光はいつでも、闇に変わる
エノモトからもらった休暇を、新人組は自由に消費していた。
イトウは自由気ままに、趣味に費やしていた。買い物したり、映画を観たり、ご飯を食べたり。
エノモトに休暇を与えられた日から、イトウは街に出ていた。十九時、洋画を二時間視聴し、その後、イタリアンを食してホテルへ向かった。
イトウもユイと同じく、ジュン地区にて一人暮らしをしている。
家族で越してくる予定だったが、殺人の恐怖を拭い切れなかったため、一人で越してきた。家族と暮らしてた頃から、自分の部屋にいることが多く、好きな時に好きなことを一人でやっていたため、生活に困ることは少なく済んでいる。
警察という職業も、好きだからなったものである。
ホテルに泊まった理由は簡単で、せっかくの休暇なため、少し贅沢をしようという算段だ。
その日はシャワーを浴びて、枕に顔を埋めると、そのまま眠ってしまった。よっぽど疲れていたのか、翌朝は十時のチェックアウトの時間までぐっすりだった。
チェックアウトの時間だとわかっていても、イトウは慌てる素振りも見せず、淡々と出発の支度をする。
清掃員が部屋の前を通りかかった時、イトウは扉を開けた。
(今日から私は自由。自由の女神なのだー!)
右腕を高々と挙げるイトウを、変な目で見ていた受付をよそに、ぎこちないスキップでホテルを後にした。
本日の予定を頭の中で唱えていると、見覚えのある人物がランニングしていた。
「あ、コバヤシじゃん」
「イ、イトウさん!?」
「何してるの?」
息を荒くしていたコバヤシは一度通り過ぎたが、イトウの声に気づいて戻ってきた。
「見ての通り、鍛錬を」
「ストイックだね」
「イトウさんは?」
「これからお出かけする予定だよ」
「そうでしたか。では、良い休暇を!」
コバヤシはそう言うと、速度を増して走り去って行った。
(自分に厳しすぎるよ、コバヤシは。こういう時くらい自分の羽を伸ばすべきだと思う。…あれがコバヤシなりの羽の伸ばし方なのかな。人それぞれあっていいよね。私にとっては街へ出かけることが羽の伸ばし方。うん、そうだよ。ここ最近はスーツか部屋着しか着られていなかったから、自分を彩るには今しかない!)
イトウは頭を振りながら、目的地へと足を運ぼうとしたのだが…
「やっぱり、おかしい!」
(他人に自分の価値観を押し付けるのは良くないって、わかってるけど、なんかこう、人が頑張ってるのに、自分が遊んでるのはモヤモヤする。)
イトウは頬をはたきつつ、振り返ってコバヤシの後を追った。走るのに適していない格好のため、コバヤシが一休みするまで、走り続けて、ようやく追い付けた。
「イトウさん?」
公園の水道で汗を流し、給水をしていたコバヤシがイトウに気づいた。
「ちょっと、コバヤシだけ、その、休暇中に、が、が、頑張ってるのはずるいから、その、そういうのは、私と同じ時間だけにしてよ」
イトウの額からは汗が滴り、コバヤシを引き止めるため、乱れた呼吸のまま話したせいで詰まり詰まりになってしまった。
「そ、そんな慌ててどうしました?」
「どうもしてない。とにかく…」
イトウは手の甲で汗を拭った。
「私についてきて!」
イトウはコバヤシの手を掴んで街へ出た。クリスマスシーズンということもあって、カップルがいらほらといた。
ランニング中にいきなり連れ出したので、コバヤシはジャージのままだ。イトウは恥ずかしそうに周囲の目を気にする。
「こっち来て」
いつにも増して、読めないイトウにコバヤシは困っていた。
「自分がイトウさんの予定にご一緒してもいいのですか?」
「私が誘ったからいいの」
「出かける、という行為をこれまでしてこなかったので、少しワクワクします!」
子どものように、コバヤシはかわいく笑顔を見せた。
「じゃあ、私が教えてあげる。基本的にデー…出かける時はジャージじゃないの」
「なるほど」
「だから、まずは服を見に行こう」
「はい!」
コバヤシの良い返事で、二人のお出か…デートは始まった。
イトウはコバヤシをエスコートするように、前後になってショーケースを見ながら歩く。
「いつも何着てるの?」
「ジャージばかりですね」
「忙しいもんね」
「そうですね。趣味が特にないので、忙しい分には問題ないのですが」
「体がもたないよね」
「あ、いえ、そうではなくて、日用品を買う時間すら惜しんで寝てしまうんです。歯磨き粉とか洗剤とかはもう諦めて、週末になるまでなんとか凌いでいますし、服なんて買う時間あれば寝てます」
イトウが振り返って、後ろ向きで歩く。
「休みの日は何してんの?」
「買うものだけ買いに行く時間以外は寝てますね」
イトウは可愛らしく微笑む。
「おかしいですよね」
コバヤシは苦笑を浮かべながら、頭を搔く。
「真面目そうなコバヤシにも、人間味があって良かったなって」
言葉の意味を深く理解できていなかったコバヤシだが、ふとあることに気づくと、咄嗟にイトウの頭を支える様に腕を回し込んだ。
