6-1 矢印の先
「ゾーイ、聖女様のお加減はいかがですか?」
「うーん……」
黒の国の兵宿舎内、大食堂でアイリスとゾーイは深刻な表情で話し合っていた。
テティスから帰還した後、体調を崩した聖女パナシアはここ一週間自室から出ていない。
星隔帯研究者であったゾーイは、王城のお抱え医師と連携して彼女の回復に努めている。
何かを言い淀むゾーイの顔色は、複雑で読みきれない。本人は隠しているつもりはなく、ただ複雑な思考が絡まっているだけらしい。
だからこそ、『彼のポーカーフェイス』は少々読みづらいのだ。
だが、星隔帯から王城に戻る四日間の道中、神聖力の講習などで顔を突き合わせてきたアイリスには、なんとなしに勘が働いた。
「『解せぬ』って顔ですわね?」
「うん、そうなんだよぉ。ワシが見たところ、あの子全然具合悪いと思えないんだけどさぁ」
「どういうことですの?」
「飯は食ってるし、よく寝てるし、顔色は悪いけど吐いたりするわけじゃない。咳はするけど熱はない、腹も下してないし……何が原因なのかさっぱりわかんないんだよねぇ」
「ストレス……いえ、過労ではありませんか?テティスではアナスタシアに回復を施していらしたし、広域浄化もなされましたわ」
「広域浄化、ねぇ?」
ゾーイは鷲鼻をぽりぽりと掻き、眉根を寄せる。神聖力の強化をするために散々講義をして、理解力を測るためにテストを定期的にしているが、聖女パナシアは体調が悪いことが多く一度も受けていない。
正直、土地の浄化ができるほど成果が出ているとは思えなかった。
(いつもテストの前になると体調が悪くなるし、授業中の質問も的外れなものばかり。誰のためにやってる教育なのか、あの子は理解しているのかねぇ?)
ゾーイは目の前にいる『聖女信仰者』にはとても言えない悩みを抱えていた。聖女は彼にとって『いい生徒』ではないのだ。
授業外で質問もせず、自主的な努力も見せないパナシアには、すでに愛想が尽きた。
誰のためにアイリスが自分を王城に連れてきたのか、一度問い詰めてやりたいとさえ思う。あの時、ゾーイもアイリスも死にかけたのは確かだったのだから。
パナシアが聖女として未熟だから周りが苦労しているのに、どうして本人が何もしないでいられるのか……と彼は大変不満だった。
「広域浄化はホントにできたの?」
「実際の手応えというものは分かりませんが、祝福をお残しになられましたよ」
「あれだろ、なんか歌うんだろ?」
「はい、聖女様しか歌えないものです」
「あの子、音痴じゃない?」
「ぞ、ゾーイ!しっ!!」
アイリスは慌ててゾーイの口を塞ぎ、声を潜める。
「お歌の音程の問題ではなく、聖女様が謳われた事が大切なのですからっ!」
「まぁ、特別目をかけてるって事がわかれば聖職者が手を尽くすか。評判を聞けば交易人もそこに集まるもんなぁ」
「えぇ、そうよ。現にアステル様が手配された聖職者は、かなり役職が上の方でしたわ」
「それならいいんじゃない?どっちにしてもテティスは発展するでしょ。村人だけじゃなくて他からも人夫を集めれば鉱石発掘も増やせるし」
「……そうね、アナスタシアの負担がない程度にはして欲しいけれど」
「その辺りも含めて、上級聖職者ならうまく差配するさ。あいつらは詰まるところ、経済流通操作が上手いだけなんだから」
「ゾーイったら……でも、そうね。聖女様が現実にいらっしゃるこの世の中では、経済に強くなければ聖職者の食い扶持がありませんもの」
「んふっ。食い扶持、ね」
ゾーイはアイリスから時々出る『乱暴な言葉』が好きだ。現実を見て端的に物事を表す『聴いたことのない言葉』を発する賢さが愛らしいと感じていた。
彼女自身はれっきとした王族であるのに階級意識もなく、見た目で人を判断しない。聖人かと思えば辛辣な言葉を放ち、冷徹な決を下す事もある。
だが、誰かを助けることに於いては、いの一番に手を差し伸べる。まるで、自分の犠牲を恐れない勇者のように。
