番外編
いくつかお声をいただきましたので、ララとシシーについての補足となります。
「この数日の働きを認め、今日から自由時間を与えます。今からお昼休みの時間はお好きになさい」
お局って感じのメイド長にそう言われ、私は直角ぐらいのお辞儀をした。やっとだ!それは待ちに待った自由時間だった。
私はメイド長にお礼を言ったあと、怒られないギリギリの早さで廊下を歩いていった。
今こうして私が急いでいるのには訳があった。自由時間ができた今、私には果たしたい目的が二つあったからだった。
先に済ませられる一つ目をすぐに終えた私は、昼食もとらず二つ目の目的地である地下牢へと足早に向かった。
初めて足を踏み入れた地下牢は薄暗く、どこかカビ臭いような空間だった。汗を滲ませながらそんな場所に飛び込んできた私を看守はどこか訝しげに見てきた。けれど、そんなことは気にせず私は面会の手続きをすぐに申し出た。
逸る気持ちから、面会者の欄に書いた名前がいつになく汚い走り書きになってしまった。しかし読めれば文句はないだろうと思い、そのまま看守に押し付けるように提出した。
手続きを終え、看守が案内してくれたのは地下牢の中では比較的出口に近いところにある一つの牢だった。近づいていくと、いつも私のそばにいた薄茶色の髪がぼんやりと見えてきた。その暗い空間の中で、いつもはどこのご令嬢よりも美しくピンと伸ばされていた背中が力をなくしたように丸められているように見えた。
その姿を見た瞬間耐えきれなかった。私はよくないことだと知りつつも、看守を振りきるように牢の前まで走っていってしまった。
「ああ、メアリー!!よかった。あなたが無事で。本当によかった」
看守が鋭い視線をこちらに向けたのには気づいていたが、そのときはそれどころではなかった。私は牢の格子に顔をギリギリまで近づけて、メアリーの姿を確かめた。
こんなところで生活をしていたのだから無理もないのかもしれないが、やっと見られたメアリーの顔からは生気が失われ、目も少し虚ろに見えた。それが悲しくて、でもレオノーラ殿下に身に危険が及ぶような罰を与えられていないかずっと心配していたため、同時に無事でいてくれたことに安堵もしていた。
そこからは彼女の気持ちが少しでも上向くように、努めて明るく振る舞いながら時間の許す限り会話をした。最初はぎこちない笑みしか浮かべていなかったメアリーだったが、面会の終わりに笑顔で明日の約束を告げると、最後には彼女らしい笑顔を見せてくれた。
そのことに心から安心した私は、また怒られないギリギリの早さで、でもここに来たときよりは足取り軽く自分の持ち場へ戻っていった。
昼食を抜いてしまったので、夕方仕事を終える頃にはいつも以上にクタクタになってしまっていた。このまま身支度を終えて寝てしまいたかったが、メアリーに会いに行く前に頼んでおいたことの返事が返ってきていた。そのため私は眠い目を擦りながら、返事にあった約束の時間を待った。
約束の時間ちょうどに、私の部屋のドアがノックされた。その音でうたた寝をしかけていた状態から起きた私は、一度水を飲んで目を覚ました後にそのノックに応えた。
返事をしてから少しだけ時間を置いて開いたドアの向こうにいたのはシシーだった。そう、今日の一つ目の目的とは顔馴染みの侍女に頼んでシシーに連絡を取ってもらうことだったのだ。
そうして私の部屋に呼び出されたシシーは緊張しているのか、胸の前で組まれた手に必要以上の力が込めているように見えた。
「どうぞ」
軽くそう声を掛けると、シシーはおずおずと部屋に入ってきた。一応イスは勧めてみたが、彼女は座らずドアの近くに立っていた。
私はその態度に少しだけため息をついた後、彼女に単刀直入にこう告げた。
「呼び出された理由は分かってる?」
そう言うと彼女は少しだけ肩を揺らした後、頭を大きく下げてこう言った。
「あの日の……メアリーが捕まってしまった日のことよね。あの日は、あの日のことは本当にごめんなさい」
こちらにつむじを向ける彼女に、私は今度こそ大きなため息をついてこう言った。
