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五話

アルベルト様の瑕疵を探すというレオノーラ殿下からの密命を帯びたまま、『レオノーラ殿下』として婚約者候補である彼との交流は続いていった。


城内でアルベルト様とゆっくりと二人でお茶を飲み、お互いのことを語らうところから始まり、最近ではお茶の後に庭園の散策に誘われたりするようになった。

しばらく一緒にいると分かってきたのだが、固いと思っていた彼の表情は特に不機嫌という訳ではなく、彼の通常の表情であるようであった。それを証明するかのように見る人によっては冷たく感じる表情をしているが、アルベルト様は細やかな気遣いを『レオノーラ殿下』にしてくださった。

私より二回りは大きいのではないかと思う少し体温の高い手を、少しでも足場が悪いところでは差し出してくれた。手土産として持ってきてくれる花や茶菓子はどれも私が好きと振る舞っているレオノーラ殿下の好むものばかりであった。




「これは……レモンのタルトでしょうか?」


ある日のアルベルト様とのお茶会で私の目の前に用意されたのは、白いふわっとしたメレンゲと柔らかな黄色のムースからなる見た目も色鮮やかなタルトだった。


「はい、そうです。最近ご令嬢に人気と聞くパティスリーで扱っているものです。お口に合えばいいのですが」


「……爽やかで美味しいです」


レモンはレオノーラ殿下ではなく私の好物だった。自分の嗜好は表には出さないよう気を付けてはいたが、彼はそんな些細な変化まで気づいてくれているようだった。アルベルト様は私が思う以上に『レオノーラ殿下』のことを見てくださっているようだった。


アルベルト様はそのような人物であるため、彼の瑕疵などすぐに見つかるはずがなかった。そのため、しばらくはただアルベルト様と歓談したという報告ばかりをレオノーラ殿下にしていた。進まない瑕疵探しにてっきりまた激しく叱責されるかと思っていたが、実際にはそうはならなかった。


「私も王宮の人間にあいつの素行調査をさせたけどボロがでなかったわ。よっぽど繕うのが上手いようね。些細な欠点でも見逃さないようにしながら、交流を続けなさい」


不機嫌そうなレオノーラ殿下にそう指示され、私とアルベルト様の交流はその後も穏やかに続いていった。





「王宮の書籍の所蔵は素晴らしいと聞いていましたが、実際に目の当たりにすると圧巻ですね」


その日はアルベルト様に誘われ、お茶を飲んだ後に王宮の図書室を訪れていた。レオノーラ殿下ご本人は進んでここに足を運ばれないが、私は公務のために必要な書籍を借りるためよくここに殿下の振りをして通っていた。そのため城内では殿下は読書家ということになっていた。その評判を聞いて、彼はここに私を誘ってくれたようだった。


レオノーラ殿下に成り代わるようになってすぐの頃は、この図書室へはなるべくひそかに通っていた。実際の殿下は図書室になどほとんど足を運ばれていなかったので、殿下に知られれば普段と違う行動をしたとして叱られると思っていたからだ。

しかし、レオノーラ殿下は図書室へと通う私の姿を見た人々から勤勉であるなどと称賛されたため、私のその行動を咎めることはなかった。むしろ「私の評判を上げるためにもっと堂々と図書室へと行きなさい」とおっしゃられた。

最初のお茶会のときもそうであったが、殿下は自身の評判が上がる行動については、殿下らしくない振る舞いをしても私を咎めることはなかった。それが分かってからは、いくつか私の判断で『理想的なレオノーラ殿下としての行動』も行っていた。




「レオノーラ殿下はいつもどのような本を読まれているのですか?」


通い慣れた図書室を案内していると、アルベルト様からそう尋ねられた。


「そうですね。公務に必要な書籍を探しに来ることが多いのですが、外国の文化や風土について書かれた書籍は特に興味深く思います」


「その知識を外交に活かされているのですね」


「実際にその文化に触れている外交官たちには及びませんが、自分にできることはしておきたいので」


「素晴らしいお考えだと思います」


実際には叱責を受けないため、守りたいもののために必要に駆られて行ったことであったが、そう正直に言えるはずもなかった。そのため、そんな取り繕った答えを他人を真似た作り笑顔で言った私を真っ直ぐに見つめ、アルベルト様は素晴らしいと言ってくださった。そのアルベルト様の視線と言葉が、彼を欺いている私の心にグサグサと突き刺さった。それらから逃げるかのように、私は次の場所を案内するため足を動かした。



アルベルト様は本当に素晴らしいお人だった。彼と過ごす時間が積もれば積もるほど、私はそう強く感じていた。

図書室では彼のおすすめの外国の文学作品について話を聞かせてくれた。そればかりでなく、彼が国境の地で実際に見てきた異国の文化の話も聞かせてくれた。慈善事業の会議に出たと話をすれば、彼の領地で行おうとしている貧困対策のことを教えてくれた。私との面会の予定のない日は騎士団に交じり鍛練をしていると風の噂で聞いた。


そして彼がそうして素晴らしい人であればあるほど、私の罪悪感は増していった。伴侶になるかもしれない女性にあれほど誠実に接してくれる彼を、私は偽りの姿で騙していた。

今までもこの姿で多くの人を欺いてきた。けれど、彼らが見ていたのは『第三王女』であるレオノーラ殿下であった。公務をこなすための存在として私はその場にいた。それを証明するかのように、公務のために普段のレオノーラ殿下がしないことを行っても、それを気にする人は誰もいなかった。


でもアルベルト様はこれまでの人たちとは違っていた。真っ直ぐ目を合わせて、アルベルト様は彼の目の前に立つ一人の少女を見てくれた。レモンが好きという些細なことまで気づいてくれた。そのことが私の心をじくじくと痛ませた。


