砂糖vs刃
俺は急いで車へ向かった。
運転席で足を上げているワタナベと、助手席で携帯電話とにらめっこしているタナカ。
俺は咳を一つしてから、ゆっくりドアを開けた。
「もう、何してたんですか!」
タナカが発信履歴の画面を見せつけてきた。
「ちょっと、捕まっちゃってさ。すまん、すまん。じゃ、行こうか」
ワタナベがため息を吐きながら、姿勢を正すと、車は走り出す。
「ジュンクン地区、奇妙な通報が入ったみたいですよ」
赤信号で停車してから、タナカが口を開いた。
ジュンクン地区は、ジュン地区のすぐ西に位置している。
「詳しく教えてくれ」
俺は胸ポケットからメモを取り出す。
「僕らが何十分と待たされている間にですね……」
皮肉な言い方しやがって。
「カトウさんから連絡が入りました」
「ということは、今日のことなのか?」
「いえ、確認できたのが今日みたいなんです」
「不在着信ってことか?」
「はい。それから、留守電が入ってたみたいで。警察なのに、おかしいですよね。誰も気付きすらしなかったなんて」
確かに。音もなく着信していたとしか考えられない。
いかなる通報にも瞬時に対応できるよう、受話器を取る練習をさせられるほどだ。
ちなみに、これだけはスズキに誇れるレベル。
「これは僕が直接聞いたわけじゃないですけど、こうあったみたいです」
『ナイフとカ、包丁とカ、日本刀とカ、もウ、色々なもので切り付けてくるんでス。助けに来てくだサ……』
流暢に話していたかと思えば、語尾がカタコトになる。
俺はこの話し方をする人種を知っている。
「まるで、焦っていない様子で、わざと通話を切ったように途切れていたみたいで、いたずらだと、連絡を受けて思っていたんです」
そういえば、タナカからの着信に紛れて、カトウさんからもかかってきていた。
俺を探しての着信かと思っていたが、このことだったのか。
「いたずらかどうかは、向こうに着けばわかることだ。とにかく、今日はそれを念頭に置いて置いて巡回するぞ」
タナカとワタナベは元気に返事をした。
着いて早々、タナカとワタナベは感じていないようだったが、確かに殺意を感じる。
俺は移動している間も、ハジメの忠告を頭の中で反すうしていた。
そうしていなければ、迷わずに能力を全開放させてしまいそうだから。
「先輩、どこ行くんですか?」
タナカの呼びかけで、いつもと違う方向に足を出していることに気がつく。
「まだ寝てるんですよ、頭も」
ワタナベに冷たく言われる。
「ん?」
足を出した先を見ると、一瞬、誰かが手招きしていたような……
「疲れてるのかもしれんな」
「先輩でも疲労感じるんですね」
率直な感想とも、嫌味とも受け取れる言い方やめて。
「本当に大丈夫ですか?あれなら休んでもらってても……」
俺はまた、無意識にさっき歩き出した方へ向かおうとしていたみたいだ。
「そっちに、何かあるんですか?」
わからない。なんとも言えない。
でも、俺の意志とは逆行して、こっちへ行きたがるんだ。とは、言えず……
「どうせ一周するんだし、通報もあったわけだし、あえて反対から巡回するのもありかもしれないですね」
どこか言葉は強いし、愛想のないやつだが、ワタナベは融通の利くやつだ。
「すまんな、なんか」
俺の顔に不安と書かれていたのか、タナカとワタナベが先導するように前を歩き始めた。
「いつまでも後ろでついていくだけだと、成長できませんしね」
「はい」
頼れる後輩だ。
俺は胸を張って二人の後についていく。
「住人が減っているとは言え、まだ人の行き来は多いですね」
「どうしても移れない人、脅威を知らない人、移ることを無意味だと思っている人、色々といるからな」
「政府はどうして、無理にでも移させないんでしょうか」
ワタナベがやや強い口調で呟く。
「できないから、しないんだよ」
なだめるように優しく答えた。
「殺人が表に出てきて、ほとんどの人が存在を知っている。そうなる前に、その話は出ていたんだ。けれど、ここでしか育たない野菜、ここにしかない景色、ここでしか生きられない生物。それはここに人がいて、成り立っているんだ。警察から避難を誘導したりもした。だけど、住人は反対してきた。その時、もっともなことを言われたんだ」
気づけば、二人は足を止めて話に夢中でいた。
