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一話

隅々まで磨き上げられた王宮の中の回廊を、華奢なヒールを履いた美しい少女が歩いていく。


すれ違う者は皆、壁際に寄り頭を垂れながら彼女が通りすぎるのを見送った。そして彼女が通りすぎたあと、ゆっくりと頭を上げてその後ろ姿を見送りながら感嘆のため息をつくのだった。


「レオノーラ殿下は歩くお姿まで美しい」


「見て、あの微笑み。臣下にあそこまで優しく微笑んでくださるなんてレオノーラ殿下のお人柄の素晴らしさがうかがえますわ」


そう囁かれている少女の名はレオノーラ・グランベルク。このグランベルク王国の第三王女であった。


王族の証である美しいプラチナブロンドの髪に鮮やかな新緑のような緑の瞳を持つ彼女は、皆優秀であると称えられている現国王の子供の中でも、一際その才覚を発揮させている人物であった。マナーなどの教養が高いのはもちろん、周辺の言語にも精通し、17歳という年齢でありながら既に諸外国との外交に大きく貢献していると言われている。


そんな民からも絶大な支持を集めるレオノーラは、回廊を抜け建物に入り人気がなくなったところで人知れず小さくため息をついた。その顔には先ほど臣下に向けていたような輝きはなく、憂いを帯びたものとなっていた。





どうしてこうなったのか。


今までさんざん考え続けてきたことをまた考えてしまい、私は回廊を抜けちょうど人気がなくなったところで小さくため息をついた。こんなところ後ろを歩く侍女には見せられない。見られたとなると『レオノーラ殿下』に何を言われるか分からない。改めて身を引き締めた私は、その先にあるサンルームへと向かうため重たい足を進めた。


どんなに気分は重くとも、歩く姿も優雅に見えるよう10年間厳しく叩き込まれた所作は体に染みついており、歩くペースが変わることはなかった。そのため目的の部屋にはさほど時間がかからず着いてしまった。侍女が開けてくれたドアを、顔には出さないが重い気持ちを抱えたまま私はくぐった。


柔らかな午後の日差しが差し込むサンルームで私を待っていたのは、貴族にしては短い髪をした精悍な青年だった。濡羽のような艶やかな黒髪を持ち、鮮やかな橙の瞳は彼の強い意志を示すかのようにやや釣りあがっていた。その整った容貌も相まって、黙っているとやや冷淡な印象を与える彼は私に向き直り、その表情を少しだけ和らげながら挨拶をしてくれた。


「こうしてお目見えできて光栄です、レオノーラ殿下。おそれ多くも殿下の婚約者候補となりました辺境伯セブスブルク家の嫡男、アルベルトと申します」


彼の人柄を思わせる真っ直ぐな目が私を見つめていた。その視線を少し遮るかのように、一度だけ軽く目を伏せてから私は彼にこう告げた。


「第三王女レオノーラです。これからどうぞよろしく」


私の心中とはまるで関係がないかのように、きっと表面上はいつも通り私は美しく微笑んでいるのだろう。『殿下』の美しい笑みをアルベルト様に向けながら、私はまたこうして新たに人を欺かねばならないことに胸の奥がずしりと重くなるのを感じていた。


そう、私は臣下たちにレオノーラ殿下と慕われ、アルベルト様にレオノーラと名乗ったが、私は『レオノーラ殿下』ではない。


私は彼女の影武者だった。





ことの始まりは、私が孤児院に来た貴族のご婦人の綺麗な金髪に憧れてしまったことだった。

月に一度、私がいた孤児院を訪れていてくれたそのご婦人は表面上の施しだけをする他の貴族の女性とは違い、私たち孤児にも優しく微笑んでくださる方だった。いつも美しいドレスを着ていて、白くたおやかな手で私たちの頭を優しくなでてくれるその人は私たち女の子の憧れの的だった。


例に漏れず私もそんな彼女に憧れを抱いていた。中でも私がいつも見とれてしまっていたのは、彼女の美しいブロンドだった。今となってはよく分かるが、孤児の生活からは考えられないほど手をかけられた彼女の髪は光り輝くほど艶やかで、自分のぼさっとした薄茶色の髪とは比べるのもおこがましいほど美しいものであった。


