約束
「ちゃんと見ててくださいね」
「見てるよ。ずっと見てるからね」
アオキは真剣に僕のバッティングを見ていた。
アオキは自分の方が優位に立てると思っていたようだが、僕が高校球児だとは知らず、結局いいところを持っていってしまい、悔しがっていた。
そんなところもかわいい。
「冬でも動くと温まりますね」
「少しブラブラしよっか」
僕たちは並んで、ジュン地区を歩いて回った。高級な店から、リーズナブルな店まで、ジャンルも幅広いことから、多くの人が行き交う。
警察署があるだけあって、安全が保証されていると言っても過言ではない。おまけにセイがナワバリとしていることで、ナナシが発生しないことも安全に繋がっている。
「あ、そうだ。さすがにユイ君より得意なことがあった」
「なんですか?」
「こっちこっち」
アオキは僕の袖を掴んで引っ張り、向かった先は施設内にあるスケート場だ。
「滑れるんですか?」
「少しね。ユイ君は?」
「初めてなので、ちょっと怖いですね」
僕たちは受付で手続きを済ませる。
「カップルで」
「え、そうなんですか?」
アオキがごくごく自然にそう言うもんだから、僕は焦って否定してしまった。
カップルだと安くなるプランがあり、僕のツッコミで使えなくなるところだったが、受付の人の厚意によって、使わさせてもらえた。
「カップルじゃん?」
「側から見たらそうですけど」
「ユイ君は…私とは…いや?」
アオキは靴を履き替えながら、上目遣いで訊いてきた。
さすがにレッドカード。
退場。
反則級の表情と仕草です。
「まだ、体が火照っているっぽいので、先滑ってきますね!」
僕は赤くなる顔を見られたくなく、急いで場内へ飛び出した。案の定、一歩目を出した瞬間に転んでしまう。
「恐怖心のきの字もないじゃん」
転んだ僕の元へアオキが滑りながら寄ってくる。
「いてて…でも、思ってたより痛くないですね」
「プラスチックパネルだからね。濡れる心配もないよ」
それから僕はアオキの手につかまりながら、ゆっくりと滑り出し、徐々に上達していった。
三十分経つ頃には、軽くジャンプできるくらいには上手くなっていた。
「ユイ君って物覚え早い?」
「早い方、ですかね。でも、ここから成長することはないです」
僕は笑って返した。
「あ、でも頭を使うのは苦手です。とりあえず体を動かして覚えるタイプなので、何度ヒビノさんに叱られたことか…」
アオキは発見と安堵を同時に表情に浮かべたように、ゆっくり瞬きをした。
「完璧すぎなくてよかった。私から見たら何にでも取り組むし、心も強いし、体も頑丈だし、格好いいし、優しいし、おもしろいし、それに今日、物覚えが早いことも知った。抜け目のないユイ君にも、苦手なことがあってよかった。そんなじゃ、私は役に立たないもん」
「そんなことないですよ。事務や連絡における手際の良さや丁寧さは見習うところばかりです。なんでも円滑に進められるようになりたいです。スケートみたいに」
渾身のボケを、舌でタンッと音を鳴らしながら、かましてみせたが、残念ながらアオキには伝わっていなかった。
それから他愛もない会話をしながら、滑り続けた。アオキは転ぶことがなかったが、僕は会話に夢中になった時に何度か転んでいた。僕を起こそうとアオキは手を差し伸ばしてくれるも、何回かはわざと手を引いて、僕に尻もちをつかせては大笑いしていた。
聖夜の魔女は伊達じゃないなと、改めて感じた。
元から光っていたイルミネーションがさらに輝きを増したことで、陽が落ちていたことに気づく。
スケートをしていた他の人たちもどんどん掃けていき、続くように僕たちもスケートを終えた。
夜は伊と言っていたので、僕の腹はイタリアンに染まっていた。
