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十七話

「どうして……」


目の前に立つ人の姿を見て心の中は色々な感情が吹き荒れていたのに、口からこぼれたのはそんなありふれた言葉だった。


なぜ貴方がここに。

なぜ私の名前を知っているのか。

私のことを覚えていてくれたのか。


聞きたいこと、言いたいこと、言わなければならないことがたくさんあった。それなのに、まるで言葉を失ってしまったかのように言葉が続かなかった。


あの日、静かな離宮で向き合ったときのように、私たちはしばらく無言でお互いを見つめあった。



「君に会いたいとずっと思っていた」


あの日と同じく、沈黙を破ったのはやはりアルベルト様だった。


「あの頃、王城で私と共にいてくれていたのは君だろう?」


彼は私を真っ直ぐに見つめながらそう言った。言葉こそ確認をするようなものであったが、まるで確信をしているような言い方だった。


「私は確かに一年半ほど前まで王城におりました。しかし侍女として仕事をしておりましたので……」


アルベルト様の言葉を肯定することは許されないことだった。そのため事実のみを話そうとした私の言葉を遮り、彼は言葉を続けた。


「そうだな。君の身分は確かに殿下付きの侍女だった。でもそれだけではなかったはずだ。


幾度も見てきた瞳を私は見間違えはしない。王宮のバラ園の花に輝かせていたのも、慈善事業の限界に悲しげに伏せられていたのも、この国の行く末を語っていた真剣なものも、全てこの瞳だった」


彼の瞳に戸惑いに揺れる私のグリーンの瞳が映っていた。その言葉には迷いのようなものは微塵も感じられなかった。


気が付けば頬を一筋の涙が伝っていた。アルベルト様の一言一言が信じられなかった。自分に都合のいい夢でも見ているのではないかと思った。


皆を欺く完璧なレオノーラ殿下を演じていたあの中で、彼は私を見つけてくれていたのだ。『私』という一人の人間を。信じられない思いだった。


何も答えずただ涙を流す私に、彼はこう続けた。


「恐らく君が抱える秘密は容易に他人に語れるものではないだろう。だから私のさっきの独白について君が事実かどうか答える必要はない」


アルベルト様は親指でそっと私の涙を拭ってくれた。頬に微かに触れた手は変わらず大きく、そして温かかった。


「私は王城で一人の女性と出会った。そして彼女に強く惹かれた。


彼女とは一度だけ、顔を合わせることができた。そんな状況ではなかったはずなのに、あの時私は驚きながらも、深く納得もしていたんだ。ずっと抱えていた疑問の答えが、そのときにやっと示されたんだ。


ずっと違和感があったんだ。同じ人物の、見せる側面の違いだけだと思おうとしたときもあった。

けど、やはり違ったんだ。パーティのきらびやかな光の下で高飛車に着飾っていた人は、私の知っている、私が共に時間を過ごした彼女ではなかった。


私の惹かれた女性は君だったんだ、メアリー」


アルベルト様が私を思ってくださっていた。そのことに、その言葉に胸がいっぱいになった。奥底からわき上がる幸せで、息が止まりそうなほどだった。


私は一度長く目を閉じ、次々とあふれでていた涙を落とした。小さく息を吸った。まつ毛に涙が残る目で、彼の瞳を初めてきちんと見つめ返した。


これ以上ないものをもらった。幸せだと思った。だからこそ私はこう答えた。



「私はずっと何も知らなかった貴方に許されないことをしてきました。いえ、貴方だけではない。たくさんの人に対して行いました。そしてあの日、私が至らないばかりに貴方に王女殿下の、国王陛下の意向を踏みにじったという罪まで着せてしまいそうになりました。

今日ここに来たのは、貴方に会えたならそれらのことを謝罪したいと思っていたからです。アルベルト様、本当に申し訳ございませんでした」


私は彼に深く頭を下げた。顔を上げた後、再び彼を見つめながらこう続けた。


「それから先ほどの件ですが、せっかくのお言葉ですが私では貴方の隣に立つのに相応しくありません。私は今でこそノルヴァンの姓をいただいていますが、元は誰の子とも知れぬ孤児です。それに私には肩書きも、美しい容姿もありません。私にあるのは過去の罪だけです。


アルベルト様、どうぞ貴方は貴方に相応しい素晴らしいご令嬢とお幸せになってください」


もっと心が痛むかと思っていた。確かにチクりとした痛みがあったが、私は思ったよりは本心から笑えていた。

そんな私を見て、アルベルト様はこう答えた。


「私が相手の肩書きを見ていたとでも?容姿だけで好きになったとでも?