いつもは遠巻きに見つめるだけであったが、私があまりにも熱っぽく彼女の髪を見つめていたせいか、ある日ご婦人が「よければ髪に触れてみる?」と言ってくれた。


私は口から心臓が飛び出るんじゃないかってぐらいドキドキしながらご婦人の髪にそっと触れさせてもらった。彼女の髪は見た目通りしっとりとした触り心地で、自分の髪と同じものであるとは思えないほどであった。


『ああ、私の髪もこんな美しいものだったらどんなによかっただろうか』


子供心にそう思ってしまったのは避けようのないことだったと思う。それぐらい憧れていたし、彼女の髪はキラキラと美しかった。


しかしそのちょっとした憧れが、私の中に眠っていた『ギフト』を呼び起こしてしまった。自分の中で何かがパチリとはじけたと思ったその瞬間、視界の端に映っていた自分のありふれた茶色の髪が目の前で微笑むご婦人と同じ美しいブロンドとなっていた。


突然私の髪色が変わったものだから周囲は騒然となった。ご婦人の護衛にいきなり腕を取られ彼女から引き剥がされた私も周囲と同じく、いや当事者であったため周りより一層パニックになっていた。


私があの美しい髪を奪ってしまっていたらどうしよう。泣きそうな気持ちになりながら何とか護衛の腕の隙間からご婦人を見ると、彼女の髪は変わらず美しいままであった。そのことに心から安堵した私は何かに吸い取られるかのように急に重みを増した体に耐えきれず、そのまま意識を手放した。




気が付くとベッドの上にいた。寝かされていた部屋は白い壁と清潔なレースのカーテンがある小さな部屋であった。孤児院にはそんな部屋はなかったため、きっとご婦人に無礼なことをしてしまったためどこかに連れていかれたのだと幼かった私は思った。今から思えば罪人があんな清潔な布団で寝かせてもらえるはずもないのに、その頃の私はそう思い込んで布団の中で小さく身を縮こまらせていた。


しばらくそうして怯えていると、軽いノックと共にドアが開き、大人の女の人が部屋に入ってきた。彼女は孤児院の近くにある教会のシスターの制服を着ていた。


教会のシスターがどうしてと思っていると、彼女は「まずはお水でも飲みましょうか」と優しく微笑みながらコップを差し出してくれた。

混乱しながらも水を飲み干した私に、シスターは私がなぜ教会にいるかを教えてくれた。



シスターがおっしゃるに、あのとき私の髪が変わったのは『ギフト』のためらしい。


『ギフト』、誰もが授かる能力。

しかしその能力は千差万別で、王族や高位貴族のように火、風、水、土の四大属性を操るものから、ただ足が早かったり、視力が良く遠くまで見渡せたりするなどギフトかどうか判別のつきにくいものまで、その内容は様々であった。


私の髪が変わったのもそのギフトの一種で、恐らく自分の髪を触れたものと同じになるよう変えられる能力だろうと教えてくれた。

本来であれば10歳前後で目覚めるはずのギフトが、その能力と強い憧れが合致したことにより7歳という早い年齢で覚醒した可能性が高いらしい。今回私が倒れたのは、初めて使うギフトの力に体が対応しきれなかったためだろうとそのシスターは教えてくれた。


「あなたが倒れてからもう半日経つわ。あなたの髪は元に戻っているから一時的に髪を変える能力のようね」


とシスターに言われて私は初めて自分の髪が元の薄茶色に戻っていることに気付いた。髪を摘まんでまじまじと見つめてみたが、あの艶やかな金髪になったことは夢であったかのようにそれはいつもの見慣れた私の少しパサついた髪だった。


