三話
「メアリーには私と同じことができるよう叩き込んであるのでしょう?ならあの子にやらせればいいのよ。今日会う人たちは普段面識がない人ばっかりだから気づきはしないわよ。
ねぇメアリー、貴女準備から私の側で見てたしできるわよね?」
レオノーラ殿下にそう問われ、私は答えに窮してしまった。できる、できないで言えば答えは多分『できる』だと思う。ギルバード様が殿下のために準備した資料の内容は全て必死に頭に叩き込んだので覚えている。我が王国からの参加者、ラッセン帝国の来賓の名前や彼らの地位、帝国の基本的な情報、今日両国が準備した茶菓子のことなどは頭に入っている。
しかしそのことと『やってよい』かは別問題だった。
私が答えあぐねていると、ギルバード様が代わって答えてくださった。
「確かにメアリーなら可能かもしれません。お茶会はその他の予定もあるため二時間以内には必ず終わります。メアリーもララもそれぐらいであれば問題なくギフトの能力は持ちます。
しかしこれは王族としての重要な公務です。それをこのような者にさせるなど……」
「重要だからじゃない。あれだけ散々私に大事だ大事だって言って準備させたのに、ギルバード貴方簡単に中止だって言う気なの?その程度のことに私をあんなに煩わせたの?」
「いえ、殿下のおっしゃる通り外交の面からも非常に重要な公務となります。しかしだからこそ……」
何とか説得しようとするギルバード様を遮り、レオノーラ殿下はこう告げた。
「大事ならやりなさい。手段はあるんだから。メアリー、私が命じます。貴女私の代わりにお茶会に参加なさい。そして必ずお茶会を成功させなさい。
私の名に傷を付けるなんて許さないからね」
そう言いきったレオノーラ殿下は、もう意見を変えるつもりはなさそうだった。ほんの数秒だったが、ギルバード様は目を伏せ、眉をぎゅっと寄せた後、表情をいつもの平坦なものに戻してこうおっしゃった。
「分かりました殿下、では体調の優れないところに大変申し訳ございませんが殿下には別の客室に秘密裏に移っていただきます。『殿下の出席するお茶会』の最中に殿下がお部屋で休まれている訳には参りませんので」
「分かったわ。でも私とてもしんどいのよ?近くの部屋にして」
「もちろんでございます。メアリーが殿下の影武者であると知るものは少ないため、客室にはララしか使用人は置けません。そちらもご了承くださいませ」
「仕方ないわね。我慢するわ」
「ありがとうございます。では午後のお茶会に間に合うよう準備を致します」
そう殿下に答えたギルバード様は、振り返り私とララにこう問いかけた。
「お前たち、今ギフトでの変化はどれぐらい持たせることができる」
「私は半日ほどです」
「私もメアリーと同じぐらいです」
「なら部屋の手配が終わり次第すぐに殿下と入れ替わりなさい。そしてメアリー、お前はそのまま侍女に着替えをさせなさい。体調が悪そうな振りをするのも忘れないように。先ほど殿下が体調が優れない状態であったことは他の侍女が聞いてしまっている。少し落ち着いてきたので万全ではないが公務のために少し無理をしているように見せなさい。
そしてララ、お前はギフトを使い終えたらすぐ殿下のお側に行くように」
矢継ぎ早に指示をされるギルバード様のお言葉を聞きながら私は頭が真っ白になりそうになっていた。確かに今までレオノーラ殿下の振りができるよう徹底的に仕込まれてきた。けれども私が殿下の振りをするのは有事、非常に混乱した場であろうとずっと思ってきた。殿下の振りをしてお茶会に出るなど考えたこともなかった。
しかし今、レオノーラ殿下に命じられ、ギルバード様にも受けるよう指示をされた。この状況で私には逃げ道などどこにもなかった。
「何してるの。決まったらぐずぐずしないで早く代わりなさい」