「そうだけど、そうじゃないわよ。シシー、貴女何も言わずに泥を被る気なの?私のこと、貴女の事情も推測できない程浅い付き合いだと思っているの?」
私の言葉に驚いた顔をしながら顔を上げた彼女に、私はさらに言葉を続けた。
「あのね、私たちと違って本物の家族がいて、守らなきゃならない家がある貴女が殿下に逆らえないことくらい私たちは理解してるわよ。だからこそ今日メアリーにも会ったけど、あの子も貴女に恨み言みたいなことは何も言ってなかったわ。
今日ここに貴女を呼んだのはそのことをきちんと伝えるためよ。そりゃ今回のことは一歩間違えば大変なことになってたかもしれないわ。けれど、もしそうなったとしても私たちが心の中で感情を向けるのは殿下だけよ。貴女じゃないわ。
それぐらい貴女のことも信じてるのよシシー。私たち長い付き合いじゃない。
本物の貴族のお嬢様たちに馴染みきれていなかった私たちのために、貴女は彼女たちとの間で橋渡しになってくれたでしょう?貴女にとっては小さなことばかりだったかも知れないけど、貴族の生まれではない私たちにとっては逆立ちしたってできないことばかりだったの。それに貴女はあんなにもいつもメアリーのことを気に掛けてくれていたじゃない。貴女が何も思わずあんな行動をしたとは思ってないわ。
ね、メアリーも無事だったしもう自分ばかり責めるのはやめて。どうしても誰かを責めたいなら、一緒に殿下の悪口でも言いましょう?大丈夫よ、二人きりのこの部屋なら何を言っても誰にも咎められはしないわ」
最後は少しおどけた調子でシシーにそう告げた。すると彼女はたくさんの涙を流しながらも、何度も強く頷いてくれた。
「ありがとう、ララ。私にそんな優しい言葉を掛けてくれて。
けれどもやっぱり貴女たちより自分のことを優先したのは私だわ。謝罪はさせてほしいの。本当にごめんなさい」
「ええ、その謝罪を受け入れます。
ってあーもう!もういいのよ!そんな顔してないでよ!」
「でも……」
「分かったわ!なら、罪滅ぼしでもないけど、今後シシーは聞ける範囲で私とメアリーのお願いを聞いてちょうだい。それでどう?」
「そんなことでいいの?」
「いいの!まだそんな顔して……えーっと、じゃあ分かったわ!早速だけど明日のお昼までに侍女に出されるちょっといいクッキー貰ってきてよ。メアリーへの手土産をちょっといいものにしたいの」
「ありがとう、ララ。本当にありがとう。うん、クッキー、貰えるだけ貰ってくるわ」
「本当に貴女も生真面目なんだから……二人分でいいのよ?」
「うん、うん。ありがとうララ。私、メアリーにもきちんと直接謝罪とお礼を伝えたい」
「貴女は殿下が輿入れされるまでは動かない方がいいでしょうね。もしメアリーに接触したことがバレたら何かお咎めを与えられかねないわ。輿入れが済んでから行きましょう」
「ええ、そうね。そうするわ」
そこからはシシーと少しだけ近況を語り合った。彼女も私が洗濯メイドをしていることをしきりに気に掛けてくれていたが、気兼ねない仕事を楽しんでいるところがあるのは事実だったので、メアリーに話したように問題ないことを伝えておいた。
そこからは殿下の輿入れのために目の回るような忙しい日々を過ごした。特に輿入れの当日はそのピークで、前もって告げていた通りメアリーのところに寄る時間も取れないぐらいの忙しさだった。
やっと輿入れを終えた翌日、私が朝からたくさんのシーツと格闘していると、急にギルバード様が私の元にやってきた。仕事中ではあったが彼の呼び出しということでメイド長から仕事を抜けることを許された私は、理由も分からぬままギルバード様に付いていった。
連れていかれたのは人払いをされた客間で、そこで彼からメアリーのことを聞かされた。彼女があの暗い空間から救われたこと、新たな生活を手にすることを聞き、私は思わず浮かんできた涙を止めることができずにいた。
メアリーの努力を一番側でずっと見てきた。過酷な環境で、でも腐らず、前を向いてもがき続ける彼女を見てきた。真面目ゆえに手を抜けないでいたその姿は、優秀ではあったが見ていて痛ましいと思うこともあった程であった。その彼女が報われる。これ以上嬉しいことはなかった。