「危なかったですよ。もう少しで電柱に…」
いきなり、突然、どうしてか抱かれると思ってしまったイトウの顔が、りんごのように真っ赤になっていた。
イトウの顔の火照りを感じたコバヤシは、顔の距離がかなり近くなっていることに遅れて気づく。
「ちょ、ちょっと近くで休みましょうか。冬でも歩くとあた、温まりますね」
二人は離れると、すぐに顔を背けた。
「そ、そうですね」
イトウは焦りのあまり、なぜか敬語が出てしまった。コバヤシの服を買おうとしていた二人は、落ち着きを取り戻すため、喫茶店へ向かった。
イトウはブラックコーヒーを、コバヤシはココアを頼んだ。
「おいしいですね」
「コバヤシは甘いの好きなの?」
喉に潤いを戻したのと同時に、二人は落ち着きを取り戻した。
「はい、自分に厳しいせいか、味覚は甘さを求めているのかもしれません」
「自分に厳しくしてるから、堅苦しくなってるんだ」
イトウは口に空気を入れて、膨らませながら聞いている。
「甘いままでは、いけない、いけなかったんです。過去の自分がそうでしたから」
「過去が暗いなら、未来はきっと明るいよ」
「そうだといいですね!」
二人はそれぞれの暗い過去を思い出したが、上を向いて進もうと、飲み物で流し込んだ。
静かになった二人を店内のBGMと周囲にいる客の会話が包む。
「こ、この後どうしましょう」
「服はどうする?」
「提案していただいて申し訳ないのですが、着る機会がないので、必要ないかなと…」
イトウは顎に手を当てて悩み出した。
「あ、す、すいません!誘っていただいた身なので、イトウさんが行きたいのであれば…」
「二十時まで時間を潰すには…」
「二十時?」
「コバヤシ、どんな映画が好き?」
「正義と悪が戦う、アクションものが好きです!」
珍しくコバヤシの目が輝いていた。
「わかった。ちょうどいいのがもうすぐ始まるから観に行こ。あ、お腹空いてない?」
「ココア飲んだので、そんなに空いてないです」
「じゃあ、映画観てから食べることにしよう」
二人は喫茶店を後にし、映画館へ向かった。
「コバヤシはポップコーン買う?」
「いえ、映画に集中したいので」
「わかる!元々買ってたんだけど、途中で手が止まっちゃって、結局食べ切れた試しがないの」
「僕も同じです」
「まじ!?」
二人は映画館のロビーにて、仲の良い姉弟の様に談笑していた。
「実は今から観るの、観ようと思ってたやつなんだ」
「イトウさんって映画お好きなんですか?」
「…妹が好きでさ」
「では、休みの日は姉妹二人で?」
「うん、ちょっと前までは、ね」
「そう、でしたか」
入場を知らせるアナウンスがロビーに鳴り響く。
「イトウさん!行きましょう!」
イトウの表情を察したコバヤシが手を引いて入場口へ向かった。
(コバヤシの背中って、こんなに大きかったっけ。普段は私が前にいるから、気づかなかったな)
劇場内に入ると、冬休みなのと、人気の映画なのが重なって、ほとんどの席が埋まっていた。
「混んでるね」
「暗いので足元お気をつけくださいね」
二人は席に座り、上映前のCMを観ながら、冷え切った手を温めながら、上映開始を待った。
やがて上映が始まると、初めは見入っていたものの、しばらくして二人はお互いがどんな思いで警察になったのか、これまでやってきたか、自分のことをどう思っているのか、この映画は面白いと思っているのか等、相手のことを考えすぎたせいで大きな音がするまで自分の世界に入り浸っていた。
スクリーンではなく、下を向きながら考え事をしていたのは、劇場内でこの二人だけだった。
上映が終わり、スタッフロールの中、退場していく者、終わってから退場する者がいる中、清掃員が入ってきても退場しない二人がいた。
「す、すごかったね」
「はい」
「特にイカとタコがお互いの足を食べ始めるところとか」
「はい」
「ラストのあの感じ、絶対続編あるよね」
「はい」
「コバヤシ?生きてる?」
イトウがコバヤシの顔を覗き込むと、聞こえてきたものを通していないような耳と、考えごとをしている瞳をしていた。
「善玉菌と悪玉菌は合わせて百あるらしいんです」
遠くを見つめたまま口を開いたコバヤシの正気を取り戻そうと、イトウは顔の前で何度も手を振った。
それでも、コバヤシは話すのを止めなかった。
「同じように、この世にも善と悪は合わせて百あります。これは割合の話であり、数の話ではありません。なので、百を超えることも、切ることもありません。善が悪に変わり、悪が善に変わればバランスが傾くだけで、百という数字は変わりませんが、どちらかが生み出されれば、百という数字が変化して、この世の秩序が乱されます」
「とりあえず、出よっか」
清掃員が近くに寄ってきて、イトウは空気を読んでコバヤシを引っ張るようにして退場した。
「それで、いきなりどうしちゃったの?」
二人は映画館近くにあったフードコートにて、ハンバーガーセットを前に、映画館での話の続きを始める。