私の混乱など全く気に掛ける様子のない殿下のお言葉を受け、私は指先が震えないようなんとか押さえながら殿下の髪の毛先に触れた。初めて殿下とお会いしたとき以来に、自分の髪がプラチナブロンドに輝くのが見えた。どこか呆然と美しく変わった自分の髪を見ていると、いつの間にか側に来たララが私の手をぎゅっと握ってくれた。ギフトをかけるだけなら触れてさえいれば良いはずなのに、ララは包み込むように私の手を両手で握ってくれていた。
ララのギフトがかかるのを感じていると、ララが小声で私にこう言ってくれた。
「ごめんね。こんなことしか言えないけど、メアリー、貴女の努力を私はずっと見てきた。貴女ならできるわ」
その言葉に伏せていた顔をそっと上げると泣きそうな顔をしたララが私を見つめてくれていた。私のことをこんなにも心配し、励ましてくれている人がいる。そのことがとても力強く感じられた。
「ありがとうララ、私も自分を信じて全力を尽くすわ」
私は意識をして殿下の微笑み方をしながらそう答えた。
そこから私とレオノーラ殿下は入れ替わるために服を取り替えた。背格好がほぼ同じである私と殿下は全く問題なくお互いの衣服を交換した。そして殿下が客室に移られた頃を見計らって侍女を呼んで、私より少し高いレオノーラ殿下に似せた声で着替えを言いつけた。
こうして人前で殿下の振りをするのは初めてであったため、ツンとした殿下らしい表情を保ちつつも心臓はバクバクしっぱなしであった。しかしララのギフトの能力が一年前より格段に向上していたのもあってか、いつも殿下の側にいる侍女たちはしきりに体調の心配はしてくれていたが、私のことを疑っている様子は全く見られなかった。緊張のため、いつものレオノーラ殿下よりは口数が少なくなってしまったが、体調が万全ではないと思われていたこともあってかそれを気にするような人は誰もいなかった。
そうして身支度を終えた私はついにお茶会の会場へと向かうこととなった。叩き込まれた殿下の歩き方で廊下を進んでいると、後ろにギルバード様が追い付いてきてくれた。ギルバード様は私の側まで来るとこう声をかけてきた。
「レオノーラ殿下、体調はいかがでしょうか?」
「朝よりはマシよ」
「そうでございますか。でもどうぞご無理はなさいませんように」
「分かってるわよ。今日のお茶会の情報に変更はあって?」
「ございません」
「ならいいわ。基本的なことは覚えてきたけど何かあったらギルバード、貴方が手助けするのよ」
「承知致しました」
レオノーラ殿下がいつもこうしてギルバード様にサポートを依頼しているのもあるが、今日は何かあったら助けて欲しいという気持ちも込めてそう言った。
その気持ちが伝わったのか、ギルバード様も私の目を見ながらしっかりと頷いてくれた。
柔らかな午後の日差しの降り注ぐ王城の庭園に設置された華やかなお茶会の席に、私は侍女に促されるままに座った。庭園には色とりどりの花が咲き誇り、一流の庭師により整えられたその美しさは芸術品のようであった。
まさか自分が壁際に控えるのではなく、こんなお茶会の席に座る立場として来ることになるとは思ってもみなかった。しかし座ってしまったからには、もうやりきるしかなかった。早鐘を打ちそうになる心臓を押さえるかのように、私は小さく息を吐き出した。
『レオノーラ殿下』として振る舞わねばならないため一瞬も気を抜けないお茶会であった。気を張り続けていたが、実際のお茶会の対応だけで言えば殿下は王族であるためそこまで細かな対応は必要とはされない。ギルバード様にも落ち着いて、優雅に構えることが重要であると言われていた。そのため、微笑みを絶やさないようにだけ気を付けながら相づちを打っていた。
つつがなく進んでいたお茶会であったが、終盤になって小さなアクシデントがあった。
王国側から提供した茶菓子に使われていたベリーの話になったときに、そのベリーの産地を持つ侯爵家のご令嬢にあれこれと質問が飛んだ。私より一つ年下の彼女は急に多くの質問を振られたことに驚いたのか、とっさに上手く答えることができずにいた。焦りが更なる焦りを産むのか、彼女は言葉が紡げず軽くパニックになりかけていた。
