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六話

「ありえない!!お父様は私のことを愛していないんだわ!!」


自室に戻ってからのレオノーラ殿下は、物を手当たり次第に投げながらそう叫んでいた。



あの後、殿下はどうにか陛下を説得しようと試みたが、陛下が首を縦に振ることはなかった。


「国防も国家の重要事項の一つだ。お前にはその役割を期待しているんだ。お前自身にそのことにしっかり向き合ってほしいと私は思っている。


それにアルベルト君に何か問題がある訳ではなかろう。何か彼と婚姻できない決定的な理由でもあるのか?」


そう問われ、今のところ瑕疵を見つけていない殿下は引き下がらざるを得なかったのだ。陛下の前を始め外では猫を被っているため何とか耐えていたものが、自室に戻ると爆発した。


私たちやギルバード様以外は下がらせた私室で、色んなものに当たり散らしながら、レオノーラ殿下は私にもこう怒鳴り付けた。


「あんたがとっととあいつの弱みを見付けないからよ!!三ヶ月もあったのに!!この無能!!」


手元にあった手鏡をお腹の辺りに投げつけられながらも、私はただ謝罪をし続けるしかなかった。


「お父様から交流を続けるように言われたからまだあの男と会わなきゃいけないわ。そっちはメアリー、あんたが何とかなさい!私がセドリック様と結婚できるようになるまで引き伸ばしておくのよ!」


こうして私は引き続きアルベルト様の前にレオノーラ殿下として立たされることが決まってしまった。



セドリック皇子の歓迎式から一週間ほど経った昼下がり、いつもの通りアルベルト様との面会が設定されていた。歓迎式でレオノーラ殿下がセドリック皇子に夢中になっていたご様子をアルベルト様もご覧になっているはずである。私は重い足取りで彼といつもお茶をしているサンルームへと向かった。


しかしそんな私の予想とは裏腹に、私を出迎えてくれたのはいつもと変わらぬアルベルト様であった。殿下のあの夜の表情をご覧になっているはずなのに、彼はいつもと変わらない態度で私に花束を渡してくれた。白いガーベラを中心とした花束はとても愛らしいものであったが、その花の美しさが、彼の優しさが却って私の心を締め付けた。


セドリック皇子の歓迎式も、レオノーラ殿下の癇癪も何もなかったかのように、アルベルト様との時間は以前と変わらない本当に穏やかなものであった。視線を上げれば、初めて会ったあの頃よりは幾分か柔らかくなった表情で、彼は私の目をしっかり見つめ返してくれた。彼の澄んだ橙の瞳を見ると、ただ彼を振るための時間を稼ぐためにこうしてここにいる自分に、何だか無性に泣きたい気持ちになった。


「どうかしましたか?気分が優れませんか?」


しばらく黙り込んでしまっていたせいか、アルベルト様に心配そうにそう覗き込まれてしまった。自分に向けられる気遣わしげな視線に、私は本当に泣きそうになってしまった。

私は貴方を騙している。優しくしてもらう価値などない。そう許されるなら叫んでしまいたかった。


「何でもありませんわ。お気遣いありがとうございます」


しかし弱い私にできることは、ただレオノーラ殿下の命令の通りに働くことだけだった。私は平気な振りをして、彼に殿下の笑みで微笑みかけた。




そうして私がアルベルト様との対応も含め公務などを引き受けている間、レオノーラ殿下は憂さ晴らしでもするかのように変わらず令息たちと遊んでいるようだった。しかしそんな奔放な生活を続ける一方で、あの頃とは違ってセドリック皇子が同席されるものについては小難しい公務も自ら参加してくれるようになっていた。


「さすがですわ、セドリック皇子。ぜひもっと詳しくお話をお聞かせいただきたいですわ」


セドリック皇子と顔を会わせる機会が少しでもあれば、レオノーラ殿下は皇子に積極的に話しかけるなど、好意を全く隠さずにいた。今にも腕に抱きつきかねない勢いで話しかける殿下に対して、初めはセドリック皇子は常に少し距離を置く紳士的な態度で接していた。


そのように一方的な関係に見えていたセドリック皇子とレオノーラ殿下の関係であったが、殿下の懸命のアプローチもあってか少しずつではあったがセドリック皇子も殿下のお話に付き合ってくださるようになっていった。


