7-5 広がる波紋
「すごいよアイリス!あんなふうに原初の龍が姿を現すなんて……ワシが見た本の中には、そんな記述なかったんだからね!」
「うふふ、ゾーイったら。彼の方は『ご機嫌が良いから』と仰ってましたよ?たまたまでしょう」
「本当にそう思う?ワシは千年以上の歴史を知ってる。そりゃあ多少の改変はあるだろうけど、こんな出来事が記されないなんてあり得ない!」
「そ、そうなんですの?」
「そうとも!ワシは、こう思うよ。本当の聖女は……」
「ゾーイ」
興奮し切った様子のゾーイを抱きしめ、アイリスは目を瞑る。
その先を言ってはいけない。そう言葉にせずとも、彼には伝わるはずだ。
「聖女様は、いまの五公国で唯一の方よ。私は代わりをしているだけなの」
「でも……」
「私がそれ以外の役割を持つことはないと思うわ。パナシア様が自分以外の人を癒せるのは事実だし、今回の件は本当にたまたまのはずだから」
「…………」
アイリスの言葉を受け止め、ゾーイは涙をこぼした。彼女の敬虔な心は、揺らがないものなのだ。
『アイリスが本物の聖女かもしれない』なんて言ってしまったら、パナシアがどうなるかわからない。優しい人魚はその功績をパナシアに捧げるつもりなのだろう。
(ワシは、アイリスがなんと言おうとこの記録を正しく後世に伝える。自分自身で道を開こうとしないパナシアが聖女だったとしても、アイリスは間違いなく創世の龍に認められたんだから)
強く瞼を閉じ、ゾーイは心の奥まで澄み切った彼女を抱きしめる。
(ワシは、本物の聖女に出会えたんだ。この人を絶対になくしてはならない。ワシが心から仕えるのはアイリスだけ)
「……アイリス、迎えにきた」
「アステル様」
アイリスを迎えにきた騎士姿のアステルは抱き合う2人を見て、緩やかに微笑む。
彼は全身を黒で統一し、立襟の大きなジャケットに金ボタンの沢山ついた軍服と中世貴族服の中間のような装いだ。ピッタリとしたパンツにロングブーツを履き、前見頃の短いジャケットの裾からは細いチェーンが垂らされていた。
「貴族服ッ……隠し切れない筋肉……姿勢がいいっ……!!!
………………おほん。とっても素敵ですわ、アステル様」
「はは、お仕着せだがなんとかなっているだろう?君をエスコートするためにオシャレをさせられたんだが、問題ないか?」
「ゴザイマセンッ!!!」
顔を真っ赤にしたアイリスは夢中でアステルを見つめている。アステルと背後に並んだアギア達は淡い水色のドレスを纏ったアイリスから目が離せない。
目線の応酬を目にしたゾーイはため息を落とし、やれやれと首を振る。カイは勿論だが、テオーリアもアリストも、まだほとんど関わっていないリュイまで頬を染めているではないか。
その中でも、一際熱のこもった視線を放っているのはアステルで間違いない。アイリスは興奮しているが、同じ温度なのはこの2人だ。
手を離したゾーイはアイリスの背を押し、彼女を送り出す。これから始まる夜会は大騒ぎになることだろう。『本来の力を取り戻した聖女』の噂を各国の要人が聞き、すでに黒の国に集まってしまっている。
そして、あの儀式を見たのだ。
「隊長サン、ちゃーんとアイリスを守ってよねぇ。今夜一番の花は間違いなくこの子なんだから」
