想いのやり取り
やがて、週末が訪れた。この日のことを考えすぎて、何も手につかず、淡々とすぎる時間に置き去りにされていた。そして、気がつくと当日を迎えていた。
本日は十二月二十五日。クリスマスである。
だから誘ったというわけではない。たまたまだ。…本当に。
部屋着で行くわけにもいかないし、かといって仕事用のスーツで行きたくもなかったが、部屋着という択を失った僕にはスーツで向かう他なかった。
仕方なく着てきたのだが、変わり映えない!とか言われそう。
「変わり映えない!」
一言一句変わりなく、アオキの声が聞こえてきた。
僕は変わり映えのありすぎるアオキの姿に見惚れていた。ミニ丈のキルティングパンツで見せている肌は女性らしく、黒で統一されたケープコート、ブーツ、それからバッグが上品さを際立たせている。
「似合ってるよね?」
どこか自信に満ち溢れているような。
「目のやり場に困ってるのなら、私の顔を見て」
アオキは両手で僕の頬を挟み、お互いの顔を見合わせる。
勤務中の薄いメイクではなく、大人の女性のように色気を宿したメイクだった。身長の割に童顔のアオキは、聖夜に現れる魔女のようだった。
「ま、私の顔は今日一日堪能できるからいいとして、ユイ君の格好をどうにかしなきゃ」
「これか部屋着しかなくて…」
「なるほどねぇ…よし、じゃあ、服買いに行こっか」
クリスマスの朝十時、金時計をスタート地点とし、デートが始まった。
どこの店も人混みで溢れ、そのため店員も普段より増えており、落ち着いて買い物できなさそうな雰囲気だ。
元から目をつけていたのか、アオキはメンズ向けの店に入り、端から衣類を物色し始めた。
「服とかよく買われるんですか?」
「私はお姉ちゃんからのおさがりを着ることが多くてさ、好みも被るから、買うことはなかったんだ、け、ど…あ」
アオキが手にとったのはサンタクロースのワッペンが胸の辺りに付けられた紺のトレーナーだった。加えて、パンツコーナーから黒のパンツを持ってくると、僕は試着室に入れられた。
よし、着よう。
アオキは待ちきれなかったのか、パンツを履いて、トレーナーに腕を通そうとした時に開けてきた。
静電気で逆立った髪を見て笑うアオキはいつものアオキだった。メイクが変わっても、着る服が変わっても、聖夜の魔女でも、アオキはアオキだ。
「着替え終わってなかったらどうなってたことか…」
「その時は開けようとしても止めるでしょ?」
確かに、その通りなのだが。
「似合ってるじゃん」
そう言うが、少しだけ小馬鹿にされているような気がした。
「選んでもらって言うことじゃないと思うんですけど、ダサくないですか?」
「服までカッコよくなったら、他の娘が目をつけそうなんだもん」
笑いながら言うもんだから、本気なのか冗談なのかわからなかった。
そのままだと寒いから、丈が短めなボアブルゾンも買った。脱いだスーツを付近にあったロッカーにしまう。
時計の針は十一時を指していた。想像以上にスムーズに服を購入できるのだと、僕はこの時学んだ。
昼時に差し掛かると、昼食を食べるタイミングを失ってしまうため、店を探すことにした。
「本当は男の子がお店を予約することになってるんだけどな」
「すいません、そこまで頭が回りませんでした」
アオキが陽気にバッグを振り回す。
「和と伊、どっちがいい?」
「…和で」
「じゃあ、夜は伊ね」
僕が店を予約していないことを知っているような行動。弄ばれているような気がする。
アオキは店を探しているというよりかは、決まった目的地を目指すように歩く。先導されるように歩いていると、店の前で足を止めた。看板には『料亭 綿木』と書かれていた。
僕たちは座敷に案内された。木の香りが流れる、落ち着いた雰囲気の内装だ。加えて、高級なんだろうな、という雰囲気を醸し出している。
上着をハンガーにかけると、胸のサンタクロースが顔を出した。
