恋仲を見せつける
レナルドに贈られたドレスとアクセサリーを身に着け、レナルドのエスコートで出席したモウヴ子爵の夜会では、ふたりでくっついていた。
レナルドの手はずっと、わたしの腰か背中に添えられている。
いくら幼馴染兼友人でいた時間が長いとしても、この距離ははじめてだし、心臓によろしくない。
でも、レナルドは平気な顔をしているので、わたしも気合を入れて平気なふりをする。
「次は美術館にでも行く? 観劇でもいいよ。明日は無理かな。明後日か、明々後日に」
レナルドの提案に、わたしは正直に答えた。
「わたし、芸術はうとくてあんまり興味がないんだけど、あなたが行きたいなら一緒に行くわよ?」
「アリーヌが好きなことがしたいね。何かないの?」
「そうねえ」
釣りも乗馬も、基本的に領地のほうがのびのびできる。
レナルドをちらと見上げて、よく似た面差しを思い出した。
「そういえば、シュザンヌおば様は、ずっと伯爵家の本邸で療養中なのよね? 何かお土産を買いたいわ」
おば様には小さい頃から可愛がってもらっている。
わたしの、歯に衣着せすぎない言葉はしっかりたしなめてくれるし、ある程度なら自己主張は大切だと擁護もしてくれる。
こういうときこそ、恩返しをしたい。
「母上に? まあ、喜ぶだろうけど、少し腰を痛めただけで、割と元気だよ」
「でも王都には来ていないじゃない。お母様も用意するだろうけど、わたしもお見舞いも兼ねて何か探したいわ。ほかにも色々見たいものもあるから、お買い物がしたいわね。でも、あなたはつまらないでしょう?」
「いいや? じゃあ、買い物だな」
「それなら、美術館に寄ってから、買い物にしましょう。ね?」
うん、とレナルドはうなずきながら、わたしの髪をひと房、指に巻き付けて口づけた。
みんなに見せつけるにしてもやりすぎだと思う。
息が止まりそうになりながらも余裕ぶって、わたしは微笑みを浮かべる。
それにしても、なかなかミュゼット様の婚約はととのわない。よりどりみどりで選べないのか、まだ遊びたいから選ばないのか。
この調子なら、わたしたちの演技はシーズン中は続くのかもしれないけど、そろそろ十分だとも思う。
いままで素振りもなかったというのに、急接近したかに見えるわたしたちは、退屈な社交界で格好の暇つぶしのネタだ。
狙い通りとはいえ、お母様は浮足立ってきたし、お父様も物言いたげにわたしの顔を見ることがある。
わたしはのらりくらりと躱しているけど、今シーズンのあと、ただの友人に戻った際も、面倒は面倒になりそうだ。
そう考えつつ、わたしは少し顔をしかめた。
レモネードを飲みすぎたのかもしれない。
いつもだったら、だれに気兼ねすることもなく、自由に動き回っているんだけど、今回はレナルドがべったりくっついているので、言わないわけにもいかない。
「レナルド。少し、化粧室に行ってくるわ」
「ん、ああ、わかった」
「あら、今度はワイン? さっきはシャンパンだったわよね? 酔っぱらったら放って帰るわよ?」
「そこは介抱して欲しいな。大丈夫。ぼく、お酒には強いほうだから」
そんな軽口を叩きながら、彼の手から離れる。
廊下の角を曲がるとき、少しだけ視線を流せば、レナルドはわたしを見ていた。
レナルドから贈られたドレスもアクセサリーも、気に入っているけれど、処分してしまおう。シーズンが終わったら。
未練がましく、持ち続けるものじゃないもの。そのお金でもう一度淑女教育を学んで、レナルドも言っていたように、富裕層の女性にマナーを教えることならできるようになるんじゃないかしら。
レナルドからのコンパニオン職の紹介も、遠慮したほうがいいわね。ただの友人関係ならともかく、仕事の紹介をされたとなると、その後までお互い気にするでしょう。
そんな関係をずるずる続けるものじゃないわ。
数十年経ってから会うのなら、何もかも甘酸っぱい思い出になることでしょう。
よし。
用を済ませ、ついでに髪型や化粧を確認して、化粧室から出ようかというところで、声がかかる。
「ねえ、あなた。アリーヌ様よね?」
「ええ」
まっすぐにわたしを見てくるのは、ミュゼット様だ。今日も最新流行のドレス――毎回違う装いで、彼女が作っている流行でもある――で、完璧に自分を演出している。
妖精のように可愛らしくも見えるものの、目つきが可愛らしくない。
ミュゼット様は、わたしを上から下まで、無遠慮に眺めまわして、ふんと鼻を鳴らしたようだった。
自分のことは棚にあげるけど、かなり失礼じゃない? この令嬢にのぼせ上がっている紳士ってどうなの?
