表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/26

十三話

馬車での移動は天候にも恵まれスムーズに進んだ。宿を発って二日後、私はギルバード様にご紹介をいただいたご夫婦、ノルヴァン夫妻のお屋敷に着いていた。

ノルヴァン伯爵家といえば確か今のご当主には年離れた弟がおり、彼には小さな娘がいた。私が教えることになるのはそのご令嬢なのだろう。


馬車を降りて招かれたノルヴァン伯爵家のお屋敷は歴史を感じさせる重厚な趣のあるお屋敷だった。美しく磨き上げられたエントランスで私を出迎えてくれた壮年の執事に案内され、私はご夫婦の待つ応接室に向かった。


応接室で私はノルヴァン夫妻と対面した。彼らは私を温かく出迎えてくれた。


「ギルバード君から話は聞いていると思うが、うちの姪のお手本になってくれるようなご令嬢を探していたんだ。メアリー嬢、これからよろしく頼む。

しばらくはここで君の所作を確認させてもらう。そこで問題がなければ、姪の元へ行ってもらうつもりだ」


「分かりました伯爵様。ご期待に添えるように努力致します」


「あまり堅苦しく考えすぎないでね、メアリーさん。私は念願の娘ができたと思って接させてもらうわね。この話が終わったら早速テラスでお茶をしましょう」


「お前は堅苦しくならなさすぎだ。すまないね、我々には息子しかいなくてね。妻は娘というものに憧れがあるのだよ。少しばかり付き合ってやってもらえると嬉しい」


「はい、奥様もどうぞよろしくお願いいたします。お茶もぜひご一緒させてください」


そうして私の新しい生活が始まった。



ノルヴァン家での生活は少しばかり不思議なものであった。普段の所作などを確認するためとは聞いていたが、食事やお茶を主人である伯爵様や奥様とご一緒することとなっていた。伯爵様はお忙しいときにはお席にいらっしゃらないこともあったが、奥様とは常に食事を共にしていた。


あの最初の日にも、お茶の席で奥様は私にとても優しく接してくださった。お気に入りのお菓子を勧めてくれ、このお屋敷の庭園の見所を色々と教えてくださった。今までの貴族のお茶会と言えばレオノーラ殿下として失敗など絶対にしてはならないし、不用意な一言で言質を取られないよう神経をすり減らすものばかりであった。奥様とのひとときは、これが試用期間中であることを危うく忘れそうになるほど、穏やかで優しい時間だった。


奥様とはお茶の他に刺繍やダンスの練習なども一緒に行った。一通りの嗜みは人並み以上にできるよう訓練をされてきたこともあって、奥様に何か苦言を呈されることは特になかった。むしろ何をしても「メアリーさんはすごいのね。お上手だわ」と褒めてくださり、面映ゆい気持ちになることが多かった。


伯爵様はときおり書籍を私に渡し、「感想を聞かせてほしい」とおっしゃることがあった。外国語で書かれた小説から、王国史の専門書まで本の内容は多岐に渡っていた。難解な内容のものもあったが、小説など思わず夜遅くまで読みふけってしまうような面白いものもあった。恐らく試験の一環なのだろうけど、場違いにも私は何かに追いたてられずに本を読むことは楽しいことだと感じていた。


ノルヴァン家のご子息方は既に成人されており、ここには小さなお子様はいらっしゃらなかった。そのため試用期間中にも関わらず、私はこうした試験を受ける他は家庭教師の仕事ができずにいた。ご夫婦は今はそれでいいとおっしゃってくれていたけれど、私はそれでお給料をいただくのは申し訳なく思っていた。そこで時間のあるときは侍女の仕事を少しさせてもらった。



新しい生活に馴染むため日々目の前のことに取り組んでいたら、気が付けばこのお屋敷に来て二ヶ月が過ぎていた。そんなとある日の夕食の後、私はご夫妻から食後に書斎に来るように申し付けられた。


たくさんの書籍が並べられた本棚や重厚な執務デスクが存在感を放つ伯爵様の執務室のソファに座り、私はご夫妻と対峙をしていた。いつも通り伯爵様は一見難しそうなお顔を、奥様はにこやかなお顔をされていた。


