4-5 語れぬ未来
「さんはい!」
「「「わたくしたちは、アステル様に従います。聖女様の神聖力の成長を補佐し、成長のノウハウを生み出して貢献することを誓います」」」
「………………は?」
「我々は星隔帯を研究し、聖女の生態にも詳し――」
「う゛ぉっほん!!!」
「……聖女様のお力になれると存じます。どうかお役に立てていただけませんでしょうか」
煤に塗れた研究者たちは石の床に膝をつき、腰を折って頭を下げた。――そう、日本で言う「土下座」である。
当然、この世界の者にとっては奇怪な拝礼に映っただろう。
「ワシ……私、一人でも構いませんのでどうかアギアに置いていただきたくお願い申し上げます」
(ゾーイ!いい感じよ!)
(えぇ……?そうかぁ?アイツ、怪訝な顔してるぞぉ)
鷲鼻の星隔帯研究者、ゾーイとアイリスは顔を伏せたままヒソヒソと会話している。立ったままそれを眺めたアステルは額を手で抑え、頭痛を覚えた。
「アイリス……まずは報告からだ。無事戻ったのはいいが、順序というものがある」
ハッとして顔を上げたアイリスは正座のままでこくりと頷く。聖女を守りながら城に帰って四日後、アイリスと研究者たちは突然現れた。ボロボロの姿を見て門番に不審者とみなされていたが、アイリスが持つアギアの証のおかげで城の中には入れたようだ。
(どう考えてもあの状況を覆せるはずがない。しかし、我々を追ってきた数は確かに少なかった。……アイリスが残党を退治したと考えるしかあるまい)
とんでもない状況の今、アステルは彼女の帰還を祝う暇もなく研究者に縋りつかれている。何が起きたのかもわからないまま頷けるものでは到底なかった。
聖女の助けになりたいから城に置いてくれ、と突然請われている事だけはわかる。
「えぇと、刺客を処理する際に研究塔を崩してしまったので、研究者の皆様をお連れしました。聖女様の成長にご協力いただこうと思いまして!」
「研究者に関しては後回しだ。あれだけいた敵を一人で処理したというのか?少なく見積もっても30以上は残っていたはずだ」
「はい!塔に爆薬を仕掛けてこう……敵の上に崩して下敷きにしました。一応、息があるかどうかは確認しています」
「塔を……爆破?そんな爆薬をいったいどこに持っていたんだ。いつ仕掛けた?意のままに倒れる仕掛けはどうやって?」
アステルの質問に笑顔で応えたアイリスは胸元から取り出した紙を手渡す。そこにはざっくり書かれた塔の仕組み、石で組まれた場所に赤丸が描かれている。
爆薬を仕掛けた場所は的確に急所にあり、一方に集中している。確かにこれならば狙った方向に建物が崩れてもおかしくはない。
「塔に来た当初に仕掛け、火をつけたのは星隔帯の修復後です。
爆薬に関しては、塔にありましたロケット花火……ええと、信号弾の火薬を使いました」
「星隔帯の異常を知らせるものだな、だがあれは塔を崩すほどの火力はないはずだ」
「はい、火薬は導火線ですわ。聖女様が中にいる時に爆発したら大変ですし、仕掛けを作ってありましたの」
「仕掛け?」
「小麦粉の袋を高所から落とせば粉塵が広がり、火があれば爆発します。かなり強力なもので火薬にも劣りません」
「小麦粉が爆薬になるのか?」
「はい、粉塵爆発と言いますの。袋は導火線上に置いてありました。燃えてちぎれ、落下するよう配置しました」
塔の見取り図にある火薬を仕掛けた場所は、研究者の居室だ。密閉された空間に粉塵を満たし、火種があれば粉塵爆発が起きる。
これは現代の知識であり、アステルたちには知り得ない知識だった。
「……なるほど、仕掛けについては後ほど詳しく聞こう。だが、不審な点がある」
「へ?はい」
「敵が来ると予測していたとして、仕掛けた時間が問題だ。なぜそれを計算できた?」
「…………」
「隊長であるオレにも相談はなかった。失敗する恐れもあっただろう」
「…………はい」
「お前は軍の規律を犯している。ただ逃げたよりは結果として死んだ者は少なく、研究者も生き延びた。だが――」
アステルが片手を挙げると、衛兵たちがやってくる。アイリスの両腕を掴んで立たせた。
「規律違反だけではない。お前が刺客に通じている可能性は否定できない」
「…………そう、なりますね」
アステルの厳しい視線を受けて、彼女は苦笑いを浮かべた。堅固な鎧を着た兵に取り押さえられても動揺していない。
彼女が捕縛されたのを見て、ゾーイは眉を顰めた。
「アイリスを地下牢へ。後ほど取り調べを行う」
「はっ!」
何の抵抗せず連れ去られたアイリスを見送り、アステルは木の椅子に腰掛けて腕を組む。ゾーイを見つめ、彼の険しい顔を眺めて不思議な気持ちになった。
「アイリスとずいぶん打ち解けたようだな」
「そりゃ、あっさり見捨てていったアギアよりは仲良くなれますわなぁ。ワシらは囮役のようでしたしぃ」
「……あからさまにバカにしていたのに『聖女の助けになりたい』と言うのは、アイリスの案か」
「それ以外にありますか?
