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コミカライズ一巻発売記念 貴方とダンスを

コミカライズ1巻発売記念に番外編を更新します。

カツッ、カツッ、カン。

王城の一角、誰もいない部屋にヒールが床をたたく音だけが響いていた。


しばらくステップを踏んだ後、私、メアリーは少し上がった息を落ち着かせるために、深く息を吸い込んだ。

時間は見回りの兵士以外は寝静まるような深夜。私の足音が消えると、呼吸の音が妙に大きく聞こえるような静寂がその部屋に満ちた。


私がこんな時間帯に、人気のない部屋で一人ダンスの練習をしているのには理由があった。

私はレオノーラ殿下の影武者を務めるために、殿下が習得しているものは全てできるよう求められていた。もちろんその中にはダンスも含まれていた。

しかし、私が影武者であることは極一部の人しか知らないため、ダンスの練習を大っぴらに行うことは許されなかった。そのため、必然的にこのように隠れるような形で練習をしているのだった。


たまに事情を知るシシーが練習に付き合ってくれたが、基本的には一人で練習をしていた。仕事を終えた深夜に、レオノーラ殿下のダンスを思い出しながら、私は姿見の前で黙々とステップを踏んでいたのだった。


その日も、誰もいない薄暗い部屋で、私は静かにダンスの練習をしていた。いつものように何度も同じ動きを繰り返し確認していたが、疲れからか、ふと集中力が切れる瞬間があった。そんな瞬間に、魔が差したという訳ではないが、ついぽつりとこんな弱音を漏らしてしまった。


「……こんなこと、意味があるのかしら」


それは、ずっと頭の中でくすぶっていた考えだった。しかし、実際に言葉にしてしまうと思っていたよりズシンと重く、それは心に伸し掛かってきた。


今、こうして睡眠時間を削ってまで練習をしているダンスだが、おそらくこの私の努力が日の目を見ることはない。


しかし、それは別にダンスに限ったことではなかった。レオノーラ殿下として振舞うために叩き込まれた様々な教養の中には、同じように披露する機会がないであろうものは、他にもたくさんあった。

実際、南の小さな島国の言語も簡単な挨拶程度は覚えさせられたが、今までその島国の人と会ったことは一度もなかった。


ただダンスについては、それらの教養と決定的に違っている点が一つだけあった。それはダンスが行われる華やかな夜会の度に、美しく着飾ったレオノーラ殿下から直々にこう言われていることだった。


「夜会という華やかな場所に、あんたは不似合いよ。影は影らしく、地味な仕事だけしていればいいの。私に成り代わってダンスを踊ろうだなんて考えないことね」


私は自ら進んでレオノーラ殿下の代わりをしたいと思ってもいないし、夜会に出たい訳でもない。夜会は殿下が自分でしてくださる公務の一つなので、助かっているぐらいだった。夜会に出るな、ダンスを踊るなという殿下のお言葉に不満はなかった。


けれど、わざわざ殿下から「貴女にはさせない」と宣言されているダンスも、だからと言ってその習得が免除されるはずはなかった。疲れていたせいか、そんなダンスの練習に中々身が入らないことぐらいは許されたいと、つい口にしてしまったのだった。


しかし言葉にしたからと言って、何かが変わる訳でもなかった。脳裏に浮かんでしまった弱気な考えを振り払うかのように、薄暗い部屋の中で、私は何度も何度も記憶を辿って一人足を動かし続けた。

部屋に置かれた鏡に映るのは、当然侍女のお仕着せのスカートをひらめかせる私の姿だけだった。背中をホールドしてくれる頼りになる腕も、ステップを合わせてくれる足も、そこにはない。変なことを考えてしまったせいか、虚空に添えるように伸ばされた自分の手が、その夜は妙に目について見えた。


「ここに誰かが映ることなんて、ないんだろうな」


私は生まれつきの貴族のご令嬢ではない。こうして、お城で上等な侍女の服を着て働けていることすら、いくつもの偶然が折り重なった結果だ。

夜会なんて一生、縁がなくて当然なのだ。レオノーラ殿下のように恭しく手を取られ、ダンスをするなんて、夢のまた夢だ。

そんなことは分かっている。けれど、その夜は何だか一人踊ることに、虚しさのような気持ちが浮かんできた。


「やめよう。今日は殿下の代わりに会合にも出て疲れているのかも。少し早いけど、この辺りで切り上げよう」


そう自分に言い聞かせて、私は暗い部屋を後にして、自室にこっそりと戻った。






「メアリー、時間ができたから俺も一緒にダンスの練習をしてもいいかな?」


明るい日差しが差し込む部屋で、お義母様にステップの確認をしていただいていた私にそう声をかけてきたのは、執務中のはずのアルベルト様だった。


「あら、メアリーちゃんと踊りたいからって、仕事をサボってきた訳じゃないでしょうね?」


私より先に、茶化すようにそう答えたのはお義母様だった。お義母様のからかいの言葉にどう反応しようかと私が思っていると、部屋に入ってきたアルベルト様が軽く笑いながらこう答えた。