「こんな時間に呼び出してすまないね、メアリー嬢。今日は君の仕事のことで話がしたくてここに来てもらったんだ」


「問題ありません伯爵様。こちらこそ試用期間中は大したお仕事もできませんでしたのに、このように良くしていただきありがとうございました」


「そんなことは気にしないでメアリー。私はこの2ヶ月、貴女のおかげでとても楽しく過ごさせてもらったわ」


「奥様、私もとても心温まる時間を過ごさせていただきました。奥様もありがとうございました」


「ふむ、では早速だが仕事の話をさせてもらおう。だがその前に少しギルバード君から君について頼まれていたことを少しだけ説明しておきたい」


「はい、うかがいます」


「実はな、彼からは家庭教師の仕事の他にもう一つ話を貰っていたんだ。私たち夫婦はこの二ヶ月間君を見ていて、家庭教師ではなくもう一つの選択肢を選ぶことを決めた。


彼から提示されていたもう一つの選択肢というのは、君をうちの養子にすることだ」


「私を……お二人の養子に?」


「そうだ。彼はこう言っていたよ。


『メアリーにはある願いがあります。ノルヴァン家の娘になる方が彼女のその願いは叶う可能性が高まります。

奥様は娘を持ちたいと望んでいらっしゃったと存じております。もし家庭教師としての素質を見るなかで、彼女がお二人のお眼鏡に適う娘であれば、あの子を養子として迎えてやってはもらえないでしょうか?あの子は真っ直ぐで、ひた向きな努力家です。どうか彼女の人となりを見てやってください』とな。


最初に話を聞いたときは養子の話は聞くだけは聞いたが、断るつもりでいたんだ。妻は確かに娘を望んでいたが、どこぞの娘を養子にしてまでと思うほどではなかった。


しかしこの二ヶ月間、君を見ていく中で私たちの考えは変えさせられてしまったよ。どこで習ったかは聞かないが君の教養は並の令嬢のものではなかった。余程の才能があるのかと思いそんな君でも理解しづらいであろう難解な本を渡してみれば、君は辞書や他の本を調べながら懸命にかじりついていた。

君が努力の人で、今の君は今までの膨大な努力によるものだということがひしひしと伝わったよ。


娘がいればという気持ちも少しはあった。けれども私はそれ以上にそんな君の願いを叶える助けをしてみたいと思った。どうだね、君さえよければこの家の娘にならないかね?」


「男の人は事務的な話ばかりで嫌ね。私も娘なら誰でもいい訳ではなかったわ。けれどメアリー、貴女と過ごす中で貴女のことが大好きになっちゃったの。

私も貴女の願いが叶う瞬間を近くで見守りたいと思っているわ。メアリー、よければ私を母と呼んでくれないかしら?」


伯爵ご夫妻からのお申し出は思いがけないものであった。まさかギルバード様がそのようなお願いをしてくれていたなど、微塵も予想をしていなかった。


私の願い。私はサミアさんに『会いたい人がいる』としか伝えなかったし、ギルバード様にもその相手を具体的には伝えていなかった。けれども牢から出してもらったあの日、彼のことをまず尋ねたことから私が誰に会いたいと思っているかはきっとバレてしまっていたのだろう。


ギルバード様のお気遣いはとてもありがたいものだった。けれど私は伯爵ご夫妻にこう伝えた。


「確かに私にはある人に会いたいという願いがあります。しかしこれはただ単純に、私の個人的な願いです。この家に益をもたらすものではありません。

ですので、お話はとても嬉しいのですが伯爵家にもご迷惑をお掛けしないためにも私は辞退をしたいと思います」


私のその返事を聞いた伯爵様は少し口角を上げて、笑いながらこうおっしゃった。


「なんだ。気になるのはそんなことだけか?君の願い一つで揺らぐほど、この家は脆くはないぞ。

私たちは君を応援したいんだ。何かを返したいと思うなら全力でその人に会えるよう努力し、私たちに君が願いを叶える姿を見せてくれ」


「そうよ。私たちに返せる何かが必要なら、今度私とお買い物にでも付き合って頂戴。私娘としてみたかったことがいくらでもあるのよ。私はそれに付き合ってもらえれば十分よ」


「伯爵様、奥様……」


「考える時間が必要なら、じっくり時間をかけて考えなさい。ただ、私は次に返事を聞くときは私への呼び名が変わっていれば嬉しいと思っているよ」


伯爵様は私を優しく見つめながらそう言ってくれた。私の何を見て彼らがそう考えてくれたのかは、はっきりとは掴めていなかった。けれどそこまで言ってもらえたことへの嬉しさは胸にじわじわと浮かんできた。


本当にいいのだろうかという気持ちはまだ少し残っていた。けれどもアルベルト様に会いたいという私の願いもまだ熱を失っていなかった。


「この家に相応しい娘になれるよう努力を惜しみません。お義父様、お義母様、これからどうぞよろしくお願い致します」


私は決意を込めて、お二人、いや私の義両親にそう返事をした。



その後正式な手続きを進め、私はメアリー・ノルヴァンとなった。

そこからは伯爵家の娘に相応しい振る舞いを身に付けるため、お義母様に所作の確認をしていただいた。レオノーラ殿下を基準にしていた私の動きは高位貴族のものであり、微調整が必要だったのだ。


その間にお義母様とは約束通り買い物へも行った。「娘のドレスを選べるなんて夢みたいだわ」とはしゃぐお義母様が次から次へとドレスを私に当て、あれもこれも似合うわと言って全部買おうとするので、それを止めるのが少しだけ大変だった。けれども初めての母と呼べる人との買い物はとても楽しいものであった。