夕食を求め、店へ向かう二人は、まるでスポットライトに照らされたロミオとジュリエットのように華々しかった。
目的の店に着くまでは、主に仕事の話で盛り上がった。アオキが入った時のとこ、ヒビノとエノモトのちょっとした秘密、僕が入ってからの思いや、同期について等。
時間はあっという間のようにすぎ、それでも話し足りず、イタリアンの店に入って、席についてからも話し続けた。
楽しいとか、嬉しいとか、おもしろいとか、そういった感情が出る暇もないほど、充実していた。
そうか、これが幸福か。気づいたらプラスの感情が湧いていて、思い出してから色んな感情へと姿を変える。プラスの感情は幸福を元に派生して生まれるものなのだと、僕は初めて知った。
食事の美味しさを遥かに上回る幸福を、アオキとの会話で感じたため、料理のことはあまり覚えていない。口の中では香草の風味が遊んでいるだけだった。
運動したからなのか、食事後だからなのか、外はやけに寒く感じた。
空を見上げると、分厚い雲が月との対面を拒んでいた。
「ユイ君は、こっち」
金時計でやられたのと同じように、頬を両手で挟まれ、アオキの顔と対面させられる。イルミネーションのせいか、店内から漏れる光のせいか、アオキの顔は満月のように立派に輝いていた。
「君のせいだよ」
十二月二十五日、時刻は十九時三十八分。僕の唇は初めての感触をインプットした。少しだけ乾燥していて、それでも柔らかく、良い香りがして、自然と目を閉じてしまうほどの感覚に襲われた。
それから十秒ほどでダウンロードを終えたかのように、僕の唇から離れていった。その感触を恋しくなったユイが目を開けると、半月のように顔を髪で隠しているアオキがいた。寒さのせいか、アオキの顔はいちごのようにピンク色をしている。
「もしかして、さ。はじめての、チュウ?」
「…はい」
白い息とともに、弱々しく声が漏れ出た。このフワフワと、酔っているような感覚では、何事にも肯定することしかできない。
視界が霞む中、何度か瞬きをしていると、色とりどりの紙吹雪のようなものが上から下へと流れていくのを瞳がとらえた。瞬きをするたび、視界が鮮明になり、それはさらに数を増して降り注ぐ。
「雪だ」
色とりどりの雪を見上げ、アオキは顔にいくつもつけていた。徐々に酔いが覚めていき、僕も紙吹雪が雪であることに気づく。
「今年、初ですね」
「あんまり降らないから、嬉しいな」
見上げ続けるアオキを、僕はじっと見つめる。
見られていることに気付いたのか、アオキは顔を少しだけ傾けて、ユイを視線を合わせる。
「もう一回、したい?」
そう言うのと同時に、アオキの唇に優しく雪が乗った。それを舌で、唇の乾燥とともに舐め取った。
僕はアオキの質問に対して、唾を飲み込みながら、首を縦に振った。
アオキは再び空を見て言う。
「じゃあ、次に雪が降った日」
いつかわからない。そんな曖昧な約束。
「明日かもしれませんよ?」
「一生来ないかもね」
「それはないですよ」
「冬の精はいたずらが好きだからね。この約束を聞いているとしたら、もう雪なんて降らせてくれないよ」
アオキは顔を戻し、手櫛で乱れた髪を直す。
「今日は誘ってくれてありがとう!とても楽しかったわ!」
僕の瞳というスクリーンにはアオキしか映っていない。綺麗なイルミネーションも、手の込んだ店の外装も、アオキを引き立てる脇役にすぎなかった。
僕とアオキは別れると、それぞれの帰路に立った。家まで送るべきか悩んだが、これ以上一緒にいると、表情が緩んでしまいそうで恥ずかしかったのと、アオキはこの後、用事があるとのことだった。なんだか、悩んだことすら恥ずかしくなってきた。
ロッカーに入れたスーツを取り出した僕は、無性にコロッケが食べたくなり、帰る途中、二つだけ買った。