ゾーイにとっては聖女よりも、アイリスこそが信頼のおける人間だった。隣で食事をすると美味しく感じるほどには。
血の通った意思があり、優しく快活で屈託のない彼女は変わり者の自分にも普通に接してくれる。唯一でかけがえのない人なのだ。
「テティスの件はいいとして、赤の国の災害記録は届いたかい?」
「えぇ、先日本国から資料が届きました。テオと協力してまとめましたわ。
ゾーイが対策を手伝って下さるから、きっといい結果が出ます。とっても楽しみですわ!」
「ふん。アイリスが言うから手伝ってやるんだよぉ。……でも、アンタ負担が多すぎないかい?人間、いや、人魚でも体力には限界があるんだよぉ?」
目を丸くしたアイリスは満面の笑みを浮かべ、頬を寄せる。柔らかな感触を感じたゾーイは幸せな暖かさに目を閉じた。
向かい合って座るのが普通なのに、こうして真近に座ってくれるアイリスは……いつも温もりをくれるのだ。
「ゾーイ、あなたは優しい人ね。私を気遣って下さるの?」
「アンタがいなきゃ、ワシはここにいない。あの塔で死んでたよぉ」
「助けられて本当に良かったわ。貴方がいてくれるから、何もかもがうまくいくって信じられるの。本当にありがとう」
「……ウン」
「体調にも気をつけるわね。早速ご飯をモリモリ食べて、午後の演習ですわ」
「アンタがまたデカい男をのすなら、見に行こうかなぁ」
「私が勝てるかはわかりませんわよ?今日はアギアだけではないんですから。近衛隊と、国境警備に向かう方の最終試験だそうです」
「また年寄り達に上手く使われてんじゃん。アイリスを試験官にしたら合格者なんか出ないでしょぉ」
「負けても合格はしますわよ?」
「試験を受ける奴らの限界を試したいんでしょぉ。アイリスが追い詰められる技術があるって知ってるから、こき使われるんだよぉ」
「ふふ、それは光栄ね」
微笑みながらパンを齧り、アイリスはゾーイと会話を続ける。
ゾーイは彼女が触れた頬を撫でて、残った温もりが消えなければいいのにと願った。
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「お?珍しい御仁がいるな」
「ちょっと、邪魔しないで。今いいところなんだからぁ。アリストも野次馬するなら静かにしてよねぇ」
「へいへい。見てなくたってアイリスが圧勝だぜ?」
「だから見るんでしょ。そこだ!行けー!」
ゾーイは頬を赤らめ、何段も重ねた箱の上から声援を送っている。コロシアムのように円形に広がった演習場の真ん中では、アイリスと彼女の倍以上背丈がある男とが剣を交わしていた。
と言っても、ほとんど試合は決着している。指導になりつつある試合に試験官である老練の兵達は、ただただ頷くだけだった。
「アイリスは神聖力の使い方がさらに上手くなったよな。体力が無限じゃねぇかあれじゃ」
「もともと上手いのが予備知識を得ただけだよ。アイリスは努力を欠かさないから成長するんだ」
「たしかにな、どっかの誰かさんが惚れるわけだ」
「ワシは恋愛じゃないよ?あの子がただ可愛いだけさ」
「わかってる。……テオはそうじゃなくなっちまったがな」
アリストの目線の先にはアイリスの動きを注意深く見つめ、危ない場面になると赤くなったり青くなったり顔色の落ち着かないテオーリアが居た。
テティスから戻った彼は目の色を変えるメガネを外し、以前よりも毅然として……そして、アイリスの腰巾着になっていた。
「声に神聖力が溶けるってのは珍しいよねぇ。聖女様以外で見たことないもん。テオも面白い研究対象だ。
ところで、副隊長補佐官って二人もいるものなの?」
「カイはもともとアイリスの従僕だし、アイツを怒れる唯一だろ。テオは志願したらしいぜ、騎士になりたいと」
「アイリスの騎士にって事?赤の国の王子がそんな誓いやっていいわけぇ?」
「よく知ってるな」
「ワシは最年長の星隔帯研究者だった。他国の研究者も事情もよく知ってるよぉ〜」