あのー、あの人はワシらに水やら食料を分けていてずっと何も食ってないんだが」
「食事を届けよう」
「ふん、まぁいいか。それから、仮にも年頃の娘さんだ。あのままじゃかわいそうでしょう」
「………………、わかった。着替えも届ける」
ゾーイのホッとした様子にますますアステルは困惑した。仲間たちと手を取り合い、ゾーイが笑顔を浮かべる様は、星隔帯によく赴く彼ですら今まで一度も見たことはなかった。
アイリスは一体どうやってこの偏屈な研究者をほだしたのか。そして、明らかによく思っていなかったパナシアの助けのために働くなどと言わせたのか。
軍の一員である彼にも知り得ない爆薬を仕掛け、鮮やかすぎるほどに刺客を処理したのはどう考えても尋常ではない。
わからないことだらけの中で、彼は悩む。刺客の手引きをしたのでなければ、どうやって彼女が今回の件を解決したのだろうか。見当もつかない自分に驚いている。
やがて仲間たちと頷き合い、ゾーイがとんとん、と床を叩く。鼻につく呼び方だが、アステルは彼に頷くしかなかった。
「聖女様のために働く件ですが、もし雇ってくれるならワシは給金はいりません。飯と住まいがあればいい」
「なっ、本気か?」
「あい。アギアには予算があまりないようだし、人数が多いのも無理だと姫さんから聞いてる。コイツらは故郷に帰してやってください。それから……」
彼はドアの向こうにあっさり消えていったアイリスの痕跡を追うように顔を動かし、剣呑な上目遣いをよこした。
「あの姫さんがいなけりゃ、ワシも故郷に帰ります。聖女様はこの先、力不足のまま苦しむでしょうなぁ。どの国の知識もワシよりは下だと思いますよぉ〜」
「………………」
沈黙の後、アステルは複数の足音を耳にする。先頭で姿を現した怒り心頭の様子であるカイの顔を見て、さらに頭痛が強まるのを感じた。
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「……起きてるか?」
「スヤピースヤピー」
「何だその寝息は。個性的すぎる」
アステルは宵闇に紛れて地下牢へやってきた。アイリスに尋問を行うためであったが、あまりにも安らかな寝顔を見て呆れてしまう。
牢番たちを下がらせて彼女の牢の鍵を開けると、聞いたことのない寝息を立てていた彼女が突然壁際に飛び退った。
「いい警戒心だ」
「……むにゃ、アステル、さま?」
「そうだ。飯を持ってきたぞ」
「はっ!ご飯!!くださいまし!!」
笑顔を浮かべ、シーツにくるまったアイリスは簡易ベッドの上で礼儀正しく座り込む。床から一段石を組んだだけの場所に座らせるのは忍びなく、アステルは牢番の使う椅子を中に入れてやった。
「ここに座れ」
「ありがとうございます!わあぁ、温かいスープですか?それからパンも!」
「囚人の食事をここまで喜ぶ者は珍しいな」
「帰ってくる途中で食料を確保していないことに気づいて、何も食べていなかったのです。ありがたいですわぁ〜」
嬉々として簡素な食事に齧り付く彼女。この様子では、牢に入れてすぐ届けるように伝えた食物は届けられていないのだろう。それから、着替えも。
彼女の頰についた煤に思わず手を伸ばしたアステルは、彼女が驚いて固まる様子に思わず笑ってしまう。
「アイリス、これは形式上の投獄だ。新入隊員を信用し切っているような隊長では角が立つからな」
「は、はぁ。でも、あの」
「…………感謝している。生き残った老兵も、わずかな追手のみで無事に城に帰れたオレも。
すまなかったな、オレの手際が悪かったせいだ」
完全に固まってしまったアイリスの頬を撫で、アステルは彼女に対して何の疑惑も抱いていない自分に気付いた。
意表をついた彼女の行動によって助かった命は一つ二つではなく、それは自分が切り捨てようとしていたものだ。
