お芝居をはじめる
翌日、レナルドが我が家を訪問した。
赤い薔薇の花束だけ残して帰ったんだけど、舞踏会で踊った翌日に訪問ということは、求婚もしくはその意図があるとこの国では思われる。
帰りしな、明日、一緒に出かける約束をした――させられた、というほうが正しいほどの笑顔の押し売りだった上に、行先は秘密と言われたのだ。
意味がわからない。
「まあまあ。レナルドが来ていたの? わざわざ来たのに、お花を置いていっただけ? アリーヌったら、せめてお茶に誘わないと」
「用事があるんですって」
「そう。そういえば、昨夜、あなた、レナルドと二曲も踊っていたわね」
「幼馴染だもの。踊りたければ踊るわよ。お母様」
「ええ、そうね。彼が相手なら構わないわ。喜ばしいことよ」
お母様は盛大に勘違いをしている。
そうね。このお芝居には、ほかにもメリットがあったわ。お母様が仕組むお見合いや、結婚関係の小言から、しばらく解放される。
少し心が痛いけど、お母様にもお父様にも、わたしの結婚はいい加減諦めて欲しいところだ。
そして翌日、約束通りやってきたレナルドにお母様はご機嫌である。
「まあぁ、こうして見ると、本当に立派な若者におなりだこと! あの小さかったレナルド坊やがこんなに――」
「お母様」
わたしが声をかけても、お母様はレナルドを解放しない。
「シュザンヌが今シーズン、王都に来られないなんて、残念でならないわ」
「母は階段を二段ほど踏み外して少し腰を痛めまして。元気は元気なんですが、馬車で長距離の移動は難しいと」
「そうなんですってね。手紙をもらったわ。領地に戻ったら、またお茶でもしましょうね」
「ええ、ぜひ」
「それにしても本当に――」
「お・か・あ・さ・ま!」
きりがないので、強引に割り込む。
「わたしたち、出かけるのよ。もういいでしょう?」
「ええ、ええ、そうね。行ってらっしゃい」
非常に思わせぶりな笑みを浮かべたお母様に見送られて、わたしたちはロセ伯爵家の家紋のついた馬車に乗り込んだ。
「もう! レナルドも、律儀に相手しなくてもいいのよ」
「一応、恋人の母親だし。子供のころからの知り合いだし」
「そうだけど」
ため息をついて、レナルドに行先を訪ねる。
「それで、どこに行くの?」
「マダム・アミの店。知ってる?」
「知ってるわよ、もちろん。有名なドレスショップよね? なかなか予約が取れないって話を聞いたわ」
「うん。そこに向かってる。ちゃんと予約はしてあるよ」
「わたしのドレスがお気に召さないということかしら?」
自分のドレスを少しつまみながら、レナルドを少しだけ睨む。
我が家は大金持ちではないけれど、貴族として体面を保つのには十分な資産はある。ドレスなら自分で用意すれば、レナルドに面倒をかけずにすむ。
はっきり言ってくれれば、こちらでどうにかしたのに。
「そういう意味じゃないよ。恋人なら、ドレスくらいは贈らないとね」
――なるほど。
こうやって勝手に勘繰って生意気なことを口にするから、わたしは花嫁候補にならないんだろう。
ちょっとだけ自己嫌悪して、反省する。
「ごめんなさい。でも、よく予約できたわね。っていうか、ふりなんだから、そこまでしなくてもいいんじゃない?」
「そう言うと思ったから、行先は黙っていたんだよね。これは、真実味の問題だよ。次のパーティではそれを着てくれれば、みんなにわかりやすいだろう?」
「それは、まあ、そうかもしれないけど」
レナルドに贈られたドレスを着て、レナルドのエスコートでパーティに出席となれば、恋人としては完璧だろう。
「でも、わたしは動きやすいものが好きよ。なんだったら、あなたとお揃いの紳士服にして欲しいくらいだわ」
「ぶふ。ごほ。アリーヌなら、ふっ、そうかもね」
「笑いすぎよ」
わたしが頬を膨らませても、レナルドの肩はまだ震えている。
「ご、ごめん。はは、きみのサイズにそれを用意しようか? でもパーティにはドレスが華やかだからね」
「一着だけよ? それで充分だと思うわ」
「そうだね。とりあえずは。じきにまた来ればいいし」
「レナルド……」
「不要なら売ればいいよ。お金は今後、必要になるかもしれないだろう」
「――ふむ」
そんな話し合いが終わる頃、ちょうど店の前で馬車が止まる。
連れ立って中に入れば、デザイナーもやってきて、あれこれ見本を並べ始めた。色、布、デザイン、決めることはたくさんある。
目指している夜会は来週だし、あまり日数をかけられないということで、現在仕立てあがっているシンプルなドレスのサイズを手直しして、少し飾りを足すことで話がまとまった。
わたしが気に入ったのは、落ち着いたオレンジ色のドレスだ。それにレースとリボンを重ねて、シンプルかつパーティ用に華やかに仕上げる。