ポロポロと涙を流す私に、ギルバード様は最後にはこうおっしゃった。
「殿下の犠牲になったのは君も同じだろう。何か希望があれば出来るだけ叶えよう」
それは思いがけない言葉であった。多少殿下のワガママには付き合わされたとは思っていたが、それは他の侍女と変わらない程度だと思っていた。けれど、ギルバード様は真剣にそうおっしゃってくれていた。
「そうですね、そう言ってもらえるのなら今すぐにと言うわけではないですが、配置替えはお願いしたいです。もう王族の侍女は懲り懲りです」
「分かった。調整でき次第すぐに他の仕事に変えさせよう」
「お願いします。あと、今は特にないんですけど、今後ここって働きたいところができたら紹介状を書いてほしいです」
「私の名義でいいなら、喜んで対応しよう。君は有能な侍女だからね」
「ありがとうございます。あ、あとメアリーの連絡先教えてもらってもいいですか?手紙を書きたいんです」
「当面の滞在先は教えよう。その先は彼女の選択次第で変わるだろうから、そこからは彼女自身に聞いてほしい」
「もちろんです。ありがとうございます」
ギルバード様はああおっしゃっていたが、そこから希望はすぐに聞き届けられ、配置替えが行われた。新しい仕事を覚えながらパタパタと過ごす中で、メアリーとは頻繁に手紙のやり取りをした。
手紙と言えば、結局シシーは予定が合わずメアリーと直接会うことは叶わなかった。そのため、彼女にもメアリーの連絡先を伝えておいた。メアリーとシシーは生真面目同士、何度か分厚い手紙のやり取りをしていたようだった。シシーも少し落ち着いた表情になっていたので、きっとお互いのことを分かり合えたのだろうと勝手に私は思っていた。
そうして生活をしているうちに、月日は驚くほど簡単に流れていった。
その間にシシーは仕事を辞め、実家に帰っていった。元より彼女はギフト目当てで半ば無理やり殿下に呼び寄せられたお嬢様だったのだ。喜ぶのかと思いきや、『今度は結婚相手を探す社交の日々よ、どっちの生活が楽か分からないわ』と苦笑いを浮かべて彼女は言っていた。
お互い仕事や立場を変えていたが、メアリーとシシーとはずっと手紙のやり取りをしていた。メアリーは伯爵家の養子となりアルベルト様に会うため努力を続けていた。シシーは実家に戻った後、稼業で縁のあった伯爵家に嫁入りが決まったと手紙に書いていた。
自分だけが変わらずここに居残り続けてしまっているなと思っていたある日、メアリーからいつもより分厚い手紙を受け取った。夜、落ち着いた時間に目を通すと、それはアルベルト様との婚約を報告する手紙だった。
こちらは手紙を読んだ瞬間に「ああ……」と感極まって声まで出てしまったぐらい嬉しかったのに、彼女は喜びと同時に不安についても綴っていた。
あれだけの努力ができて、能力も申し分なく身に付けているくせにメアリーはいつまでも変なところで自己評価が低かった。きっと厳しい教育の中でできたことは当然とされ、できなかったことを責められてきたせいなのだろうけど、それは謙虚と言えばいいが彼女の悪癖の一つだと思っていた。
そんな友人のことを考えていた私の脳裏に、そのとき一つのアイデアが浮かんできた。
最初はイタズラの延長のような思い付きであったが、考えれば考えるほどそれは自分の心に沿うものように思えてきた。そうなると考えるより行動するタイプの私はもうじっとしていられなかった。
私はその希望を叶えるため、取り急ぎシシーとギルバード様に連絡を取った。
実現するとなると難しいことなのかと思っていた私の考えであったが、ギルバード様と伯爵夫人の権限は中々強いようで、あれよあれよと私の希望は通ってしまった。
思い付きから一年後、私は慣れ親しんでしまったお城を離れ、新たな職場へと向かっていった。
新しい仕事はとあるお家で侍女として働くことだった。仕事先の家に着いた私は、簡単な説明を受けたあと、早速支給された侍女服に袖を通した。鏡に映る自分は、あの頃お城で着ていたこれよりも上質な侍女服よりもずっと似合っているような気がした。あの頃より心から仕えたい、支えたいと思える相手だからそう見えるのかもしれないなんて思いながら、最後の身だしなみのチェックを終えた私は先輩の侍女に連れられ、新たな主人の元へと歩いていった。