焦る彼女を見ていることができず、思わず声をかけようとしたが、こういうところで自ら動くのは余りレオノーラ殿下らしくはないかもしれないと躊躇してしまった。下手な言動で私が殿下ではないこということが周囲にバレることは決して許されることではない。
誰かが動くまで待とうかとも思ったが、それと同時にレオノーラ殿下がお茶会を成功させるよう私に命じられたことを思い出した。殿下らしく振る舞うことも大事だが、お茶会を成功させることも重要であるはずだ。多少のことには目を瞑ってもらえるはずだと腹をくくり、私は彼女に助け船を出すことに決めた。
「フレーグス地方のこのベリーは石垣に植えられるものもあると聞くけど本当なのかしら?」
彼女の目を見て、微笑みながらゆっくりとそう話しかけた。この場で一番地位が高いのはレオノーラ殿下だ。『私』が質問をすればそれに答えることが最優先になる。
「ねぇ貴女は実際に目にしたことがあって?」と意識してゆっくりと問えば、答えることが明確になったことと少し時間をおけたことで彼女は少し落ち着きを取り戻せた。
そこからはまだ少し詰まったりするところもあったが、なんとか一つ一つに丁寧に回答をしていた。
そうして多少のトラブルはあったが、私の初めての『レオノーラ殿下』としての役割は大きな失敗に繋がることもなく、無事終えることができた。
お茶会が終わり部屋に戻ると、疲れたから少し休むと言って私はギルバード様以外の使用人を下げさせた。そして客室から戻ってきた本物のレオノーラ殿下と無事入れ替わり、私はやっとメアリーに戻ることができた。
私がいつものお仕着せに人心地ついている前でギルバード様はつつがなくお茶会が終わったことや、そこでされた会話の概要を殿下に報告されていた。
「細かな話はもういいわ、ギルバード。メアリー、よくやったわね。私は今日はもう休むだけだから早いけど下がりなさい」
殿下から労いのお言葉とお許しをいただいたので、私はその日はこのお城に来てから一番早くベッドに入った。緊張しているときは気づいていなかったが体は疲労を感じていたようで、ストンと落ちるように眠りについた。
その翌日からは昨日のことは夢か何かであったかのように、いつも通りの多忙な日々に戻っていた。働き、学び、訓練をする。それを繰り返し、レオノーラ殿下の振る舞いを身につける毎日に戻っていた。
あの日のお茶会のことはちょっとしたイレギュラーだったのだと私が思い始めていたある日、いつもの通り侍女見習いとして働いていると殿下の元に一人の来客があった。それは先日のお茶会で助け船を出したご令嬢とその父親の侯爵様だった。
「レオノーラ殿下、先日のお茶会では我が領のベリーのことを話題にしていただき誠にありがとうございました。また我が娘にも格段のお心遣いをいただき感謝申し上げます。娘も殿下にお言葉をいただいたことに深く感激をしておりました。
いやはや、殿下が才女として名高いことは存じておりましたが、その素晴らしさを改めて実感をさせていただきました」
侯爵様とご令嬢はどうやら先日のお茶会で『殿下』が助けてくれたことのお礼を言いに来たようだった。侯爵様もご令嬢もあの日の殿下の振る舞いがいかに素晴らしいものであったかを多少のお世辞も交えながら大いに語った。侯爵様からの賛辞とご令嬢から寄せられる尊敬の眼差しにレオノーラ殿下はご満悦のご様子だった。
「この国のために尽力してくれている貴女の助けになっていたなら良かったわ」
なんて言葉をご令嬢に返しながら、殿下は終始ご機嫌だった。
その様子を見て、あの日殿下らしくない行動をしたことを咎められないかずっと気にしていた私は密かに安堵していた。ご令嬢の嬉しそうな顔も見られ、ずっと心の端に引っ掛かっていた気掛かりなことが解決して少し気が緩んでいた私は、侯爵様が帰られた後も殿下が私を見ながら何かを考えていたことに全く気付いていなかった。