一切悟らせず、様々をこなしたアイリスを思う。そして、彼女を想うカイも同じものを抱えたままで奔走したのだとようやく理解できた。
「その顔、分かりやすくなったもんだね隊長さん。……僕を簡単に許さないでね。アイリスを守れなかったのは事実だよ」
「…………カイ」
「あの子は泡になる為に陸に上がったんだ。そんなの、耐えられないよ。たとえアステルのことが好きでも、アイリスは僕の最愛で世界そのものだから。
だから、ここから先の話も受け止めてくれる?」
「当たり前だろ、オレのことなどどうでもいい。アイリスを助けたいから早く言ってくれ」
力強く頷くアステルを見て、カイはぎこちない笑みを浮かべる。彼もまた、仲間たちと同じように敗北を知った。




