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十六話

この一年で乗り慣れたと思っていたノルヴァン家の設えのいい馬車に揺られながら、私は緊張を隠せずにいた。落ち着かなければと心の中で繰り返していたが、手の中にある扇子を握る力は強まる一方だった。


そんな私の手の上に、お義母様は自分の手をそっと乗せながらこう言ってくれた。


「大丈夫よ、メアリー。あんなに今日のことを考えてきたじゃない。貴女ならできるわ。


それにせっかくの再会なのよ。緊張はもちろんあるでしょうけど楽しまなくちゃ損よ」


優しい笑顔を私に向けてくれるお義母様に、私は少し情けない顔にはなっているかもしれないが、何とか笑顔を作りこう返した。


「ありがとうございます、お義母様。そうですね、やっと会えるのですから彼にいい表情を見せられるようにしたいです」


「そうよ、女の子の一番の武器は笑顔よ。貴女は私の可愛い自慢の娘よ。胸を張って挑んでいらっしゃい」


向かい側の席に座っていたお義父様も私に声をかけてくれた。


「お前は他人よりずっと努力してきているんだ。大丈夫だ、自信を持ちなさい」


「ありがとうございます、お義父様。はい、これまでの努力を信じたいと思います」


二人の言葉に、心臓の鼓動は少し早いままではあったが、私は少し体の力を抜くことができた。そうだ、せっかくお会いできるのだから、せめて笑顔で彼の前に立とう。そう新たに決意をしながら、私たちはセブスブルク家のお屋敷へと向かった。



たどり着いたのは堅牢という言葉が似合うような、どこか武骨な印象を与えるお屋敷だった。しかし隅々まで抜かりなく磨き上げられていることにより、質素な印象を与えることはなかった。この辺境という土地を表しているような華美ではない美しさがあるお屋敷だった。


私は義両親に続き、お屋敷の中の大広間へと足を運んだ。

大広間には既に大勢の招待客がいた。ぐるりと見渡してみたが、背の高い彼の頭を見つけることはできなかった。


「ご子息はまだいらっしゃっていないようね。辺境伯ご夫妻もまだお見えではないわね」


同じく会場を素早く確認していたお義母様がこそりと私に耳打ちをしてくれた。

私は拍子抜けしたような、まだ緊張をしていたので少しホッとしたような気持ちになっていた。


今日のパーティは外国の使節団を歓迎するものであった。彼らと交流を図るため外国語やその文化に詳しい人物が招待されていた。主催は辺境伯ご夫妻であり、彼がこの場に来るという保証はなにもなかった。しかしあの頃、殿下として色々な話をしたときに彼とは外国の文化についてもよく話をしていた。彼がここに来てくれる可能性は低くはないのではと私は思っていた。


しかしその期待を裏切るかのように、辺境伯ご夫妻の開会のご挨拶が始まっても、大広間に彼が姿を現すことはなかった。お義父様やお義母様がとても気遣わしげにこちらを見てくれていたが、私はあえてそのことに気付かない振りをして目の前の交流会に集中した。


レオノーラ殿下として振る舞っていた頃には外国の使節団や外交官などと直接言葉を交わすこともあったが、メアリーとなってからは初めての交流会であった。変に慣れていると思われないように気を付けながらも、風土、文化、娯楽など色々なことについて話をした。

初めは彼がここにいないことを気にしないようにするために会話に積極的に入っていっていたが、いざ交流が始まると知らなかったことに触れる楽しさを私は感じていた。

それに一番の目的は彼に会うことであったが、それが叶わないならせめてこの場に連れてきてくれた義両親に報いたいと私は思っていた。そのため、きちんとした結果を残せるよう私は積極的に交流を続けていった。


そうして外国の文学などについて詳しく話を聞いたり、こちらの文学作品について説明したりしていると、気が付けば交流会もお開きになる時間となってしまった。横目で何度も会場内を見てしまっていたが、私の目がついに彼の姿を捉えることはなかった。


最後の終わりのご挨拶を聞いていると、お義母様がそっと背に手を添えてくれた。背中から伝わる温かさに少し目の奥がツンとした。


「機会はこれからもあるわ。またご紹介を受けられるように皆で頑張りましょう」


かけられたその声に、私はしっかりと頷いた。



ご当主のご挨拶も終わり、私たちも人の流れに沿って大広間から出ようとしていると、辺境伯夫人から急に声をかけられた。話をうかがうと、どうやら最後に文学の話をしていた方がもう少し私と話をしたいとおっしゃってくれているようだった。


