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十五話

初めに浮かんできたのは深い悲しみだった。


彼のことを私の運命の人だと信じていた。彼は私だけを愛してくれると思っていた。その愛が偽りだと知り、私の心は張り裂けそうなほど痛んだ。


悲しみの次に表れたのは、目の前が真っ赤に染まりそうなほどの強い怒りだった。


信じていたのに!信じていたのに!!

私は彼を信じて己の愛を全て捧げてきた。母国を離れ、遠いこんな国まで嫁いできた。乙女の純潔だって捧げた。


なのに……それなのに彼は私を愛していないと言った!こんなに美しい私を愛していないと言った!


感情の高ぶりのままにセドリックに向かって私は悲鳴のような金切り声でこう叫んだ。


「裏切り者!!私を騙していたのね!!

あんなに愛していると言ったくせに!神にも誓ったくせに!私の初めても奪ったくせに!!


許さない……お前を絶対に許さないわ!」


そう叫んだ後肩で息をする私に、彼は日常会話でもするかのように淡々とこう答えた。


「今回の側室を迎えることに君の了承は必要ないから好きにすればいい。許さないのも君の自由だ。


後、君は騙したと言うが、貴族にとってある種嘘は自分を有利にするための武器だ。誰もが目的のためなら嘘ぐらい息をするようにつくだろう。まさか王国の王族や貴族たちは腹芸の一つもせずに生きているとでも言う気かい?そんなはずはないだろう?


愛してると言った?神に誓った?そうだね、それらは確かに私がしたことだ。私がこの国のために必要だと思ってしたことだね。

でもそれで君の望む『王子様』もしてあげられていただろう?君だって今までは満足していたじゃないか」


「ごちゃごちゃ煩い!私の心を弄んだことが許せないのよ!」


髪を振り乱し叫ぶ私に、彼は癇癪を起こした子供を見るような目を向けながらこう言った。


「私たちはウィンウィンの関係だと思っていたのだけれどもね。

君はかねてからの希望通り王族に嫁ぎ、この国で皇后としての地位を得る。私は君を娶ることで王国との争いを回避する手段を得る。

実際に君が私の婚約者となったことで、私は王国とより具体的な不可侵条約を締結できた。


君は私に『裏切り』と言うけれども、私は君の示した前提条件に基づいて、きちんと君の要望に沿うようにしようとしていた。さっきも言ったはずだよ、君がきちんと公務をこなせる人であれば側室は取らないつもりだったと。

できないことを『できる』と言っていた君にこそ問題があると思うけどね」


視線を冷ややかなものに徐々に変えながら、彼はさらに続けた。


「まぁ王国にいた頃から君自身にはそこまでの能力はないだろうと薄々気づいてはいたんだけどね。しばらく親しく会話をしていればある程度の相手の技量は見えるものだ。あの評価が本来の君の力によるものではないとは思っていたよ」


「なっ」


落ち着いて聞き流さねばならないところだったのに、私は思わず声を上げてしまった。私とメアリーは瓜二つであったはずだ。体型も私に合わせるようにさせていた。バレるはずがないと思いつつも、何か言い訳をしないとと必死に言葉を選ぼうとした。

しかしセドリックが喋りだす方が先であった。


「まぁそれでも私はいいと思っていたんだ。君の実力であれ、誰かのギフトの効果であれ、『レオノーラ』が有能であれば問題なかった。

しかし理由は知らないが帝国に来てからの君は王国では見せられていた能力を示せなくなった。恐らくだが、王国で君を支えていたギフトの使い手を呼び寄せられなかったのだろう?」


「何の根拠もないことを言わないで!」


煽られていると頭の片隅では理解していたけど、高ぶった感情を抑えきることはできなかった。私は睨み付けながら彼にそう返した。


「確かに今の話に根拠はないね。しかし今君が私の妻として必要な能力が示せないというのは明白な事実だよ。

ギフトの使い手をこちらへ連れてこられなかったこともそうだが、ここに来て一年ほど経つがその間に少しでも自分の能力を上げる努力をしなかったこと、これは君の落ち度だよ」


そこまで言うとセドリックは足をゆったりと組み換えた。今朝までは好ましく思っていた彼の長い足を、私はイライラとしながら睨んでいた。


耐え難い屈辱だった。全てが許せなかった。だから私はセドリックにこう言ってやった。


「そこまで言うなら離婚よ!私は王国に戻るわ!今すぐ手配をして!

