八話
「セドリック皇子にこんなことを聞いていただくのは申し訳ないのですが、他にこんなこと相談できる人はいなくて……」
美しいと人々に称賛される瞳を悲しげに伏せ、でき得る限り儚そうな表情を作りながら、私はセドリック殿下にそう話しかけた。
そんな私を痛ましい表情で見つめながら、セドリック様はこう答えてくれた。
「私たち王族は自分のことでさえ好きに語ることは許されません。私が貴女の話を聞くことでレオノーラ殿下の心が少しでも晴れるのならば、私は喜んで貴女の話をうかがいます」
私を思いやってくれる彼の言葉に、今度は演技ではない本物の涙が、私の瞳にキラキラと光る膜を張った。その視界を通して見える彼は、いつも以上に輝いて見えた。
ああ私の王子様。私の運命はやっぱり貴方に違いない。
そんな彼と私が結ばれるために必要な計画を実行するため、私は続く言葉を彼に語りかけた。
この計画を思い付いたのは彼の帰国を聞いてしばらく経ってからだった。それまでは悲しくて、悲しくて何も手に付かなかったけど、これを思い付いた瞬間には自分の未来がパッと明るく輝くのを確信した。
それまで私をイラつかせていた、お父様がセドリック様との結婚を今は認めてくださらないことも、田舎貴族が私の婚約者候補に居座っていることも、どんくさいメアリーがあいつの瑕疵を未だ見つけられないことも、この計画を思い付いてからは全てが計画をドラマチックに仕上げるための要素に思えてきたぐらいだった。
私は普段は大して信じてもいない神に感謝しながら、この計画に必要なことを考え始めた。
計画の前準備は至極シンプルだった。セドリック皇子にとある相談を持ちかけるだけだった。最近はセドリック皇子は私との時間を多く取ってくださるようになっていたので、それは何も難しいことではなかった。
私が深く悩んでいる演技をして彼に相談を持ちかけると、彼は優しくそれを受け止め、真摯に話を聞いてくださった。向けられる私を心配する視線に思わず頬が染まりそうになったほど、彼は私を思いやってくれた。私は改めて私と結ばれるのは彼だと確信しながら、必要な相談を彼にし続けた。
相談をある程度し、下準備が終わると次は計画を実行するための日程を調整した。これが意外に難しく、セドリック様のお時間をいただけるタイミングにそれを合わせることが中々できなかった。そのため何度か日程を再調整することになった。
四度目の調整で、やっと全ての条件を整えることができた。侍女たちが全ての手配を終えたのを確認した私は、最後の仕上げとして私の愛する王子様の元へと向かった。
「アルベルト様が今日侍女のような女性と人気のない離宮へ向かうのを見た者がおりますの。彼を信じたい気持ちは残っています。でもこのままでは不安ばかりが募ってしまって……。
一人では勇気が出ないのです。どうかセドリック様、私が真実と向き合うことに立ち会ってはいただけないでしょうか?」
私はいつもより気合いの入った演技をしながら、そうセドリック様に懇願した。そう、これまでに行ってきた下準備とは、アルベルトがとある侍女と不貞をしているという噂をセドリック様の耳に入れることだった。
これまでも幾度も婚約者候補が不貞をしているという噂に心を痛める演技をしてきた。彼にもそう印象付けることに成功しているはずだった。しかしここで彼が付いてきてくれなければ計画が狂ってしまう。そのため私は少しの不安を感じなからも、祈るような気持ちでセドリック様を見つめた。
私のそんな視線を受け、彼はその美しい瞳で私を見つめ返した後、私の手をそっと取りながらこう伝えてくれた。
「彼の噂が本当であるならば、それは到底許されないことです。それに困っているか弱き女性を放ってはおけません。ぜひ、貴女の力にならせてください」
指先まで完璧に美しい彼の手が、私の白い手をそっと握ってくれた。私はあふれそうになる歓喜の心を何とか押し留め、目を伏せながら彼にお礼を言った。
時計を見ると、そろそろ頃合いだった。私はセドリック様のエスコートを受けながら、とある離宮へと向かった。
離宮に足を踏み入れると、俄に騒がしい声がした。声のした方向を見ると、ララが衛兵に取り押さえられているのが見えた。その側にはシシーがいて、私たちに気づくと深々と臣下の礼をした。