そうせずに済んだのは間違いなくアイリスのおかげだった。
「アステル様の責任ではないと思います。あの、私がご相談していればよかったのですが。
…………おじいちゃまたちも、新人アギアたちも信用はできませんでしたの」
「カイには話せばよかっただろう。お前たちを『迎えに行く』と言って走っていった彼の顔は酷いものだったぞ」
「カイに話せば、止められるに決まっています」
「確かにな」
スープをすくっては丁寧に口に運ぶアイリスは、こんな場所でも気品に溢れている。足の運びも、所作振る舞いも、彼女の出自からくるものである事は明らかだ。
だが、あまりにも仕事の手際が良すぎる。小麦粉の爆発と言う聞いたこともない知識を持っていて、尚且つ導火線の時間を的確に導き出した理由がわからない。
直感で『信用したい』と思うのは久しぶりのまともな食事をくれたからなのか。それとも彼女の個性的な性格ゆえにそう思わされているのか。それは定かではなかったが、わずか数日一緒にいた新人アギアたちも『カイを追わせてくれ』と何度も願い出ていた。
偏屈で聖女をよく思っていなかった研究者を仲間に引き入れ、欲深いゾーイに『給与はいらない』とまで言わせていた。
深い青の瞳の中に一体何を持っているのだろうか。彼女は、明らかに自分が知らない何かを知っている。
「アイリス、お前は味方だと言っていたな」
「むぐ……はい!」
「食いながらでいい、時間をかけて胃に入れないと吐くぞ。
お前の知識については今聞くことではないと思うが、まさか勘とは言わないだろう?オレたちが離れてすぐ塔は倒れた」
「はい」
「これは、理由を聞かなければならない。お前自身のためにも、オレとパナシアのためにも。――お前は何を知っている?」
アイリスは深くうなだれ、何度か口を開くが、最終的には閉じてしまう。
『私は転生者で前世の記憶がある。ここはゲームの中の世界で、あなたたちがどうなるかをほとんど知っている。アステルが非業の死を迎えることも』
そう言えたら楽だろう。だが、真実を告げれば何が起きるかわからない。
例えば、今後のストーリー展開をあらかじめ告げたとして。それを変えられるかどうか。
すでに知っている彼女が秘密裏に動いているからこそうまく行く確率があるのであって、表だって改変を行って仕舞えば何の影響が出るかわからない。
彼女が夜な夜な徘徊していた二次創作の界隈では『アステル救済話』が沢山あった。多くの人に愛された、純粋で一途なアステルのファンたちは彼の死を哀しみ、解決策を沢山見出している。
それを元に動いていたアイリスは眉を顰めてスプーンを握りしめた。
アイリスのように異世界転生をしてアステルに全てを打ち明け、ともに手を携えてストーリー改変を行った二次創作の主人公は……バタフライエフェクトを起こし、最終的には登場人物全員を殺してしまっている。
そんな事を起こすようなことは、彼女にできるはずもない。
「言えないのか」
「……いえ、ません」
「理由があるんだな?」
「はい」
「言ったらお前が死ぬ、とかそういうものか?お前はこの先の未来を知っているのか」
「…………」
「本当は、パナシアに……いや、オレに憧れではなく憎しみを持っているという可能性もあるな」
「あり得ません」
「確証がないだろう。お前は先ほどの沈黙で『未来を知っている』と告げた、明らかな危険人物だ」
「…………それでも、申し上げられないのです。私が見たものは、口にすればどうなってしまうかわかりません」
「口にしたらどうなるか――なるほど、そういう事か。預言のようなものじゃないか」
突然破顔したアステルはアイリスの頭を優しく撫でる。困惑したままのアイリスはアステルの深い瞳を見つめた。
「お前の神聖力は未来視のようなものなのではないか?予測では自己治癒力だと思っていたが」
「あ、あ……ええと、」