「ギフトはどんな内容であれ教会で登録をする必要があります。ここでもう少しあなたのギフトを調べてから登録をしましょう」


そこから私は1ヶ月ほど教会にお世話になりながら自分のギフトを調べていった。

また倒れてしまわないよう見守られながら色々と試したところ、私のギフトの詳細がだんだんと見えてきた。


髪色を変えるには対象の髪に触れる必要がある。

持続時間は今のところ30分ほど。

(ただしギフトを使用するごとにより少しずつ伸びている)

連続して色は変えられない。三時間ほど間を空ける必要がある。


大まかなギフトの力が見えてきたところで教会にその能力を登録し、私は孤児院へと帰った。戻ってすぐはギフトについてあれこれと仲間たちに質問責めにされたが、それも一週間もすれば落ち着いた。私はそこから変わらぬ平凡な日々を送るはずであったが、その平穏は孤児院を訪れた一人の来訪者により破られることとなった。




「メアリー君、君をうちでメイドとして雇いたいのだが来てくれるだろうか?」


孤児院の先生に呼ばれ向かった応接室で、貴族のようなピカピカの高そうな服を着た人が私にそう言ってきた。


孤児院にいる子供のほとんどは成長するとこのような働き手を探しに来た人に引き取られたり、先生たちが見つけてきてくれた職場で仕事に就いたりする。養子に貰われる子なんて余程見目麗しい子だけで、そんなのはほんの一握りだった。

だからまだ私は7歳で年齢は低かったが、その貴族の人から「娘の年の近い子を一人ぐらいは側に置きたくてね」という言葉もあったため、その提案に疑問を抱くことはなかった。むしろ貴族様のお屋敷は作法などにはうるさいが食いっぱぐれることはないと聞いていたので、いい仕事に巡り会えたとすら思っていた。


そのため孤児院の先生がちらちらと気遣わしげにこちらを見ていることにも気付かなかった7歳の私は、その貴族のような人に「メイドとして働きたいです。よろしくお願いします」と元気良く返事をした。


こうして私はとある貴族に雇われることとなった。




それから程なくして私は孤児院を離れ、あの日会った貴族のような男性にある伯爵様のお屋敷に連れていかれた。伯爵様のお屋敷はまるで絵本に出てきたお城のようで、平民街にある建物しかしらなかった私はしばらく口を開けたままそのお城を見上げることとなった。


伯爵家に来てからはマナーや言葉づかいなどを徹底的に教え込まれた。その頃の無知な私はこんな大きなお屋敷で働く人にはそんな能力が求められるのだと思って疑ってもいなかったが、あれは普通の平民がなる『メイド』に求めるようなものではなかった。


あれは高位貴族のご令嬢が受ける淑女教育であり、私をとある女性の完全な複製にするための教育だった。


そのため来る日も来る日も講師としてやってきたミドラー夫人に厳しく指導された。『彼女』の癖を覚えさせるため声の出し方、足さばき、手の動きまで細かな指導が入った。呼吸すらも正しくないと怒られるのではないかと思ったほど、ミドラー夫人は私のあらゆる動きを叱り、『彼女』の動きを叩き込んできた。


少しでも私の動きが悪いと、夫人は私にこう言った。


「あの孤児院はまともな教育一つできていないようですね。お前がその程度であれば、今後あの孤児院へ仕事は回せませんね」


恐らく色んな脅し文句を試した中で私が最も恐れるのがそれだと彼女は見抜いていたのだろう。実際に私にとって共に育った仲間たちが就けるはずだった仕事がなくなってしまうことは、自分のことをなじられることより辛いことだった。それを言われるたび、涙を何とか堪えて死にものぐるいで夫人の指導に食らいついていった。


そうしてひたすらマナーと教養と『彼女』の動きを習得する日々に明け暮れた。途中から侍女としての仕事や振る舞いも教えられていたのだが、貴族のご令嬢のことも侍女のことも知らなかった私はそのことに気付きもしなかった。



そんな生活を3年送ったある日、私はミドラー夫人からこう告げられた。


「メアリー、来週から貴女には仕事に就いてもらいます」


それは私がこの3年間待ち続けていた言葉だった。


このお屋敷に来てからずっと、私はミドラー夫人の元で勉強に明け暮れていた。伯爵家から雇われながら仕事を全くしていない子供、それが周囲から見た私だった。そのため私は周囲の使用人たちによく思われておらず、最初の頃は食事を抜かれたり、お湯を分けてもらえなかったりした。すぐにそういう明らかな嫌がらせはなくなったが、冷ややかな視線と態度は今日まで変わることがなかった。