やっぱりシシーを配置しておいて正解であったようだ。ララは平民の癖に妙なところで勘がいいし、何よりあの子のことをよく気に掛けていた。土壇場でこの計画を邪魔をするならララだと思っていたけど、私の采配は見事当たったようだった。
「あれは?君の侍女のようだが、どうかしたのかな?」
「彼女は私の侍女ですが、どうやらアルベルト様の不貞に手を貸していたようなのです。そこのシシーがそのことに気付き、彼女のことを見張ってくれていたのです。
彼女がここにいるということは、やはりアルベルト様は今日、ここで不貞の相手と密会しているのかもしれません」
「なるほど。レオノーラ殿下、大丈夫ですか。辛い事実と向き合わなければならないかもしれませんが、微力ながら私もおります。どうぞ頼ってください」
「セドリック様……!勿体ないお言葉、ありがとうございます。私、不安ですがしっかりこの目で確かめます」
セドリック様に支えてもらいながら、私はこの離宮の応接室の前に立った。計画は全て順調に進んでいるはずだ。それでも緊張で少し体に力が入ってしまった。
そんな私を勇気づけるかのように、セドリック様は手をぎゅっと握り、私に微笑みかけてくれた。私は彼に笑顔を返し、シシーが解錠したドアを開けるのを待った。
ドアが開くと、そこには二人の男女がいた。男はジャケットやベストを脱ぎ、シャツのボタンもいくつか開けた状態であった。女は乱れた髪でそんな男の側に立っていた。
突然開いたドアに驚いたのか二人とも驚愕の表情をしながらこちらを見ていた。まるで不貞が見つかった男女のようで私は思わず小さな笑みを溢した。
そこにいたのは私の婚約者候補のアルベルトと、髪と顔にかけたギフトが解けただの小娘に戻ったメアリーだった。
驚きに固まる二人が今の状況を把握する前に、私は畳み掛けるようにこう声をあげた。
「アルベルト様、信じていたのに……。やはり私の侍女とそういう密接な仲になられていたのですね!」
私はにやけそうになる顔を隠すためにも、両手で顔を覆い、涙を堪えるような素振りをした。先に私がこう告げることで、周囲はまずそういう目で二人を見るはずだ。そうなれば彼らが何を言おうが、言い訳がましく聞こえるようになるだろう。
この場には私以外にセドリック様もシシーもその他の侍女もいる。アルベルトの瑕疵を確定付けるには十分な目撃者になってくれるだろう。
「レオノーラ殿下!?これは一体どういうことでしょうか?」
やっと状況が飲み込めてきたのか、アルベルトが反論をしようとしてきた。しかし私はあの男が何かを言う前にすぐにこう告げてやった
「こんな状況でまだしらを切るつもりなのですか?私は前々から噂で聞いていたのです。アルベルト様には密接な仲の女性がいること、彼女と隠れるようにして逢瀬を重ねていることを。
私は噂より婚約者候補である貴方を信じようとしていたのに……ああ、酷いわ」
そこまで言い切ると私はポロポロと涙を流した。これで第三者の目から見ると私たちはきっと不貞を働いた男と被害者である可哀想な少女に見えているだろう。
メアリーは放っておいても誓約があるため私と入れ替わっていましたとは言えない。それにたかが侍女である彼女の言葉など誰も重きを置かないはずだ。
そしてアルベルト。彼は曲がりなりにもお父様が私の婚約者候補に据えるような、明らかな欠点などないある程度頭の回る男のはずだ。なら、状況が不透明な状態で王族相手にあれこれと不確かな反論はしてこないと踏んでいた。
私が読んでいた通り、アルベルトは深く考え込むような顔はしていたが、二人とも私に言われるがままで何も反論らしいことはしてこなかった。私は悲しむ演技を続けながらも、シシーに目配せをし、衛兵を連れてくるよう指示を出そうとした。
しかし私が指示を出す前に、セドリック様がこう私に声をかけてくださった。
「レオノーラ殿下、彼らの状況は限りなく黒ですが、改めて詳細を聞く必要があるでしょう。しかしそんなことを貴女が直接耳にする必要はありません。
侍女はここへの不法侵入などの名目で一旦牢にでも入れるのがいいでしょう。彼は……今回のことが公になれば殿下の評判にも繋がります。事情は伏せ、まずはどこかの客間で身を預からせるのがいいかと思います。
それでよろしいですか、殿下?」
彼らを一旦拘束することは私も考えていたことだった。そのため私はセドリック様の言葉に頷き、「それでお願いします」と小さな声で答えた。
