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2-2 出奔


「…………よし、これで準備完了ですわ」



 自室の大きな窓の下にうずくまり、サンタクロースが持つような大きな袋を抱えたアイリスは小さく呟き、頷いた。

 後頭部で揺れる髪。全身黒づくめのぴったりとした衣服が艶やかな革の光を放つ。消えた灯りの中、その姿は月明かりに浮かび上がる。


 彼女はデスクの上に飾られた写真を撫で、総勢三十名ほどの多すぎる家族を一人一人指先でなぞる。



 異世界転生してから20年。彼女は確かにこの国の住人として生き、王女として生まれたがゆえにさまざまな好条件の上で育った。優しい父、厳しくも愛してくれた母、破天荒な行動を繰り返す彼女に呆れながらも結局は手伝ってくれた姉達。

 潤沢な経済資金のおかげで様々な教育を一流の師匠のもとで学び、またそれを余すことなく吸収した彼女は心身ともに熟している。

常人のそれではないポテンシャルは〝転生者〟であることが大前提ではあるものの、彼女自身もまた努力を欠かさなかった結果が自分の中にある。そう確信しているからこその迷いのなさが瞳に宿る。


 生まれてから全ての時間を『アステルに会うため』と一心不乱に費やしてきたが、家族の温かさに守られていたアイリスは、郷愁を青の国・人魚の家族や友人達に憶えている。

 前世では孤独な最期を迎えた自分がこんな風になるなんて、と感慨深くその感情に浸っていた。




「皆様、私はもうこの国に戻ることはありませんわ。アイリス・セレスティアルは聖女守護隊に入隊し、前世からの悲願を遂げなければなりません。……どうかお元気で」


 そう言って写真立てをデスクに伏せ、窓の鍵を開ける。海は夜に黒く染まり、眼下に見える街並みはわずかな光を湛えてゆらめいていた。

 もらった恩を返さずに去るのは心苦しいが、彼女には命題がある。それを必ず成し遂げなければならないと生まれた瞬間に決めたのだ。


 もちろん、王女であるアイリスに他国の軍に務めることなど許されるはずもない。ともすればこのように出奔するしか方法は残されていなかった。

 分厚い置き手紙を用意して、貯金をして、彼の国に行く用意も準備もコツコツしてきた成果はサンタクロースの袋の中に詰まっている。


  


「アステル様が長く生きれば、この国にもきっとメリットがありますわ。もしくは……そうね、わたしが陸に行けば何かしら縁を結べる。

 何かしらのご恩はお返しいたします!さらば青の国!!」



 大きな袋を抱えた漆黒のサンタクロースはひっそりとその窓から外へと泳ぎ出た。



 ━━━━━━


「あらぁ?おかしいですわね、ここに集合馬車が居るはずなのに」



 真夜中の路上、誰もいない街角でアイリスは辺りを見渡し途方に暮れている。青の国から外に出たことのない箱入り娘は、情報源を港町の新聞で手に入れていた。

 自分が生まれた国が人魚の王国であること。人とは違う命であること、陸に上がっても二本足が勝手に生えるから問題ないと言うこと。そして、自分の愛した男が存在していること。


 彼女は20年の間に自身を鍛え上げ、ただ一人の男に会うためだけに研鑽を積んだ。そして、その始まりとなる王国騎士団の試験を密かに受け、合格を果たしたのだ。


 薄い布の外套を翻し、顎に手を置いた彼女は首を傾げる。青の王国に程近い港町から目的の黒の国までは、馬車で三日かかる。

町外れの集合馬車の乗合所で途方に暮れていたアイリスは、自前のメモ帳を取り出した。




「間違いなく情報では昼夜問わず馬車が出ている、とありますのに。馬車どころか人っ子一人おりませんわ。

 ……どういうことですの?」


「――今日は土曜日(ガイア)。人々は休息を摂る日だよ、うっかり姫」

「まぁ!うっかりしていましたわ!では馬車便もおやすみですのね。

 そうならそうと早く仰って……え?」



 当然のように独り言に返ってきた言葉。聞きなれた柔らかな中高音の声。そして、揶揄の言葉に姫をつける癖のある語尾。

 アイリスの瞳にはこっそり別れを告げたはずのカイの姿が映っていた。


「か、カイ!何故ここに!?」

「そんなに目を開いたらこぼれ落ちちゃうよ。美しい深海の雫が」

 

「クッサ!そうじゃありません!何故あなたがここに?そ、そ、その髪!!」



 アイリスの瞳とお揃いの深い青の髪をかきあげ、彼はニヤリと意地悪そうな笑みを浮かべる。癖毛のロングヘアは短く整えられ、無造作に崩されていた。

 人魚は皆、婚姻を結ぶまでロングヘアを保つはずなのに。アイリスは二つの驚愕を抱え、思わず口を開く。



 

「似合うでしょ?隊の規則には男子短髪って書いてあるから、仕方なく切ったんだ」

「そんな、あなたの綺麗な髪が……ではなくて!あなた、どうして陸に上がっているの?」

 

「そんなの決まってる。おてんば姫と一緒に黒の国の聖女守護隊に入るためさ」

「え?えっ??」


「僕の予想通り、無事彼の国に着けそうにないよね?集合馬車は月曜日(セレネ)まで出ないよ。

 入隊式は週の真ん中木曜日(ドリュアス)だ」

 

「そんな……月曜日まで待っていたら間に合いませんわ。宿舎の手続き、入隊書類の記載があるから水曜日(オケアノス)の日昇までにつかなければなりません」


「そうだろうね。さて事実に僕のサプライズを流された真珠姫、君は馬にも乗れたよね?」

「カイ……あなたに黙って国を出た私が悪かったですわ。どうかお助けくださいまし」




 アイリスは掌を胸の前で組み、膝を折って正式な礼で頭を下げる。カイはその洗練された動作に目を細め、深く頷いた。


「仰せのままに、真珠姫。僕は陸に上がっても君の召使を務めるよ」

「カイ……」


「君が海に戻らないならばそこはもういるべき場所じゃないんだ。さ、乗って」

「………………」




 宵闇に溶けるような黒毛の大きな馬がカイに引かれ、姿を表す。艶やかな毛並み、深い色の瞳を持つ獣の背丈はアイリスをゆうに超えている。

 ひらり、とそこに飛び乗ったカイが手を差し伸べ、彼女はそれを握った。


「カイ、いつの間に乗馬を習いましたの?」

「習ったことはないよ。イルカに乗るのと変わらないって、乳母が言ってたから問題ないでしょ」

「え゛?」

 

「君は?乗れるの?」

 

 アイリスは小さく頷き「はい」とつぶやく。前世で若い頃、乗ったことはある。その時智慧のある生き物に乗ることの難しさは知っていた。馬は賢く、人を侮ることもある生き物だから。


「じゃあ行こう。経由地点の町に替えの馬を用意してあるから、この子がとんでもない鈍足でない限り入隊手続きには間に合うはずだ」


 


 カイの言葉に不満げに黒馬は鼻息を漏らす。力強い彼の腕によってアイリスは軽々と馬の背に乗る。

地面が遠く感じるほどに高い騎乗位から見えた景色に呆然としているうち、準備は整った。


「行くよ、アイリス!」

「はいっ!!……待って、あなたもしかして守護隊の試験に受かったんですの?」


「もちろん。では出発!」

「えっ、ちょ、待っ……キャーーッ!!」




 アイリスの悲鳴、カイの笑い声、馬の嗎きと共に旅が始まる。彼女の命運をかけた、最果てへの旅路が――

 

  

 

 

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