やっと仕事に就けることに心の中で安堵していた私に向かって、夫人はこう続けた。


「仕事に就く前に一つだけ誓約を結ぶ必要があります。この仕事をする上で、非常に大切なものです」


そう言うと彼女は目の前に一枚の紙を差し出した。


細かな誓約内容が書かれたその紙は、周囲に不思議な紋章が描かれたものであった。それはとある一族に継承されるギフトによるもので、『その誓約内容を必ず誓約者に実行させる』というものだった。


そんなことを知るはずもなかった私は、紋章のことなど気にせずただその誓約書に書かれた内容だけを読んでいた。

そこに書かれていたのは『生涯、認められた者以外には仕事内容を話せないようになる』という趣旨のものであった。他人に仕事のことをベラベラと話す必要もないと思った私は、特に深く考えずその誓約書に叩き込まれた少し癖のある筆跡でサインをした。



翌週、私は身なりを整えられミドラー夫人と共に馬車に乗って仕事先へと向かった。てっきり伯爵家で働くと思っていた私は少し驚いたが、そんな表情を顔に出すと夫人から叱られるため表面上は何事もないかのような振りをしながら馬車に揺られた。


そうして連れてこられたのは、あんなに大きく思っていた伯爵家のお屋敷が霞むほどのお城であった。見上げる城壁は高く、白く輝いていて、室内も塵一つ落ちておらず、どこもかしこも光輝いているかのように美しかった。調度品一つ取ってもこの3年間の付け焼き刃の私の知識でも高級と分かるものばかりであった。


そんな新しい職場のすごさに内心圧倒されていると、程なくして私と夫人はある一室へ案内された。部屋に入るとそこには一人先客がいた。


彼女は私と同い年ぐらいの赤髪の少女で、緊張に強張った様子でそこに立っていた。私も促されるままにその少女の隣に立ち、この職場での上司が現れるのを待った。



しばらく彼女と二人立っていると部屋のドアがノックされ、一人の執事と思わしき男性が入ってきた。彼は私と隣にいる少女に視線を向けたあと、「メアリー、君はこちらに座りなさい」とソファを指した。


赤髪の彼女も、ミドラー夫人も、何ならそのきちんとした身なりの執事の人も立ったままであった。なぜ私だけと思ったが、指示には黙って従うよう教え込まれていた私は背を伸ばして指定されたソファに座った。


そうしていると今度は部屋の奥のドアからメイドがお茶のセットを乗せたワゴンを押しながらソファの側までやってきて、私の前に恭しくお茶を出してくれた。

出された紅茶の美しい透き通った色を見ながらまさかと思っていると、先ほどの執事の人が短く「飲みなさい」と私に命令した。彼の意図は見えなかったが、それを考えるのは私の仕事ではないとずっと言われてきた。そのため色々疑問に思うことはあったが、命令に従って紅茶を口にした。


ソファに座ってからも、紅茶を飲む間もずっと不躾なほどの視線を感じていた。気まずさや不安はあったが、教えられた通り視線を気にする素振りは見せずに紅茶を飲みきった。



「なるほど、問題ありませんね。合格です」


紅茶を飲み終わり、カップをソーサーに静かに置いて一拍ほどおいた後、それまで黙して私を観察していた執事の人がミドラー夫人にそう告げた。何を見られていたかは分からないが、とにかく私は何かに合格をしたようだった。


ソファから立ち上がり、再び赤髪の彼女と並んで立った私に執事の人はこう告げた。



「貴女たちには明日からこの王宮で第三王女であらせられるレオノーラ殿下の元で働いてもらいます。普段はメイドや侍女として殿下のお側に侍り、そして有事にはメアリー、お前は殿下の影武者となり殿下をお守りするのです」

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