アルベルトとメアリーが連れていかれるのを見送った後も、私は涙を時おり流す演技を続けていた。
ハンカチを差し出してくださったセドリック様に、私は濡れた目で上目使いに見つめながらこうお願いをした。
「父にもこのことを伝えなければなりませんが、私だけでは説得力に欠くかもしれません。第三者であるセドリック皇子からも伝えていただきたいのですが、お願いをしてもいいでしょうか?」
「もちろんです。それにこんなに傷付いた貴女を一人にはできません。私にも同行をさせてください」
セドリック様は私の手を握りながら、そう強くおっしゃってくれた。私は胸が高鳴るのを感じながら、彼にお礼を告げた。
セドリック様を伴って、私はお父様の元を訪れた。前触れは出していなかったのでかなり渋られたが、火急の用件だと侍従に強く伝え、お父様が出られていた会議の終わりに部屋に飛び込んだ。
そこには数人の大臣たちとお父様がいた。この話を聞くのがお父様だけなら揉み消されるかもしれないと思っていたので、他人の目があることは私にとっては好都合だった。
明らかに涙の跡がある私とセドリック様が共に部屋に入ってきたからか、部屋は俄にざわついた。その混乱に乗じて、私はお父様に何かを言われる前にこう切り出した。
「お父様、今日私はアルベルト様が私の侍女と密室で親密にしているのを目撃いたしました。セドリック皇子もその場にいてくださいました。
お父様が国を思って結んでくださったご縁だとは理解しておりますが、私は……私は彼を婚約者候補から外していただきたいと考えております。
私も王女です。愛だけで結婚できるとは思っておりません。しかし婚前からこんな不貞をされる結婚は……一人の女として、とても辛いです」
涙で瞳を潤ませながら、私はそこまで一気に伝えた。私の涙ながらの訴えに、周囲の貴族たちがざわついているのを感じていた。この場の空気が私の味方になるのを感じながら、私は更に言葉を続けた。
「陛下はこの国の国防のために今回のアルベルト様とのご縁を結ぼうとされているとうかがっておりました。しかし国防のためであれば、私にはもうひとつ国のためにできることがあると思っております」
そこで私は小さく息を整え、隣に立ってくれているセドリック様のお顔を見上げた。私が思いの丈を込めて見つめると、彼も目を細め、熱い視線を私に返してくれた。
やっぱり私たちは運命の相手に違いない。そう確信を持って私はお父様にこう伝えた。
「このセドリック皇子の元へと嫁ぎ、このグランベルク王国と彼のラッセン帝国との友好の架け橋となることです。帝国との関係がより良いものとなれば、国境線も安定したものとなるでしょう。
それに私は、私レオノーラはセドリック皇子のことをお慕いしております。ただ一人の、恋に落ちたお父様の娘としてもお願いをします。どうか私の婚約者としてセドリック皇子を認めていただけないでしょうか?」
セドリック様にはこれまで態度で、それとなく言葉で好意を示し続けてきたけれど、はっきりとした言葉でお慕いしていると伝えるのはこれが初めてだった。
緊張と羞恥で顔が熱くなるのを感じていた。私と彼は運命なんだって信じていたけど、いざとなると何だか恐くて彼の顔を見れずにいた。そんな私の手をぎゅっと握り、セドリック様はお父様にこう言ってくれた。
「ラッセン帝国の皇子として、レオノーラ殿下との結婚のお話は両国に益をもたらすありがたいものだと考えております。そして、私個人としても才能と優しさに溢れたレオノーラ殿下を人生の伴侶とできるなら、これほどの喜びはありません」
セドリック様はお父様にそう言い切ると、私に向き合いこう言ってくださった。
「レオノーラ殿下、このような形で伝えることになってしまいましたが、私はこの国で貴女に出会い、その素晴らしい人柄、愛らしい笑顔に惹かれておりました。
今日のような辛い日は貴女を支え、幸せな日には笑顔を貴女と共に分かち合いたい。私も貴女を想っています」
セドリック様の言葉に、堪えきれず涙が次々と溢れだした。幸せで、幸せで、どうにかなってしまいそうだった。涙で視界がぼやけ、目の前に立つセドリック様の表情さえうまく見えなかった。けれど、周囲から沸き起こった大きな拍手から、私たちの仲が皆から祝福されているということを私は確かに感じていた。