10-2 終着地
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「しかし、ここまで敵がいないとは驚きましたね。なんの障害もなくここまでたどり着いてしまいました」
「あからさますぎる誘導っぽいけどもうどうにもならないよねー!さて、原初の龍さんと初代聖女の……マリアさん?話を聞かせてもらおうかぁ」
リュイとゾーイに促され、柔らかな白い光に包まれた原初の龍と初代聖女のマリアはうなづいた。
二人は枯れた泉の中に座り込み、身を寄せ合う。数千年ぶりに再会したばかりだが、あまり時間は残されていない。
白の国の城内を駆け抜け、誰にも邪魔されずに地下の聖堂に辿り着いた一行は、あっという間に予定していた作戦の半分をこなしてしまったのだ。
枯れた泉の元に辿り着き、初代聖女に人魚の血を与えて蘇らせた。
時が止められていたものの、その枷は緩んでいたのだ。彼女自身の生は一度終えられていたのに、白の国によって瀕死のまま泉へと生贄にされていた。初代聖女の体は、もう寿命をとうに過ぎて神聖力を使い果たしていた。
「あ、あの……申し訳ありません。せっかくの再会ですのに、こんな風に急かしてしまって」
『よい。我らは言葉を交わさずとも通じ合える。マリアは口がきけぬのだ、私が全てを話そう。
この物語はマリアの死後から始まる』
巨大な体躯から生えた尻尾を、細やかなマリアの体に巻きつけた原初の龍は語る。この世界の理と、呪われた物語を。
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「――、」
瞼を開けて見えた世界は、眩しい光に包まれていた。たくさんの色、たくさんの音に体が勝手にびくりと跳ねる。先ほどまで見ていた夢の余韻も消し去るほどの衝撃が押し寄せていた。
目覚めたアイリスは思わず言葉を失った。
ここは、彼女が前世暮らしていた日本。灰色の空からは氷のつぶが降り注ぎ、季節の移り変わりを教えている。
街路樹の葉の上に積もった白い雪に触れようとして、自分の手が透けていることに気づいた。
そう、彼女の体は現代において既に失われている。死後肉体は焼かれ、骨になり、埋葬されたあとだ。
「ここは、どこなのかしら……前世で住んでいた村じゃないのは確かだけれど。というか、私は今どうなっているの?」
自らの声は謎に揺らめき、まるで山々に響き渡る山彦のように反響している。アイリス・セレスティアルが異世界で新たな生贄となり、その時着ていたアギアの黒い隊服姿は街中では目立つはずだ。しかし、誰も彼女を目に止めて居ない。
肉体を失っているのならば――今の自分は『幽霊のようなもの』と考えると、なんとなく落ち着くような気がした。
透ける手のひらを眺め、アイリスは辺りを見渡す。なぜ現世に戻ってきてしまったのはわからないが、とにかく何かをしていなければという思いだけが先走る。
それは、盲目だった彼女が初めてこの世界を目にするからだった。
異世界で見てきたもの、匂いや感触から該当する物体は理解できたが、それよりも文明が発達したここには、知らないものばかりが溢れている。
「この大きな木は何かしら……どうやってこんなふうにキラキラしているの?音楽が流れているのはどこから?