そうしているうちに二人の仲はさらに進展し、両国の友好のための交流という名目で二人きりでお茶をされるまでになった。


「そういえば先日王都の平民のための学校を見学させていただきました。まだ試験的な段階とは聞いていますが、素晴らしい取り組みでした。

この活動にもレオノーラ殿下は積極的に参加されていたと聞きました。殿下の民を思う気持ちは本当に素晴らしいものですね」


いつだったかレオノーラ殿下とセドリック皇子のお二人のお茶の席で、セドリック皇子は殿下にそうおっしゃった。称賛の言葉を贈るセドリック皇子にレオノーラ殿下は少し頬を染めながら、美しく微笑んでこう返していた。


「皆のことを考えるのは当然のことです。でもセドリック皇子にこうして認めていただけて、とても嬉しく思います」


平民の識字率を上げるための活動は私が殿下として積極的に行ってきた取り組みだった。しかし『私』の功績は『レオノーラ殿下』の功績となる。殿下はそんなことなどこれっぽっちも気にすることなく、目の前の美しい王子様との時間を楽しまれていた。



私にアルベルト様の対応を続けさせながらも、レオノーラ殿下はセドリック皇子との距離を着実に詰めていっていた。最近では庭園の散策を、私たち侍女を遠くに下げさせながら二人きりで行っていた。さすがに他の遊び相手とは違い、レオノーラ殿下も婚約者同士ではない未婚の男女としての適切な距離は保っていたが、その親密度は日に日に増していった。


そうなると城内では色々な噂が流れるようになった。


『レオノーラ殿下は心から愛する人を見付けられたのに、国のためにその方と結ばれることを諦めようとされている』


『レオノーラ殿下が言い出さないことをいいことに、殿下のお相手は婚約者候補の座に居座り続けている』


アルベルト様は陛下が据えられた婚約者候補である一方、セドリック皇子はレオノーラ殿下が自ら見初めた男性であった。レオノーラ殿下の人気が高いためか、人々の噂ではアルベルト様は悪者にされがちで、想い人であるセドリック皇子こそがレオノーラ殿下と結ばれるべきだとなっているようだった。



そのような城内の噂を耳にしたり、二人が仲睦まじく庭園を散策しているとこも聞いたりしているだろうに、アルベルト様の私への対応はそれでも何一つ変わることはなかった。


『レオノーラ殿下』の会う日には、彼はお茶菓子や花束などこちらの好きなものを必ず手土産として持ってきてくれていた。彼と二人穏やかにお茶を飲み、図書室や庭園で色々なことを話し合った。これからの国のこと、周辺諸国の文化のこと、優れた外国の文学作品のこと、民の生活のこと。恋人同士がするような甘い話は何もなく、大きな笑い声が響くような会話でもなかった。それでも彼との時間は、私にとってかけ替えのないものとなっていた。


彼の瞳が私を映すと心が揺さぶられた。彼が見ているのはあくまで『レオノーラ殿下』であることは分かっている。自分が彼を欺いていることもだ。


それでもいつしか、その瞳に『私』が映りたいと願う心が生まれてしまっていた。アルベルト様に会うと、罪悪感と喜びと悲しみで心の中はぐちゃぐちゃになりそうになった。それでも殿下の命令だからと自分に言い訳をして、すっかり慣れてしまったレオノーラ殿下の笑顔でいつも彼の前に立っていた。



そうして色々な心の矛盾を抱えながらも、日々は過ぎていった。アルベルト様の前にレオノーラ殿下として立ち、レオノーラ殿下とセドリック様の逢瀬を遠く見守り、公務をこなす。

そうして心を殺して生きていても、時間は流れを変えず淡々と過ぎていった。アルベルト様の瑕疵は見つからないままで、レオノーラ殿下とセドリック皇子も二人の仲は深まっていても陛下に結婚を認められるところまでは至っていなかった。そんなどちらの決定打もない状態のまま、気がつけばセドリック皇子がラッセン帝国へ帰る期日が近づいてきていた。


セドリック皇子の帰国が迫ってくると、レオノーラ殿下の癇癪はより酷くなった。まだあの男を追いやれないのかと、私は服で隠れる場所を扇子で打たれながら責められた。

陛下に再びセドリック皇子と結婚したいのだと訴えに行って、断られたときも酷かった。レオノーラ殿下専用の一点ものの茶器も割られ、部屋中のあらゆるものがなぎ倒された。


そんなレオノーラ殿下であったが、本格的に帰国が迫ってきた最近では少しでも時間を共有することに労力を向けることにしたのか、空き時間を作ってはセドリック皇子の側に向かうようにされていた。

そのためここ二回ほどアルベルト様との面会はキャンセルされていた。いつもならそのようなことには何か苦言を呈するギルバード様も、セドリック皇子の滞在の終わりが見えているせいか殿下に何かをおっしゃることはなかった。