「あぁ、肝に銘じる」
「ゾーイ、一緒に行かないの?」
「後から行くよ。『原初の龍を召喚した聖女様の登場』なんてものに巻き込まれたくないからぁ」
「そうよね、美味しいディナーを楽しむならその方が良さそう。……あとで、お部屋に来てね。たくさんお話ししましょう」
「うん」
差し出されたアステルの手に手を乗せ、手の甲へのキスを受けた彼女は背筋を伸ばして会場へと向かった。
━━━━━━
「そろそろ曲が終わる。俺たちを一周したからには他の男達が寄ってくるぜ」
「流石に疲れましたわ……もう五曲も踊りっぱなしですもの」
「仕方ないだろ、会場に入るなり囲まれてダンスへの誘いがひっきりなしなんだ。……気を抜くと結婚を申し込まれちまうかもな」
「おやめください、アリ。私にそんな、」
「あの儀式を見てしまったらそうなるだろ?それでなくとも綺麗すぎるんだよ嬢ちゃんは。〝黒の国の王様〟ってのまでずーっと聖女代理を見てるぜ」
煌びやかな夜会の中、会場に入った時からまとわりつくような目線がアイリスを追っている。それは、暫くぶりに姿を見せた黒の国の王が発するものだった。
じっとりと品定めをするような、怖気の走る視線。それは一つだけではなく複数ある。黒の国以外からやってきた賓客からのものだ。
王城の中でも彼女が『代理の聖女』だということを知るものは少ない。流石に夜会で顔を隠すのは不自然だと言ったのは誰だったか……。アイリスはその言葉を真に受けて可憐な姿を衆目に晒してしまった。
ダンスの曲が終わり、お互いに礼をした瞬間押し寄せる人々。アイリスの身の回りを固めたアギア達が守ってくれたが、明らかに数が多すぎる。
口々に叫ばれるアイリスを望む声が幾重にも重なり、会場は混乱を極めた。
「このままでは埒が開かない。怪我人が出てしまう……リュイ」
「アイリス、手を」
「は、はい!」
リュイが差し出した手を握った瞬間、金色の光が会場を包み込む。アギアに囲まれていた聖女は姿を消し、会場は静まり返った。
━━━━━━
「ここでしばらく時間を潰しましょう。とりあえず会場の混乱が落ち着くまでは」
「ここは……」
「夜会のエスケープゾーンといえばここですよ。寒いですか?」
「い、いえ」
「では……?」
リュイは首を傾げ、手を繋いだままアイリスを見つめる。夜会から逃げた先は、建物から突出して作られたルーフバルコニー。似たような屋外へのエスケープゾーンはそれぞれに人がいる。
抱きしめ合う人、キスをしている人、それから……。
「さっ、寒くありませんわ!暑いくらいですから……」
「あぁ、そうですね。ここは相引きの場でもある。気にしないでください、踊り続けていたから疲れたでしょう」
「はい、ええ、あの……」
「あぁ、すみません。レディの手を握ったままでした」
「ハイ」
ふわりと笑みを浮かべたリュイはようやく彼女の手を離し、自分の背中に手を回す。何やらゴソゴソしているが、なんだろう。
アステルと同じような服に着替えているため、輝くばかりのイケメンぶりにアイリスは目が眩んだ。彼に背を向けて瞼を閉じる。そして、いつもの魔法の呪文を唱えた。
(私はアステル様推し、アステル様推し、アステル様推し!!)