私がいなくなったら貴方の皇太子の地位も揺らぐし、私のお父様だってきっと黙っていないわよ!せいぜい後悔することね!」


セドリックが慌てふためく姿を想像しながらそう言い放ってやった。みっともなく私に許しを乞い、私だけを心から愛すると誓うならここに残ってやってもいいと思っていた。


けれど彼は表情一つ動かすことなくこう返してきた。


「王国との最低限の条約は交わせたし、別に君の助力がなくとも私は皇太子になる予定だった。君は公務ができる訳でもないし、後宮の予算も限りはある。君がそう望むなら好きにすればいい。


しかし理由はどう言うつもりなんだい?まさか私にも不貞をされたとでも言う気かい?」


「理由は結婚後すぐに側室を迎えようとしたことで十分足りるわよ!王女である私にそんな対応をしたのだから、相応の慰謝料を払ってもらうわよ」


「君の父上にそう伝えてみるがいい。そうしたら私は君が公務に足る能力がなかったので仕方なかったのだと正直に陛下に伝えるだけだ。そうなれば『レオノーラ』として築き上げてきた王国での評価はどうなるだろうね。君は出戻りになる上、実は能力が低いことがバレてしまう訳だ」


「そ、そんなの私の力が足りないってどう証明する気よ?そんなの無理に決まってるわ」


「そうでもないさ。君にできないことは色々とある。例えばその離婚のための会談での言語をお互いの隣国である共和国の公用語に指定してみるとかね。陛下も私も近隣諸国の言語はある程度は修めている。喋れないのは君ぐらいになるんじゃないかい?」


言われれば言われるほどセドリックに言いくるめられた。ムキになった私は、破れかぶれでこう叫んだ。


「な、何よ!!それなら今からこの部屋を出てあんたが私を愛していないことを暴露してやるわ!国民や臣下からあれだけの祝福を集めた結婚だったのに、それが演技だっただなんて知れたら貴方の支持はがた落ちになるわよ!」


そこまで言うと、セドリックはまるで聞き分けのない子供をあやすかのように私にこう話しかけてきた。


「それはあまりおすすめしないな。そうなれば私は君を気が触れたことにして幽閉しなければならなくなる。それはお互いにとってメリットはないよ」


「自分が不利になるからって脅してくるのね。でもムダよ。私はやると言ったらやるわ!」


「まぁやってみればいいが、この城の中で君がどんなことを叫ぼうとも、私がそれを否定すれば君の言葉を信じる人間はほとんどいなくなるよ。


私はここで幼い頃からこの国のために研鑽を積んできた。皆がそのことを知ってくれている。それに対して君はどうだい?公務もせずに自分のお気に入りの侍女相手にお茶を楽しみ、やることと言ったら着飾ることばかり。どちらの言葉の方が信用があるかは比べるまでもないだろうね」


セドリックは当然の事実を述べるように淡々とそう私に返してきた。そしてまるで天候の話でもするかのようにさらりとこんなことまで言った。


「幽閉で済めばいいが、君の態度次第では不慮の事故も起きかねないよ。ああ、君がいなくなっても民からの私の支持はそう落ちないと思うよ。


なぜならそのときの私は運命的に出会った最愛の妻を結婚してすぐに失った悲劇の夫となるからだ。君がいなくなるとこの国にも多少のデメリットはあるし、私は心の底から悲しんでいる素振りをしてみせるよ。


私の演技力のことは君もよく知っているだろう。何せ君は今日まで愛されていると疑いもしなかったのだからね」


彼はそこで言葉を切ると、まるで私のためを思うかのような態度でこう言ってきた。


「離婚でも幽閉でも事故でも私は構わないが、君にとって一番不利益が少ないのは大人しく今のままでいることだよ。

そうすれば王国での『レオノーラ』の評価は守られるし、君は望んでいたこの国の皇后にもなれる。まぁ名ばかりだけれどもね。それでも公式行事となればそれなりに綺麗に着飾れるし、皆が君に頭を垂れてくれる。私も今まで通り君を愛しているという態度をとり続けよう。ほら、何もかも君が望む通りだ」