お義父様はその間に社交界に私が出られるよう各所に調整をしてくれていた。

私は義両親の娘になると決めた日、二人に私が会いたいと思っている人のことを告げた。経緯は誓約もあり言えないことが多く、何とも不完全な説明にはなったが二人は私の話を真剣に聞いてくれた。

そこでお義父様はアルベルト様のお家は辺境伯であるため、外国の文化に関する催しが多いことを教えてくださった。そこで私たちは、まず社交界に出て私の外国語の能力が高いことや外国の文化について知識が深いことを広め、その催しに招待されるよう努めることにした。

私はそのためにも、所作や外国語など必要な勉強にひたすら打ち込んだ。


これまでもこうして懸命に努力をすることはあった。けれども何かに追いたてられてする努力と、誰かのために、自分のために頑張りたいと思う努力は違うのだということを、私はこのとき初めて知った。


お義父様とお義母様が誇れるような娘になりたい。アルベルト様にもう一度でいいからお会いしたい。心の底から湧き上がるものに突き動かされながら、私は前に進み続けた。



社交界では急に出てきた養子ということで初めはあまりいい対応をされないこともあった。しかし今までの経験を活かして少しずつではあるが親交を広げていった。レオノーラ殿下として公務や社交をしていた頃は、ただただ必死に対応していただけであったが、その日々で身に付いたものが今の私を助けてくれていた。


私一人の力だけではなく、お義母様もお茶会などは一緒に出てくださり、ご友人の方々などに私を紹介してくださった。お義父様も機会があれば私の話をしてくださっているようだった。


そしてギルバード様、彼も一度パーティでお会いしたときにわざわざ私に話しかけに来てくれた。


「ノルヴァン伯爵令嬢、お久しぶりですね」


「ギルバード様、お久しぶりでございます。私、貴方にお会いできたらお礼を言いたいとずっと思っていたのです。本当にこの節はお世話になりありがとうございました」


「いえ、礼には及びません。それに私はチャンスを作っただけです。今の場所を掴んだのは貴女の力ですよ」


「そのチャンス自体が私自身ではどうしようもできなかったことだと思うのです。だからぜひお礼を言わせてください」


「分かりました。ではありがたく受けとることに致します」


こうして私はギルバード様にお礼を伝えたつもりでいたのだけれど、王宮である程度の地位のある彼が親しげに私に話しかけてくれたことで、私の評価が上がっていたことを私は後日知ることになった。ギルバード様には本当に助けていただいてばかりであった。


そうして一年目の社交シーズンは進展はあったもののアルベルト様まではたどり着かないまま終わった。



オフシーズンはお義父様の手伝いをしたり、お義母様から手ほどきを受けたり、本を読んで自分の知識を増やしたりすることに時間を費やした。

書籍については安くはないだろうにお義父様は沢山の本を用意してくれた。その中にはあの頃アルベルト様と話をしていた外国の文学作品もあった。彼も読んだ作品を私はその影を追うようにして読みふけった。



二年目の社交シーズンも自分のことを知らしめるために色々な場に足を運んだ。知り合いも増え、気さくに話しかけてくれるご令嬢もちらほらでてきた。目標までの距離は分からなかった。けれども前だけを見て、私は進み続けていた。


そんな中、ある日私がお茶会から帰ると、玄関でお義母様が私のことを待ち構えていた。


「メアリー!!あぁ貴女を待ってたの!早くお義父様の執務室へ来てちょうだい!」


手を掴み、走り出さん勢いで私を引っ張っていくお義母様に連れられ、私はお義父様の執務室に入った。そこにはデスクの椅子にもソファにも座らず立っていたお義父様がいた。


「あなたっ!メアリーが戻りましたよ!」


「おお、帰ったか。メアリー、ついに来たぞ!来たんだ、招待状が!」


そう言ってお義父様は一通の封筒を私に差し出してくれた。受け取り裏面を見ると差出人は『セブスブルク』とあった。

信じられない思いで封筒を見つめていると、お義母様が私に抱きつきながら、涙混じりの声でこう言った。


「アルベルト様のお家からの招待状よ!ついに声がかかったのよ!」


呆然としながら私はお義母様の声を聞いていた。


会える。ついにアルベルト様に会える。

そのことにも胸が詰まる思いであったが、今目の前で私のことを自分のことのように喜んでくれている義両親の姿にも私の心は強く掴まれていた。


思わず涙をこぼした私を、お義母様がより強く抱き締めてくれた。お義父様は目を細めてそんな私たちを見守ってくれていた。


私はお義母様を抱き返しながら、二人の思いに恥じぬようにしたいと強く思っていた。

結果がどうなるかは分からない。アルベルト様はあの日一度見ただけの私のことなんて気づかないかもしれない。けれど、例えどうであっても整えてもらったこのチャンスに全力で挑むことを、私は改めて決意していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