「『何のための警察だ!人々を守るのが警察だろ!』ってね。その場にいた、俺含めみんなが言葉を失っていたよ」
俺たちは再び歩き出した。
「それだけ信じられてるし、頼られてるんだ。たとえ、住人が減ったとしても、それは逃げたんじゃない。俺たちに想いを託してくれたんだ。その想いに応えるために、俺は殺人と戦っている」
言い終え、二人の言葉を聞く間もなく、向かう先から悲鳴が聞こえてきた。
俺たちは何も言わず、走り出した。
スーパーに入ろうとしていた女性が腰を抜かして、尻もちをついている。
「大丈夫ですか!」
タナカが女性を抱えると、何かに怯えながら、その場から急いで離れた。
「あれが、噂の……」
ワタナベが目を丸くして、汗を流していた。
「……能力……持ち……?」
警察内部でようやく話にあがり始めた、能力持ちの殺人。
俺はその存在を七年前から知っている。
当時はそう見えただけだと思っていたが、警察に入ってから、それは見間違いではなく、本物であると知った。
しかし、能力持ちの殺人は全く現れず、存在を知らないものや信じないものもいる。
タナカとワタナベはそっち側の人間だろう。
目の前に、右手がカッターナイフの殺人が現れていた。
「見っケ」
「は……!?」
声が聞こえた?いやいや、気のせいだろう。
「サトウさん!指示を!」
そうだ。俺が指示を出さないと、そういう決まりになっている。
経験の浅い人間が勝手に動くと、かえって危険に晒されてしまうためだ。
「二人は直ちに住人の避難を!俺はこいつを引き寄せておく!」
二人はすぐに動き始めた。
『能力を使ってはならなイ』
能力を使おうとして、俺はハジメの言葉が脳裏をよぎった。
……任せとけ。殺意を使わずに、こいつを抑え込んでやるぜ。
「何してル」
殺意を抑えて、覚悟だけを能力に変換させる行為は、無意識には行えず、意識的に行わなければならない。
そのため、いつにも増して、集中してしまっていた。そのせいで、殺人の接近な気づかなかった。
不十分だが、生成したカラメルを固めて、殺人からの攻撃を防ごうとする。
「いってぇぇえ!」
全く歯が立たなかった。
盾もろとも、腹部にカッターナイフを突き刺された。
幸い、刺さったままのため、なんとか流血は防げている。
態勢を立て直さねば……
「どうしタ。殺意を露わにしなヨ」
だから、なんで声が聞こえんだよ。殺人の声は理解できないはずだろ。
俺は急いで分身を生成し始めた。なんとかして、被害を最小に抑えないと。
しかし、無惨にも分身は軽々と壊されていく。全く意味がなかった。
「殺意はどうしタ。忘れたのカ」
いちいちうるさいやつだ。
「話をしたいだけなのか?」
「いいヤ、俺にはやらなきゃいけないことがあル」
「そうか。じゃあ、抗ってやるよ!」
俺は足元にカラメルを流し、殺人の足元まで届かせる。そして、固めてやった。
「お前らの思い通りにいくわけにはいかない!」
固めたカラメルで殺人の足に切り傷をつけると、そこから体内へ流し込み始める。
これでお前も、俺の言うことを……
「殺意なしで俺たちに敵うわけがなイ」
足止めのために固めたはずのカラメルは、殺人が足を上げただけで砕けた。
体内に流し込もうとしていたカラメルは、入ることすら許されず、一瞬で切り傷が癒えていた。
「あのな、俺は殺意を出すこと止められてんだ」
「誰にダ」
「ハジメってやつにだよ」
俺はカラメルを流し、何度も足を止めようとする。
殺人はそれを道端の小石程度としか思っていないかのように、こっちへ向かってくる。
歩きながら、右手のカッターナイフで左腕を切断した。
「お前ハ、包丁を突きつけられたことがあるカ?」
左腕から包丁が生えてきた。
「ないけど、それが、どうした?」
殺意なしではこれが限界なのか。
徐々に生成できるカラメルの量と速度が下がっていくのがわかる。
「弟の気持ちを味わってもらおうカ」
「何言ってるのか……わからないな!」
一気に距離を詰め、包丁を突き出してくる。
動きは相変わらず早いが、リーチが短いおかげで、攻撃をかわすことができている。
この間に、まとまったカラメルを生成する準備をしないと。
このまま時間を稼いで、そうしたら応援が……あれ、俺、二人に応援要請するよう伝えてない……?