わぁ……コーヒーの匂い、と言うことはここが憧れのボックスコーヒー?わあああぁ!」
彼女は雑踏に紛れ、クリスマス一色になった街を歩く。行き交う人々もさまざまな顔貌をしていたが、やはりあの世界とは違うのだと実感する。
命のやり取りをしていた世界ではなく、ここは沢山のものが溢れている。
平和で、幸せな世界……それが全てではないと知っていても、やはり別世界なのだと知った。
「聖女革命譚!大好評上映中!!」
「えっ!?」
ビルの上に掲げられた大きなビジョンに、突然パナシアが映し出された。硬直したアイリスは、驚きのままに映し出される画像を眺めた。
『あの日、あの時、あの瞬間に私の〝兄〟は死んだはずだった。私を、世界を守ってくれた。たった、1人で……でも、あの人は帰ってきてしまった』
パナシアが黒い背景を背負い、スポットライトを浴びる。そこに次々と現れる五人の男性の影。
一人一人にスポットが当たり、彼らの声が流れた。
『あなたはもう聖女ではありません』
『私をどこまで失望させる気だ』
『ホント、がっかりだよ……君には』
『あの頃の嬢ちゃんはもう居ない』
リュイ、テオーリア、カイ、アリストがそれぞれの国の軍服を着て、険しい顔をしている。最後にスポットが当たったのは……アステルだ。
彼だけは軍服を着ずにラフなシャツとスラックス姿で、純粋無垢な笑顔を浮かべていた。
『――お前は、誰だ……?』
『オレに妹が居たのか?パナシア……いや、記憶にない。何もかもを忘れてしまっているから』
「もしかして、私が知らないストーリーの続き……?」
アイリスが呟いた瞬間に画面は暗転し、文字だけが浮かぶ。
【アステルの帰還】
【全てを失った彼が得た新世界】
【そこにあなたは居ない】
【最後の楽園でアダムとイブになる】
【それは、誰なのか――】
【聖女革命譚、新話解放】
「あー!あのゲームやってたなー」
「私も!え、誰推し?」
「リュイが好きだったよ!ヤキモチ王子最高。呪われた生まれも可哀想だけど、出汁の利いた味だよね」
「私は断然テオ様!頭が良くて、冷たそうに見えるけど本当は甘えん坊だし、忠犬ハチ公じゃん!」
「えー、私はアリストだなー。アウトローなのに目指す未来がヒーローすぎるし、主ちゃんを手放しても、誰かと幸せになるのを心からお祝いしてくれそうじゃない?」
「ここまで話してカイがいないとかあり得ないんだけど。飄々としてるのに愛が重いとか最高です」
「てか、アステル推しにとって今回の映画まじツラタニエンなんですけど。百億年待ってた再会がこんなとか……」
「「「「あーね……」」」」
雑踏に紛れて聞こえた、聞き慣れた名前。そう……この世界では、彼らは作られた存在だった。
そして、アステルはすでに死んでいる設定で、その続きがなんと映画になっているらしい。
「それより、あれよ……〝アイリス〟が凄すぎて何も言えなくなったわ」
「〝アイリス〟が主人公でいいじゃんもう」
「〝アイリス〟がパナシアを倒してくれてもよかったのに」
「私もそう思うわー。でも、サ終するから最後の悪あがきじゃない?」
「「「「確かにー」」」」
飛び跳ねる心臓を両手で押さえ、アイリスは五人の少女たちの元へ向かう。
先ほどの話は聞き間違いである、とそう願いながら。
「私さぁ、映画の内容がよくわからんかったよ。結局あれは、主ちゃんであるパナシアが悪役でいいの?」
「そやねー、五人の男に愛されて世界革命しちゃったから傲慢になったんでしょ。まぁわからなくもない」
「現実って厳しー!」
「でもさぁ!だからこそ、やっぱ〝アイリス〟を選んで欲しかったよ私は!!」
「だよね、あの子は何も悪くない。なんで泡になったんだよ……やめてくれよ……救われねぇ」
「アステルがあそこで、さっさと選んでれば生き残ったのかもね」
「「「「それな」」」」
聖女革命譚がサ終……つまり、ゲームの配信が終了しているのは間違いないようだ。そして、いままで主人公だったパナシアは悪役になり、新しい正義としてアイリスが登場していた。
それは、ストーリーの破綻を示している。ゲームのサービスが終了しているのならば、理由があったはずだ。しかし、アイリスの前世では大人気でセールスランキングもずっと一位を獲得していたはずなのに、なぜ?
