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雉白書屋短編集  作者: 雉白書屋


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揺らぐ水面         :約2000文字 :じんわり

 鬱陶しいほどに響く鳥のさえずり。レースのカーテンを輝かせる日の光。

 朝だ。一日の、世界の始まり。少年はぼやけた視界を擦り、世界を磨こうとする。

 今日は誰も起こしに来なかったみたいだ。じゃあ、もう少し寝ちゃおうかな……。どうせいつ起きたって……。


 ――えっ。


 彼は足先に伝わる、異様な感触に目を見開いた。次に足を動かしてみる。さぶ、と音がした。


 ――水だ。嘘でしょ。だって…… 


 少年は何度もまぶたを擦った。じんとするほどに。しかし、これが現実などとは、到底思えなかった。


 ――夢……だよね?


 そう思うのも当然だ。部屋が水に浸かっているのだから。朝日に照らされ、煌めいている。

 少年はゆっくりともう片方の足も下ろし、ベッドから立ち上がった。

 水位は足首の少し上。指を動かすと、波紋が広がり、冷たい感触が肌を撫でた。

 これは絶対に夢だ……。少年はそう思いながらも、あまりに鮮明な感覚に他の可能性を探り始める。

 浸水……? いや、ここは二階だ。やっぱり、ありえない。それとも、大雨で世界全体が水浸しになっちゃった?

 少年は窓へと目を向ける。


 ――あ、コンセント!


 窓の斜め下にあるコンセントが視界に入り、少年は反射的に水から足を上げ、ベッドに尻餅をついた。

 だが、感電の気配はない。ブレーカーが落ちているのかもしれない。

 しばらくそのままでいると、外から『サッ、サッ』と箒で地面を掃く音が聞こえてきた。お隣さんの日課だ。

 ……ということは、外は普通なのか。

 この部屋だけ? それとも、この家全体が水に浸かってるってこと?

 思い返してみると昨晩、雨は降っていなかったはず。蛇口の閉め忘れ? いやいや、それにしたっておかしい。水が漏れもせずに、二階まで溜まるなんて。

 それに早朝とはいえ、外から見れば異常に気づかないはずがない。騒ぎになるはずだ。


 ――母さんと妹は無事だろうか。父さんは朝早いから、もう出かけたかな。


 墨汁を水に落としたように、胸の奥で不安がじわりと広がる。家族の無事を確かめるには、この部屋を出るしかない。

 少年はおそるおそる両足を水へ沈めた。

 慣れない感覚に馴染ませようと、足先でバシャバシャと水を蹴る。波紋が広がり、ゆっくりと消えていくのを見つめていると、不思議と波立った心もまた静かに落ち着いていく気がした。


 ――あっ。


 視界の端で水面が小さく揺れた。

 それに目を向けた瞬間、足の間をくすぐるような感触が走り、思わず身を震わせた。


「金魚……」


 どこから現れたのか、朱色の小さな金魚が足の間をするりと通り抜けたのだ。

 二匹の金魚は合流し、尾ひれを揺らめかせながら、水中をゆっくりと漂う。少年はその姿を見て安心すると同時に、少し落胆した。


 ――やっぱり、これは夢だ。


 この家ではもうペットを飼わない。理由は、死んだときに心が苦しくなるからだ。

 夢なら、もう慌てることないな。

 少年はぼんやりと金魚を眺めた。


 ……あれ?


 ふと、その金魚に見覚えがある気がした。

 記憶を辿るのはそう難しくはない。あれは、昔飼っていた金魚だ。夏祭りに行けなかった僕のために、父さんが買ってきてくれた。名前は……忘れてちゃった。薄情かな。

 少年は苦笑した。

 ただ、よく似た別の金魚かもしれない。もう一匹の黒いほうは友達だろうか。それとも奥さんだろうか。もしくは、恋人かな。 

 尾びれが、ゆらゆら。ひらひら。ひらひら。ゆらゆら。

 揺らいで、揺らいで、増えて、増えた。


 見つめていると金魚がもう一匹、また一匹と、どこからか次々と現れ、やがて一つの群れとなって泳ぎ始めた。

 波が立つほどの大群だ。そして、金魚たちは壁に向かって一斉に泳いだ。


 ――ぶつかる! 


 少年は思わず片目をつぶった。しかし、金魚たちはまるで壁に吸い込まれるように消えていった。

 そして次の瞬間、反対側の壁から湧き出るように現れ、群れの最後尾と合流した。まるで川のように、部屋の中に一筋の流れができあがった。


 ……そっか、これが三途の川か。


 少年はベッドから立ち上がった。懐かしむように、ゆっくりと歩く。病気で歩けなくなって以来の感触が、やはり少しこそばゆく、頬が緩む。

 川の流れはマッサージのように、優しく穏やかだった。ドアに手をかける少年の心も、また落ち着いていた。

 ドアをゆっくりと開ける。まるで迎え入れるかのように、温かな光が少年を包み込んだ。


「おはようっ」


 新しい世界に挨拶する少年の声は、晴れやかに澄み渡っていた。

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