恋人のふりを頼まれる
そう友人。わたしはちゃんと友人をできているはず。
誰にも噂されないのがその証拠よね。
そもそも、レナルドがさっさと身を固めてくれれば、わたしもすっきりするんだけど。
内心で言いがかり気味な文句をつけていると、目の前に手が差し出された。
「もともと彼女とは、会場までという約束だったんだ。なので、アリーヌ、一曲お相手していただけるかな?」
わたしは、パチンと扇子を閉じて応じる。
「残念ね。わたし、ちょっとお腹空いてきたから、別室で軽く何かつまみたいの。ほかの相手を探して」
「それなら、ぼくも行く」
立ち上がったわたしの手を、レナルドはさっさと自分の腕にかける。
「あなたと踊りたい令嬢はたくさんいると思うけど」
「ぼくが踊りたい令嬢はいないから」
「そう? 独身の令嬢は、それなりに来ているみたいよ」
「ざっと見たけど、もれなくぎらぎらした母親がついてくる感じだからね。暇だったから出席したけど、今晩は逃げようと思う」
そんな台詞に、ほっとした自分が、いやになるわ。
いい加減、この感情どうにかならないかしら。
でもおくびにも出さないように、わたしはそっけなくうなずいて見せた。
「じゃあ、付き合ってさしあげてもよくってよ」
「あはは、よろしくお願いします、お嬢様」
レナルドにエスコートされて、わたしは軽食が並べられている別室へ向かった。
音楽がかかりはじめたばかりのせいか、こちらにいるひとは少ない。
さすが公爵家というか、見た目も種類も、文句のない軽食が並んでいる。
わたしはキュウリのサンドイッチをいくつかお皿にとって、目立たない壁際の椅子を目指すと、レナルドはシャンパンを持ってついてくる。
腰を下ろしてから、レナルドがひどく改まったふうに口を開いた。
「折り入って、アリーヌに頼みがあるんだ」
「ん? 何?」
かじったサンドイッチを飲み込んでから聞き返す。
「ぼくの恋人のふりをして欲しい」
「――はあ?」
サンドイッチを落としかけたものの、慌てて持ち直した。
なんで恋心を砕いた――まあ、わたしが勝手に砕けたんだけど――相手の恋人のふりをしなくちゃいけないのよ。
「ミュゼット様にでも頼みなさいよ」
それから行儀悪く大きな口を開けて、食べかけのサンドイッチを放り込む。
わたしに恋人のふりを頼むなんてという腹立たしさと、他でもないわたしに頼んできたという多少の満足。
キュウリの食感が好きなんだけど、感情が乱れて楽しむ余裕はない。
「冗談だろう、アリーナ。彼女に頼んだら、最悪、家同士が結託して教会まで最短コースの道ができる」
「んんー? じゃあ、なんでエスコートしたの」
「彼女に頼まれたから」
「レナルド……」
わたしは肩を落とした。
頼まれればなんでも引き受けるなんて、そんなお人好しだったかしら。
うちのお父様はのんびりしていて、領地の経営もほどほど、社交もほどほど、娘の目から見て可もなく不可もない。でも使用人や領民には好かれているのだから、それが一番だとも思う。
お母様がしっかりしているから、バランスはとれている。
レナルドのお父様であるロセ伯爵も、わたしには優しいおじ様であるけれど、マティアス様から少し聞いた話では、なかなかやり手なのだそうだ。
領地の農地改革や、物流を考えた街道の整備はもちろん、貿易船に出資して莫大な利益を上げているらしい。国王陛下とも学生時代の友情が続いていて、さらに領地のパン屋の値段から異国の大臣の趣味のことまで、幅広く情報通であるという。
そんな父親を持つ息子が、こんなにお人好しに育つなんて、伯爵家の行く末がちょっと不安だわ。
「アリーヌ?」
「え? えっと、なんだっけ?」
「ミュゼット嬢のエスコートは、頼まれたからしただけ」
「ああ、そう、その話ね」
「そもそも、それを引き受けたせいで、恋人が必要になったんだけど」
「どういうこと?」
