十八話
翌日、朝食をいただいた後、私は昨日歩いた庭園を再びアルベルト様のエスコートを受けながら歩いていた。美しい花たちを愛でているとアルベルト様がこうおっしゃった。
「あの頃、貴女をこの庭園にお誘いしたいと言っていたのですが、それがこうして今日叶うことになるとは少し前までは夢にも思っていませんでした」
「私も昨日ちょうどあの日のことを一人思い出しておりました。私もこうしてアルベルト様と共にここにいることが、未だに少し信じられない思いです」
そんなことを語りながら庭園を進み、私たちは昨日グリース先生と歓談をしたガゼボに腰を下ろした。
「何から話すべきなのか、そうだな。まずは君が気にしてくれていたあの日のあの後のことを話すとしようか。
あの日私は君が知っている通り別室に連れて行かれた。しかしそこでは尋問などは何もなく、ただ部屋でしばらくの間待たされただけだった。そこで一時間ほど過ごしていると急に陛下に呼ばれ、お目通りをすることとなった。
あのことがあったから何か処罰でも与えられるかと思っていたが、そのようなお話は何もなかった。むしろ陛下は私に申し訳ないことをしたとおっしゃった。陛下は事実をご存知であったようだよ。
陛下はあの方の振る舞いに巻き込まれた私の立場をとても気にしてくださっていた。できればこの騒動を白紙にしたいが、あの方の話は数人の大臣の耳にも入ってしまっているため今からなかったことにするのは難しいとおっしゃっていた。そこであの方の周囲でのみあの話を真実とし、裏では私は彼女の想いを応援するために身を引いたというストーリーにしたいと相談された。
私としては異存はなかったのでそうしていただいた。なので私はしばらくは失恋した男のようには扱われたけれど、大した実害はなかったよ。
むしろ牢に連れられたという君の心配ばかりをしていた。君は大丈夫だったのかい?」
「しばらくは牢におりましたが、私も尋問等は何もなくただそこで過ごしただけでした。友人も面会に来てくれましたので、多少の不自由はありましたが、問題はなく過ごしました。
殿下のご成婚に伴い恩赦をいただき、牢から出してもらいました。そしてそこからは殿下付きの執事であったギルバード様にご配慮をいただき、新しい養子先とお仕事をご紹介いただきました。その後は色々なご縁があってノルヴァン家の娘となりました」
「なるほど、だから君の消息が知れなかったのか。
殿下の輿入れが終わるまでは私は登城しないよう陛下に頼まれていて、やっとそれが終わり城に行けるようになった頃には君は釈放された後だったんだ。看守に資料を調べてもらっても『職務を剥奪し、城からの追放』としかなくてね。分かったのは君の名前だけだった。
そこから君の前の養子先にも話を聞きに行ったが、養子は解消したと言われてしまったんだ。どうやら先方の予定が空くのを待っている間に解消されていたようだね。一足遅かった訳だ。私はてっきり君は平民になったものとばかり思っていた。ときおり人をやって王都で探してもらってはいたが、もう君に会うのは難しいのかと考えていた」
「そうだったのですね」
そこまで話をすると、アルベルト様はこちらに向き直り、私の手をそっと取ってくれた。レオノーラ殿下としてではなく、メアリーとして彼に手を握られていることに恥ずかしさと嬉しさがじわじわ込み上げてきた。
「昨日伝えた通り私は君が好きだ。メアリー、君という一人の女性が好きだ。そこに着飾った容姿も、誰もが頭を垂れるような地位も必要ない。
あの頃私と色々な話をし、温かな時間を共に過ごした君と今後も共にありたい。どうか私の願いを受け止めてくれるだろうか?」
「アルベルト様……」
昨日あんなに泣いたのに、私の目にはまたうっすらと涙が浮かんできていた。これが夢でないことを確かめるかのように、彼の手を握り返しながらこう私の気持ちを伝えた。
「私も貴方のことをお慕いしています。私が私と名乗れていなかった頃から、ずっと想っておりました。
私には貴方に差し上げられるものは何もありません。この胸にあるのは貴方への気持ちだけ。それでも本当によろしいのでしょうか?」
「君の気持ち以上のものなどない。それが一番嬉しいんだメアリー。ありがとう。
しかし君は何も持っていないというが、気づいていないだけで君はたくさんのものを持っているよ。昨日君が話をしたグリース先生ともあの後少しお会いしたが、気難しいところもあるあの先生が君のことは褒めちぎっていたよ。教養はもちろん、所作も相手への気配りも、君という人柄も全てが素晴らしかったと先生はおっしゃっていたよ。
君にはこれまでに積み上げてきた努力が詰まっている。乗り越えてきた経験が君を輝かせている。君はもっと自信を持つべきだ。君は素晴らしい人だよ。
私は君が私の隣に立ってくれることを光栄に思っているよ」
アルベルト様の言葉に、なんとか持ちこたえていた涙がポロポロと落ちていった。がむしゃらに前だけを見て生きてきた。そのことをこんな風に言ってもらえることが嬉しくて、私は彼の前で涙を流し続けた。
「ありがとうございます、アルベルト様。今まで正直どうして私がこんなことをしなければならないのかと思いながらも生きていたこともありました。泣いた日もたくさんありました。できなかったこと、後悔したことも数多あります。けれど、貴方が、義両親がそう言ってくれたことで過去の私が報われたように思います。
自分に自信が持てるかはまだ分かりません。けれども私をそう思ってくれる貴方のためにも胸を張って生きていたいと思います」