侮らないでいただきたい。私は貴女という人に惹かれたのだ。そんな飾りは何も必要ない。

その過去も含めて、あの場に立っていた貴女を好きになったのだ。


言えないことがあるなら多くは語らなくていい。だけどどうか一つだけ、私の自惚れた質問に答えてほしい。立場も、過去も何もかもを一旦忘れ、ただ純粋な貴女の心を聞かせてほしい。


あの頃の君は私をしっかりと見つめてくれていた。その瞳の中には、少なくとも私には恋慕の熱が見えていた。


その気持ちは今の君にもまだ残っているだろうか?」



そんなこと正直に答えられる訳がないわ。

最初に心に浮かんだのはそんなセリフだった。


どう考えても誤魔化すのが最善だった。綺麗に微笑んで「そんなことはございませんでした」と答え、せめて残る思い出を美しいものにするべきであった。


けれども彼の真っ直ぐな瞳がそれを許さなかった。懇願するような色を含みつつも、その瞳は逃げることを許さないような強さでこちらを見ていた。視線に射られ、心が揺れた。ダメなのにと思ってはいるのに気持ちはぐらついた。


耐えなければならないことだった。

けれども私は彼が好きだった。


あの頃私の胸に灯された彼を想う熱は、消えてなどいなかった。



「……それは今も、この胸に」



あふれる気持ちに押し出され、新しい涙と共にそう言葉が出てしまった。心に秘め続けなければいけなかったのに、アルベルト様の瞳の前に気持ちを押さえきることができなかった。


喜び、戸惑い、罪悪感、様々な感情から流れ出る涙を止めることができず、手で拭おうとしたその瞬間、私はアルベルト様に引き寄せられ、その腕の中に抱き締められた。


手のひらより高い体温を全身に感じた。彼がいつも使っていた香水の匂いに包まれた。このままではいけない、何かを言わねばと思ってはいたが、言葉をうまくまとめることができなかった。


私はただ泣きながら彼に抱き締められることしかできなかった。




「……様、ノルヴァン伯爵令嬢様」


屋敷の方から私を呼ぶ声が聞こえ、私はやっと我に返ることができた。アルベルト様も同じだったのか、彼も少し腕を緩めてくれた。二人の間に新しい空気が入ったことで、やっと落ち着いて深く息を吸い込むことができた。ずっと温かな彼に抱き締められていたせいか、吸い込んだ空気を春なのに少し冷たく感じてしまった。そのことが少し恥ずかしかった。


「メアリー、呼ばれているようだし一度屋敷に戻ろうか」


アルベルト様は自然に私の手を取りながらそうおっしゃってくれた。私は彼に連れられ、お屋敷の方に歩きだした。



「メアリー!」


お屋敷へと続く出入り口の近くまで戻ると、そこにいたお義母様が私を見つけるなりそう声をかけてきてくれた。グリース先生とのお話を終えてからしばらく時間が経っていたので、戻りが遅く心配をかけてしまったようだった。


駆け寄ってきてくれたお義母様は私の目元が赤いことに気づくと、強めの視線を隣に立つアルベルト様に向けかけた。しかし彼が私の会いたかった人だとすぐ気づき、確かめるように私に視線を戻してきた。


私は少し照れ臭く思いながらも、しっかりとお義母様に向かって頷いた。それだけで伝わったのだろう。お義母様は目に涙を薄く張りながら、何度も小さく頷きを返してくれた。


お義母様も合流した後、アルベルト様に連れていかれたのはお義父様もいらっしゃる応接室だった。彼と共に応接室に入ると、お義父様も私の側に立つ彼と、私とお義母様の表情を見て一度長めに目を瞑った。そしてその後に私に柔らかく微笑んでくれた。その視線があまりにも優しくて、私はまたうっかり泣きそうになってしまった。