「まったく、アイリスの慧眼は恐れ入るぜ」
「そうでしょ、ワシのアイリスはすごいんだ。……で、アンタは何を狙ってるの?緑の国の王子様は、聖女様目当てからアイリスに鞍替えかい?」
「……本当に恐れ入るな」
アイリスを見つめたままのゾーイはご機嫌なまま声を低くして、つぶやく。
「アイリスを傷つけたらただじゃ置かないからねぇ。ワシの持つ繋がりを甘く見ないで欲しいなぁ」
「そんな事はわかってる」
アリストは腕を組み、小さな星隔帯研究者……もとい、五色公国星隔帯ご意見板として最も重鎮であるゾーイを眺めた。
どの国からも『当国の星隔帯研究員になって欲しい』と求められていたが、『自分を研究員にしてくれた黒の国で一生を過ごす』と返事をしていた彼。
星隔帯の知識や公国の成り立ちについても詳しく、長生きをしているからこそ生き字引きとされる。その名は王族に広く知られており、各国の相談を受けるほどだった。
どの国も星隔帯でのトラブルはつきものだ。自国の研究者が解決できない場合は、最終的にゾーイに意見を求めるのが決まりだった。『賢者』とも言われていた偏屈で堅気な知識人は、あっさりとアイリスの手に落ちた。
――曰く、飯は命だ。それを差し出したアイリスには命で応える……とのことだった。
今、アイリスは意図せずさまざまな方面からの注目を受けている。自身のポテンシャルが高いこともそうだが、功績を目の当たりにしてはそうなるほかない。
テティスでは貴重な鉱石の新発見をしたが、算出の要となる『精霊姫』に明確な黒の国の刻印を押した。
守護という目的が大前提で為された立場の少女に、聖職者という監視員を置いた。これで精霊姫が他国に渡ることもなくなっただろう。
さらに鉱石の採掘や交易で雇用を生み出そうとしている。新しいものの発見は得てして経済流通を混乱させるものだが、これも防いだ事になる。
これはおそらく意図してはいない。が、他国から黒の国にやってきたアギアの同僚達の注目は一気にアイリスに傾いたのだ。
彼女の情報が五公国に回るのも時間の問題だろう。優秀すぎる人材であるアイリスに注目が集まるのは当然の流れだ。
(正直な話、自国の発展を願うなら聖女様よりも欲しい人材だ。テオもアイリスのおかげで解決策を見出そうとしている。自分の力を発揮できないまま、引っ込んじまった箱娘よりは価値が高い)
こんな考えを持つのは自分だけでは無い、とアリストは感じていた。今までの全てが彼女の思惑通りになっているとしたら、危険すぎる考えだ。自分もおそらく、惚れた腫れたの騒ぎに巻き込まれてしまうだろうから。
祖国に縛られていても未来を思って前を向き、テオーリアのように瞳を輝かせてしまう事になる。
(――そんなことは、許されない。俺は幸せを目指してはいけない人間だから。あの嬢ちゃんを巻き込んで良い訳が無いんだ)
少し離れた柱の影から同じようにアイリスを見つめる人がいる。アリストの気持ちを代弁するかのように苦笑いを浮かべ、それでも真っ直ぐに彼女を見つめていた。
「隊長も結局アイリスに落ちるのかねぇ。ワシは心配だよぉ」
「さぁな、わからんぞ。隊長は何よりも聖女サマを大事にしてるだろ」
「そうだねぇ、だから嫌なんだよ。もっと早く出会ってれば、副隊長になんかさせなかったのにさぁ……」
試合を終えたアイリスは視線に気づき、真っ先にアステルに頭を下げた。
アリストは複雑な人物相関図を思い浮かべ、頭が痛くなる。
多方向から好意を向けられつつあるアイリスはアステルに、アステルは聖女パナシアに矢印が向いている。アステルが聖女を大切にしているからアイリスも大事にしているが、そこが覆ったらどうなるのだろう。
アステルとアイリスが想い合う恋人なら……全てが簡単だったのに。
二人がこの国を背負って立ち、結婚でもすりゃ『めでたしめでたし』だった。……とこの場にいる全員が思っていた。