「彼女は毎回違う男性にエスコートを頼むんだよ。求婚者を順番にね」
――ということは、彼も求婚しているのね。
やっぱりほんの少し胸がうずいたけど、上手に隠せていたと思う。
わたしも未練がましいわ。まだ好きなのかしら。まあ、好きだけど。レナルドが結婚すれば、綺麗さっぱり消え去る感情でしょう。
「あなたも彼女に求婚していたってことなのね? それならいいじゃない」
求婚相手にエスコートを頼まれたのだから、本望だろう。
ところが、レナルドは真顔で否定した。
「ぼくは彼女に求婚していない。ちなみに、彼女以外にも、誰にも求婚はしていない。だから、どうしてぼくに頼むのか、本人に直接聞いたんだ。そうしたら、順番に頼んでいたら回数が合わなくなって、二回のひとと三回のひとがでて喧嘩になる。端数合わせにお願いって」
「はあ」
あんまり聞かない理由だけど、そういうことをする女性もいるという勉強にはなった。
「ぼくは婚約者もいないし、噂になるような恋人もいないし、迷惑にならないだろうと思ったって、ミュゼット嬢は言ったよ」
「まあ、その選択は正しいわよね?」
「その選択を引き受けた結果、彼女に求婚している連中に睨まれて、面倒になりそうなんだよ。さっき、さっそく、あとから来た若造のくせに、って誰かに舌打ちされた」
「ああ……。そこまで考えなかったの?」
「んー」
返事が曖昧だったところを見ると、深く考えてはいなかったのだろう。
彼女が順番にエスコートを頼んでいるということを、求婚者たちは知っているだろう。
レナルドがエスコートしたということは、求婚者の仲間入りをしたとみなされたに違いない。ライバルが増えて、うれしい状況ではないのだ。
しかもレナルドは、人気の花婿候補のひとりでもある。
女性の嫉妬や牽制もたいがいだと思っていたけど、殿方も変わらないようだ。
「だから、ぼくには恋人がいるって示したいんだ。ミュゼット嬢をエスコートしないで、アリーヌにくっついていれば、男連中の嫉妬はなくなるだろう?」
「そうでしょうけど。ほかの令嬢も寄りつかなくなるんじゃないかしら?」
「それは、いまのところ問題はないよ」
レナルドはにっこりと笑う。
ええ、そうでしょうとも。
わたしは知っているわ。
毎年、妙齢の令嬢やその母親、関係者が、あなたに紹介されたがっていることを。あなたは、パーティでは気が向けば踊るし、気が向かなければさっさと帰ってしまうということも。
『本当にいつまでもふらふらと! アリーヌ、あなたもそう思うでしょう!?』
シュザンヌおば様はそう嘆き、同意を求められたけど、わたしは曖昧に笑うしかなかった。
それはさておき。
「わたしの結婚事情はどうなのよ。あなたの恋人だって噂になったら、わたしに男性が寄ってこなくなるわ」
そもそも最近は誰も寄ってこないし、求めていないけど。
そうすると、レナルドが不思議そうな顔をする。
「え? 結婚しない予定だって、聞いたけど」
「誰に?」
「アルバン」
知られていたか。
それも当然かもね。隠しているわけじゃないし、アルバンには宣言のような形で伝えていたし。
あの子は、姉と自分の将来の何を想像したのか、複雑な顔をしていたけど。
「まあね。その代わり、何か自立する手段はないかって考えていたら、特に何も思い浮かばなくて、ちょっと困ってるのよね」
「ああ、もしかして、さっきの百面相」
「ええ」
百面相? そんなに顔に出ていたのかしら。
次からは扇子の陰で考えることにしようと心に決める。
そのとき、レナルドが思いついたとばかりに指を鳴らした。
「じゃあ、恋人のふりをしてくれたら、アリーヌが自立できる援助をするよ」
なかなかそそられる提案だ。レナルドの意見を参考にできるかもしれない。
「例えばどんな?」
「そうだな。新興の富裕層の令嬢に淑女教育をするような教室を作るとか? どこか立地のいい場所とかを選ぶのに――」