「ちゃんと終わらせてきましたよ。まあ、彼女と踊りたくていつもより急いだのは認めます」


アルベルト様がそんな風に言うものだから、私は体を動かしていたこととは別の理由で頬が赤くなりそうになった。なんとか頬の照りを抑えようとする私を置き去りにして、親子の軽い応酬は続いていった。


「まあ、貴方も言う様になったわね。あの頃、貴方が政略結婚で奥さんを迎えても会話がちゃんと成り立つか心配していた過去の自分に教えてあげたいわ」


「妹と一緒になって、メアリーのことで俺をさんざんからかったのは母上でしょう。さすがにもう慣れましたよ」


「私とあの子の楽しみが一つ減ってしまったわね。仕方がないわ、これからは代わりにメアリーちゃんに顔を赤くしてもらおうかしら」


「標的を移すのはやめてください。それに俺のいないところで、彼女にあんまり可愛い顔をさせないでください」


「あらやだ、本当にこっちが照れるようなことまで言えるようになったんだから」


「メアリーが標的になるぐらいなら、俺が引き受ける。それだけですよ」


「はいはい、新婚らしく仲睦まじくて結構なことね」


せっかく抑えようとがんばっていたのに、アルベルト様とお義母様がそんな話をされるものだから、私の頬は完全に赤くなってしまっていた。

そんな私の顔を見て、アルベルト様は目元を緩ませ表情を柔らかくされた。そのお顔があんまり優しいものだから、私はまた一段と頬の赤みが増すのを感じた。


優しい表情のままアルベルト様は私のすぐそばまでやってきて、左手をすっと差し出した。その手はレオノーラ殿下の姿で会っていたときも、メアリーとして再会した日に涙をぬぐってくれたときも、私に優しく触れてくれた、彼の温かく、大きな手だった。


「私と踊っていただけますか?」


少しいたずらっぽく笑いながら、アルベルト様はそうおっしゃった。


目の前に立っているのは、彼の前に偽りの姿で立ち続けていたのに、そこにいた「私」と向き合ってくれた大切な人。身分だって違うし、あの頃の私が想ってはいけないと思っていたはずなのに、どうしても焦がれてしまった人。

そして今は私を人生の伴侶としてくれて、愛してくれる人。


言葉に込めるには、この胸にある彼への想いは大きすぎる。けれど、その幾ばくかだけでも伝わるように思いを込めて、私はこう言葉を返した。


「はい、喜んで」



お義母様がせっかくだからとピアノが弾ける侍女を呼んでくださり、彼女が奏でるワルツが、明るい部屋に軽やかに流れた。

お義母様やララ、使用人たちに見守られながら、アルベルト様と最初のステップを踏んだ。


アルベルト様の婚約者になってすぐの頃は、こうして彼とダンスをするときに、彼の大きな手が自分の背に触れていることや、見上げるとすぐ視線がぶつかるほど顔が近いことに、どぎまぎしていた。

しかし、何度も共にステップを踏んできたことで、今やそれらはすっかり私に馴染んでいた。


そうして踊っている途中に、アルベルト様の肩越しに部屋に備え付けられている大きな鏡が見えた。

そこにはすっかり慣れた様子で彼に身を預けて踊る、私の姿があった。私に寄り添い、柔らかな笑顔で踊るアルベルト様の姿があった。こちらを嬉しそうに見つめるお義母様やララの姿があった。


未だに夢ではないかと思うときがあるほど、それはとても幸せな光景だった。思わず鏡を見いってしまった私に、アルベルト様がそっと声を掛けてきた。


「メアリー、何か気になるものでもあるのか?」


その声に外していた視線をアルベルト様に戻すと、眼の前の柔らかな橙の瞳が私を見つめてくれていた。

それがあんまりにも幸せで、私は胸がいっぱいで苦しくなりそうなほどだった。


だから、私は胸を満たしていたそれらの想いを、そのまま言葉にして彼への返事とした。


「いえ、ただ私はこうして好きな人といられて、幸せだなと思っていたのです」


するとその瞬間、アルベルト様が珍しくステップを踏み間違えた。不思議に思いながらアルベルト様の顔を見上げると、耳を少し赤くしながら、彼はぽつりとこう言った。



「母上より妹より、君の方が難敵だな」


難敵?と私が聞き返すより、アルベルト様が私を支えてぐっと大きくターンをする方が先だった。

ワルツらしからぬ大胆な動きに驚いた顔をしていると、そんな私を見たアルベルト様がははっと声を出して笑った。

そのイタズラが成功した子供みたいな笑い声につられて、私もダンスの最中なのに声を出して笑ってしまった。


気付けば私たちのダンスは格式張った夜会では決して踊れないようなものになっていた。けれど、踊っている私たちも、それを見守るみんなも、誰もが笑顔を浮かべていた。


昼下がりの明るいダンスホールは、あの頃は夢見ることすらできなかったほどの幸せで満ちていた。

挿絵(By みてみん)

コミカライズ一巻が本日2/29発売です。

この作品の世界を華やかに、美しく描いていただいております。

ぜひお手に取っていただければと思います。


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