「メアリー、せっかくの機会だ。ぜひお会いしてきなさい」


「私たちは応接室で待たせていただけるみたいよ。気にせずいってらっしゃい」


義両親にそう背を押され、私は夫人に連れられるまま中庭の小さなガゼボに向かった。



そこで私を待ってくれていたのは初老の紳士であった。先ほどの会にこのような方がいたかと疑問に思っていると、それに答えるようにその方が隣国の共和国の公用語でこうおっしゃった。


『すまないね、急に呼び出して。私の作品の話をしてくれていたお嬢さんがいると聞いてついご夫人に会いたいとお願いしてしまったのだ。私はルドルフ・グリース、君が今日話をしてくれた『海辺の調べ』の著者だ』


『海辺の調べ』、それはあの頃にアルベルト様からお聞きしていた外国の文学作品の一つで、私がこのオフシーズンに読んだ作品の中でも一、二を争うほど繰り返し読んだ作品の一つであった。


『初めまして、グリース先生。メアリー・ノルヴァンと申します。あのように素晴らしい作品の著者にお会いできるなんて光栄です。私、あの作品は何度も読み返しています。主人公たちの心情描写が素晴らしくて毎回涙しながら読んでいます』


『異国のこんな若いお嬢さんにそんなに気に入ってもらえるとは作者冥利に尽きるものだな。

今日の会に出た者から君の文学の知識は素晴らしいと聞いているんだ。よければこの老骨としばし話をしてもらえないかい?』


『光栄です。ぜひお願い致します』


そこから私はグリース先生と色んな国の文学作品の話をした。先生は私の話をゆっくりと聞いてくれ、私の知らない様々な作品の話を聞かせてくれた。

あまりの楽しさに思わず時間を忘れてしまっており、気付けばガゼボに西陽が緩やかに差し込むような時間になっていた。


『君との話が楽しくて、長い時間付き合わせてしまったね。ありがとう、素晴らしい時間を過ごさせてもらったよ』


『感謝を申し上げるのは私の方です。こちらこそとても勉強になるお話を聞かせてくださってありがとうございました』


『異国の若者とこんなに楽しい話をさせてもらったのはここのご子息以来だよ』


グリース先生から突然アルベルト様の話が出たので、私は思わず目を見開いてしまった。そんな私の変化には気付かず、先生はこう続けた。


『今日も本当は彼と話をする予定だったんだ。しかし、王都からの帰りが予定より遅くなっているということで会えずにいたんだ。いや、しかしそのお陰で新しい出会いがあった。彼の遅刻に感謝せねばな』


『では、私もご子息に感謝せねばなりませんね』


結局アルベルト様にはお会いできなかったが、彼を知る方とお話をすることはできた。今日彼がいなかったことをしきりに気にしてくれていた義両親に話す話題ができたことを少し嬉しく思いながら、私はグリース先生との場を辞した。



交流会を無事終えた安心感からか、ガゼボに来たときよりも帰り道の方が季節の花が美しく咲く庭園を楽しみながら歩くことができた。綺麗に整えられた庭園では春のバラが大輪の花を咲かせていた。そのバラを見て思うところがあったため、屋敷までの案内をしてくれていた使用人にお願いをして、少しだけ一人で庭を歩かせてもらった。


王宮にもそれは美しいバラ園があった。色とりどりのバラが咲くその庭をアルベルト様と歩いたことがあった。私が咲き誇る花たちに目を奪われていたためか、彼はいつかこのお屋敷のバラもお見せしたいとおっしゃってくれていた。

まさかこうしてメアリーとして一人でこの景色を見ることになるとはあの頃は思ってもいなかった。美しい景色に、いつか彼と一緒にこの美しい花を見れたらいいのにと、つい浅ましくも考えてしまった。今後彼に会えるかも分からないのに現金なものだと、自分のことながら少し呆れてしまった。


そんな風に考え事をしていたせいか、私はすぐ近くまで人が来ていることに気が付いていなかった。切なさのような気持ちを持て余しながら、美しいバラを眺めていたそのときだった。



「……メアリー?」



不意に名を呼ばれ、私は驚きで固まってしまった。


もちろん、急に呼ばれたことにも驚いた。けれども一番の理由はそれではなかった。



私はこの声を知っている。


明るい王宮のサンルームからの帰り道で、暗い地下牢の中で、夜中に本を読むための少ない明かりの側で、いつも思い出していた。


低い、でも柔らかな声。


現実が信じられなさすぎて、あんなに望んでいたはずなのに怖くて顔を上げることができなかった。


ジャリという靴が地面を踏む音と共に、長い影が私を包んだ。



「やはり君だ、メアリー」



何故だか分からないが泣きそうな気持ちだった。顔を上げると、あの日最後に見たときと変わらない橙の瞳が私を見ていた。



そこにいたのはアルベルト様だった。


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