巡回中
あの時、確かに俺は罪を犯した。
いや、犯すよう唆されたのだ。
今となっては言い訳にしかならないが。
あれは八年前、俺が、俺たちが警察になったばかりの頃だ。
その年は対殺人のための採用を始めた年でもあった。
そんな中、選ばれた俺たちは期待されていた。
理由は明確で、市民を殺人から救ったという実績があったから。
独断で救った時は、警察に怒られたが、それが好転し、評価へと変わった。
結果として、警察官にならかいか、という誘いを受けた。
怠惰な生活を送ってきた俺にとっては、天啓のように感じ、二つ返事で承諾した。
他の二人の動機はわからないが、俺が警察になった理由は、就ける職がなかったから、という不純なものであった。
けれど、市民を殺人から救った、という文言には、少し誤りがある。
俺が殺人から市民を救ったということにさせられたのだ。
殺人に、そうさせられたのだ。
背中から腕を生やした殺人に。
この時の俺はラッキーだと思っていた。
何も苦労せず、たまたま出くわした出来事によって、警察というありがたい職に就けたのだから。
でも、そんな俺に不幸が降り注ぐのは、思ったよりも早かった。
警察官となり、署内におけるマニュアルを学んだ。
実績があるということで、俺たち三人は、早速、巡回に駆り出された。
あれは七月の頭だった。
忘れられない。俺たちのスタート。
汗が肌に染み付いて、気持ち悪さを覚え出した頃。
俺がリー地区を、スズキがナン地区を、タカハシがガン地区を、それぞれ任された。
俺たちはスズキが運転する車で一緒に向かうことにしていた。
ナン地区に着くと、俺とタカハシは東西に分かれる。
終われば、また、ナン地区に集まって、一緒に帰るのが、日常だった。
巡回を始めて、一年が経とうとしていた頃、俺に不幸が降り注ぐ事件が起きる。
いつものように、巡回を終えたタカハシはナン地区で待つ、スズキの元へ向かった。
「サトウ君、まだみたい」
「いつも僕より早いのに。何かあったのかな」
心配に思ったスズキとタカハシはリー地区へ向かうことにした。
リー地区に足を踏み入れた瞬間、二人は空気の異変を感じた。
とても不吉で、恐ろしくて、嫌な予感が漂っていた。
それから、ナン地区へ走ってくる人々を目にした。
「…何かがあったみたいね」
「うん…」
「とりあえず、私が避難誘導するから、タカハシ君は応援要請をお願い」
「わかった。僕は同時進行でサトウを探すよ」
逃げ惑う人々をかき分け、事の中心へタカハシは向かった。
その人々の中に、見覚えのある顔を見つけた。
タカハシは考えるよりも先に、勝手に腕を掴んでいた。
「何が、あったの?」
俺は真っ白な、いや、真っ赤な頭で思い浮かんだ言葉を、淡々と並べた。
「ごめん、ごめん、ごめん、ごめん、ごめん…」
俺の脳は、謝罪することしか信号を発してくれなかった。
血だらけになっていた俺を、タカハシは目を点にして見ていた。
だけど、俺はそれを、ぼやけながらでしか認識できなかった。
おぞましい恐怖を感じていた俺は、全く焦点が合わなかった。
「サトウ!サトウ!」
タカハシは何度も俺のことを呼びかけてくれたけど、もう、何も、考えられない。
「どうしちゃったの?」
避難誘導を済ませたスズキがやってきた。
「わからない。こんな返り血を浴びているんだ。よほどの事がこの先で起きたはずだ」
この先…この先には…
「あの人って…」
スズキは何かを見つけたように、その方を指差した。
タカハシもスズキが指差した方を見る。
「姉…さん…?」
そこには、四肢を失った、タカハシの恋人、もとい、タカハシの姉がいた。
姉の方へ駆け出そうとするタカハシの腕を、俺は反射的に掴んだ。
「行っちゃ…だめだ…」
何も考えられない頭だけど、それだけは、行ってはならないということだけは、自然と声が出せた。
「見殺しに…しろってんのかよ…!」
俺は離したくなかった。
俺は行ってほしくなかった。
俺は離れてほしくなかった。
けれど、俺とは違う、別の意志が、勝手にそうさせてきたのだ。
「何のための警察だよ。何のための力だよ。見殺しは…殺人と同じだ。れっきとした犯罪だ」
タカハシは姉の元へ駆け出した。
あたふたしていたスズキは、俺のそばにいてくれた。
どちらも選べないということは、こういうことなのか。