そこからその場にいたアルベルト様のご両親も交えて少し話をすることとなった。私は目元の赤みが残ったままであったのでどう誤魔化そうかと考えていると、私を優しげに見つめていた辺境伯夫人がアルベルト様に向かってこう話しかけられた。


「アルベルト、このお嬢様が貴方の言ってた王宮で出会い、惹かれた方なの?」


ストレートな物言いに私とアルベルト様が驚きに目を見張っていると、夫人はコロコロと笑いながらさらにこうおっしゃった。


「聞いていた通り聡明で素敵なお嬢様ね。ここに帰ってきたときの二人の様子を見るに、貴方の気持ちはきちんと受け止めてもらえたようねアルベルト。

よかったわ、やっと貴方も身を固めてくれるのね」


夫人の言葉に慌てながらアルベルト様がこう返されていた。


「母上!物事には順序というものがあります。急にそのようなことをおっしゃらないでください。


申し訳ございませんノルヴァン伯爵、母の言葉については私から説明をさせていただきます」


そんな彼に、お義父様は私の表情を一度ご覧になってからこう返された。


「貴方と娘については、概ねの事情は私も把握しているつもりです。


娘は貴方に会うために今日ここに来ました。それが叶い、そして今このような幸せな表情をしている。ならば私が申すことは何もございません。娘をどうぞよろしくお願いします」


お義父様の言葉に、今度は私が狼狽える番になってしまった。落ち着きをなくしてしまったアルベルト様と私を見て、辺境伯様がこうおっしゃった。


「どうやら両家で少し話をする必要があるようだ。しかし今日はもうこの時間です。よければ今夜は当家に泊まっていただいて、明日二人のことを話し合いませんか?

アルベルト、お前たちの事情は少し複雑なようだし、彼女とも話をする時間が必要だろう。


ノルヴァン伯爵、いかがですか?」


「そうですね。私たちにも、当人である彼ら二人にももう少し話をする時間が必要なようです。お言葉に甘えてもよろしいでしょうか?」


「喜んで。これから長い付き合いになりそうなのです。どうぞご遠慮なさらずに」


「ありがとうございます。どうぞよろしくお願いします」


そう言って固く握手を交わす辺境伯様とお義父様を私は頬が赤くなるのを自覚しながら見守った。



その日はもう日が暮れるような時間であったため、晩餐は共にしたがアルベルト様とお話する時間は取れなかった。その代わり、私はあてがっていただいた客間でお義父様とお義母様に庭園のことをかいつまんで話をした。


お義母様は彼が私の名を呼んでくれたと言った辺りからすでに大粒の涙を流してくれていた。羞恥心を押し込み、彼に想いを伝えてもらい、また私の気持ちも伝えたことを言うと、お義父様もそっと目頭を押さえられていた。


「メアリー、おめでとう。彼との再会が叶ったこともそうだが、お前が一人の女性として幸せを掴んだことを私は嬉しく思う。セブスブルク家と我が家であれば家の関係的にも何も問題はない。お前は何の心配もせず己の心に従いなさい」


「メアリー、本当に、本当におめでとう。私、ここのお屋敷に彼と戻ってきたときの貴女の姿を見てからずっと心の中がいっぱいなの。貴女の幸せが嬉しくてたまらないわ。愛しい娘の幸せはこんなにも嬉しいことなのね」


「ありがとうございます、お義父様、お義母様。お二人のお力添えがなければ私はここにいることはなかったでしょう。本当にありがとうございます。


アルベルト様とのことはお話しできないことがたくさんあります。けれど私が彼を想う気持ちは嘘偽りのない私の本心です。まさか今日こんなことになるなんて夢にも思っていませんでした。私……本当に幸せです」


その後も家族三人で夜が更けるまでたくさんの話をした。アルベルト様とのことももちろん私の心を幸せにしてくれたが、こうして私を思ってくれる義両親がいることにも私は大きな幸せを感じていた。

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