コミカライズ三巻発売記念 家族
コミカライズ三巻が本日(4/30)発売のため、それを記念して番外編を更新します。本作の更新はこれが最後になります。長らくお付き合いをいただき、誠にありがとうございました。
アルベルト様と結婚してから、早いもので季節が一つ巡った。
春にはアルベルト様が私のために植えてくださった淡いピンクのバラが美しく咲く庭を二人で歩いた。夏には小高い山の上、涼しい風が吹く湖畔の別荘地で一緒に満天の星空を眺めた。秋には少し肌寒くなった書斎で、一つの大きな膝掛けを一緒に使いながら並んで本を読んだ。冬にはララに教えてもらいながら暖炉の側でニットを編み、アルベルト様に贈った。
そうして幸せに過ごしているうちに、私はここに嫁いで二回目の春を迎えていた。
あふ、と春の陽気に誘われ思わず出そうになった小さなあくびを、私は口元に手を当てて飲み込んだ。何気ない仕草を装ったつもりだったのに、後ろで私の髪を結う長年の友人の目を誤魔化すことはできなかった。
「メアリー、また夜更かしして本を読んでいたの?」
今、この部屋には私とララしかいないので、彼女の口調はあの頃と同じく気安いものだった。
「確かに先日アルベルト様が贈ってくださった本を少し読んだけど、早めに寝たのよ。けど、何故か眠くって。陽射しが暖かいからかしら?」
少し前までは暖かくなったと思ったらまた寒くなり、春の始まりと冬の終わりを行ったり来たりしていた。しかし、最近はそれもなくなり、穏やかな陽射しが降り注ぐ日が続いていた。
「確かに暖かくなってきたけど、それは関係ないと思うわ。メアリー、貴女、最近少しだるそうに見えるときがあるわよ。調子がよくないんじゃない?」
ララにそう鏡越しに問われ、私は最近の自分の体調を思い返してみた。
「言われてみれば、少し疲れているように感じるときもあったわ。季節の変わり目だからと思うけど」
「やっぱり」
そう言うとララは考え事をするような難しい顔をしたまま、手早く綺麗に私の髪を仕上げていった。そして最後に髪飾りをつけると、私に向かってこう言った。
「お医者様を呼ぶわよ」
大袈裟よ、と何度言ってもララはお医者様を呼ぶと聞かなかった。困ってもう一人の侍女を呼んで、彼女にもララを説得してもらうように頼んだのだが、「申し訳ございませんが、若奥様の体調はララさんの方がよくご存知かと思います」と断られてしまった。
侍女長にも「若奥様は大変な努力家ですが、無理をなさるときがございますので」と言葉を濁され、アルベルト様の侍従のラルフにも「彼女が必要と言うなら必要なのでしょう」と言われてしまった。
あくびを噛み殺したばかりに大変なことになってしまったと思いながら、私は自室でお医者様を待つことになった。
急いで来てくれたのか、お医者様はすぐにやって来てくれた。人当たりの良さそうなお年を召したお医者様は、簡単な診察と問診をしたあと、ララたち侍女も呼んであれこれ質問をした。
それが終わると、彼は分厚い医学書をパラパラとめくり、メモに何かを書き付けた後、私に向かってこう言った。
「ふむ、ご予定は冬の初め頃でしょうな」
ご予定? 言葉の意味が分からず聞き返した私に、彼は「ああ」と言ってから、言葉を足した。
「ご懐妊です。おめでとうございます、若奥様」
きゃあ!と一番最初に声をあげたのはララだった。落ち着きなさいとそんなララを窘めている侍女長の声も、少し上擦っているように聞こえた。
ご懐妊。ララたちのやり取りを聞いている間に、じわじわとその言葉が心に染み込んできた。
貴族の家に嫁いだからには、もちろん跡取りのことはずっと考えていた。アルベルト様と二人、幼い子供を抱く夢を見ることもあった。
それが現実となり、彼の子供を授かった。喜びもあったが、どこか信じられないような思いも大きかった。
「本当に?」
まだまだ何の兆しも見られない自分の薄いお腹を押さえて呟いた私に、お医者様は柔らかく微笑んでくださった。
お医者様が帰られてからすぐに、ララたちは動いてくれた。まずは若旦那様にお伝えしなければと、アルベルト様の午後のご予定を押さえてくれた。
約束の時間になり、アルベルト様に会うためお部屋に出向くと、少しげんなりした表情のラルフが迎えてくれた。
「ララがいつもよりすごいテンションでやってきたのですが、何かあったのですか?」