「重い荷物を持てる、長時間早駆けをしても消耗していない、あとはそうだな……知識の幅からして眠る時間を削って学んだんだろ?そんな暮らしを20年続けたとしたら、そこまで熟すだろうとは思った」
「はい、それは、そうです」
「未来視を持つ者はそういない。うまく利用されてボロ雑巾になる人を見た。これは、秘するべきだろう」
「私はそうなっても構いません」
「……パナシアについては、どこまで見えている?」
アイリスはわずかに逡巡し、優先すべき事柄を頭の中で組み上げていく。
瞳の中に写るその思考の一端を感じたアステルは、口を閉じて彼女の返答を待った。
「まずは、教育係の一新から始めなければなりません。
パナシア様には教育が反映されていませんわ。……恐らく、先生が彼の方を萎縮させています」
「その通りだ。食事から歩みまで指摘されて、混乱を抱えたまま暮らしている。オレにはどうにもならない部分でな……アイリスなら王族の教育もわかるか」
「はい、勿論です。それから、神聖力につきましてもそうです。ですからゾーイを」
「あぁ、わかった。彼を召し抱えよう。他にもあるのか?」
「ありますが、あまりにも多くて……紙が欲しいです。それから、まだお伝えできないこともあります」
「ふむ……」
「私が情報をここで書いて、お伝えする形にしましょうか。とりあえずはそれでもどうにかできるでしょう。聖女様の環境を変えて差し上げなければずっとこのまま苦しい思いをされます。……まずは紙をいただけたりしませんか……?」
アイリスの眉が下がったままの顔を見て、アステルが表情を緩めた。彼女が本当に敵ではないのだ、とようやく腑に落ちたのだ。
自分を牢から出してくれと願う前に、パナシアの心配だけをしてくれている事がただ嬉しかった。
「そんな顔をするな。……オレは、この上ない味方を得たんだな」
曇りのない瞳でアイリスを見つめ、彼は少年のように笑って手を差し出した。
「今回の褒美を考えよう。それから、アイリスにも活躍してもらう。パナシアの助けになってくれるのだろう?」
「は、はい!もちろんですわ!」
「よろしく頼む」
差し出したアステルの手をそうっと握るアイリスはゆるゆると嘴をあげ、心底幸せそうに微笑んだ。
月明かりが差し込む暗がりの牢の中で、彼女は確かに柔らかな笑みを湛えていた。
アステルはその手を握り、彼女を立たせる。食器を持ったままの彼女を横抱きに抱え上げて、彼は牢から出た。
「え?えっ??え???」
「四日間も歩いたんだ、足が痛いだろう。とりあえず風呂と、手当てと……」
スタスタ歩くアステルの腕の中で、顔を真っ赤に染めたアイリスはスプーンを握りしめたまま茫然と彼を見上げた。そして、その瞬間お腹の虫が鳴る。
「食事の追加だな」
「う、うぐ。申し訳ございません」
「オレこそすまなかったな、食事はもう一食あるはずだったんだ」
「あぁ、牢番の方が目の前で召し上がってましたわ。この国のよくない部分も、どうにかしたいですね」
「あぁ、それもそのうちに頼む。今のうちにせいぜい恩を売っておこう。
居室に着くまで眠っていていい」
暖かな体温に包まれたアイリスは彼が喋っているうちに瞼を半分下げ、必死に眠気と闘っていたが……いつの間にか目を閉じていた。
「約束を破られたかと思った」
「むにゃ……んぇ?」
「秘密の食事の友に頼んだだろ。〝お前は生きろ〟って」
この上なく幸せな気持ちでアイリスは微笑み、いつも通りに奇妙な笑い声が上がる。
「ムフッ、ムフフ……アステル様に、嘘はつきません……」
「怪しいものだ。だが、あの時の恩は返したからな。これでオレたちは対等だ」
「むにゃ、はい、はい」
「アイリス、よくやってくれた。もう寝ろ、しっかり休め」
アステルの低く優しい声色に導かれて、アイリスは柔らかな眠りに深く深く沈んでいった。