真の目的
僕はミンが輸送されていくのを、影に身を潜めながら見ていた。
(ミンはあんな簡単に倒せる相手じゃなイ)
「僕も、手応えがないように感じた。単純に弱いってわけじゃなくて、本気を出してないような」
休暇中の一週間で、僕は選択に縛られない思考と行動を身につけた。
イトウとコバヤシも、強くなっていた。
ただ、僕たちが強くなったから、簡単に確保できたわけではないと思う。
(何か嫌な予感ガ…というカ、どうして隠れてるんダ?)
ワンが訊いてきた。
「背中の腕、あまり見られたくないんだよ」
(俺が起きれバ、消えるけド)
僕は納得がいきすぎて、言葉を詰まらせた。
(まァ、この機会ダ。少シ、話さないカ?)
「僕と話すことなんてあるのか?」
仕組みを理解していないが、ハジメの意志を通じて、こうしてワンの力を借りることができ、話すこともできている。
ハジメが殺されたから、ワンと出会えたから、このようになっているが、そもそもハジメが生きていたらと考えると、確実にもっと幸せになっていたはずだ。
そうすると、イトウやコバヤシ、アオキさんやスズキさんとも会えてはいなかったから、どっちに転んでも、僕は楽しく生きていられたんだろうな。
どっちに転んでも、何かを失ってたんだな。
誰かしらが僕に選択肢を与え、それを僕が選択する。まるで、ゲームの世界にでもいるようだ。
(別ニ、ユイにとって有益でなくてモ、世間話でもしないカ?)
「…そうだな。僕はワンのことを何も知らないし、この際だから教えてくれよ」
壁に背をつけ、僕は腰を下ろした。
(俺の過去のはなシ…)
僕は右手を開いたり、閉じたりしながら、話を聞いている。
(殺人になる前ハ、ユイと同じようニ、人間であっタ、らしイ。殺人になったとキ、人間の頃の記憶を失ったみたいなんダ。それでモ、縛り付けられたようニ、妹と弟の存在ト、二人の死ぬ瞬間だけは覚えていル)
「妹と弟を…?」
弟を殺された、という言葉に反応し、反芻してしまった。
(十年と少し前、弟であるスリが殺人の被害に遭っタ。それがきっかけデ、妹は痛の殺人となリ、ツウと呼ばれ始めタ。同じくして俺も殺人となっタ。それから少しまエ、ヒヒの兄か弟か姉か妹か知らないガ、ツウは殺されタ。殺意を抑えられなくなった俺ハ、ヒヒにぶつけることにしタ。ユイと会うまでノ、俺が覚えていル、俺の過去ダ)
…あの時、僕が立ち向かっていれば、ワンの妹は死なずに済んだかもしれない。
小さく、太腿を殴った。
(面白くない話で申し訳なイ。力と思いを託すユイに話しておきたかったんダ)
「どうして僕に、僕なんかに思いを託せるんだ?」
(託すしかないからダ。意志の継承者としテ)
意志の…継承者…。
そこまで重要視される意志って、一体なんなんだ?
それを持っていたハジメは何者だったんだ?僕の弟であるだけじゃないのか?
(リンゴが望む殺人だけの世界を作ることは間違っていると思ウ。どうかするにハ、意志の継承者であるユイヲ、頼るほかないんダ)
「もし、もしの話だ…」
僕は唾を飲んでから続ける。
「ハジメが…生きていたら、ハジメが危険な目に遭うようなことに巻き込まれていたのか…?」
ワンの声は、間を空けてから聞こえてきた。
(それはわからなイ。俺は"ハジメの意志"を知っているガ、ユイの弟であるハジメについてハ、よく知らなイ。人間の頃から関係があったのかモ、殺人になった今じゃわからなイ)
僕の勝手な予想だが、ハジメは、殺されるべくして、殺されたのではないか?
死ぬべくして死んだのではないか?
ハジメが何者だったかはわからないが、"ハジメ自身"ではなく、"ハジメの意志"が大きく関わっていることから、ハジメは命を落とす必要があった。
それを、兄である僕は理解できるが、繋がりの不明なワンとリンゴにも継承されている。
ハジメは一体、何を伝えようと、何を残そうとしているんだ…?
