コミカライズ二巻発売記念 俺の信じるもの
コミカライズ二巻が本日(9/30)発売のため、それを記念して番外編を更新します。
「アルベルト様、王宮よりお手紙が届いております」
俺の側近がどこか気まずそうに手渡してきたその手紙の差出人は、裏面など見なくても一目で分かった。上品なローズ色の封筒の表面に書かれた細い、流れるように美しい字を俺が見間違えるはずがなかった。
「レオノーラ殿下からのお手紙か」
俺の言葉に苦いものでも飲み込んだような顔をした側近の反応から、手紙の中身の予想はついた。恐らくは、また次回の面会を断る手紙なのだろう。
これまでもレオノーラ殿下との面会については、公務の関係で変更を告げられることが何度かあった。優秀な殿下は外交に内政にとお忙しい方だ。重要な公務を優先されることは当然のことだった。
しかし、ここ最近は、噂を聞くに俺の面会より帝国の皇子の予定が優先されているようだった。
「次のご都合のよい日をうかがわなければならないな。便箋を見繕っておいてくれ」
返事をしたためるためそう側近へと指示を出すと、彼はきつく閉じていた口を開け、耐えかねたようにこう言った。
「アルベルト様がそこまで気を遣う必要があるのでしょうか。こんな、都合のよい扱いをされておりますのに」
彼は普段は王族の批判など表だってするような人ではない。仕事場では使用人らしく主人を立て、腹の中で何を思おうとも己の感情は穏やかな表情の下にきちんとしまえる男だ。そんな彼がこんなことを言うということは、それだけ俺のことを考えてくれているのだろう。そう思うと、手紙の件で少し沈みかけていた心が軽くなるように感じた。
「気を揉ませて悪い。でも、端から見ればそう見えるかもしれないが、俺は殿下とお言葉を交わす機会を持ちたいんだ、ラルフ」
家名ではなく、オフのときのように言葉を崩し名を呼ぶと、彼も同じように応えてくれた。
「確かに美人で才媛であることは認める。王命でもあるし、セブスブルク家に降嫁いただければ、多くの利がもたらさられるだろう。しかし、だからと言って、お前がこんな軽く扱われることは許しがたい。お前も宮中の噂を知らないわけではないだろう?正当な婚約者候補はお前なのに、まるで間男のような扱いだ」
宮中に流れる噂のことはもちろん知っていた。レオノーラ殿下とセドリック皇子が結ばれることを望む声が多いことも、俺が邪魔者のように言われていることも。
「だいたい、お前もあの夜会での殿下の様子を直に見ていただろう。頬を染めてあからさまにセドリック皇子に見とれ、お前には一声もかけず放置だ。宮中の噂も否定しないし、俺はあんな女性をお前の伴侶にはしてほしくない」
「そうだな、あの夜会での殿下は、そうだったな」
ラルフの言葉を肯定しながら、俺はあのセドリック皇子を歓迎する夜会のことを思い返した。
あの夜会の場で、豪勢に着飾った彼女は、確かに頬を染め、瞳をきらめかせて熱心に皇子を見つめていた。その姿を直に見て、思うところがなかった訳ではなかった。しかしそのとき俺の心に浮かんでいたのは、怒りでも、悲しみでも、嫉妬心でもなく、何とも言い表せない違和感であった。
最初はいつもと姿が違うからかと思った。普段俺と会うお茶会の場と、国王主催の夜会ではドレスコードが全く異なる。夜会用の豪華なドレス姿が見慣れず、違和感があるのかと思った。しかし、どうにもそれだけでは自分の心にひっかかる違和感を説明できそうにないように思えた。
結局どれだけ考えても、遠くで頬を染める殿下の姿を見ても答えを見つけることはできなかった。無意識の嫉妬心がそう思わせたのかもしれない。そう思って俺はその掴むことのできない違和感を思考から押しやった。
そうして過ぎたものにしたはずの違和感は、夜会の後に殿下と二人でお会いしたときに、再び頭を持ち上げた。
殿下はバラの花が好きだと聞いていたが、その日は俺が殿下に似合うと思った白いガーベラを中心に花束を作ってもらった。俺が花束を差し出すと、殿下は花を見つめ微笑んだ後、ほんの少しだけその目に影を落とした。それは、本当に一瞬のことだったが、俺が心にしまいこんだ違和感を揺り起こすには十分なものだった。
二人で向き合うレオノーラ殿下は、それまでと変わらず穏やかで、婚約を考えている男女の会話に相応しいものではないが、国内の教育について語るその姿はふんだんに着飾ったあの夜会の姿より美しく見えた。
違和感の正体は未だ掴めぬままであった。しかし、今目の前にいるこの人こそが、俺の心にいる殿下であるということはなぜか断言できるような気がした。
お茶をするためのサンルームで文学について熱心に語る彼女も、王城の図書室で辺境のために役立つ書籍を積み上げてくれた彼女も、慎ましい白いガーベラの花に小さく微笑む彼女も、俺しか知らない姿だ。王宮の噂と、俺に付き添った夜会での殿下しか知らないラルフが殿下に対して憤るのは仕方のないことなのかもしれなかった。
自分でも掴みきれていないこの違和感を、ラルフにうまく説明はできそうになかった。俺を心配してくれるラルフには申し訳ないが、この違和感の正体を掴むためにも、俺は俺に向き合ってくれるレオノーラ殿下に会いたかった。
「バカな話に聞こえるかもしれないが、それでも俺は彼女に会いたいんだ」
俺がそう言うと、ラルフはため息をつきながらもチェストの中から、淡い緑が爽やかな色合いの便箋を差し出してくれた。
「全く、お嬢様の『お兄様は恋をなさっているのです』という言葉を戯れ言だと思っていたのに、笑えないではないか」
先日、妹が女学院の休みにタウンハウスに顔を出したとは聞いていたが、ラルフにそんな話をしていたのは初耳だった。
「なんだ、あいつそんなことを言ってたのか」
「私はお兄様の妹だから分かるんですってえらく自信満々に言ってたぞ。あとは女の勘だとさ」
「女の勘、それは怖いな」
はははと笑うと、だから笑えないんだよとラルフはふて腐れたような顔で呟いた。
側近として、友人として心配してくれるラルフには悪いが、俺は誰ともしれない人が囁く噂より、遠く離れたところに立つ着飾った彼女より、俺の目の前で、俺の瞳をきちんと見つめ返してくれる彼女を信じたかった。
「恋は人を愚かにするとも言う。滑稽に見えるかもしれないが、もう少し俺の思うようにさせてくれ」
彼女の人柄を思わせる繊細な筆跡を見ながらそう言うと、ラルフは仕方がないとばかりに肩をすくめた。
「仰せのままに、アルベルト様」
胸の前に手を添え、使用人の鑑のような美しいお辞儀でラルフは俺の言葉にそう答えた。そして、その姿勢のまま、彼は俺の幼馴染みで、悪友の顔をしてこう言った。
「お前が頑固なのは知ってる。自分の納得するところまで好きにやれよ。失恋したらやけ酒ぐらいは付き合ってやるよ」
その言葉に、俺は今度こそ大きく声をあげて笑った。そうだ、この違和感が俺の浅ましい願望で、あの夜会で眉目美麗の皇子に頬を染めていたのが本当の彼女だとしても、ただ俺が失恋するだけだ。元々王家からもたらされた話で、こちらから願い出たものでもない。あの妹辺りは過剰に心配するかもしれないが、何かあるとしてもその程度だ。
吹っ切れたような気持ちになった俺は、俺の想うレオノーラ殿下と会うために、返事を書くべくペンを握った。