そう言うと、アルベルト様は優しく微笑んでから私を包み込むように抱き締めてくれた。彼の腕の中で私は泣いてばかりだなと思いながら、私は彼にこの身を預けた。
そこから程なくして私とアルベルト様の婚約が整った。あの再会した日の会話からも察せられたように、どうやらアルベルト様のご両親も彼が私を探していたことをご存知であったようだ。そのため我々が長らくお互いを片想いのように想い合っていたことをどちらの両親も知っているため、我々は両方の家族の盛大な祝福を受けることとなった。
あの頃は身を偽り、自分ではない姿で彼を欺くために側にいることしか許されなかった。しかし今は彼の側に自分自身としていられる。彼の目が偽りではない、本来の私の姿をしっかりと見つめてくれる。その瞳を真っ直ぐに見つめ返すことができる。
信じられないぐらい幸せな日々だった。
「こんなに幸せで許されるのかしら」
涼やかな風が吹き始めたある秋の日、アルベルト様のお屋敷の一室で結婚式の準備をしながら思わず私はそう呟いてしまった。彼と婚約してから半年近く経とうとしていたが、私は未だにどこか信じられないような気持ちになることがあった。
そんな私にアルベルト様はこう返してくれた。
「君は過去にそれに見合うだけの努力と苦労をしてきたんだ。今が幸せすぎると思うなら、それを今取り返しているのだと思って受けとっておけばいい」
「でもアルベルト様にもこんなにも想っていただけるなんて、未だに信じられないぐらいなんです」
アルベルト様のことはずっと『メアリー』では横に立つことも許されない方なんだと思っていた。そのため今や結婚の準備のためにアルベルト様のお屋敷に居を移しているのに、まだ彼が自分を選んでくれたことが夢ではないかと思ってしまうことがあった。
ため息をほうと吐きながらそう言った私の言葉に、彼が珍しく眉を少し上げた。
どうしたのだろうかと結婚式の招待客がまとめられた書類を一旦置き、彼に向き合おうとしたそのとき、正面のソファに座っていた彼が立ち上がり、私の隣に移ってきた。
彼の表情を見るため視線を上げると、それに合わせるかのように彼の長い指が私のあごを掬い上げた。
彼の顔が近づいてきていると気づく暇すらなかった。
そこから唇を奪われるまでは一瞬だった。
軽く触れるだけのキスではあったが、アルベルト様は何度もそれを繰り返し、私の頬に差した赤みが耳まで到達するまで私を解放してくれなかった。
解放されてからやっと満足に息を吸い込み、真っ赤な顔で涙を浮かべたまま彼を見上げると、珍しく悪い顔をした彼は私にこう言った。
「そんなに私の愛が信じられないなら、君に信じてもらえるよう手を尽くすしかないのかな?さて、どんな手段で君に伝えるのがいいだろうか」
気がつけばアルベルト様のもう片方の手が私の腰に回されていた。目の前には見たこともないような熱っぽい視線を私に向けるアルベルト様がいたが、腰に回された手により後ろに逃げることも許されなくなっていた。
彼の視線を受け止めきれなくて、逃げるように視線を下げてしまった。そうやって彼をなるべく視界に入れないようにしたが、それでも否応なしに近くに感じる体温に恥ずかしさで言葉が出てこずあわあわとしていると、目の前の彼が堪えきれないとばかりにぷはっと破顔した。
「ごめんよ、少しからかいすぎたね。まぁでも先ほどの言葉も全部が嘘という訳でもないよ。
メアリー、君に合ったペースで伝えていくさ」
アルベルト様は私の腰から手を離し、身を起こしながらそうおっしゃった。そうすることで先ほどよりは二人の間に距離はできたが、アルベルト様のお顔が目の前にあるのは変わっていなかった。
そのため私は視線を下に向けたままこう言った。
「……今でも十分伝えていただいているのに、これ以上だなんて私どうなってしまうか不安です」
自分としてはただ素直な気持ちを伝えたつもりだったのだが、目の前のアルベルト様は不機嫌でもないが微妙な表情をされていた。
気になって窺うように少し顔を覗き込むと、彼はその微妙な表情のままこうおっしゃった。
「……まぁ忍耐強く続けるさ」
そこから約半年後、暖かな陽射しが降り注ぐ春の日に私たちは結婚式を挙げた。
彼曰く忍耐強い対応によりダンスで彼の身体が近づいても、あの橙の瞳に近くで見つめられても前よりは落ち着いていられるようになっていた。
しかし今日、前髪をきっちりと上げ、白の婚礼衣装に身を包んだアルベルト様はいつも以上に眩しすぎて、ベールが持ち上げられその姿を直に見つめてしまうと心臓の鼓動が早まるのを止めることができなかった。
きっと顔が赤くなっている私に、珍しく頬に赤みが差している彼がこう小声で囁いた。
「幸せだな」
目の前にいる私以外にはパイプオルガンの音楽にかき消されて聞こえないような小さな呟きであった。
小さな、小さな言葉であったが、その言葉は私の胸に染み込み、大きく広がっていった。その温かさを感じながら、私も同じぐらい小さな声で彼にこう伝えた。
「私もです」
目の前のアルベルト様は独り言のような呟きに返事が来たことに少し驚いたのか少しばかり目を見開いた。
そしてその後、その目を緩め、私に優しく微笑んでくれた。
その微笑みに応じるように私も緩やかに口角を上げた。
そんな私の唇に優しいキスが降ってきた。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
あと一話だけ完結後に番外編を追加しております。