彼は本気でそう言っている。私のためと言う言葉に偽りはないと思った。しかしそれが却って恐ろしいと私は感じ始めていた。にこやかな笑顔すらたたえている彼に私は声を震わせながらも、こう返事をした。


「でもそれは表面的なものよ。私はもう心から貴方を愛せないし、貴方も『私』という女を愛さないのでしょう?」


優秀なレオノーラでいることも、この国の皇后として人々にかしずかれることももちろん大切だった。けれども運命の人に心から想い、想われることも私にとっては大切なことだった。


眩いばかりのセドリックの容貌を見ていると、未練がましくも涙が浮かんできた。王宮のバラ園を完璧なエスコートで案内してくれたことも、夜会で会場中の羨望の眼差しを浴びながらダンスをしたことも、満天の星空の下のバルコニーで私にキスを落としてくれたことも、全部全部私の求めていた理想の王子様だった。

彼はあんなにも情熱的に私を愛してくれていた。もし私を想う気持ちが全くなければ、私をあんなに愛おしげに見つめられる訳がないと思った。


だから最後の望みをかけて、「そんなことはないよ」という言葉を期待して、私は彼にそう問いかけた。


しかし私に返されたのは、何か冗談でも聞いたかのように眉を下げながら彼が笑って言ったこの言葉だった。



「当然だろう。この国を背負う王族たる私に必要なのは『グランベルク王国第三王女』である女だ。君個人ではない」





あの後、半ば強引に私は私室へと戻らされた。今座っているソファも、私の好みに全て合わせてくれた家具たちも、たくさんのアクセサリーやドレスが眠るクロークも、この部屋を出たときから何も変わっていなかった。


ただ私の気持ちだけがセドリックの本心を知ってしまったため大きく変わっていた。


彼に言われた言葉だけが、沸き上がる不安と共にぐるぐると頭の中を駆け巡っていた。怒りもあった。悲しみもあった。けれどもそれだけでは彼の言葉をひっくり返せるものは何も見つけられなかった。


私には『幸せなレオノーラ』として生きる道しか残されていなかった。頭はそのことを理解し始めていたが、受け止めきれない心が私に涙を流し続けさせた。


その日は日が暮れても泣き続けたが、私を慰めに来てくれる存在は誰もいなかった。







パタン。レオノーラが連れていかれドアが閉まると、セドリックの執務室はそれまでの騒がしさが嘘であったかのように静かになった。遅れた執務を取り返すべくセドリックがデスクに座ると、侍従が滑らかな所作でデスクの上に紅茶を置いた。


「妃殿下は私室に大人しく戻られました。体調が優れないため公務がない限りは呼ばないようにと仰せでした」


セドリックはカップを手に取り、紅茶に口をつけた。香りの良い彼好みの紅茶が少し乾いていた彼の喉を潤した。


「そうか、なら予定通りだな。これで彼女も本来の自分の地位を理解しただろう。早速侯爵令嬢の後宮入りを進めてくれ。皇太子妃の公務をいつまでも母上たちにお願いする訳にはいかないからな」


「畏まりました」


二人の会話はひどく事務的なものであった。先ほどこの部屋で人生に絶望するほどの悲しみに陥った女などまるでいなかったかのように、ただ会話は必要な事項のみを交わし淡々と進んでいった。






それから約一年後、グランベルク王国にラッセン帝国よりある吉報がもたらされた。それは帝国の皇太子であるセドリックと王国の民たちに愛されていたこの国の末王女のレオノーラの間に第一子が無事生まれたと言うニュースだった。


平民たちが隣国に輿入れしたレオノーラの姿を直接見ることはもう叶わなくなっていたが、それでも王都にいる貴族たちからレオノーラは帝国の皇太子妃として幸せに暮らしているとは漏れ聞いていた。

そんな中でのとびきりのニュースに王都中が祝福に沸いた。町中の皆がこの慶事を喜び、こぞって幸せそうに語りあった。



事実など知るよしもない王国の民たちは、誰もが無邪気に喜び、生まれた皇子の健やかな成長と、()()()()()()()()()()()()を願っていた。

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