わたしにはあまりに可愛らしいもの似合わないし、シンプルなもののほうが自分でも落ち着くので、なかなかいい感じに仕上がるだろう。
その次の晩の舞踏会には、もちろんレナルドのエスコートで、わたしの手持ちの、ところどころに白いレースをあしらった落ち着いた赤い色味のドレスで出席した。
「ミュゼット様は相変わらず、とりまきが多いわね」
彼女はパーティ好きで有名で、毎晩のようにどこかの会場に顔を見せている。今晩は、同じ舞踏会に出席していた。
そしてときおりこちらを見て――気のせいでなければ、わたしを射殺しそうな目で睨んでいる。
話したこともないはずだけど、何か気にいらないことがあるんでしょう。関わり合いにならないのが一番だわ。
わたしたちはワルツを二曲踊って、他のひとともそれぞれ数人踊った。それからふたりで会場の隅に行き、くすくす笑ったり人々を眺めたりしていたものの、早めに会場をあとにする。
「彼女はもうエスコートしろとは言ってこないだろうし、求婚者たちもつっかかってこないよ」
「そのための、このお芝居だものね」
「おかげ様で大助かり」
顔を近づけてそんな会話をしていたなんて、誰も思いもよらないに違いない。
レナルドからは頻繁に薔薇の花束が届き、一緒に外出する回数も増えた。
王立公園に散歩に行けば、相当数の視線がわたしたちに注がれる。
わたしたちが付き合っているということを、信じてもらうためにやってきたのだ。注目してもらわなくては困る。
紳士淑女が馬車や徒歩で行き交い、昼間の社交場と化している公園を散策しながら、レナルドが言った。
「そういえば、アルバンは都に来ていないのか?」
「あの子は、今年の九月から学園に通うでしょう? それで今シーズンは自由にしたいって、領地で馬の世話に勤しんでいるわ」
貴族や富裕層の子息は、十六歳になる年に、王立学園に入学する。本人や家の事情によりけりだが、三年で終了する者もいれば、その上の大学まで通う者もいる。
アルバンは今年十六歳になる。馬が大好きで、お父様と厩舎番に毎日頼み続けて、日々、馬とともにいる。きっと大学まで進み、馬の勉強をしたいと言い出すだろう。
「ははあ。馬か。今度、調教師を紹介しようか? 確か友人の親類に、腕のいい調教師がいたはずだ」
「喜ぶと思うわ。あ、聞いてよ。あの子ったら、ひどいのよ。たまには馬を見に来いって言うから、厩舎に行ったのよ。たてがみがすごく綺麗な鹿毛がいてね。そのたてがみを三つ編みにしたの。そうしたら、ものすごく怒られたわ」
わたしがそう言うと、レナルドが吹き出した。
「三つ編み――。たてがみを――。アルバンが大事にしている馬なんだろう」
「あの子は馬ならみんな大事にするのよ」
「それは、はは、怒るのも無理はない」
「だって、編みたくなったんだもの。リボンをつけたかったんだけど、厩舎番にまで怒られて、散々よ」
「リボン――それは――、ごほ、アルバンたちが正しいと思う」
「そうかしら。別に三つ編みしたっていいじゃない?」
わたしたちをちらちら見ている人々は、甘い会話を交わしていると勘違いしてくれるだろう。
実際は、かけ離れた内容だったとしても。
「一周したし、十分だろう。そろそろ帰ろうか。カフェでお茶をしてもいいね」
「そうね。ちょっと喉が渇いたかも」
「うん。明後日の夜、モウヴ子爵家で夜会。忘れてない?」
「覚えてるわよ、ちゃんと。ドレスも届いたわ。ありがとう」
「よかった。あ、そうだ。カフェの前に、寄りたいところがあるんだ。付き合って」
「ええ、いいわよ」
レナルドが向かった先は、ロセ伯爵家御用達の宝石店だった。
「このあいだのドレスにも合うと思って。アリーヌにも似合うよ」
黒いベルベットの上にあるのは、小花のようにあしらったインペリアルトパーズの周りに、葉のようなペリドットが広がっていく金色のネックレスと、お揃いのイヤリングだ。
「わたしたちの瞳の色ね? やりすぎじゃない?」
「このくらいしないと、男の嫉妬は怖いからね。ぼくとミュゼット嬢はまったく関係がないと、できる限り主張しないと」
「……そう?」
わたしを想って贈ってくれたものなら、どれほど嬉しいだろう。
ドレスと一緒で、断っても押し切られることはわかっている。
だからわざと、ふざけたように口にした。
「返さないわよ?」
「もちろん」
「それなら、ありがたく、いただくわ」
実際、とてもわたし好みのアクセサリーだ。派手ではないものの、細かな細工が素晴らしい。
それらの甲斐があって、社交界新聞に取りざたされた。
結婚指輪の購入かだの、熱愛だの、婚約間近だの、おめでたい文言が紙面に踊る。
わたしたちの思惑通りである。