「――アイリス、目を逸らしてはせっかくの手品が見られませんよ」
「手品……?」
「えぇ、こちらを向いて」
耳元に触れるシルバーブロンドにくすぐられて、彼女は思わず振り向く。
いたずらな少年の笑顔を浮かべたリュイは、背中からシャンパングラスを取り出した。
「さぁどうぞ、姫君。喉が乾いたでしょう」
「す、すごい……どうやって!?あっ、先程の光は」
「えぇ、わたしの神聖力です。空間移転とでも言いますか。光で空間を繋ぎ、そこに移動できます。シャンパンもこの通り」
「…………ふぁー」
「ふ、その反応。アイリスらしい」
グラスをアイリスに渡し、彼は胸元に同じものを掲げて金の泡が浮かぶシャンパンを口にする。微かに口付けて透明な器を傾ける姿が美しく、星の王子さまとでも名付けたら絵画になりそうなほど様になっている。
さらりと流れる前髪から涼やかな瞳に見つめられて、アイリスの心臓が跳ねた。
「驚きましたか?」
「はぇ、はい!それはもう!!素晴らしいお力だと思います!」
「そうだといいのですが、少々面倒ですよ。一度自分の足で訪れなければこのような移動はできませんから」
「それでも、ですわ。どんな時でも誰かのお役に立てますし、戦闘の時に使えば」
「えぇ、敵なしですね。今の所負けているのはアステル隊長にだけです」
「!!そ、そうなんですの!?」
「彼は耳がいい。わたしの転移先で起こる空間の歪む音を聞いて、待ち伏せされてしまうので打つ手がありません」
「まぁ……」
「アイリスとはまだ、手合わせしていませんね」
「そうでしたわ!夜会が終わりましたらぜひ!」
「もちろん、と言いたいところですが。……あなたは、アギアの隊員に戻れるのでしょうか」
彼の指摘に、アイリスは俯く。まさかこんなに注目されてしまうとは思っていなかったのだ。夜会を仮面舞踏会にでもするべきだっただろうか。
アイリス・セレスティアルは、異世界から転生した自分が中身で申し訳ないほどに美しい。乙女ゲームの中では登場人物として描かれていなかったが、元々の人格を乗っ取ってしまったのか。それとも、新しい命としてこの世界に生を受けたのかはわからない。
しかし、その美しい姿が知れ渡ってしまったとなれば。本物の聖女である『パナシア』はどうしたら良いのだろう。
彼女はアステルと同じく黒の国の人間で、髪も目も黒い。アイリスと違って目が細く、前世でいうアジアンビューティーそのものだった。
目が大きくやや彫りの深さがある、洋風顔のアイリスとは似ても似つかない。ともなれば、奥の手を使わないとならないだろう。
「大丈夫です。私にはこの会場にいる方達の記憶をどうにかする術を知っていますわ」
「カイの神聖力ですか」
「ご……ご存知ですの!?」
「えぇ。カイは記憶操作……というか人の頭の中の記憶をあやふやにするようですね。
わたしたちは、お互いの神聖力を把握していると思いますよ。隊長もそうですが、隊内では信頼できる仲間に明かした方が緊急時に役に立ちますから」
「確かにおっしゃる通りですわ」
「まぁ……アイリスの神聖力だけは、未だにわからないことだらけですが」
上目遣いで見つめられて、アイリスはたじろぐ。確かにまだ、全容は明かしていない。彼女の危機を救うために大衆に神聖力の特徴を晒してしまった彼には、話すべきだろうか。
思い悩んだ彼女は眉を顰め、彼を見つめ返す。
ややあって、堪えきれないというふうにリュイが笑い出した。
「ふふっ。アイリスは本当に表情豊かですね」
「面目ございません……」
「あなたがそんな顔をするのは仲間の前でだけでしょう?人を殺す時の冷たい瞳もまた、魅力的ですが」
「そう、でしょうか」
テラスの柵に背中を預け、彼は月明かりを背負う。蠱惑的に垂れたその瞳は満面の笑みを湛えていた。
「国を出るまで、人を殺したことのないあなたが浮かべる冷酷は美しい。純度の高い宝石を見ているようですよ。
命の大切さを知りながらあっさりとそれを奪い、そしてずっと後悔し続けている」
「…………」
「あなたは誰かのために手を汚しても、穢れることはありません。
アイリスこそ、聖女たり得る方だ」
「それは、その……違います。パナシア様は、きちんと聖堂の承認をお受けになられましたでしょう」
「あなたも試してみたらいかがですか?あれは、聖堂に務める方達を癒せるかどうか。そして、託宣があるかどうかで認可されるのですよ。そして白の国……神聖国メセオに名前が登録されると聖女になれる」
