頭のネジが一本外れている :約2000文字
日本酒に砂糖、ニンニク、ゴマ油、塩と黒胡椒に、それから――
「僕の――ませんか」
「え?」
「僕の――知りませんか?」
街を歩いていたら、突然声をかけられた。考えていたことが、すぽーんと吹き飛ぶ。
なので、少しムッときた。なんなんだろう、この人。涙ぐんでる若い男。よく聞き取れなかったけど、落とし物をしたらしい。あ、しまったな。ナンパかもしれない。無視すればよかった。
「僕の頭のネジです……。知りませんか?」
「……ネジ?」
「僕はどこかに落としたみたいなんです! だから探しているんです!」
必死な様子。冗談を言っているようには見えない。もちろん、演技にも。
となると……ははあ、なるほど。『頭のネジが外れている』という比喩がある。この青年はまさにそのものだ。だけど、ちょっと笑えないし、冷たくあしらうのもなあ……。
「このあたりだと思うんだけどな……」
――えっ。
これって……光の加減だよね? いや、違う。見間違いじゃない。青年の頭頂部には、ぽっかりと穴が空いていた。
ピンポン玉ほどの大きさ。周囲の光を吸い込むような、深い暗闇。
「え、あの、それ……」
「ないなあ……ない、ないないないないない……」
青年はブツブツと呟き続ける。訊けない。怖い。
だけど、なんだろう、この不安感。わたしの胸の中に、それこそ穴が空いているんじゃないかっていうぐらい、なに、この感じ。何か……。
「大丈夫ですかー?」
「ですかー?」
突然、後ろから柔らかい声が飛んできた。振り返ると、若いお母さんと幼い女の子がこちらに駆け寄ってきていた。
「お手伝いしますね」
「しますねー!」
どうやら、コンタクトレンズでも探していると思ったらしい。二人はさっとしゃがみ込み、地面を見つめ始めた。
それどころじゃないのに。頭に穴が……。それにしても、この二人は偉いな。よく声をかけられたな。見ず知らずの人のために地面に膝をつけて、あんなに熱心に……。
――え、嘘。
わたしは目を擦った。でも、やっぱり見間違いじゃない。
母親と娘の頭頂部には、しっかりと大きなネジがついていたのだ。
曇り空の下、淡く光りながら、周囲の景色を歪ませて映し出している。
見間違い? 夢? 幻覚?
もしそうじゃないなら、もしかして、わたしにも……。
――あ。
……穴が、空いている。
「早く見つけないと早くだめなのに早く」
「あ、あの、あ」
言葉が喉の奥に張り付いた。
視界の端に、二人の大柄の男が映ったのだ。こっちに近づいてきている。そして影が、青年の上に落ちた。
男たちは探すのを手伝いに来たわけではなかった。ガッチリと声援の両腕を掴むと、どこかへ連れて行った。青年は足を引きずられながら、「ネジ、ネジ……」と呟き続けていた。
しゃがんでいた親子はスッと立ち上がり、歩き出した。周りの人々も、この異常な光景を目にしていたはずなのに平然としている。
わたしは、それも含めてすべてが恐ろしかった。
わたしは震える手で、自分の頭を押さえながら、とにかく歩き出すことにした。
でも、どこへ? ネジがないのに。
わたしのネジはどこ?
あれがないと。ないと……?
ないとどうなる?
わたしはこれまで普通に普通に普通の人間で。
わたしはわたしわたしは……あ。
ふと、影がわたしを覆った。
さっきの男たちだ! ああ、見られた! 穴を見られた!
「つ、連れて行かないで! 私は普通! ふつうだから……!」
わたしは必死にうったえようと思った。でも、手で口をふさがれた。
ああ、連れていかれるんだ。どこへ? どこかだ。おしまい。おしまい。
「しっ! 静かに、奴らに感づかれる」
「……やつら?」
「我々はレジスタンスです。あなたの記憶もいずれ、はっきりとしてきます。とにかく今は我々のアジトへ」
わたしは肩を支えられながら歩き始めた。
空を見上げると、円盤のような物体が静かに浮かんでいた。ビルの大きなテレビモニターには、見たことのない生き物が映っている。スピーカーからは単調な音楽が流れる。壁には読めない文字が並ぶポスター。
みりん、しゅうゆにさとうにこんぶだし。おいしくおいしくあじわってね。
だれにだろうか。なんのりょうりだろうか。おいしいおいしいおいしい。
れじすたんすってほんとうなのだろうか。
わたしのねじはどこだろうか。
ぶつかることなく、たんたんとあるいているひとたちが、なぜかうらやましいとわたしはおもった。




