7-1 増えゆく熱
「やっほー!アイリスは寝てるかなぁ?聖堂巡りで疲れてるよねぇ」
「起きてるよ、ピンピンしてるぜ」
「ふぅん……」
夜半、ランプを手にしたゾーイがアイリスの部屋を訪れた。両脇に仁王立ちするアリストとテオーリアを見てため息を落とす。
「あんたたち、聖女の護衛はどうしたのさ」
「正しく護衛中だが」
「そうだな、私たちの聖女はここにいる」
迷いのない二人の答えを聞き、「またアイリスに誑かされた奴が増えた」と呟きながらゾーイはドアを開いた。
「なっ……なにこれ!?」
「ん?その声はゾーイですの?」
「そうだけどぉ、アイリスどこにいるの?」
アイリスの部屋に入った途端、目の前に壁が現れる。大量の本が床から積み上げられ、連なっていた。
内側から本が避けられ、隙間から蝋燭の明かりがこぼれる。その奥から笑顔のアイリスが現れた。
彼女の頬は紅潮し、鼻息が荒い。何やら興奮しているようだ。
「ゾーイ!明日の朝お話しようと思ってましたの!!見て下さい!この本!!」
「どこからこんなに持ってきたの?何の本??」
「聖堂からお借りしました!!緑の国の考古学資料ですわ!」
「ええぇ???」
怪訝な顔をしたゾーイを本の壁の中に招き入れ、彼女はハードカバーの本をまた一つ広げた。床いっぱいにも本が開かれていて、足の踏み場もない。
背後で開きっぱなしだった部屋の扉は、苦笑いのアリストによって閉められた。
少しだけ話そうとやってきたはずの客人は、逃げ道を断たれたようだ。
「アイリス、ちょっと興奮しすぎじゃない?聖堂巡りで何かあったんでしょ」
「そうですの!何から話せばいいのか……今日は月下美人の栽培を目にしてきたんです!明日、種を城の薬草畑に撒きますわ!」
「……エピ……なんだって??」
「それから、よかったら資料のまとめを手伝っていただけますか?緑の国の遺跡の記録で欲しい情報があるんです!」
「いいけど、ちゃんと順番に教えてよねぇ。外にいる、寝ずの番が増えた事についてもだよぉ」
「えっ?増えた……?一人ずつに減らしたはずですが。今日はリュイが当番です」
「ああ、うん、なんとなくわかった。それはいいや」
「??」
話のキーポイントだけを聞き、なんとなく察したゾーイは開かれたページを見て、アイリスが欲しいものを把握する。
いくつかの本を手に取り、順序立てて床の本を並べ替えた。
「はっ……ゾーイ!!どうしてわかるの!?すごいわ!」
「ワシも伊達に研究者してなかったんだよぉ〜。エピフィラムを見つけたのは緑の国だから、聖堂で育ててたんじゃなーい?」
「そう!そうなの!!アリが見せてくださって」
「なるほどね。あの花の親戚は知ってるから、栽培も手伝うよ。それで、欲しいのはガリシア伝奇と原初の龍の事でいいの?」
「はいっ!内容項目の優先順位は……」
二人は会話しつつ、お互いの顔は一切見ていない。本の中から欲しい情報を探しつつ会話している。
ゾーイは、背筋にゾクリと震えが走るのを感じた。
(アイリスは本当に賢い。開かれたページは神話と伝奇の核心をつくものばかり。欲しい情報を見つけてどの本にそれがあるか記憶して、頭の中で整理しながらメモしてるんだ。
こうして置いておけば思いついた時に深掘りできるし、効率がいい。ワシが部屋に入ってからずっと、彼女の手はとまっていない)
アイリスの行動の全てが何に向かっているのかは、星隔帯の研究棟から戻ってくる間にしつこく聞かされた。
そして、その信念こそが彼女を突き動かす原動力となっている。
(何かを目指して努力し続ける奴は好きだ。怠けるのは誰でも簡単にできるけど、アイリスは自分を絶対休ませない。
目標を達成しても自分が何かを得られるわけじゃないってのに、イカれてるよ)
口端が上がるのを抑えられず、ゾーイは高揚して行く。研究者棟でもここまでのときめきはなかった。
彼の熱中ぶりに興醒めする者はいたが、同じレベルで何かを研究する人を、没入する友人を初めて得たのだ。
さきほどからアイリスが絶えず発し続けている項目は、まだ言い終わらない程に多い。だが、優先順位の付け方も文句なしだ。