「本気? わたしに淑女教育の教師ができると?」
「……ええっと」
レナルドの目が泳ぐ。
なんて正直者。
「ちなみに、ピアノも刺繍も水彩画も、そこそこよ」
「……知り合いのご婦人に、コンパニオンとして推薦するよ」
「いいわね。最終手段としてあると気が楽になるわ」
一番無難な選択肢でもある。
ベアトリスにお願いしようかとも思ったけど、友人からお手当をいただくのも何か違うような気がして、いやだったのよね。
「じゃあ、引き受けてくれる?」
「そうね。いざとなったら、コンパニオンの件、お願いね」
「わかった」
「期間は? 今シーズン? ミュゼット嬢の婚約が決まるまで?」
「そうだな。短ければ彼女の婚約まで、長くても今シーズン」
「じゃあ、商談成立ね」
そこにいた使用人から、レモネードを受け取って、わたしはレナルドのシャンパングラスに軽く当てた。
「ところで、恋人のふりって何をどうすればいいの」
「まずは会場に戻って、二曲ばかり相手をして」
「それはいいけど。でも、わたしたちって、そういう関係にはならないって思われているんじゃないかしらね。このお芝居、あんまり真実味がないと思うんだけど」
「真実味があるように、がんばるし、がんばってよ」
「はいはい」
「あ、誰にも内緒だよ。謀は密なるをもってよしとする」
「ベアトリスにも?」
「当然。そうすれば秘密は漏れないからね」
「了解」
それから会場に戻って、ワルツを二曲踊ることになった。
さすがに少し注目はされたものの、普段が普段だからそれほど気にもされなかった。
ただ、途中で視線が痛いなと思ってちらと見れば、ミュゼット様に睨まれていた。
なぜ?
美人だと思うけど、なんていうか、底意地が悪そうな顔立ちなのよね。友人じゃないし、友人になろうとも思わないから、構わないけど。
音楽が終わり、レナルドにエスコートされて壁際の椅子を目指していると、待ち構えていたかのようなベアトリスが、控えめながらしっかりと腕を組んできた。
「ベアトリス? どうしたの?」
「ええ、ちょっと。よろしいかしら、レナルド様?」
「もちろん」
さっきと逆のパターンである。
レナルドは令嬢や母親たちをうまく避けつつ、友人たちのほうへ向かっていった。
ベアトリスに引っ張られるようにして、わたしは椅子に座りこむ。
「どうしたの、ベアトリス。マティアス様と喧嘩でもしたの? わたし、文句を言ってくるわ」
「わたしのことじゃないわ、アリーヌ。どうしたのはこちらの台詞よ。レナルド様と続けて二曲踊るなんて」
確かに、いままではどんなダンスも、相手が誰であれ一回しか踊らなかった。
「そういう気分だっただけよ?」
なんてことないふうに笑えば、ベアトリスは軽く目を見張る。
「き、気分て。熱でもある? 何か変なものでも食べた?」
「大丈夫。正気よ。友人だもの、踊りたいだけ踊るわ」
砕けた恋心の話は、ベアトリスには話してある。
七年も前のことだし、いまはレナルドとは友人だし、結婚は諦めていると話してもいる。
だからベアトリスは、純粋に、わたしを心配してくれているんだろう。
「アリーヌ。本当に、大丈夫なのね?」
「ええ、もちろん」
「ごめんなさい、余計な気を回しすぎたみたいだわ」
「まさか。心配してくれたんでしょう、ベアトリス。うれしいわ」
「じゃあ、ついでにもうひとつ。三回目を踊る前に、よく考えてね?」
一晩で同じひととの三曲のダンスは、結婚を意味する。
なかなか馬鹿げたしきたりだと思うものの、そう周知されているのだから仕方がない。
「ええ、わかってる。さすがに、それはしないわよ」
お芝居だと話せればいいんだろうけど、レナルドと約束したし、友人関係だから気分次第ということで押し通すしかない。
終わってからすべて話せば、きっとベアトリスは理解してくれるだろう。
そもそも自分の結婚式の準備で、それどころではないかもしれない。