「なっ……」
なぜそれを知ってるのだろう、という疑問をしまいこみ、アイリスは口を閉じる。
そう、知っていて当然だ。彼は聖女が作ったと言われる白の国、神聖国メセオの王太子なのだから。
「今、五公国の状況はそれぞれ危機を抱えている。黒の国が一番ひどい状況ですが、他の国も綱渡りをしています」
「……はい」
「赤の国は災害が、緑の国は希少な植物に頼り切った経済が、青の国は知りませんが……黒の国は謎の旅団によって治安をかき乱されるほどに国力が弱っている。疫病が原因とはいえ、無能な国王のせいで」
「…………」
「そして、白の国もです。白の国には聖女が遺した赤の泉があります。ですから五公国の上に君臨……いや、形ばかりの支配をしているのですが。泉は聖なる力を失いつつある」
「それは、どういう……」
「あなたは知っているのではありませんか?夢見の予言をなさるのですから。
それか、原初の龍に聞けると思いますよ」
「それは、その。夢ではまだ見ていませんし、原初の龍は偶然お姿を現されただけですわ」
ゆるゆると首を振ったリュイはアイリスの頬に手を添え、顔を近づける。夜に染まった空色の瞳は妖しい輝きを浮かべた。
「あなたがしていることは、今後『聖女を必要としない世界』を創るためのものです。パナシア様の自由を得るためだったとして、それは絶大な影響力を及ぼすに違いありません」
「わ、私はそのような事を望んでおりません」
「それでも事実としてあなたは革命児だ。そして、救世主になり得る。力を失いつつある神聖国にも幸をもたらしてくださるでしょう。
原初の龍に選ばれし、初代の聖女にも近しい魂です。彼の方は、あなたが望めば姿を現されると確信しています」
彼に間近で囁かれ、アイリスは瞬く。
白の国が『神聖国』である理由は、星隔帯を支える核が赤の泉にあるから。初代聖女が作り、その身を投げた神聖な泉が彼女の遺骸を核として星隔帯を作り上げたという。
それが、失われてしまったら……。
アイリスは瞼を閉じて、唸り出す。
(この話は、とても大切な中核のストーリーだったはずなのに。私の記憶の中では神聖国メセオの詳細だけがあやふやなのはどうしてなの?
確かに何か事件があって、パナシア様が神聖国に召されて……そして、その代わり身として、アステル様が彼の国に行かれる。その後、国王を討った彼は――)
脳裏に浮かぶアステルの死に際が鮮明になりそうだ。慌てて瞼を開けると、リュイがさらに近づいてくる。
思わず両手を上げて彼の顔を押しのけ、アイリスは後退った。
「な、なっ……なに、を……」
「瞳を閉じたので、キスしていいのかと思いました」
「そんなわけありません!と言うか、キスというものは好きな方同士がされるものです!」
「わたしは、アイリスが好きです」
「………………はぇ?」
「カイはもちろんでしょうが、アリ・テオもあなたのことが好きですね」
「な、何をおっしゃるんですか!?」
「わかりませんか?あなたのまっすぐな意志が、何も求めずに他を助ける姿がそうさせているのです。そして、都合のいいことに、我々は聖女が国に欲しい世継ぎですから」
「…………私は、あの……」
「わかりやすく言います。あなたが欲しい。もう、誰もパナシア様を求めていません。おそらくは、アス……」
『――アイリス!!』
リュイの言葉を遮り、アステルの絶叫が耳に届く。目の前に震える矢が突然現れ、それを掴んだリュイが庭園の方を睨んだ。
「アイリスは中へ」
そう呟き、リュイがテラスの柵を越えて飛び出していく。わずかな光が弾けた次の瞬間には、庭園の中で光が放たれた。あれが、転移の神聖力なのだ。
次々とアギア達が庭にかけて行き、全員が武器を鞘から抜いた。
――『1人残らず捕えろ!殺すな!!』
アステルの号令が全員に届き、金属を打ち合わせる音が聞こえる。アイリスは慌てて参戦しようとドレスの裾をたくし上げ、直後に抱き抱えられた。
「きゃっ!?あ、アステル様!?」
「アイリスは留守番だ。今夜は守られてくれ」
「ふぇ……」
「大人しくしててくれよ、オレの聖女様」
彼女に向けてわずかに微笑みかけ、戦闘のはじまった庭を眺めた彼の表情は厳しく引き締まる。それを近くで見てしまったアイリスは、いつものように囁いた。
「ヒェッ……」