そのようにレオノーラ殿下のご予定は全てセドリック皇子中心で回っていた。そのため殿下のご予定はよく直近で変更され、私もララもシシーも皆急な入れ替わりや、入れ替わりの中止などに振り回されていた。

最近では私もララもギフトをちょうど1日継続できるようにはなっていたが、レオノーラ殿下がすぐセドリック皇子の元へ行ってしまわれたりするので、いつギフトを使うか、使用したギフトをいつまで維持させるかなどを細かく調整しないといけない気の抜けない日々が続いた。午後にギフトを使用して、翌日の昼前までそれを解けないなんてことも何度かあった。




「急な会合に呼ばれたの。メアリー、貴女代わりに行ってきて」


レオノーラ殿下にそう急に命じられたのは、変則な予定をこなすため前日の昼過ぎからギフトを使用し続けていたある日のことだった。セドリック皇子の帰国まではあと一週間を切っていた。


殿下からお声がかかった時間はまだ午前の早い時間ではあったが、最近は本当に予定が読めないため念のため一度ギフトのかけ直しをお願いしたかった。しかし殿下はそれだけを伝えると、足早に出ていってしまった。


レオノーラ殿下から急な命令が来るのはいつものことではあったので、不安は少しあったが私はすぐに諦めた。改めて侍女に聞くとその予定は一時間ほどの会合との答えが返ってきたので、私は腹をくくって指定された部屋へと向かうことにした。


連れて行かれたのはある離宮にある応接室だった。かつての国王の愛人のために建てられたというその離宮はその建設された経緯と立地の悪さから余り利用をされていない場所であった。

急な会合とのことだったので場所がここしかなく、と言う侍女の言葉を聞き流しながら、私はその部屋へと足を踏み入れた。


最近急に会合が行われるとすれば近く開催される教会の慈善行事かなにかだろうか、と思いながら部屋を見渡した。するとそこには予想していなかった人物がいた。


なんとそこには、しばらくお会いしていなかったアルベルト様のお姿があったのだ。


思いがけない人物の姿に驚きのあまりもう少しでそれが表情に出るところであった。そんな風に危うく固まりかけていた私に、彼はいつものように柔らかにこう話しかけてきた。


「時間の調整ができたとのことで、こうしてお声を掛けてださってありがとうございます。お顔が見れて嬉しく思います」


彼の言葉の意味が捉えきれず、思わずここまで案内してきた侍女の姿を探した。しかし彼女は既に下がっていて、部屋には別の侍女がお茶の用意をしている姿しか見えなかった。

焦りながらもアルベルト様に掛けられた言葉を脳内で反芻した。


『時間の調整ができたので、声をかけてくれた』


アルベルト様の言葉通りであれば、彼にはレオノーラ殿下側から誘いの連絡がいったということなのだろう。


私がここに連れてこられた理由である『急な会合』とは噛み合わない話に脳内は混乱していた。しかしそっと差し出されたアルベルト様の手を無視する訳にはいかないため、私は表情を保ちながらとりあえず促されるままにお茶の用意がなされた席に座ることとした。


私の好む柑橘のよい香りのする紅茶が目の前にセットされるのを見ながら、私は胸騒ぎのような、言い様のない不気味さを感じていた。

今レオノーラ殿下は全ての時間をセドリック皇子のために使っているのに、時間ができたからと誘われたと言うアルベルト様。虚偽の理由で連れてこられた私。人気のない離宮。


違和感ばかりがある状況であったが、目の前のアルベルト様は久しぶりに私と会えたことを率直に喜んでくれていた。向けられる視線も、かけられる言葉も全てが優しさに満ちていた。それを無下にもできず、また私自身も久々に彼に会えた喜びを感じていたため一旦違和感を押しやることにした。

彼との齟齬が発生した原因を探るにも今は情報が少なすぎる。アルベルト様にならい、色々落ち着きを取り戻すためにも私は紅茶に口をつけた。



「最近はお忙しくされていると聞きますが、きちんとお休みは取られていますか?今日もご無理をされていませんか?」


いつものように真っ直ぐに私の目を見つめてくる彼に心拍数が少し上がるのを感じていた。例えそれが『レオノーラ殿下』に向けられたものであっても、彼の気遣いが嬉しかった。


大丈夫です。アルベルト様こそ騎士団との訓練でお疲れではないですか?


そう返そうと思った言葉は、私の口から出ることはなかった。





なぜなら私はそのとき、既に意識を失ってしまっていたのだった。

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