ララはちゃんと自分の口から伝えるべきよと言っていたので、ラルフに理由を伝えず、無理矢理アルベルト様のご予定を空けてもらったのだろう。彼には申し訳なかったが、ここで先に言うわけにはいかなったので、私は笑って彼の質問をかわした。
「メアリー、君が急にくるなんて珍しいね」
書類をきりのいいところまで書き終わったところで、アルベルト様がペンを置き、私を出迎えてくれた。本当に無理を通したようで、彼のデスクには確認途中の書類がいくつも置かれていた。
「急にすいません、その……」
そこまで言ってから、私は言葉を途切らせてしまった。子供を授かったなんておめでたい話だし、アルベルト様も喜んでくださるだろう。しかし、自分の口から妊娠したと伝えることが、少し気恥ずかしくなってしまったのだった。
言葉を選ぶためそこで少し黙っていると、急にアルベルト様が私の両肩をがしりと掴んだ。驚いて顔を上げると、真剣な瞳が私を見つめていた。
「さっきラルフからララが医者を呼んだと聞いたのだが、まさかどこか体に良くないところが見つかったのか?」
アルベルト様の表情は真剣そのものだった。彼が私のことを本当に心配してくれていることが、視線から痛いほど伝わってきた。この誤解を早く解かねばと思い、私は言葉を選ぶのも忘れて、慌てて彼にこう伝えた。
「あの、違って!私、私懐妊したのです!」
その瞬間、時間が止まったのかと思った。そう思うぐらいアルベルト様は、私の両肩を掴んだまま固まっていた。
「あの、旦那様?」
私が恐る恐る声を掛けると、アルベルト様は肩から手を離した。ホッとしたのも束の間で、彼はそのまま私をがばりと抱き締めた。
普段、ラルフたち侍従がいる前で彼がこうして私に触れてくることは少なかった。驚いて顔を赤くしていると、彼は私の肩口ではぁと息を吐いた。
そちらに顔を向けてみたが、私からはアルベルト様の後頭部しか見えなかった。アルベルト様の吐息を少しくすぐったく思っていると、彼は涙が滲むような、そんな声を出した。
「ありがとう、メアリー。信じられないぐらい嬉しいよ。君を、君たちを絶対に幸せにするよ」
アルベルト様の腕の中で、「君たち」と言われ、やっと私の中にも新しい命を授かった実感がじわじわとわいてきた。
大きな彼の体を抱き返しながら、私は最愛の人にこう伝えた。
「ええ、私たち三人みんなで幸せになりましょう」
そこからは、家中を巻き込んだ大騒ぎとなった。アルベルト様の部屋で私の言葉を耳にしたラルフは珍しく号泣するし、アルベルト様とその足で義両親に伝えにいくと、お義母様は彼を上回る大号泣だった。お義父様は潤んだ目でアルベルト様の肩を叩き、今夜は一杯付き合えと伝えていた。
その後も大変だった。義妹になったアルベルト様の妹は仮病を使ってまで女学園からすぐさま帰ってこようとするし、ノルヴァンの義両親からは気が早すぎるベビーグッズが山のように届いた。ララも冬生まれなら温かくしてあげなくちゃと、季節外れの毛糸を買い漁っては膝掛けなどを編んでいるし、一足先に母親になったシシーからはたくさんのアドバイスが詰まった手紙をもらった。
その日から、アルベルト様は仕事の合間を見つけては、私の体調を気にかけて、顔を見に来てくれるようになった。階段を降りるときには腰までしっかり手を回して、「足元に気を付けて」と気遣ってくださった。
過保護よと私は笑ったが、彼は二人分だから当然だと譲らなかった。
そうして過ごすうちに、初めは何もなかった私のお腹は周囲の祝福を糧にするように段々と大きくなっていった。
自分の足元すら見えづらくなるほど大きくなったお腹には、今、アルベルト様の右手が添えられていた。
ポコッとお腹の中の子が動くたび、アルベルト様はその相好を崩した。
「これだけ活発なら男の子か。いや、お転婆な姫でも可愛いな」
「そうですね。どちらであっても、元気で健やかであればそれ以上望むものはありません」
「そうだな」
そんな会話を終え、アルベルト様が執務室に戻ろうとしたときだった。彼を見送ろうと立ち上がろうとしたとき、お腹に小さな痛みを感じた。
「いたっ。お腹に痛みが。これはもしかして……」
私が最後まで言いきる前に、アルベルト様が「陣痛か?医者を呼んでくる」と走って行ってしまった。彼と入れ替わるようにララたちが部屋に戻ってきて、私はあれよあれよと着替えさせられ、ベッドに連れていかれた。
セブスブルク家に新しい命の産声が響いたのは、これよりもう少し後のことであった。