主人となる若い夫婦は柔らかな春の光が差し込むリビングでちょうどお茶を飲まれていた。旦那様は記憶にあるより随分優しい表情をされていた。奥様は少しだけ大人っぽくなっていたけど、親しい人に向けていた笑顔を惜しげもなく旦那様に向けていた。
近づく私たちにお二人が気づいたとき、旦那様はイタズラが成功したときのような少し嬉しそうな顔をし、奥様は大きく目を見開き、信じられないと言った表情をこちらに向けた。
「……ララ?ララなの?」
信じられないとばかりに呟いた奥様のお言葉に私は満面の笑みで応え、頭を深く下げてからこう告げた。
「これからお世話になりますララと申します。どうぞこれからも宜しくお願い致します、メアリー様」
「ララ、貴女がどうしてここに!?」
駆け出しそうな勢いでソファから立ち上がり、私の側に来た新しい私の主人に、私は笑顔でこう答えた。
「貴女から結婚の報告をもらったときに、メアリーもシシーも新しい人生を歩みだしてる中で、自分はどうしたいのかを改めて考えてみたの。結婚は予定がないし、じゃあこのままお城で働き続けるかって考えたときに、誰かのために働く侍女の仕事は好きだけど、あんなこともあったからか、お城には心から仕えたいって思う人がいないなって思ったの。
じゃあどういう人のために自分は働きたいのかって考えたときに、頑張り屋さんでまっすぐな貴女のことがふと思い浮かんだの。優秀で、でもどこか危なっかしい貴女のことを思い出したの。
そうしたら居ても立ってもいられなくなって、シシーとギルバード様にお願いして紹介状書いてもらったの。旦那様は私が貴女と働いていたことを覚えていてくれたみたいで、こうして無事採用されたって訳。驚いた?」
「当然よ!仕事を変えるとは聞いていたけど、まさかうちに来るなんて思ってもいなかったもの」
「元同僚が侍女なんてやりにくい?」
「そんなことないわ。貴女が私を支えてあげたいと思ってくれたこと、本当に嬉しいわ。ララこそ、本当に私なんかでいいの?」
「優秀なくせに、そういう『私なんか』って言っちゃう貴女のこと放っておけないのよ。私が見てなきゃまた頑張りすぎるかもしれないし。お目付け役も兼ねて貴女をしっかり支えてあげるわよ」
「ララ……本当にありがとう」
そう言って涙目になりながら私をぎゅっと抱き締めてくれたメアリーに、私は彼女を抱き返しながらこそっと耳打ちをした。
「それにメアリーなら二人きりのときに気を抜いても許してくれるでしょ?皆には内緒でまたあの頃使用人部屋で二人過ごしたみたいにダラダラと話をしましょ?そんなの愛しの旦那様の前じゃできないでしょ?」
するとメアリーは少し目を見開いたあと、満面の笑みで「だから貴女のことを大好き」と再び抱きついてきてくれた。
それまでは静かにそんな私たちを見守っていてくれた旦那様が、「なんだか妬けるね」と私たちの会話に入ってきた。
メアリーはその言葉を真面目に受けて少し慌てていたけれど、私はそんな彼女をもう一度ぎゅっと抱き締めてから、旦那様にこう言ってやった。
「私たちは10歳からの戦友なのよ?ここ数年のメアリーしか知らない旦那様なんかに負けないような絆があるんだから」
私のその言葉にそれまでは固めの表情しか見せてこなかった旦那様が声を上げて笑いだした。しばらくは困ったような顔をしていたメアリーも、「もう、ララには敵わないわ」と釣られて笑いだした。
穏やかな春の温かさが満たすそのリビングに、私の大切な人たちの笑い声が響いていた。
私も負けないぐらいの笑顔を返しながら、新しい人生の門出としてこれほどの日はないと思っていた。
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最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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