砕けた恋心は隠している
全6話、2月8日~13日まで、毎日夜20時頃更新予定です。
設定ゆるゆるです。
よろしくお願いします。
七年前――。
わたし――アルズ子爵家長女であるアリーヌ・アルズが十四歳のときのことだ。
わたしは一歳年上の幼馴染が大好きだった。
彼もわたしのことを好きだと思っていた。
「結婚するなら、お淑やかな女性がいいかな。ぼくは将来、伯爵になるし、伯爵夫人にふさわしい女性を選ばなくちゃね」
彼の父親であるロセ伯爵の領地と、アズル子爵領は隣り合っている上に、母親同士仲がいい。
彼が母親――ロセ伯爵夫人であるシュザンヌおば様と一緒に、お母様のお茶会に来ていた日のことだ。
わたしと弟のアルバンと彼は、当然のことながら大人たちに混ざることはせず、子供部屋で、子供たちだけで過ごしていた。
わたしより六歳下のアルバンは、彼に懐いていて、覚えたてのチェスで何度も対戦をせがんだ。彼は嫌な顔ひとつせず、根気強く、相手をしてくれていたのだ。
ただ見ていることに飽きたわたしは、アルバンのために、チェスの指南本をお父様の書斎に取りに行き、戻ってきたタイミングが悪かったのだろうか。
「ふうん。おしとやかなひとがいいんだ」
「あ。そこに置くと、次の次で負けが確定するよ、アルバン」
「え! ちょっとまって! やりなおすから!」
どういう流れでそういう話になったのか、席を外していたわたしにはわからない。
アルバンはチェスの手を考えることに必死で、その会話に興味も意味もなさそうだった。
わたしが受けた衝撃を、弟が知るよしもない。
淑女らしからぬ盗み聞き――ドアが開いていたから、聞こえたのよ。中に入るタイミングを逃して、聞いちゃっただけよ――をした結果、わたしの恋心は砕け散った。
彼にとって、わたしは恋の対象ではなく、友人でしかないのだ。
一緒に川で魚を釣ったり、木登りをしたり、森を探検したりするような、淑女の真逆に位置する幼馴染は、確かに恋愛対象になるはずもない。
あのあと、わたしが淑女を目指すべきだったのだろう。彼に好かれたいのなら、そういう努力をするべきだったのだろう。
言い訳をするなら、多少の努力はした。
けれど、向いていないと思うと同時に気づいたのだ。
その努力が向かう先は、わたしがわたしではなくなるということだ。彼のためにと無理をすれば、いつかどこかで、彼のせいと思うような限界がくる。
そもそもこの考え方が自己保身な上、可愛げがないのだから、どうしようもない。
わたしは、わたしのまま、結婚適齢期を迎えることになった。
蜂蜜色の髪、同じような瞳の色。顔立ちは特別美しくもなく、背はやや高めで、めりはりのない体つき。よく言えば活動的なため、そこそこ筋肉がついているし、少し日にも焼けている。
子爵令嬢であり、貧しくもないが豊かでもなく、持参金とて一般的なものだ。
こうしてわたしは、いわゆる、花嫁候補とはみなされない令嬢になったのだ。
幸か不幸か、現在、変わりなく彼とは幼馴染であり友人である。
男女の友人なので、ほどよい距離間を間違えないように気をつかってはいるものの、良好な関係だと自他ともに認識している。
いまは社交シーズン中なので、王都では、あちらこちらでパーティが開かれていた。
珍しい商品を探したり、新しいお菓子を食べたり、領地にはないものも多々あるので、王都に来ることを、わたしは割と楽しみにしている。
ただ、わたしはそれほど社交が好きなわけではないので、そういった催しに頻繁に出席することはない。
この夜会に、両親と一緒に出席している理由は、主催者であるプリュイ公爵夫人がお母様の友人であるということと、お母様がわたしの結婚相手を探すのに必死だということ、それと親友が出席すると聞いたからだ。
デビューして五年目。
わたし本人にその気がないのだから、お母様には大変申し訳ないけれど、花婿探しは無駄な努力といえる。
プリュイ公爵夫妻に挨拶をすませ、両親と離れて、わたしは友人を見つけ声をかける。
「ベアトリス!」
「まあ、アリーヌ。会えてうれしいわ」
ひとりきりで壁際の観葉植物の横に佇んでいたベアトリスは、わたしを見るやふわりと微笑んだ。
黒い大きな瞳に真っ直ぐな黒髪は艶やかで、エメラルドの髪飾りと若草色のドレスがよく似合っている。
「ベアトリス。とっても綺麗」
「あ、ありがとう。あなたも素敵よ」
ぱっと顔を赤くして恥じらうベアトリスは、本当に綺麗だった。
ヴェルト伯爵令嬢のベアトリスは、近い将来、ムウセ公爵夫人になることが決まったばかりだ。
「マティアス様と来たんでしょう?」
「ええ、いま、知り合いに挨拶をって、行ってしまったところなの」
「あなたを置いて?」
顔をしかめたわたしに、ベアトリスは慌てて彼を庇う。
「行ってちょうだいって、わたしが言ったのよ。あなたが来ると思っていたもの」
社交界で同じ壁の花として過ごした友人の結婚は喜ばしい。
寂しいけど、うらやましいわけじゃないのが、わたしである。
「結婚式の準備は進んでいる? 手伝えることがあったら、なんでも言ってね」
「ええ、ありがとう。心強いわ」
そうしていると、音楽が聞こえてきた。
「失礼、アリーヌ嬢。ベアトリスをお借りしてもいいだろうか?」
ぬっと姿を現したのは、ベアトリスの婚約者――ムウセ公爵マティアス様だ。昨今の美男子の基準からははずれているものの、物語の中にいる、歴戦の勇者といった風格があるように思う。