「冬の前菜盛り合わせになります」
前菜が運ばれてきた。見るだけで満足のできるほどに輝いていた。もはや芸術作品である。
「これは春菊と蟹のお浸し、これはあん肝、これは鴨わさび、これは…」
「アオキさんって、こういうとこよく来るんですか?」
「内緒」
アオキは人差し指を唇につける。料理なんかの説明じゃなくて、こういう一面をもっと見たい。
楽しい。
仕事を始めてから、職場で誰かしらと食べることはあったが、こうやって落ち着いた状況で、それも思いを馳せている人と、一つ一つの品が生きているような料理を堪能できるなんて、夢のまた夢だと思っていた。
「話聞いてた?」
「お腹空いてて、ほら、腹が減ってはなんとやらですよ」
僕がアオキに魅了されている間に、説明を続けてくれていたらしい。ただ、今は耳でなく、目でしっかり味わいたいのだ。料理も、アオキも。
ハジメにも分けてやりたい。生きていたら、幸福が待っているんだと、楽しいことが待っているんだと教えてやりたい。だから、僕がそういう人を一人でも救っていきたい。今は見ているだけかもしれないけど、受け取ってくれ。
「そんなにおいしい?」
僕の目から滴が落ちていた。それは涙と呼ぶには自然的で、水と呼ぶには人工的な、少なくとも人の目から出るようなものではなかった。
「乾燥してたからかもしれませんね」
少し間を開けて、アオキが口を開く。
「ユイ君って、好きな人とかいたの?」
僕は想いを勘付かれたのかと、驚きのあまり口に運んでいた公魚が逃げてしまった。
「と、突然何ですか!?」
「ユイ君の過去のこと、知りたいなって。職場だと聞きにくいしさ」
「おもしろいことはないですよ。…好きな人はいましたけど。それまでで、それより先に進もうとは思いませんでした」
「どんな子?」
アオキはあけぼの明太を口に運ぶ。
「陸上部に入っていました。周囲からも人気があって、一人でいるのを見ることがないくらいに」
僕は唐墨大根を飲み込んで、話を続けた。
「二年の頃、他の部から陸上部へ移った子がいたんです。ややこしくなりそうなので、元いた子をA、移ってきた子をBとします。Bは運動神経がずば抜けており、男子と並ぶほどでした。Aは努力家で、朝練にも欠かさず毎日参加していました。二年最初の大会、AとBは同じ種目でエントリーしました。三年生も走っている中、Aは残念ながら予選敗退。だけど、自己ベストを更新して喜んでいました。Bはと言うと」
「才能って非情だね」
お吸い物が運ばれてきた。
「初めての大会で、県大会まで駒を進めました。その場では二人とも互いの成績を褒め称えていました。その日は解散となり、二人は別々の道に歩き出しました。二人は人目のつかない場所にて、一人でに涙を流していたのを目撃したんです」
「Bはなんで泣いてたの?」
「一緒に県大会に行きたかったみたいで」
「わがままな子だ」
お吸い物を口に運び、喉を潤す。
「でも、二人は大親友で、今でも関係を築いているとか」
「そんなところが好きだったんだ」
「それも含めて、思い返すと、誰にでも平等に接していたし、おもしろかったし、関わる機会が多かったのが大きいと思います」
運ばれてきた刺身三種盛りにアオキは手をつけていた。
「ふぐ刺し、勘八、中トロだね」
「話聞いてました?」
「腹が減っては、だよ?」
機嫌を損なわせてしまったかもしれない…
「私の印象は?」
「優しい先輩です」
「それだけ?」
これ以上何かを言ってしまえば、本心を察されそになると思った僕は、当たり障りの少ないことだけを伝えた。
その後もコース料理を楽しみ、やがて料亭を後にした。
次の目的地まで、僕たちの手が当たることはあったのだが、繋がれることはなかった。
「私、行きたいところあるんだけどさ」
そう言われ、ついて行った先には、バッティングセンターがあった。