映画の告知からニュースに切り替わったビジョンは、世界情勢を映し出した。
それは、『聖女革命譚』の配信会社があった国が――巻き込まれた戦争だった。
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アイリスは、誰もいない映画館のスクリーンの前で呆然と立ち尽くしている。
大きく映し出された画面には、絶望して涙を流し、時折絶叫しては何かを必死にかき集めるアステルがいた。
「兄さん、そんな事したって無駄だよ。この世界に残されたのは、私とあなただけだから」
「………………お前がオレを見つけなければ、オレを勝手に閉じ込めなければ、オレはアイリスと幸せになれた」
「残念だけど、アイリスはもういないわ」
「――ッッッ!!!」
アステルは血走った瞳を向け、胸にある何かを握りしめてパナシアを睨め付けた。
床に散らばったダイヤモンド、そして、パチパチと音を立てて消えゆく泡が映し出される。
「私を殺してもいいよ、兄さん。あなたにはその権利がある」
「よくも、のうのうとそんなことが言える。オレを助けてくれたアイリスと引き離して、閉じ込めて……この世界を消し炭にしたお前が」
「うん……なにもかも、最初からやり直さなきゃ。私たちは憎しみ合っている。それでも、アイリスは自分で泡になったんだよ」
「…………はは、は……はははは!!!――く、ぅ……アイリス……アイリス……どうして……あぁっ!!」
アステルは大の字になって大地に倒れ込み、狂ったように笑い、泣いてアイリスの名を呼ぶ。
手に握ったそれは、彼女のくれた人魚のお守りだった。ネックレスの先には、アギアの同僚だった王弟たちと同じく宝玉がぶら下がっている。
だが、彼女は王位継承権を持たない。ネックレスには透明な小さい石だけがあり、太陽光を跳ね返して煌めいた。
あれは、海神の守りが宿ったものだ。
あらゆる災厄から身を守り、それを持つものに手を出せば恐ろしい力が動いて海神が手を下す。お守りの持ち主を守るために……その敵を、倒すために。
「私たちはやり直さなきゃいけないの。私が壊したこの世界を。私が壊した兄さんと一緒に」
「今度こそ、聖女として……革命してみせる」
「……うそ、でしょ?」
上映が終わり、会場の明かりが灯される。掃除員が客の入らなかった室内を簡単に見回り、すぐに出ていった。
アイリスは膝を落とし、頭を抱えた。
残酷な現実とはこの事だ。聖女革命譚という乙女ゲームのサービス終了は、世界情勢という理不尽な理由だった。仕方ないとは言え、消化しきれない気持ちが製作側にはあったのだろう。
その鬱屈晴らしに作られたと言っても過言ではない物語が、公式のものとして今この世界には確かにある。誰も幸せになれなかった物語が。
「本当に、解釈違いですわ……」
ポツリと呟いた言葉は、誰に聞かれることもない。がらんどうのシアターが、聖女革命譚の最後を示しているようだった。
「タダで映画見ちゃった。これぞ映画泥棒……あはは、アステル様の叫びなんて初めて見た……」
アイリスは映画館から出て、力なくベンチに腰かけた。映画は内容も衝撃的だったし、好きだったゲームが既に終わってしまっていたことも彼女を打ちのめしている。そして、上映期間最中に誰も見に来なくなってしまったことを考えれば、酷評を受けているのは間違いない。
それはそうだ、今まで日々を過ごしてきたパナシアも、それを取り巻く彼らも、命をかけて戦ってきたと言うのに。束の間の安息を得ても、あの最後では浮かばれない。
体の力が完全に抜けて、アイリスはただベンチに全てを預けた。このまま、死んでしまいそうな気すらしていたのだ。
「あ!い、いけめん!」
「こら!どこに行くの!?」
「ママみて!いけめん!」
「あら、本当ね……」
小さな少女と、母と思しき女性が聖女革命譚の看板に駆け寄る。中央に大きくクローズアップされたアステルを見て、少女は頬を赤らめていた。
「あ、この映画は年齢制限があるから見れないわよ」
「ええぇ!?どうして!見たい!」
「だめ。大人になってからまた見ればいいじゃない」
「やだあああぁ!今!今がいい!!!!わーーーーん!!!」
大きな声で泣き出してしまった子を抱え、母が眉を下げてあやしている。時計を見て慌てて歩き出した瞬間、少女は目の前にあるアステルの顔にキスをした。
「こらっ!この子はもう!恥ずかしい事やめなさい」
「恥ずかしくないもん!好きだからチューするの!!」
「はあぁ……私が悪かったわ。英才教育を施した私が」
「ママはしないの?」
「大人には越えられない壁があるのよ」
「へんなの!好きならチューすればいいのに!」
「……………………な、なるほど」
一連の様子を眺めていたアイリスは静かに立ち上がり、看板の目の前に立つ。
あの世界で現実の人として見てきた彼が、板一枚の上に紙として貼られ、色褪せてこちらを見つめている。
普通ならば、あの子のように看板にキスなんてできない。人の行き交う都会で衆目があり、そんなことをしてしまったら完全におかしな人でしかないから。
だが、今のアイリスは誰にも見えていない。そして、いつまたこの世界から彼方の世界に呼び戻されるかわからないし、サ終ということはこの看板を見られるのも、あの映画を見られるのも今だけだ。
指先で彼の顔をなぞり、アイリスは胸の中に生まれた鼓動を受け止める。
肖像画を何枚も描いてきたのに、こんな事今まで考えすらしなかった。
アステルは最初からアイリスの唯一の星であり、道標であり、不可侵の神だったから。
「………お許しください、アステル様」
背の高さは、看板にも正確に反映されている。そして、顔貌も。公式の写真なのだから当たり前だが、絶望に打ちのめされたばかりの彼女はそっと背伸びをして……彼の唇に口付けた。