(そろそろ時間が来ル。ミンのことが気がかりダ。署に戻ったラ、すぐに確認してくレ)
「…わかった」
僕はあることを思い出して、ワンに声をかけた。
「あ、そうだ。見せたいものがあるんだ。家に帰ったら、起こすかもしれない」
時間がなかったのか、ワンからの返答はなかった。
やがて、背中の腕が引っ込み、僕は車を呼ぼうと、イトウに電話をかけた。
「出ないな…」
普段はワンコールで出るほど早いイトウだが、トイレにでも行っているのか?
そう思っていると、声が聞こえてきた。
「あ、イトウ?車を…」
「…ユイ君、緊急事態だ。今、そっちにアオキちゃんを向かわせているから」
スズキだった。
とても焦っていた、というか、なんでイトウの電話を持っているんだ?
イトウは?何があったんだ?緊急事態っていうのは?
僕は黒いモヤがかかったかのように、思考を遮られた。
「ユイ君!」
黒いモヤをかき消すように、声が聞こえてきた。
「乗って!」
僕は立ち上がって、急いで助手席に乗った。
「何が…」
悪い妄想が頭をよぎり、うまく呼吸ができず、言葉がなかなか出てこない。
「とりあえず、落ち着いて。向こうでもみんなパニックになっているの」
みんな…ということは、アオキもパニックだったということ…そう思うと、こうしちゃいられない気になり、自然と鼓動も落ち着いてきた。
「何が…あったんですか?」
僕はこの時、初めてアオキの悔しがる表情を見た。
「殺人が、確保していたはずの殺人が、ワンを残して逃げ出したの…!」
「ど、どうして!」
僕は思わず敬語を忘れ、声を荒げてしまった。
「わからない…原因は今調べているところ。今は被害が広がらないように、みんな動いている」
それで、悔しい表情を…
「ワンを…残してって言いました?」
アオキは少し間を置いてから、頷いた。
「殺人による襲撃だとは思っているけど、なぜか一人だけ、眠ったまま残っていたの」
まぁ、僕の中にいたからな。言えないけど。
「それともう一つ…」
アオキが言葉を詰まらせ、僕は嫌な予感が、着信音のように脳内に鳴り響く。
嫌で嫌で仕方がないのに、否定したいのに、それしか浮かんでこない。
「イトウさんと、コバヤシ君が…」
僕は耳を塞ごうとして、やめた。
「姿を消したの」
僕は頭を抱え、大きく息を吐いた。
「ということは、移動中にですか?」
アオキは首を横に振った。
「二人とも一度、署に戻ってきてからいなくなったの。だから、まだ近くにいるはず」
二人とも一緒にいる時に襲われたのか。
もし、僕がそこにいたら、結果は変わっていたのかな。
いや、今は悔いてる場合じゃない。
望みがある以上、動かなくちゃ。
「もう着くよ」
ジュン地区の南方は全く荒れていなかったが、署について、北東の方を見ると、無惨な姿と変わり果てていた。
「え…」
まるで、リンゴと対峙したあの場所のようだった。
僕は驚きのあまり、開いた口が塞がらなかった。
「ユイ、行くぞ!」
頼れる声が聞こえて振り向くと、険しい顔のヒビノとスズキが出てきていた。
「ヒビノさん!」
「ユイ君…」
二人は身構えながら、僕を見ていた。
「殺人が全員逃亡したというのに、ワンだけが残っていた。ユイ君、何か知っていることはないか?」
二人の表情がさらに険しくなった。
「そんな、僕もさっき聞いたばかりで…それより、イトウとコバヤシを…」
「虚言ばかり言うな!お前はもう逃げられない!」
気がつくと、僕は警察に囲まれていた。
逃げるつもりはないが、どこにも逃げ場はないほど、厳重に。
「な、何を言ってるんですか?」
「いつ動き出すのかとうかがっていたが、今だとは思わなかったよ」
もう、何がどうなっているんだ。
「とにかく話を…」
「タカハシ君を、返してもらおうか!」
僕の話を聞く耳すら持っていないようだ。
「なぁ、殺人のボス、リンゴ…!」
「ちょっと待って…」
ヒビノがメガネに手をかけ、瞬きをした。