「こう見えて昔はソフトボールやってたんだよね」
アオキは言葉の通り、バットを握ると、いかにもな構えを見せた。数回した素振りも、経験者を思わせるほどに鋭かった。
財布からコインを取り出し、機械に入れる。スピードは百二十キロを示していた。
僕はネットに手をつけ、アオキの打席を楽しみにしていた。そして、来たる第一球…
「あれ、おかしいな」
二球目…
「…」
無言でバットを見つめるアオキ。慈悲はなく、打者の準備を待たずしてボールはアオキの前を通り過ぎた。三球ともバットに当たることなく、響くのは跳ね返る音だけ。
「三振じゃないですか」
「すいません、ベンチでした」
続く四、五球目も空を振る。
「アオキさん、力を抜いて、あと、振った後もボールを見るようにしてください」
「わかった」
アオキは深呼吸し、再び構える。言われた通り、最後までボールを見ることを意識して…
「当たった!」
惜しくもフェアゾーンには飛ばなかったが、六球目にして初めて当たった。
「やった!やった!やったよ!」
喜ぶアオキは小動物のようで愛らしく、かわいかった。
「まだボール残ってますし、元ソフトボール部の鋭い当たりが見たいです」
喜んでいるうちに一球が通り過ぎ、残りは八球。
昔の記憶を体が思い出したのか、徐々にフェアゾーンへ打球が飛び始める。
そして、最後の一球。最後だからか、アオキの体に力が入ってしまう。そのせいで右肩が下がり、下からバットが出てしまった。結果、バットの上部をボールが通過し、跳ね返ってきたボールがアオキの頭に当たる。
「いてっ」
「ははははは!」
頭をさすりながら、打席から出るアオキに、僕はツボに入ってしまう。
「ユイ君って、そうやって笑うんだね」
「おかしいですか?」
「おかしいよ。普段から笑ってよ」
僕の笑いはツボから出るようにおさまった。
「まだ一年目ですし、緊張が抜けなくて。でも、確かに笑うことは少なくなってますね」
自動販売機で缶ジュースを買って、バッティングセンターのベンチに腰掛けた。
「私はユイ君の色んな顔が見たい。喜ぶ顔も、怒る顔も、哀しむ顔と、楽しむ顔も。それを一番近くで」
僕たちは見つめ合う。
「だからさ…」
鼓動が早まる。焦る胸の鼓動が互いに聞こえてしまいそうで不安になるも、そのせいでさらに早まってしまう。
打球音すら聞こえないほど、僕たちだけの空間を作り出していた。ベンチに缶ジュースを置く音すら聞こえない。
ドクンドクンしているのは自分の鼓動か、相手の鼓動か。そんなのどっちでもいい、同じ気持ちでいてくれた方が嬉しいし、いや、もうそんなのもどうでもいい。どうにでもなれ!
僕とアオキははゆっくりと顔を近づける。
その距離は陽が落ちる時と同じように、今か今かと迫っていた。迫って迫って…
「あの、ここ使いますか?」
「つ、使います!」
通行人に声をかけられ、僕は条件反射で返事をしながら勢いよく立ち上がった。その流れでバットを握り、急いで打席へ向かう。アオキとは異なり、僕の構えは落ち着きすぎていたらしい。
「教えようか?」
アオキにそう言われ、僕は軽くバットを振って見せた。打ち返したボールは出てきた穴へ吸い込まれるように帰っていった。
「実は僕、高校球児なんで」
またそんな笑顔しちゃってさ。かわいいんだから。
私がこうして恋人でもないユイ君と過ごしているのは、好きだから、というのもあるけど、本当は自分のため。穴を埋めて欲しかったから。大切な人を失って開いた大きな穴。ユイ君にも開いているであろう大きな穴は私にも開いている。
あれは昨年の話。ユイ君たちがまだ警察になる前の話。姉は殺人に殺された。
もちろん、連絡を受けた時は信じられなかった。比較的安全で、未だ被害が少ない地域に住んでいたから。その地区で命を落としたのは姉が初めてだった。
私は悲しさよりも強く、怒りを感じた。人を守る職に就いているのに、最も身近な人すら守れない。悔しかった。