「今、立ち向かったら、お前も…」
徐々に意識を取り戻し、頭が回るようになってきた。
でも、もう、遅い。
溜まっていたのか、大粒の涙が、大量に流れ出した。
スズキは、そんな俺を静かに見つめていた。
「姉さん!」
タカハシの呼びかけに、姉が気づき、顔をタカハシの方へ向けようとする。
しかし、それは叶わなかった。
目を合わせることなく、姉の顔面がなくなり、胴体だけとなってしまった。
「…姉…さん…?何が、どうなってるんだよ…」
何が起きているのか、わからなかったが、目の前で流血している胴体が、自分の大好きな姉のだということだけはわかった。
タカハシはそっと、姉の胴体を抱きかかえた。
その時だった。
「良い芽ダ」
タカハシは影から忍び寄る恐怖に気づいた。
「やっぱリ、若い芽ハ、気が弱いネ」
「スズキ!」
なんとしてでも、胴体だけでも、守ろうとしたタカハシは、スズキに向かって投げた。
そして、目の前に現れるであろう、恐怖に立ち向かおうとした。
しかし、すぐに恐怖は消えた。
綺麗さっぱりと、リー地区に入ってから感じていた、不吉で、恐ろしくて、嫌な予感は無くなっていた。
「どこ行った!」
確かにそこにあったはずの恐怖を探そうと、姉をこんな目に遭わせたやつを探そうと、周囲を見渡し始めた。
どこにも、いなかった。
それどころか、投げたはずの、姉の胴体すら消えていた。
俺たちは目の前の光景に混乱するしかなかった。
よくわからない。
これが、率直な感想だった。
夢を見ているようだった。
最悪な夢を。
早く覚めてほしい。
早く起こしてほしい。
こんな夢、見たくない。
けれど、これは実話であり、現実であった。
そんな三人の元にホボ、エノモト、ヒビノが駆けつけた。
ヒビノの能力により、三人睡眠状態にした。
目を覚ますと、病院の真っ白い天井が視界を埋めた。
それから、夢のような現実を、非日常のような日常を、思い出させられた。
いつものように巡回していた。
怠惰であるが、気を抜いていたわけではなかった。
巡回中、よくあることなのだが、向こうから声をかけられ、通行人と世間話に花を咲かせていた。
女性の容姿かと思えば、男性のような低い声が聞こえてきたので、少し驚いたのを覚えている。
世間話をしていたが、途中でおかしな話題に移り変わった。
究極の二択に答えはあるのか、というものだ。
俗に、トロッコ問題と呼ばれるようなものだ。
「あると、思いますよ」
俺はそう答えた。
「そうカ、そうだナ。ありがとウ」
そう言って、去っていった。
それと同時に、何かを植え付けられた。
心臓のあたりに、新たな意志のようなものを。
自分の体なのに、自分ではないような感覚だった。
「サトウ君じゃん!」
振り返ると、そこには、手を振るタカハシの姉がいた。
さっきまで話していた、中性的な人物と、姉がすれ違った。
事は、一瞬にして起きた。
姉が振っていたはずの右腕が、根本から消えたのだ。
姉は気づかず、手を振っていると思っていたが、根本から流血していることに気づくと、顔を青くし出した。
その光景を見た人々は、悲鳴を上げながら、一目散に逃げ出した。
さっき植え付けられた意志がそうしろと言っているように感じ、俺も流れに乗って、逃げ出した。
姉とすれ違う時、目と目が合った。
そして、左手で掴まれた。
「…弟を…よろし…くね」
震えた声で言いながら、姉の左腕が消された。
返り血を浴びるも、解放された俺は、正面を向いて、走り出した。
「まダ、完全体じゃないようだナ」
人混みに紛れて逃げているところを、タカハシに掴まれた。
これが、八年前、俺に降り注いだ不幸。
俺が俺を愛せなくなった理由。
俺が犯罪者という足枷をつけることになった事件。
そして、好きになった人を、助けられなかった事件。
その件以降、俺とスズキはより一層、殺人対策を行っていくことにした。
このようなことがこの先、起きないように。
俺たちのような人を生まないように。
植え付けられた意志も、賛同しているみたいだった。
タカハシは殺意を抱いてしまった、と自白し、自らを研究対象にするよう、ホボさんに頼み込んだそうだ。
その殺意は、姉を消した殺人に対してか、助けられたのに助けなかった俺に対してか。
…おそらく、双方だな。