ゾーイは本を抱え、得意の速読で彼女の求めるものを探しながら呟く。
「アイリスが聖女なら、本当によかったのになぁ」
━━━━━━
「…………で、この様か」
「一応、何度か声はかけたんだがな」
「熱中していた二人には話が通じない」
アリスト、テオーリアは返事をする前からしかめ面をしている。
なるほどな、と呟いたアステルは砂だらけになった二人を眺めた。アイリスもゾーイも髪の毛はボサボサで、目の下にクマを作っていて異様な雰囲気だ。
動きが緩慢なところを見ると、疲れているのだろう。だが、会話の音量が大きく二人は高揚しているらしい事がわかる。
「ここは水捌けがいいですわね!」
「アハハ!掘っても掘っても砂だからね!!こんなところに植えたら普通は枯れちゃうよぉ〜」
「乾いたら水を撒くんですわ!たっぷりですわよ!たっぷり!」
「毎日あげないとだめだねぇ!水分を多く摂取したら、成長早いんじゃないかなぁ」
「では養分も入れないといけませんわ!リン酸……ええと、鶏のウンチが最適ですのよ!」
「ウンチ!ウンチって……ウンチ!?」
「ウンチですわ!!」
大声で排泄物の名を叫び、笑い合う二人。ここはアイリスの居室前だ。砂と砂利が敷かれていて、植物は生えていないが……ここでなにを育てるつもりなのだろうか。
ともかく、狂ったように笑い続ける完徹組のハイテンションを何とかしなければならない。
「カイはどうした?」
「アイリスが使い切った蝋燭の予備を取りに行ってるぜ」
「昨晩だけで一週間使い切っている。ケチな資材担当に、貰えるといいが」
「…………」
「ねぇゾーイ、鶏は城にはいませんわよねぇ」
「城に入ってくるのは肉でしょ」
「そうですわねぇ、ここで飼育したら流石に怒られるかしら」
「怒られるだろうねぇ」
「生きた鶏なら、城下町に行けばいる」
二人の会話に割って入り、アステルは腰を折って屈む。
地面からようやく目線を移したアイリスは、彼の姿を見るなり飛びあがった。
「!!!」
「あ、アイリス!?ワシに隠れたって無駄だよぉ〜」
「や、いやです!隠してくださいまし!私は今、寝起きの格好ですの!」
「今更じゃん?さっきはウンチって連呼してたし」
「ゾーイ!!」
「んふっ、パジャマのまま畑作ったのが悪かったねぇ」
「……二人とも、少しは寝たのか?」
アステルの問いに笑顔で頷いたゾーイは『くふふ』と声を漏らす。
「二人で貴重な文献見つけちゃって、興奮してぶっ倒れたの。目が開いたら朝だった。1時間くらい寝たかな」
「ふぅん……何の本を見ていたんだ?」
「考古学の資料〜。あと原初の龍の勉強もだよぉ」
「……そうか。今日の午前はダンスの練習だから、少し休んでからでいい。この畑も何かの役に立つ物なのか?」
「アイリスがやることは全部そうだ。何一つとしてふざけたものは無い」
硬い声色に変わったゾーイはアステルを睨み、自分が言いたいことがわかっているのか確認している。
アステルは眉を下げて、ゾーイから目を逸らした。
「……そう、だな」
「ふん!朝ごはんを食べたら、少し寝させるから。聖女様代理は昨日の巡礼の疲れもある。手加減してよ?」
「あぁ、わかった」
ゾーイとアステルの微妙な会話に首を傾げたアイリスは、小さな背からひょこっと顔を出す。
前髪が跳ね、顔の周りに絡んだ髪がふわふわ頬をくすぐっていた。
小さな声で「おはようございます」と言われて、アステルは胸の中できゅうっと音が鳴ったような気がした。無意識に彼女の髪に手を伸ばし、ハッとする。
(何をするつもりなんだ、オレは……)
彼は静かに手を引き、そのままアイリスに触れることなく去って行った。
「アステル様、なんだか元気がありませんわ」
「そうでなくちゃ困るんだけど」
「え?何故ですの?」
「アイリスは知らなくていいよぉ。そろそろ朝ごはん食べよ。今日も一日中仕事だから、ちょっとは寝なきゃねぇ」
「そうしましょうか、お腹が空きましたわ!あ、カイ!」