その一瞬の不安が命取りとなり、殺人は俺の胸を刺してきた。
「そのままじゃ死ぬゾ。早く殺意を出セ」
刺した包丁を勢いよく抜かれると、それに伴って血が噴出した。
消えゆく意識の中、殺人がとどめを刺そうとしている。
俺は死を悟った。
こいつの、目的は……殺意を出すこと……じゃあ、このまま、死んでいいな……
ごめんな、タカハシ。救ってやれなかったわ。
最期の最後で、目を開けると、とどめを庇うようにワタナベが立っていた。
ど、どうしてここに……?
ワタナベ頑丈な皮膚を持ってしても、耐えきれず出血していた。
やがて俺は、瞼を落とされた。
鼓動が大人しくなっていく中、俺は思考の海に投げ出されていた。
殺意を出せば、殺人の思うツボだし、出すことを止められている。理由はわからないけど。とにかくまずいんだろうな。
でも、殺意を使えば、ワタナベを救うことができる。
……こんなの、一択すぎるだろ。
思考の海から顔を出すように、俺は目を開けた。
「………………ん?」
俺はまだ死の淵を彷徨っているのか?
だって、目の前に、何もないから。
文字通り、何もないのだ。
庇ってくれていたワタナベも、カッターナイフと包丁の殺人も、スーパーも、他の建物も、何もかもなくなっていた。
視線を落とすと、腹と胸の傷が塞がっていることに気づいた。
「俺は……何をして……」
気配を感じて、俺は振り返った。
「夢……だよな……?」
実話でないようで実話。現実でないようで現実。
悲しくも、そこに広がっていた光景は夢ではない。
「誰が……こんなことを……」
俺は怖くなって、逃げ出そうとした。
しかし、誰かに膝を触られ、転んでしまう。
「……逃げ、るな……腰抜け……」
ようやく、その光景を脳が現実であると認識してくれた。
余計なお世話だった。
俺は……また……。
***
瞼の裏側を見ながら、意識だけが起きた。
(ここは、どこだ……?)
目を開けずとも、瞼越しにうっすらと見えた。
ここはラボだ。それに、スズキ、ホボさん、カトウさん、ヒビノさんが来ている。
(おい、出してくれ!俺は……)
(もウ、手遅れサ)
隣から声が聞こえてくる。タカハシの方からだ。
(タカハシ!?)
(の中に棲む者ダ)
(ああ、君か)
(残念がらないでヨ。今ならゆっくり話せるかラ)
諦めたような声色で言ってくる。
(俺はなんでここに?)
(殺人になってしまったかラ。その場にいなかったから断言はできないけド、おそらく君の殺意が開花したんダ)
ちょっと待て、話がよくわからな……いと思っていた脳に、記憶が補完されていく。
そうか、あの時、死の淵を彷徨った後、俺は殺意を露わにして、それから……周囲をめちゃくちゃにしたんだった。