大柄で不愛想なことから、三十歳になるいままで、令嬢たちには遠巻きにされていたようだ。そのおかげで、ベアトリスの心を射止めることができたのだから、むしろ幸いと言える。
ベアトリスを見るマティアス様の眼差しは、本当に柔らかで、わたしまでうれしくなってきた。
「もちろんですわ、マティアス様。どうぞどうぞ」
「アリーヌってば」
「ほら、踊ってらっしゃいよ」
「もう」
頬を染めつつ、マティアス様と連れ立って行くベアトリスは幸せそうだ。
わたしとベアトリスは、生涯独身でいたいわねって、壁際の椅子に並んで座って、よく話していた。
彼女はわたしとの話を気にしていて、マティアス様と恋仲になることをためらっていたようだけど、そんなバカバカしいことはない。
親友の幸せを妬むと思われているなんて心外――そう鼻息を荒くすると、ベアトリスは真っ青になってうろたえた。
わたしはベアトリスに信用されていないのかと思って悲しかったけれど、ベアトリスの気持ちも理解できる。
わたしたちはお互いの思いを吐き出して、親友を続けることができているのだ。
ベアトリスは少し内気で、自分に自信を持てないタイプだった。
マティアス様が根気強く、彼女を慈しんだ結果、いまのベアトリスはほんの少し胸を張るようになったと思う。
公爵であるマティアス様に恥をかかせないために、ベアトリスは自分を変えるべく一歩を踏み出したところだ。
ここまでの道のりを思い出して、わたしはつい遠くを見やった。
わたしは、マティアス様に感謝されてもいいと思うのよね。
ベアトリスの好きなものとか、すごく情報流して応援したし、ベアトリスの背中も押したし。
まあ、ふたりが幸せならいいわ。
ただ、こうやって、友人たちは結婚していく。
お父様は急がなくてもいいと言ってくれているけど、すでに行き遅れているわたしに、お母様はかなり焦っている。
さすがに、アルバンが結婚するまでには、将来を決めないといけないとは思っているのだ。
邪魔な小姑にはなりたくない。
けれど、男性諸氏は、妻には淑やかさを求めるものらしい。求婚らしきことをされたことがないわけではないけれど、わたしの行動に眉をひそめた殿方は少なくない。
池でのデートでは、ボートはわたしが漕いだし――だって、領地でもやっているから得意だし、実際、わたしが漕いだほうがよく進んだもの。
風に飛ばされて、木の枝にひっかかった帽子は、近くの老紳士から杖を借りて自分で取ったし――だって、そのほうが手っ取り早いでしょ。
初恋の相手を皮切りに、知り合った男性の希望は、淑女だ。
殿方の立て方を知っている女性だ。
それに気づいた段階で、わたしは結婚を諦めた――向いていないと思ったから。
男性が淑女を求める――好みが淑女だというように、わたしはわたしをありのまま受け入れてくれるひとを希望したい。
そういう男性が現れない以上、結婚するつもりはない――できるとは思えない。
となると、何か収入を得る手段を考える必要がある。
お父様はある程度、財産分与をしてくれるだろうけど、食いつぶしながら年老いていくだけというのも、あんまりな気がする。
貴族の令嬢のたしなみとして、ピアノはそこそこ弾ける。刺繍も、水彩画も、ダンスも、できはするけど、自慢できるほど上手というわけでもない。
よき貴族の妻となり母となる教育は、稼げる教育とは少し違う。
稼げそうなことを色々やってみたけど、ことごとく才能がなかった。
本格的に、手に職になるような師匠の弟子になって――なんていうのは、当然家族に冗談扱いされ、笑い飛ばされた。
上流社会の娘がひんしゅくを買わずにできる仕事といえば、家庭教師か、コンパニオンか、王室関係の侍女あたり。
王室関係の仕事ができるほど、わたしの淑女としての評判は芳しくないので、それは却下。
コンパニオンとして有閑マダムの話し相手にならなれるだろうか。物好きな夫人がいてくれることを願うしかない。
そんなふうに無意識に扇子を閉じたり開いたりしながら、壁際の椅子に座りこんでいると、声がかかった。
「アリーヌ? ひとり?」
少しだけ左目にかかって邪魔そうな髪は、艶やかなダークブラウン。新緑のような瞳は、女性が嫉妬するほど長いまつげに縁どられている。年齢より幼く見えるものの、整った顔立ちに、剣術で鍛えた体つきは細身でしなやかだ。
つまり、見目麗しい素敵な紳士、ということである。
「あら、レナルド」
「ベアトリス嬢は? いつもだいたい一緒にいるのに」
「マティアス様に取られちゃったわ」
「ムウセ公爵? ああ、婚約者なら仕方がないね。あそこで踊っているのがそうか」
「ええ。あなたこそ、ミュゼット様をエスコートしていなかった? 一緒にいなくていいの?」
「うん。あちらはあちらで楽しそうだからね」
ちらと、視線を動かせば、すぐ目に入った。
マイリー侯爵家のミュゼット様は、二十歳のはずだ。淡い金色の髪、明るい空色の瞳、人形のように整った顔立ち。十七歳でデビューした当時から、引く手あまたのご令嬢だ。なかなか婚約者を決めず、毎年多くの求婚者たちをまとわりつかせている。
いまも、数人の紳士に囲まれているところだ。
でも今晩、彼女をエスコートしていたのは、わたしの目の前にいる、ロセ伯爵令息だった。
わたしの初恋の君であり、現在友人であるレナルド・ロセ。