こんな気持ちでいても仕事に集中できないと思い、ここ数日はいつやめようかを、常に考えていた。そんな中で仕事をしていたため、ヒビノさんにはよく叱られた。でも、ある意味で辞めるきっかけに繋がると思った。
カウンセラーのナワさんとも話した。それでも、特に何かが変わることはなかった。
結局、なんやかんやで仕事を続けていた時、新人が配属された。そこで、ユイ君と出会った。
非日常に引っ張られていた体を日常へ戻してくれるような、そんな存在のように感じた。それと同時に、好奇心を抱いた。
偶然か必然か運命か。同じ課に配属されることになり、近くで接する機会が増えた。直属の上司にはヒビノさんがついたが、事務関係の細かいことは私が教えることになった。
「距離、近くないですか?」
教えている最中、親近感を感じるのかわからないが、勝手に体を近くへ寄せてしまうことが多々あった。
「ごめんごめん、わざとじゃないからね」
この時、ユイ君への好意は特になかったのだが、体が勝手にユイ君を求めているようだった。
そういえば、お姉ちゃんに対してもこうやってくっついてたっけな。
「寂しいんですか?」
「どうして?」
「だって…」
私の膝に落ちてきた雫で自分が泣いていることに気づいた。悲しくも辛くも苦しくもないのに、どうして涙が出てくるのか不思議で仕方なかった。止めようと、止めようとしても体は泣くことをやめない。
啜り泣く音に周囲が気づき始め、視線をこちらへ送り始めた時、ユイ君はわざとらしく鼻をかみ始めた。
「うるさくしてすいません、花粉症でして」
私を庇ってくれたのだ。泣いていることがバレることは嫌ではなかったのだが、誰かに守られることが少なくなってきたこの時に、お姉ちゃんを失ったこの時期に、こうして人の温かい優しさに触れてからというもの、ユイ君に対する好意という芽が顔を出した。
「ありがとう」
「守られたい人を守るのが警察ですから」
まだ肌寒い春に差し込む陽の光のような笑顔をユイ君はしてくれた。
私はこの時の笑顔を今でも覚えているし、ずっと胸の内にしまってある。
それから私は切り替えることができ、仕事に対しても集中できるようになった。
しばらくして、ユイ君が巡回を始める時期がやってくる。私は心配だったが、あの笑顔をするユイ君のことだから、きっと大丈夫だと思っていた。けれど、そんなことはなかった。
ユイ君もちゃんと傷のつく心を持つ一人の人間だった。当たり前のことなのだが、私が弱いせいで、気づくことはできなかった。
ユイ君はあの時の私と同じような顔をしていた。照らされることを忘れた月のような顔を。今度は私が太陽になる番。
そう思い、声をかけ続けたが、新月のまま、あの時の笑顔を見せてくれることはなかった。
私は思い出していた。自分にかけてくれていた言葉の数々を。心が沈み切った状態では、届くことはないことも。深くて暗い海底では音すら聞こえないように、周囲の声は届かなくなる。
今のユイ君はまさにそんな状態だ。そんなではいくら声をかけても無駄である。だから、私は亡くなった父の形見であるペンダントを渡した。たとえこれが力にならずとも、誰かがそばにいてくれることを覚えていてほしいという思いを込めて。
私が心配していたのも束の間、ユイ君は自力で恐怖という足枷を外し、海底を抜け出していた。再び私の前に現れたユイ君は満月のように眩しかった。
けれど、そんなユイ君でも、心に開いた大きな穴は早々埋まることはない。私がそうであるように。だから、今日、ユイ君と出かけようと、前もって準備していたのだ。
スーツで来ることも、何も準備できていないことも、想定済みだったんだからね。ほんとだよ。
このデートはお互いの愛を育むものではない。お互いの穴を埋めるためのもの。穴を埋め終えてから、愛という種を植えていけばいい。