「あれは祖母から聞いた話です。善と悪について悩んでいた頃、祖母と母が善玉菌と悪玉菌について話していました」
「どんな経緯があったんだ」
イトウがフライドポテトを三本まとめて口へ入れる。
「単なる雑談ですよ。他人から受けた知識を別の人へ伝える。そうして情報は伝達していくんです。ただ、伝達するにあたって、そこには綻びが生まれます。先ほどの映画を例に挙げましょう。誰かに映画のことを伝えた時、おそらく質問が生じます。それに対して、これだ、という答えがあってもなくても、綻んだ記憶では正確に伝えることはできません。観たという事実はあっても、話している時は記憶を呼び起こしつつ、半ば想像で話しているわけですから」
イトウは頷きながら、フライドポテトとハンバーガーとジュースを三角食べしている。
「そうして伝達していった先で、違う形となって、新たな事象が生まれるのです」
コバヤシがフライドポテトを一本、イトウに見せるように手に取った。
「フライドポテトを食べたという情報を伝え、十人先まで伝わったとしましょう。すると、そこではポテトチップスになったり、スイートポテトになったりする可能性があるんです」
ジュースを飲み終えたイトウが首を傾げながら言う。
「つまり、どういうこと?」
「自分たちが生きるこの世において、確定情報はほとんどないということです。善玉菌と悪玉菌の話もどこかで形を変えたものですし、自分が話していることも、また形を変えて伝わっていくと思うんです」
「善玉菌と悪玉菌は合わせても百…じゃなくなるかもしれないってこと?」
「の、可能性があるということです」
「んーーーー、難しい話だね」
イトウは目をつむり、口をへの字にして頭を悩ませている。
「…あ!す、すいません!自分の世界に入り込んでしまってました…」
「ううん、おかえり。コバヤシの内側を覗けたような気がして楽しかったよ」
机に肘をつき、手のひらに顎を乗せて微笑みながらイトウが言った。
「映画を見ると、いつもこうなんです。自分の脳内を刺激されると、頭の中の知識が漏れ出ちゃうんです」
「そうなんだ。理解しようとしたけど、私には難しすぎたよ」
「とんだご迷惑を…」
コバヤシはハンバーガーの最後の一口を食べた。
「これからどうしよっか」
「元々どんなスケジュールだったんですか?」
「もう帰ることにしてたけど、昨日ホテルに泊まったし」
「そうなんですね。んー、あ、じゃあ…」
コバヤシが二人分のトレイを返すと、二人はゲームセンターへ向かった。
「しばらく来ていなかったので、ちょっとだけいいですか?」
「時間まで余裕あるし、好きなだけいいよ」
「時間?この後ご予定が?」
「うん。でも、気にしなくていいよ」
コバヤシはよくわかっていない様子だった。
二人はゲームセンター内を歩き回り、UFOキャッチャーやレースゲーム、リズムゲーム等、幅広いゲームを堪能した。勝負のつくものは全てイトウが制し、逆に勝負のつかないものは、コバヤシのプレイが光っていた。
「イトウさん、ゲームお上手ですね」
「コバヤシも、一人でやるやつはめっちゃうまいじゃん」
「まぁ、それは…。普段ゲームとかやられるんですか?」
「昔ね、ちょっとやり込んだ時期はあったよ」
コバヤシはUFOキャッチャーの景品が入った袋を片手に、イトウの隣を歩く。
「結構な時間いましたし、時間もそろそろ、えーと、二十時ですが、大丈夫ですか?」
イトウはその場に立ち止まり、胸に手を当てて深呼吸する。
「こっち!」
いきなりコバヤシの手を掴み走り出した。
「え、ちょ、一人で走れますよ」
「逃げないように!」
普段、イトウの背中を見慣れているのに、この時は頼もしさではなく、格好も相まってか、女性らしさを強く感じた。揺れる髪から漂う良い香りが、コバヤシの感情を惑わせていた。
イトウが走るのをやめ、ちょうど二十時になった時、目の前の噴水を中心にして、周囲の街路樹が突然光り出した。
その光景にコバヤシは圧倒され、言葉にすることができず、ただただ、見渡すことしかできなかった。
「コバヤシ!」
見渡している中、噴水をバックにしている、凛々しくも、華のある一人の女性に目が止まった。一ミリたりとも顔を動かすことすらできない。まさに、釘付けだった。彼女はどの光源よりも眩しく、美しく、一際輝いていた。
この世はバランス良く成り立っている。善があれば悪があり、光があれば闇がある。
(僕はこの光を守るためなら闇にだってなれそうだ)
「次はコバヤシの生活を見せてね!」
イトウは光の中へ走り、途中途中で振り返って手を振っていた。彼女は光の中でさえ、輝き続けていた。
コバヤシも応えるように手を振った。
「わかり…わかった!」
手を振るのと走るのをやめ、歩き出していたイトウは立ち止まった。そして、崩れたような笑顔で再び振り返ってくれた。
この日、口にはしなかったものの、二人はお互いの内に秘める苦しみを感じ取ったのであった。