アステルと入れ違いにカイが大きな袋を担いで現れた。中には蝋燭の束が詰まっているらしく、動くたびにガシャガシャと音が響く。
「ただいま戻りました。蝋燭をぶん捕ってきたよ」
「流石カイ!ありがとう!」
「アイリスのテンション、やばいね。徹夜組は朝ごはんを食べてさっさと寝てくれる?寝ずの番をした二人はお説教だよ。見張りはリュイと変わるから」
「お説教……?」
再び首を傾げたアイリスはカイに連れられて、ゾーイと共に部屋に戻って行く。畑の前に取り残されたアリストとテオーリアは見つめ合い、深いため息を落とした。
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「こちらが各聖堂周辺の状況をまとめた書類です。対処法に関しましても記してありますので」
「分厚いな……」
「背後関係を洗った結果、情報が増えてしまいました」
久しぶりにアギアの黒制服を着たアイリスは、アステルの机の上に書類の束を置いた。
ドサッと重い音を立てたそれは、聖堂を回った結果の記録だ。
「これは警備の部署に渡す情報だから、ここまで調べずとも概要だけで良かったんだが」
「すみません……」
「謝って欲しいわけではない。苦労させるつもりはなかった……こちらこそすまない」
「いえ、あの!私は、アステル様のお役に立てましたか?」
上目遣いの目線を受け取り、アステルは破顔する。彼女が作る書類は知識のない者が見ても、図面が使用されてわかりやすい。
文字だけでやり取りをしていた過去には戻れない、と言わしめた位なのだから役に立つどころではないのだ。
「オレの株が上がるくらいには、役に立ってくれている」
「まぁ!本当ですの!?」
「あぁ、ありがとうアイリス」
「ファー……えへへ、うふふ、」
頬を赤らめたアイリスは、いつもの奇怪な声をあげてフラフラと去って行く。その後ろ姿を見送り、アステルは窓の外に視線を移してため息をついた。
「本当に、アイリスは優秀すぎる。どの部署からもオレの印象が良くなり、居心地が良くなってしまった」
アギアの長におさまっているアステルは新参だ。パナシアと共に登城し身分を得たが、市井で育った彼がここまで登り詰めるには苦労した。
最初からパナシアの側付きになれば楽をできただろうが、それでは彼女を守ることはできない。一兵卒からスタートを切ったアステルはそれなりに死地を潜り抜けている。
(アイリスほどの優秀さがあれば、他の隊長達とももっと早く打ち解けられただろうか)
一兵卒であれば、実力だけを磨けばいい。だが、軍隊を率いる管理職となれば別だ。
他の部署とも連携するから、それぞれの長が人となりや管理の手腕を問われる。それが上手くできていなかったアステルは、アイリスの登場により飛躍的に評価が上がった。
報告書一つとってもアイリスは相手が読むことを考えて作成している。だからわかりやすく、欲しい情報を的確にまとめてくれる。
アギアは聖女の行く場所に供をする。そのため、遠方にも出向くことが多かった。その度報告書や情報供給を他部署から求められ、アステルが作成した書類を渡すたびにしかめ面が返ってきた。
今はどこに行っても歓迎され、お茶まで出される。報告書の件だけではなく、アイリスに世話になった者が増えて、アステルに笑顔で話しかける人間が増えた。
ギスギスしていた軍隊内部の関係は『アイリスを登用した』だけで、全て解決されてしまったのだ。
(アイリスは、オレのためにといいながら見返りを求めない。ただ純粋に役に立ちたいと言う。そんなの、どうやって恩返ししたらいいのかわからないじゃないか……)
机の上の書類を揃え、持ち上げると小さな巾着袋が落ちた。中を確かめると、小さなメモと共に軟膏が入っている。
アイリスはダンスの練習時に、思いっきり足を踏んだことを気に病んでいるようだ。
《あなたの足に『ごめんなさい』とお伝いただだけますか》
「…………まったく、本当に……」
手のひらで顔を覆い、アステルは深い深い吐息を吐く。胸の高鳴りや苦しさは、紛れもなく彼の心の動きを教えていた。