「わたくし、マイリー侯爵家のミュゼット・マイリーと申しますわ」
「存じ上げております。何か御用ですの?」
わたしの名前を知っているんだから、自己紹介は不要でしょう。
こんなところで立ち話はあんまりしたくない。どこであっても、彼女と話しが合うとは思えないけど。
「わたくしではありませんわ。こちらの方が、あなたを探していたのでお連れしたのです」
ミュゼット様に招かれて姿を現したのは、ひとりの紳士だった。
「ありがとう、ミュゼット嬢。アリーヌ嬢、レナルドが少し酔ったようで、この家の客間を借りているんだ。きみにきて欲しいと呼んでいるんだよ」
「まあ、そうなんですね」
「部屋まで案内しよう」
「――ご親切に」
身長は男性にしては少し低めで、少し肉付きがいい。手の感触が、小さな子供のようだった。黒い目は子犬のようで可愛らしいともいえる。少しお酒の匂いがしたものの、清潔感はあるし、危機感を抱くような相手ではなかった。
わたしの知らないレナルドの知り合いであるなら、邪険にするわけにもいかない。
差し出された腕に、わたしは手をかける。
ミュゼット様は用は終わったとばかりに――実際そうだけど――踵を返す。
わたしはその紳士に頭を下げた。
「お手数をおかけして申し訳ございません」
「いえいえ」
レナルドったら、飲みすぎよ、まったく。
だから言ったのに、何が、お酒には強いほう、よ。
「こちらですよ、アリーヌ嬢」
「ありがとうございます」
舞踏会の会場から離れ、廊下に並ぶドアのひとつが、男性によって開かれた。
わたしは、室内に進みつつ呼びかける。
「レナルド?」
室内の燭台に明かりはあるものの、数本のろうそくだけでは部屋を見渡すことはできない。
この屋敷の客間のはずだ。
具合が悪すぎてベッドで寝ているのだろうか。
「レナルド、眠っているの? 具合はどう?」
また数歩室内に入ったところで、ドアの閉まる音と鍵がかかる音が聞こえ、それから背中に衝撃を受けた。
「きゃ……ッ!」
何やら背後から締めつけられている――抱きしめられているのかしら。
「ちょ、ちょっと! 何――」
「おまえ、花婿を探しているんだろう? おれが立候補してやるよ。好みじゃないが」
「はあ!?」
身をよじったところで、横幅が違いすぎるし、もちろん腕力も筋力も違う。
「この!」
ダンスを失敗したときのことを思い出して、かかとで相手のつま先を思いきり踏みつける。
「痛い!」
腕が少し緩んだのですかさず身を回して、つま先で股間を目指したものの、距離が近すぎたからか、的をはずした。
それでも相手がひるんだので、さらに距離を取ることには成功する。
「こ、この、じゃじゃ馬――。麗しの女神の爪の垢でも煎じて――」
再度襲い掛かってくる様子を見せたので、円を描くようにじりじりと距離を取る。
そのとき、近寄ってくる声が聞こえた。
――こちらですわ。
――ここ? アリーヌ? 鍵がかかっている――。
ガチャガチャと音がしたあと、どんどんと乱暴にドアが叩かれる。
「アリーヌ! いるのか!?」
「レナルド!? ここにいるわ!」
「この、黙れ!」
「寄らないでよ! あっち行きなさい!」
ちょうど手が触れた棚に本が数冊あったので、しゃにむに投げつける。
数度揺れたあと、ものすごい音がして、ドアが開いた。どうやら、鍵が壊れたようだ。
「アリーヌ! 無事――」
「あら、レナルド。元気なのね?」
肩で息をしながら、両手に本を持ち、わたしがそんなことを言えば、レナルドはさすがに首を傾げた。
「え? 何、どうなっているんだ?」
本をどさっと落とし、手をぱんぱんとはたき、ドレスをととのえ、髪をなでつけてから、わたしは言った。
「あなたが酔ってここにいるって聞いたから。あいつが案内してくれたのよ、部屋に入ったら、抱きつかれて」
「――」
黙って聞いていたレナルドが、突然真正面からわたしを抱きしめる。
寸前に目の隅で、ミュゼット嬢が立ち去るのが見えた気がしたけど、それどころではない。
「ちょ、苦しい」
「誰だ、あいつ」
「知らないわ。あなたの知り合いでもないの?」
その男は急にわめきはじめた。
本が当たったのか、頬のあたりがすりむけているようだけど、罪悪感はない。
「ア、アリーヌは、おれと結婚するんだ」
いきなりの宣言を、わたしは力一杯否定した。
「するわけないでしょ! そもそも、誰!?」
だんだんと人が集まってきている。ゴシップに飢えている社交界の面々は、嬉々として噂するだろう。
この場合、どういう風な噂になるのかしら。
もしかして、わたしが中心人物? それはちょっと――いえ、かなり嫌だけど、流れを考えるとそうなるわよね、きっと。
そして、騒ぎを聞きつけた主催のモウヴ子爵夫人もやってきていた。
「まあ、皆様、なんの騒ぎですの? あら、レナルド様にアリーヌ様。まあ、まあ。スメ男爵? ええっと?」
レナルドがまだわたしを抱きしめたままだったので、にんまりするべきなのか顔をしかめるべきなのか迷った挙句、夫人は不思議な表情を浮かべていた。
そこに男――スメ男爵――だったらしい。知り合いじゃないけど――が、割り込んだ。
「んん? おれは、そこのアリーヌを妻にして、ふふ、麗しの女神の愛を得るんだ」
麗しの女神?
さっきも言っていたけど、このひと、やっぱり酔っぱらっているの? お酒の匂いはあまりしなかったけど、弱いひとは弱いものね。
そんなことを考えながら、はっと気づけば、レナルドが手袋を脱いでふりかぶりかけていた。