そして私の罪悪感が増すのと同時に、アルベルト様を婚約者候補から引きずり下ろしたいレオノーラ殿下の苛立ちもまた増していった。彼との交流を報告する場で、語気を強めて早く瑕疵を見つけなさいと言われることが日に日に増えるようになっていた。




私たちの心中はどうあれ、表面上は穏やかな関係が続いていった。しかしアルベルト様と出会って三ヶ月ほど経ったある日、変化は唐突に起こることとなった。

その変化を起こしたのは、王宮にしばらく滞在する一人の賓客であった。


彼の名はセドリック様、隣国のラッセン帝国の第四皇子だった。



両国の友好関係の構築と自身の外遊も兼ねて王国にやってきたセドリック皇子の歓迎式は華やかなパーティーを兼ねて行われた。パーティーはレオノーラ殿下がご自身で行ってくださる数少ない公務の一つであったため、その日私は侍女のメアリーとして殿下のお側の目立たぬところに侍っていた。


王宮のメインホールの王族用の控え室でレオノーラ殿下の髪を少し直していると、後ろのドアが開き王国の王太子である第一王子とセドリック皇子が控え室に入ってきた。

急いで下がり、頭を下げようとした私の視界にあるものが映った。それは頬を染め、うっとりとセドリック皇子を見つめるレオノーラ殿下のお姿だった。


殿下の視線を追い、そっとセドリック皇子の姿を盗み見た。皇子の姿を捉えた瞬間に、殿下の反応の理由ははっきりと理解できた。


レオノーラ殿下のいつもの遊び相手やアルベルト様など、整った容姿の男性はここでそれなりに見慣れてきたと思っていた。しかし、セドリック皇子はそんな彼らも霞むのではないかと思うほど美しい姿をしていた。

スラリと通った鼻梁は高く、青色の瞳は美しいアーモンドアイで、薄い唇は穏やかな笑みに彩られていた。まるで彫刻と見紛うばかりの美丈夫にレオノーラ殿下のみならず、よく躾られているはずの王族付きの侍女たちまでもがまるで熱に浮かされたかのようにセドリック皇子をぼんやりと見つめていた。


「……私の王子様」


ポツリと溢れたレオノーラ殿下の呟きは確かに聞いていたはずなのに、入場の時間が迫り最終確認に追われていた私は、そのときの殿下の呟きの意味を正確に捉えることができていなかった。



歓迎式が始まっても、皆の視線の中心はセドリック皇子のままであった。それはレオノーラ殿下も例外ではなく、蕩けるような視線をセドリック皇子に向け続けていた。

今日のこの会場にはアルベルト様もいらっしゃるはずだった。しかし彼はまだ婚約者候補に過ぎないので、殿下のあからさまな反応についてギルバード様も何もおっしゃらずにいた。そんな殿下の態度を、私は焦りながらもただ見ていることしかできなかった。


未婚の女性の王族はレオノーラ殿下だけであったので、セドリック皇子のダンスの相手はレオノーラ殿下が務められた。このまま抱きつかんばかりの殿下のご様子に、私は波乱の予感を感じていた。




「私は今日のために生きてきたのね……はぁセドリック様。私の王子様」


自室に戻られてからもレオノーラ殿下はこの調子だった。すぐにセドリック皇子の情報を取り寄せ、夢見心地のままそう呟かれていた。


「彼って婚約者候補は何人かいるけど、まだ正妻となる人は決まっていないそうよ。ラッセン帝国の王族は一夫多妻制が認められているから、彼を一番支援してくれる女性をまだ見極めているんですって。彼はとっても優秀だから、後ろ楯によっては実力主義の帝国の次の後継者にもなれるそうなの。


こうなったらもう運命よね。王国の王女である私なら彼の強力な後ろ楯になれるわ。彼を次の皇帝にすることができる。そして私は彼に愛され、帝国の皇后になるのよ」


きゃあきゃあとはしゃぐレオノーラ殿下に水を差せる訳もなく、アルベルト様のことなど一言も触れず自分の願望を語る殿下の話にただただ相づちを打った。あんなに殿下に向き合ってくださった彼には申し訳ないと思ったが、心の隅でこれ以上彼を欺かなくてよくなることに少し安堵している自分もいた。



翌日、レオノーラ殿下は早朝から陛下と面会を求め、昼過ぎには陛下の元を訪れていた。軽やかな足取りで進む殿下の後ろを静かに付いていきながら、私は複雑な心境でいた。

レオノーラ殿下はきっと陛下にセドリック皇子との結婚を願い出るのだろう。その願いが受け入れられれば、アルベルト様とのお話は白紙となる。殿下の命令とは言え、三ヶ月もただ彼を振り回し、その誠実さを踏みにじってしまった。最後に会うときに彼に何を言えばいいのか、考えるだけで胸の奥がずしりと重みを増すような気持ちになった。



陛下の執務室に殿下と共に入ると、ソファに座るや否やレオノーラ殿下は陛下に用件を話し始めた。


「お父様!私我が国とラッセン帝国の更なる友好のためにセドリック皇子の元に嫁ぎたいと考えております。どうかこのレオノーラの願い、叶えてくださいませ!」


キラキラとした目で陛下を見つめる殿下の態度から、彼女はこの話を断られるとは微塵も思っていないように見えた。実際陛下は末の娘である殿下に甘いところがあり、これまでも色々とワガママを叶えてもらっていた。


しかし期待に胸を膨らませていた殿下に返されたのは、意外な陛下のお言葉だった。



「ならぬ。レオノーラ、お前には婚約者候補がいるだろう。彼との話がある限り他の話は認められん」

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